番外編 ペリドット侯爵家の名探偵たち
番外編 ペリドット侯爵家の名探偵たち
ローズはペリドット侯爵のタウンハウスで働くメイドである。
彼女は14歳のときに親元を離れて王都に一人で暮らしている裕福な
実家の両親からは《
ペリドット侯爵家にはほかにメイドが3人おり、マーガレット、ヴィオラ、ミモザという。いずれも本名ではなくメイドとしての名前である。彼女たちはいずれも十年以上ペリドット侯爵家に
四人の中ではローズがいちばんの
さて、侯爵家に仕えるメイドには、洗濯や掃除といった仕事のほかに自分たちで
すなわち、賭けである。
といっても、それほど派手な賭け事ではない。
勝負に勝ったとしても、次の外出日にティールームで紅茶と焼き菓子を楽しむくらいのささやかな賞金が得られるだけである。
だがメイドたちはこの賭けがはじまると、もてる知恵と経験を総動員してことに当たる。ときには
勝利者に与えられる金額はわずかでも、賭けに勝利することは名誉だと思われているからだ。
その賭けの内容はずばり、ペリドット侯爵家に
ペリドット侯爵家の主人、ジェイネル・ペリドットは言わずと知れた探偵術の使い手である。ジェイネルの
だから侯爵家の使用人たちには全員、大なり小なり探偵術の
メイドたちはこの探偵術を
「あたしはオレンジだと思うね」
ミモザは昼食の後片づけで忙しないキッチンで、やぶからぼうにそう言った。
ミモザはメイド四人組のなかで、いちばんふくよかで、それでいてせっかちなところがある。
「ラト坊ちゃんのお友達だって聞いたから、どうせ
「あらぁ、ミモザさん。身なりが地味だからって庶民出とは限りませんよ」
一番年上のヴィオラがおっとりとした口調でそう言う。
「あの方、派手さはありませんでしたけれど、昼食のテーブルを見たところ、貴族のテーブルマナーをまったく知らないって風じゃありませんでしたよ。あれは教育を受けた
メイドとして年季が入っているだけあって、ヴィオラの言葉には
「でも、いまは冒険者仕事をしているんでしょう? だとしたら、そう大した家柄でもないんじゃないかしら。本当に高貴な家柄なら、たとえ
商家の出身のマーガレットの推理はいつも現実的だ。明るい茶色の髪やそばかす顔はやんちゃな印象を与えるが、実際の彼女は
「好奇心の強さで冒険者をしているのだとしたら南国の果物を使ったジャムもいいかもね。物珍しさで喜んでくれるかもしれないわ。ローズ、どう思う?」
マーガレットに
どの意見も、ある程度は的を射ているような気がする。
ジェイネルの養子であるラト・クリスタルが友人を連れてきたことは、ペリドット侯爵家にとって一大ニュースであった。
もちろん良い知らせだ。
ラトはエメリーンを失って以来、
しかしラトが探偵としての資質や才覚を輝かせるほど、ラトの周囲からは友人や理解者といった人々が離れていった。
その点についてはジェイネルも常に気に
使用人たちはもしもラトが自らの力で相棒を見つけられなかったときのために、それとなく候補を探してもいた。
しかし、すべては
ラトはクリフ・アキシナイトという青年を迷宮街から連れ帰って来た。
見たところクリフ・アキシナイトは打てば
どうやら侯爵家の資産をめあてに近づいてきたわけではない、というのが一目でわかったため、家人たちはほっと胸を
「うーん……。どの推理も説得力があるように思えるけれど、なんとなく決め手に欠けるのよね」
ローズが困惑しているのも無理はなかった。
当初は簡単に結着がつくと思われた
「ねえ、マーベル。いい加減、クリフさんの正体を教えてくれない? 出身地だけでもいいからさあ」
「旦那様より、クリフ様の身の上に関する事柄についてはいかなることも
メイドたちは大きなため息を吐いた。
これが賭けを難しくしている最大の
クリフ・アキシナイトがどういった経歴の持ち主かについては「いっさい
たいていの客人は出身地や身分を調べれば食の好みをすぐに割り出せるものだ。
