いまいちど

 この土地は、本隊のある国よりも標高があり、温暖な土地とはいえない。

 だが、降り注ぐ陽光は確実に暖かさを取り戻しつつあり、この地にも短い春が来るのだと思わせた。


「…… なあ」


 データを壊し、セキュリティもずたずたにしてきた施設を離れ、少し離れた高台まで、拝借した軍用車で走ってきた。

 アルパカと一緒に探した、施設を壊す場所。

 車から降りていくバディに追いつき、ずっと引っかかっていたキーワードを、赤毛の方へ尋ねた。


「あの人が言ってた【春】とは、なんだったんだ」


『有識者』が繰り返し口にしていた、そして九官鳥もまた、その言葉を引用していた─── 【春】。

 ただ季節を指すだけとは、到底思えなかった。


「詩の引用だ。

 咲き誇る花をすべて刈り取ることはできても、人は芽吹きを止めることはできない。

 人の自我や思想の萌芽を、そう謳った詩人がいる。

 2つの大戦を生き延び、思想の混迷期を渡った頃の人間だ」


 風が強い。

 だが、九官鳥の声は、押し流されることなく俺の耳に届いた。

 彼は続ける。


「誰かの声を一つずつ潰すことはできる。絶やすこともできよう。

 だが、思想を完全に潰すことはできない。仮に何一つなくなったところでも、どうしてか生まれてしまう。

 それはもはやだ。

 人が、人の心を止めることはできない」


 押し寄せる途方もない咽るような花の香りが、乾いた風とともに背中を押した気がした。


「美しいが、怖い詩だな」

「なるほど」


 俺の反応に、ふうんと九官鳥は面白げに嗤う。


【春】を見た、とあの人は言っていた。

 視界に小さく見える黒い箱の中には、もう誰も─── 『有識者』もいないはずだ。彼はこの後、あの森深い集落へ戻る。

 彼が創った楽園に。

 が永遠に失われた故郷に。

 あそこに【春】があったのだろうか。

『カテドラーレ』を出て、自分の本当の顔を偽ってまで手を伸ばしたもの。

『レトレ』でさえ止められなかった、


 ぽん、と背中を軽く叩かれた。アルパカだ。

 黙ってしまった俺を心配したのか。


「はるは、あたたかいから」


 訥々と、だが無機質ではない熱を持っているように聞こえた。

 俺が笑い返すと、アルパカも小さく頷いて相棒の横へと並ぶ。

 ここまでの彼らが、冬の厳しい土地を渡ってきたことを思うと、その言葉の意味は深い。


「さて。緊急退避指令を出して10分経過したか」

「うん」

「半径五キロメートル圏内は無人である想定だ」

「うん」


 状況確認が手短に、どこかわくわくした空気の中で行われる。後ろから眺めると、青い空に白と赤の頭がよく映えている。

 腰に手を当てながら、九官鳥の背中が心なしか楽しそうだ。


「指示だ、相棒。壊してよし」

「了解した」


 はっきりと頷き、アルパカは深々としている前髪を両手で後ろに撫でつけた。

 バシッと相棒の肩を叩くと、九官鳥はくるりと振り返り、俺を通り越して車の方へと向かって行く。

 アルパカを残すのかと思い、追った視線に、ブルーグレーがかち合う。


「吹っ飛ばされるぞ」


 はは、と嗤う。

 どういうことかとアルパカを見ると、彼もまたこちらを振り返っていた。

 普段は銀糸に隠れてよく見えない白い顔が、日の光を受けて眩しい。


「退避してて、いいよ」

「ここにいると、まずいのか」


 状況が見えず、ひとまず彼の都合の悪いことはしたくなかったので尋ねると、アルパカはハシバミをぱたぱたとさせた後、緩く目を細めた。


「ここにいても、いいよ」


 笑ったのだと思う。

 俺は許可が出たので、車に乗り込んだ九官鳥へ行ってよいとサインを出した。

 彼はひらひら手を振って、あっさりと車を出す。俺がここにいることに、二人とも止める方向はないようだ。

 アルパカがちょいちょいと手招きをしているので、ホイホイと隣に並ぶ。

 いつもバディの仕事の最後には、対象施設が消し飛んでいる。今回もそこはブレないようだ。

 だが周りを見ても、遠く離れたあの施設を破壊できるような兵器は見当たらない。

 車両に乗ってるものと思ったが……


「モノは」


 アルパカを見上げ尋ねるが、彼は小さく頭を傾けるようにするだけで、


、俺が後で治すから」


 しれりと怖い気遣いが聞こえ、見上げた傍らのハシバミは、遠くの黒い屋根を見つめた。

 羽織っていたパーカージャケットを脱ぐと、下は半袖のアンダーウェアだけだったようだ。

 そして───

 驚く間もなく。



 三度の閃光と、轟音。

 無事、施設は跡形もなく吹き飛び、俺は目を焼いて鼓膜が壊れた。

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