いまいちど
1
この土地は、本隊のある国よりも標高があり、温暖な土地とはいえない。
だが、降り注ぐ陽光は確実に暖かさを取り戻しつつあり、この地にも短い春が来るのだと思わせた。
「…… なあ」
データを壊し、セキュリティもずたずたにしてきた施設を離れ、少し離れた高台まで、拝借した軍用車で走ってきた。
アルパカと一緒に探した、施設を壊す場所。
車から降りていくバディに追いつき、ずっと引っかかっていたキーワードを、赤毛の方へ尋ねた。
「あの人が言ってた【春】とは、なんだったんだ」
『有識者』が繰り返し口にしていた、そして九官鳥もまた、その言葉を引用していた─── 【春】。
ただ季節を指すだけとは、到底思えなかった。
「詩の引用だ。
咲き誇る花をすべて刈り取ることはできても、人は
人の自我や思想の萌芽を、そう謳った詩人がいる。
2つの大戦を生き延び、思想の混迷期を渡った頃の人間だ」
風が強い。
だが、九官鳥の声は、押し流されることなく俺の耳に届いた。
彼は続ける。
「誰かの声を一つずつ潰すことはできる。絶やすこともできよう。
だが、思想を完全に潰すことはできない。仮に何一つなくなったところでも、どうしてか生まれてしまう。
それはもはや巡る現象だ。
人が、人の心を止めることはできない」
押し寄せる途方もない咽るような花の香りが、乾いた風とともに背中を押した気がした。
「美しいが、怖い詩だな」
「なるほど」
俺の反応に、ふうんと九官鳥は面白げに嗤う。
【春】を見た、とあの人は言っていた。
視界に小さく見える黒い箱の中には、もう誰も─── 『有識者』もいないはずだ。彼はこの後、あの森深い集落へ戻る。
彼が創った楽園に。
四人が永遠に失われた故郷に。
あそこに【春】があったのだろうか。
『カテドラーレ』を出て、自分の本当の顔を偽ってまで手を伸ばしたもの。
『レトレ』でさえ止められなかった、誰かの心。
ぽん、と背中を軽く叩かれた。アルパカだ。
黙ってしまった俺を心配したのか。
「はるは、あたたかいから」
訥々と、だが無機質ではない熱を持っているように聞こえた。
俺が笑い返すと、アルパカも小さく頷いて相棒の横へと並ぶ。
ここまでの彼らが、冬の厳しい土地を渡ってきたことを思うと、その言葉の意味は深い。
「さて。緊急退避指令を出して10分経過したか」
「うん」
「半径五キロメートル圏内は無人である想定だ」
「うん」
状況確認が手短に、どこかわくわくした空気の中で行われる。後ろから眺めると、青い空に白と赤の頭がよく映えている。
腰に手を当てながら、九官鳥の背中が心なしか楽しそうだ。
「指示だ、相棒。壊してよし」
「了解した」
はっきりと頷き、アルパカは深々としている前髪を両手で後ろに撫でつけた。
バシッと相棒の肩を叩くと、九官鳥はくるりと振り返り、俺を通り越して車の方へと向かって行く。
アルパカを残すのかと思い、追った視線に、ブルーグレーがかち合う。
「吹っ飛ばされるぞ」
はは、と嗤う。
どういうことかとアルパカを見ると、彼もまたこちらを振り返っていた。
普段は銀糸に隠れてよく見えない白い顔が、日の光を受けて眩しい。
「退避してて、いいよ」
「ここにいると、まずいのか」
状況が見えず、ひとまず彼の都合の悪いことはしたくなかったので尋ねると、アルパカはハシバミをぱたぱたとさせた後、緩く目を細めた。
「ここにいても、いいよ」
笑ったのだと思う。
俺は許可が出たので、車に乗り込んだ九官鳥へ行ってよいとサインを出した。
彼はひらひら手を振って、あっさりと車を出す。俺がここにいることに、二人とも止める方向はないようだ。
アルパカがちょいちょいと手招きをしているので、ホイホイと隣に並ぶ。
いつもバディの仕事の最後には、対象施設が消し飛んでいる。今回もそこはブレないようだ。
だが周りを見ても、遠く離れたあの施設を破壊できるような兵器は見当たらない。
車両に乗ってるものと思ったが……
「モノは」
アルパカを見上げ尋ねるが、彼は小さく頭を傾けるようにするだけで、
「目が潰れたら、俺が後で治すから」
しれりと怖い気遣いが聞こえ、見上げた傍らのハシバミは、遠くの黒い屋根を見つめた。
羽織っていたパーカージャケットを脱ぐと、下は半袖のアンダーウェアだけだったようだ。
そしてニヤリと剣呑な笑みを浮かべると右腕に爪を立て─── 勢いよく腕を引き裂いた。
驚く間もなく。
三度の閃光と、轟音。
無事、施設は跡形もなく吹き飛び、俺は目を焼いて鼓膜が壊れた。
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