しかしジェイネルが「秘密」と言えば、それは例外なく絶対の秘密なのである。
「口外無用にしなくちゃいけないような身の上ってこと? 犯罪者とか?」
「手前が旦那様より、クリフ殿の身の上に関する話を聞いたかどうかでさえ、話してはならないとのことです。そうであれば、
マーベルはてこでも口を開くつもりはないらしい。
クリフがどのような身の上で、どうして冒険者になり、そしてラトと行動を共にしているかは、直接本人から聞くか探偵術で
第一、ジェイネルの命令を
「だけど、そうなると、お料理のほうもさぞかし苦労しているでしょうね」
ローズが
ただいま、ペリドット侯爵家の料理人は休憩に出ているが、まさしく同じ苦悩に
この家においては料理人も、もちろん探偵術の使い手である。
腹を
しかし今回の客はいかなる前情報もない。
ただただ顔色をうかがいながら、使う食材から塩の量、スパイスまで何もかもを決定しなければならなかった。
「クリフ様は、肉も魚も野菜も出されたものはなんでも口にされます。どちらかといえば肉料理のほうが食が進むようです」
ハーケンが食事の風景を思い出しながら言うと、マーガレットは
「なんですってハーケン。若い男性が肉料理を好むだなんてことは、辞書の一ページ目に書いてあることよ。それも大文字でね」
あからさまな悪口に、ハーケンは
「外見や身なりの
「まさか、
「まあ、だったら3時のおやつはどうするの? ジャガイモのパイでも焼く? 戦時中でもあるまいし……」
「いいえ、あの方はけっこうな甘党でしょう。食後の紅茶に
片付けがほどほどに終わった頃あいを見計らい、ローズはそれぞれが熱心に意見を
もしもこれがジェイネルやラトであったら、きっとたちどころに好みのジャムの味を見抜いてしまったことだろう。しかし、まだ探偵術を習い始めて日が浅いローズにとっては、クリフの味の好みを知るのは難しいことのように思えた。
洗い終わった洗濯物を手に客室に向かうと、ちょうどいいタイミングでクリフが廊下に現れた。
見たところ、それほど背は高くない。
南方の男性は若い女性に対してぞんざいに振る舞うとよく言われるが、クリフがローズを見つめる目は優しげであった。
「わざわざ洗濯に出すのも恥ずかしいような
そう言って
メイドにも親しげに話しかけてくるのは、貴人の客にはなかなか無いことだ。
しかしヴィオラの言う通り、まったくの庶民というのも違う気がした。
これくらいの年の若者が、メイドの働きに対してこうした声の掛け方をするとは思えなかったからだ。
「当然のことをしたまでですわ。ご用があれば何なりとお申しつけくださいませ」
「そうか。さっそくちょっとした頼みごとがあるんだが」
「はい、なんでしょう?」
「洗濯をしてくれてるのは君かな」
「はい、私です」
「仕事に不満があるわけじゃないんだが、その、リネンや衣類についた甘い香りが……気になって」
クリフは実に申し訳なさそうな、言いにくそうな様子である。
「あっ」
ローズは声を上げた。
ペリドット侯爵家では、ジェイネルやラトの衣服やリネン類を洗うときは無香料の洗剤で仕上げるという決まりがある。夜会服など社交の場で用いるもの、客人のものは例外だったが、しかし。
「それは気がつかず、大変申し訳ありませんでした。クリフ様はラト様の助手でいらっしゃいますのに……」
ローズが
「ん? 洗濯に使う
今度はローズが不思議がる番だった。
「ラト様や旦那様からは、衣類のにおいが推理の
そう答えると、クリフは
「なるほど。そういえばあいつ、貴族の出身なのに香水や何やらとはとんと
「どうして花のにおいで子ども時代のことを思い出されるのでしょうか?」
「花は、甘ったるい香りがるするのに食べられないか、食べても
「まあ……、もしかすると私を笑わせようとしていらっしゃいますのね」
「いやいや、本当のことだ。良い香りがするものは好きだよ。とくに
「はい。確かにうけたまわりました」
それじゃあ、と言ってクリフは客室に引っ込んだ。
