複写蘇生 四/複写蘇生
両親が寝静まったのを確認して、こっそりと家を抜け出した。閑散とした住宅街で、明かりのある家はほとんどない。夜は暗く、白く浮かび上がる電信柱は、どこか背骨を思わせる。時折、ぽつねんとたたずむ街灯が、暗闇に白を切り抜いていた。
月は、亡い。
急速に下がり始めた気温は、この頃、氷点下に近づいている。靴底のゴムが、今にもひび割れてしまうのではと、下らない心配が脳裏をよぎる。
――そういえば、あの夜も、やっぱり今日みたいに寒かった。
ふと、思った。
目をそらさなくちゃいけないコトが、どうしようもなくこびり付く。何度洗っても、削っても、決していなくなってくれない。
記憶は、どこまでも我が儘だ。
あの子が事故に遭ったのは、今から半年ほど前のことだ。下らない理由で、自暴自棄になった一人の男が、憂さ晴らしに走らせた大型トラック。そのタイヤに潰されて、わたしの親友はこの世を去った。
殺人ならば、まだ良かった。人を殺すほどの恨みの上に、失われた命であれば、どんなにマシだったろうかと空想する。
――けれど、彼女は違ったのだ。
あまりに事故らしい、事故だった。男は単純なミスを犯し、その結果、一人の女子高生が命を失う。新聞の記事にすら値しない、とんでもなく馬鹿げた話。
――それではなぜ、わたしは死ななかったのか?
二人で並んで歩いていたのに、自分だけが生き残る。わたしは何より、それが、許せなかったのだ。
「茜ちゃん。あなたは、うちの子の分まで、生きてちょうだい」
親友の母親は、葬式で私に語りかけた。
知っている。
わたしはその瞳の中に、激しい憎悪を、確かに見た。
――自分の子供が殺されて、他人の子供が生きるのはなぜ?
だから、助けたい、と、そう思った。
次、交通事故に出会ったら、きっと、助けなくちゃと、そう思った。
誰も、馬鹿げた終わりを迎えないように。
自分が、何としても防がなくては、と。
わたしはだから、こうしてトラックを探して回る。
道は緩やかな曲線を描き、やがて大通りと合流した。
「……寒い」
風が、ごう、と吹いてきて、全身をくまなく舐め回す。制服の薄っぺらい生地なんて、あってないようなものだった。糸の隙間から零れる風は、まるで自分が、裸でいるような錯覚をもたらす。生々しい、現実感。自分だけの、羞恥心。
遠く、うなるようなエンジン音が鳴り響く。二つのライトが、急速にこちらへ近づいてくる。眩しい。限りなく、眩しい。私は静かに目をつむる。音が、こちらへやって来る。何度も、何度も、繰り返した工程だ。
――と。
極限まで高まったエンジン音が、ある瞬間を境界に、再び遠くへ離れていく。ライトに照らされていた辺りの景色が、冷たい闇を取り戻した。
「あなた、誰?」
わたしは、道の対岸に立つ、一人の女の子に声をかけた。
「毎週毎週、飽きもせず……よくそんなに死ねるもんだ」
女の子は、粗野な口調で、そういった。
「お前のせいで、こっちは勝手に殺されたんだ。謝罪の一つくらい、あっても良いと思うけど」
「何のこと?」
それは、本心からの、言葉だった。
「きっと、何かの勘違いよ。……だって、わたしは、誰も殺そうとなんてしていないもの」
へぇ? と、女の子は首を傾げる。
「その割に、毎週自分を、殺しているみたいじゃないか」
――ぷつり。
と、わたしの中で、何かが切れた。
この人に、一体何が分かるんだろう?
事故に遭う誰かを助けたい。
その一心で、毎晩のように暗い街を浮浪する――そんな経験が、この人にあるとでもいうのだろうか?
毎日、毎日。どこにも事故を見つけられない。
それでいて、交番の前には、知らない数字が増えていく。
事故を、見つけなきゃ。
事故を、探さなきゃ。
事故を――事故を――事故を――。
事故がないと、いけなかった。
事故が、わたしには、必要だった。
自分自身を殺してでも、事故がないと、ダメだったんだ。
――ああ。
と、わたしは、ふと思う。
――許せない。
――許しちゃいけない。
こんな人……わたしの気持ちを思わない人、きっと、生きている価値なんてない。
それは、わたしが初めてもらった、他人を殺す、免罪符だ。
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