複写蘇生 六/複写蘇生
「なん……で……」
——なんで、死んでいないの?
——「私達」はもう、誰一人残ってはいないというのに。
瞼を開けると、あの女の子が、見下ろしていた。白い頬、凜とした目。女の目からも、美しいと断言できる、中性的な整った顔。あの、やたらと固い、黒い棒は、いつの間にか消えていた。
喉の奥から、咳が出る。肺に変な液体が、溜まっているような感じがあった。
「何だ、お前も偽物なのか」
何をいっているのか、よく分からない。わたしは、わたしだ。わたしが、交通事故を欲していた。わたしが、交通事故を、作りたかった。
「……いつの間にか……自分で自分が、見えるように……なったんです」
女の子は、む、と難しそうな顔をする。
わたしは、自分の下半身に目を向けて、ああ、ダメだ、と息をついた。
だって、そこには、なんにもない。足も、お腹も、両腕さえも。
「……交通事故を、防ぎ……たかった。でも、一度だって……出会えなかった。……だから……だから……自分で、事故を……作るしか、なかったんです」
「自分自身が、事故に遭う光景を、空想した。それがいつしか、妄想から信仰の類いに昇華される――要するに、お前は自己暗示の極限まで到達したんだよ。結果、その魂は分裂する。一方は事故を引き起こし、もう一方はその事故現場に遭遇する――そうして、願いは、叶えられた」
空は、どこまでも深かった。地面へ横になっていると、背中が、ひんやりと涼やかだ。ぽつり、と頬に、冷たい氷の結晶が触れる。それはジュッと音を立て、あっけなく水に変わってしまった。
「……雪」
――ああ、雪だ。
と、退屈そうに、女の子は口にした。
「馬鹿だよ、お前は。自分を傷つけるだけ傷つけておいて、結局一度も、願いを叶えることは、できなかった」
ぽつり、ぽつり。
真っ白い雪が、車のヘッドライトに照らされて、空の底から浮かんでくる。
――息が、苦しい。
けれど、それは。
――不思議に、心地良くも、あったのだ。
案外わたしの本当は、交通事故なんて、どうでも良かったのかも、分からなかった。
遠く、誰かの話し声が聞こえてくる。
――終わったの?
――ああ、終わった。
――あれ、雪だ。天気予報じゃ、こんなのいってなかったけどな。
――当たり前だよ。天気ってのは、要するに天の気分だろ。そう簡単に、いい当てられるわけないじゃんか。
待って、とわたしは、最後の力を振り絞る。声はかすれて、届いたかどうかも分からない。真っ黒い空に染まった視界へ、やがて、ひょい、と、端正な顔が現れた。
「……あなた……どうして、死ななかったの……」
ああ、と、その女の子は、初めて、素直な笑顔を見せた。
「簡単なこと。私は、絶対に死ねないんだよ。傷だろうと、怪我だろうと、たちどころに治ってしまう。――そういう、呪い」
「……そう……なの……」
視界は徐々に狭まって、女の子の輪郭ですら、既に大分ぼやけている。
「でも……気をつけなよ、交通事故……ホラ……最近……流行ってるん……だか……ら……」
それは、どこかで聞いた言葉だ。誰かが心配してくれたのは、これが——そう、初めてだった。
――あの子が事故に遭ったときも。
――あの子の葬式に出たときも。
誰もくれなかった、優しい言葉。
——一度、いってみたかった言葉。
思えばわたしは一度だって、自分のために願えなかった。それが、ダメだったのだろう。
雪は、とても、白かった。
遠く、パトカーのサイレンが聞こえる。
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