ローズは深々とお
頭を下げながら、やはりと確信していた。
あの気さくな
しかしメイドに要望を伝えるときも、ローズが気分を害さないようにという
伝え方にも
こうした気遣いができるのは、自分自身が似たような仕事をしていたか、それとも人を使う立場にあったか、そのどちらかだ。
ローズは考える。自分が手にしたヒントの中に、何か答えにたどり
たとえばクリフの服にはところどころ補修したあとがあった。
騎士階級の出身であれば、そうした細々した手仕事は
もしかすると、軍隊にいた経験があるのかもしれない。
とすると、
いや、決めつけるには確証がない。
そこまで考えて、ローズは自分の思考がジャムから離れていっていることに気がついた。
「いけない。出身がわかったからといって、必ずしも好きなジャムの味にたどりつけるとは限らないんだったわ」
ローズが独り言をもらしながら、客用の浴室の前を通りがかったときだった。
クリフの言葉がふいに舞い戻ってきた。
『浴室の石鹸は好みの香りだから、そのままにしておいてくれると嬉しい……』
おかしい、とローズは思った。
というのも、タウンハウスで用いられている香料は、とくにリクエストがないかぎり王都の高級店で
リネンやタオルやガウン、下着や肌着、洗剤や石鹸など、それぞれまったく別の香りを使っていたら、においが
ローズは周囲に気を
「これは……アーモンドの花だわ……」
アーモンドは春から初夏にかけて満開になる桃色の花だ。
やはり石鹸もほかの香料と同じく、花の香りで
しかしクリフは花のにおいは
空腹を思い出すからだ、と。
「アーモンドは実をつけるから例外なのかしら。あ、いえ、もしかして……」
そのとき、ローズの
*
翌朝、朝食の席には、焼き立てのパンと共に四種類のジャムが並んだ。
ローズやマーガレット、ヴィオラ、ミモザの四名のメイドたちは、クリフがどのジャムを選ぶのか、ひそかに
メイドたちのジャム・レースが行われていることは、ジェイネルやラトにはお見通しだろうが、口うるさくは言われなかった。これも探偵術をより
クリフはまず紅茶を飲み、ジェイネルの世間話につきあい、ハムを何枚か食べた。
そして、とうとうパンを取り、つけあわせのジャムを選ぶ。
今日のジャムは、ミモザが選んだオレンジ、マーガレットが選んだ
それは、ローズが選んだジャムだった。
白い
「あんず! あんずあんずあんず、あんずよ~っ!」
そう小声で
クリフが選んだのは、ローズが選んだアンズのジャムだ。
みごとに正解を引き当てたローズをヴィオラが
「よく正解がわかりましたね、ローズさん」
「どうしてアンズだとわかったの?」
マーガレットが答えを知りたくてたまらないといった様子で身を乗り出してきた。
給仕を
ローズがアンズのジャムを選んだのは、クリフが《アーモンドの花の香り》を好んだこと、間違いなくその一件がきっかけになっていた。
「クリフ様は花の香りがお嫌いなのよ。でも浴室の石鹸はそのままでいいと
「
「ちがうの。クリフ様は、浴室の石鹸の香りがアーモンドの花の香りだとは思っていないのよ」
不思議そうなマーガレットのために、ローズは説明をつけ
「ほら、香りって時にはあいまいなものじゃない? たとえば同じラベンダーの
「確かに。前にミオレ香水店で試した新作は最悪だったわ。まるで
「私たちにとってはいつも見慣れた石鹸だし、
ヴィオラは
「それで、アンズ……ということだったのですね」
「確かに、アンズの香りはアーモンドの花とよく似てるからね。でも、似ているといえば、
ミモザに問われ、ローズは答えた。
「あら、桃は育てにくくて高級な
「なるほどねえ。この勝負は、たしかにローズの勝ちだよ。
ローズは執事のハーケンや家宰のマーベルからも
ミモザは新入りに負けたことがよほど
『ペリドット侯爵家の名探偵たち』
おしまい
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