複写蘇生 三/宮野桂

 浅間京子と知り合ったのは、随分と前のことになる。彼女はいつも、教室の隅で、一人、千羽鶴を折っていた。

「それ、誰に送るの?」

 なんて、自分でもびっくりするくらい無神経な言葉から、僕と、彼女は、始まったのだ。

「誰だって良いのよ。誰だって。鶴を折ったって、どうせ誰も助からない。これは私の自己満足で、単なる私の贖罪で、つまるところ、目的も、ついでに終わりも、ありはしないの」

「それじゃ、意味がないだろう。せっかく苦労して折るんだから。何か、願い事くらい、かけたって罰は、当たらないと思うけどな」

「……そう。願い事ね」

 彼女は、まるで、ピンク色の象でも見つけたみたいに、目を大きく見開いた。

「あなた、変わってるのね」

「君ほどじゃない」

 誰に送るでもなく、たった一人で、黙々と鶴を折り続ける……。そんな学生を未だかつて、僕は見たことがなかったのだ。

「珍しいね。君から連絡してくるなんて」

 二日ぶりに、扉の前に立っていた。インターホンに語りかけると、扉の向こうで、ガタガタと人の気配がする。それが、しん、と静かになって、ドアスコープが暗くなった。相手が誰なのか分かっていても、覗かないと気が済まない――一貫した、彼女の癖だ。

「昨日、例の死体を見た」

 扉を開けて僕を見るなり、彼女は物騒なことをいいだした。

「死体って……ああ、連続事故死事件のやつか」

「連続事故死? なんだそりゃ」

「そのまんまだよ。毎週のように、事故死する。被害者の特徴が一致するので、別件として扱うのは無理があるだろ。だから、連続。連続事故死。――それより、京子。見たって、一体どういうことさ」

 靴を脱ぎ、リビングへ向かう。

 先日と変わらない風景の中、異質なものがただ一つ。コンビニの真っ白いビニール袋が、テーブルの上に転がっていた。こちらを向いた口の端から、雑多な野菜がちらりと見える。

「冷蔵庫、すぐ入れないと、悪くなるよ」

「分かってる。いちいち、人の部屋を見るんじゃない。……そんなことより、用があるのは、こっちなんだ」

 ソファにどっかりと腰を下ろし、京子はこんなことをいう。

「私って、どういう風に死んでるの?」


 僕が通い、彼女がサボっている高校は、県内でも有数の、名前の知れた進学校だ。最近建て替えられたばかりの校舎は、全面ガラス張りのモダンな造りで、内外からの人気は高い。もっとも、その代償として、内部は迷路じみた様相を呈する。おかげで、二年間を過ごした今でも、校舎の全貌はよく分からない。

「よ、宮野。最近、どうよ」

 ホームルームが終わった後で、不意に声がかけられた。窓から差し込む夕日の中に、背の高い男の姿がある。

「なんだ、尚人か。何か、用か? 剣道部の勧誘だったら、何度来たって、同じだぞ」

「違うよ。ありゃ、もう、諦めた。お前も、相当頑固だからな――と、そんなコトより」

 尚人は、周囲の目を気にしつつ、僕にこっそりと耳打ちする。

「……宮野。お前、あの女とつるんでたよな」

「あの女って――ああ、京子か」

 僕の一つ後ろの席。今は空っぽのその場所に、本来、彼女はいるはずだった。

「そう、そいつ。うまい言い回しが、どうも見つからないんだが……京子ってのは、今もちゃんと生きてるのか?」

「な――」

 怒り、というよりも、困惑、という方が大きかった。

「そりゃ、生きてるに決まってるだろ。第一、ほんの数日前に、僕は、彼女に会ってるんだ」

「そうか。……いや、それなら良いんだ。悪かったな、変なこといって」

 剣道部の練習があるから――と、尚人は足早に去ろうとする。

「ちょっと、待て。どういうことなのか、説明くらいしてから行け」

 尚人の肩に手をかけた。がっしりとした筋肉が、手の平に暑苦しい感触をもたらす。一年の頃から、エースと目されているだけあって、よく鍛えているのが分かった。

「これは、単なる噂なんだが……」

 と、尚人は少し、考えるようなそぶりを見せる。

「お前、藤崎の交差点で、事故があったって、知ってるか?」

 それは、連続事故死事件が、まだ連続でなかった頃。

 最初の遺体が、発見されたばかりの頃。

「――ま、何にせよ、死体がアイツのじゃなくて良かったよ」

 話し終えると、尚人は教室を出て行った。

 室内には、ただ一人、僕だけが取り残されているのだった。

 校庭が、橙赤色に染まりながら、窓の外に横たわる。そこに、下校途中の生徒の影が、妙に平たく、不思議に長く、ゆらゆら漂っているのが見えた。

 僕は鞄を片手に下げて、人気のなくなった校舎を歩く。

 ――事故死体、か。

 のっぺりとした廊下を進む。階段を下り、昇降口にたどり着く。

 ――と。

 僕のすぐ横を、一人の少女が通り過ぎた。纏う空気は、透明で、およそ存在感、というものがない。あまりに儚く、あまりに頼りなく、そして、あまりに痛々しい。

 ――だって、そうだ。

 ――彼女には、きっと、「自分」がない。

 名前さえ知らない少女の姿に、そんな勝手な思いを抱いた。

 腰まで伸びた髪は深黒。首筋は真っ白い骨のよう。

 背丈からして、一年生に違いなかった。

「――ねぇ、君」

 と、僕は思わず声をかける。

「気をつけなよ、交通事故。……ホラ、最近あったらしいから」

 どうして、こんなことを、いったのだろう。

 少女は戸惑うように、こちらを見て、それから、小さくお辞儀した。


「不愉快だ」

 と、京子はいう。

「要するに、最初の事故のときできた噂が、修正されないまま残ってるってことだろう? そんなのは、まるきり、不当じゃないか」

 彼女は苛立たしそうに、部屋をぐるぐる歩き出す。何事かを呟きながら。ただ歩くことだけが、生きる目的であるかのように。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……。

 そして、唐突に立ち止まり、こんなことを尋ねてくるのだ。

「なあ、宮野。来週、予定入ってるか?」

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