番外編 ロー・カンの里帰り
番外編 ロー・カンの里帰り
ラトとクリフが迷宮街へと帰ってしばらくした後のことである。
王都ロンズデール近郊の
馬車が山道に差し掛かったとき、
「そこの馬車、止まれ! 荷物を置いて行け!」
荷馬車は山賊から離れたところで止まった。
馬車が
続いてツイードの上着に
紳士は山賊に向けてずかずかと歩いていく。
山賊は武器を持ったまま
「ううむ、これを思うと赤毛の
あからさまに
紳士はその
そして、そのまま何事も無かったかのように荷馬車へと戻っていく。
山賊はただただ呆然としていたが、いきなり銃声が高らかに鳴ったので、びくりと体を揺らした。
荷台のうしろに腰かけた
すばやく無駄のない
その
再び馬車がガタゴトと走り出した。
荷台に並んでいるのは二人の男たちである。
ひとりはレガリア銃を手にした長身痩躯の男で、灰色の髪にハンチング帽を乗せている。コートの
それは通称、《サーペンティンの民》と呼ばれる
隣に腰を下ろしているツイードの上着の大男はもちろん、探偵騎士のドラバイト卿である。
さらに
つとめて地味な服装を心がけているが、中年に差し掛かっても鮮やかな金髪と明るい緑色の瞳は
「山賊はもう行った? 流れ弾で僕が死ぬことはないね? ロー・カン」
「ああ、もちろんだ。
「うわあ、怖いこと言うね。君の相棒は相変わらずおっかないな、ドラバイト卿」
「それよりも、なんで
ドラバイト卿はいかにも度し難いというふうにジェイネル・ペリドットのほうを見やった。
「それはもちろん、ロー・カンが里帰りをするって聞いたからさ。ロー・カンが里帰りをするということは、サーペンティンの民が宿営地に
「要するにアルタモント卿と離れたかったんだろう、君は」
「それもある。僕が王都にいると一秒と時を待たずに事件がやって来る。君たちが不在となるとなおさらだ」
ジェイネルはうんざりした顔つきだ。
そこにはペリドット家の
しかしその気安さはドラバイト卿にとってはた迷惑なものだったらしい。
「アルタモント卿と面と向かって話をしたらどうだね。クリフたちのことやノーヴェとかいう新顔のこと、話題には事欠かないだろう」
「貴族同士だと何かとややこしいんだよ、ドラバイト卿。面と向かったとしても面と向かったことにはならないんだ。それにノーヴェのことは君たちにも関わりがあることだ。少し手を貸してくれないか?」
「ラトの前では父親ぶるくせに、帰ったとたん
「それは困る。僕だけで王都の
「おい、ロー・カン。こいつを連れていくのか?」
「私はどちらでも構わない。ジェイネルは金持ちだ。金持ちは誰でも好きだ」
のんびりとしたペースであったが、山を二つほど越えるとサーペンティンの民の
一生を
その宿営地から立ち
川べりの
ロー・カンは
その
意味を知っているジェイネルとドラバイト卿には、
ただいま、わが家族よ
あなたたちの息子がいま帰ったよ
家族の天幕がみえると
荒れ野でも輝いて
まるで
おみやげがあるよ、兄弟たちよ
ともだちもふたり連れてきた
歓迎の準備をしておいてくれ
ロー・カンの歌に
しばらくして、迎えの馬が馬車のほうへとやって来た。
*
サーペンティンの民、別名《サーペンティン移動医師団》は構成員のすべてが医師という特殊な
彼らは家族単位であちこちを移動し、
通常の移動には
その場所で頼まれれば患者の家を訪れて
探偵騎士ふたりとロー・カンが宿営地に入ると、大人たちも子どもたちも
誰もが
それは旅人の重たい荷物を
「ドラバイト卿、知ってるかい? サーペンティンの民には《
ジェイネルは笑いながらそう言い、ポケットから色とりどりの
それを子どもたちにバラまきながら
子どもたちは歓声を上げ、
「その程度の知識を
押し寄せる流民たちの
人いきれのみならず、あたりにはむせ
さすがは医師集団というだけあって、何百種類ものハーブや薬草が入り混じったにおいが宿営地全体に
そのとき、
「サーペンティンの民らには貸与の概念はないだろうが、しかし別の観念については持ちあわせがある! すなわち
ドラバイト卿が
ドラバイト卿の体格や迫力のことを考えると、それ以上の
「医療に関する道具は別なのだよ。ご高説を
そこにサーペンティンの子どもたちがやって来て、手にきらきらしたものを乗せ、広げてみせた。
「いいかね、サーペンティンの民は男女問わず将来的にみんなが医療に
独特の
ドラバイト卿は少女が差し出した飾り紐を手に取った。
羽根を広げ、いまにも襲いかかろうとする
彼は飾り紐を受け取り、小銭を小さな手の平に乗せてやった。
「彼らは時折、獲物の肉やこうした工芸品を売りに街に出てくることがある。大事な現金収入なのだ」
ドラバイト卿が
「おっと、それはまずいよ、ドラバイト卿」
ジェイネルはそれを
「買ったものを見せびらかさずに懐にしまうのはサーペンティン的に言うと《ドケチ》のやることだよ。それに医療道具だってちゃんとした《
「君はまったく、ラトの父親だな!」
「
「どうやら貴殿は私と知識勝負をしたいようだ」
「そういうわけではないけど、たまには競争も楽しいものだよね。受けて立つよ」
肉体自慢のドラバイト卿の鋭い
対するジェイネルは華やかな王国貴族然として、その視線を受け流していた。
見えない火花を散らす二人を眺めながらロー・カンは肩を竦めた。
「知ってるか、探偵騎士たちよ。
「そんな
「そうか。王都では常識なんだがな」
ロー・カンはそう言ってため息を吐いた。
*
久しぶりに家族に対面したロー・カンは老母に
流民たちは宿営地に
そして男女ともにビーズを
「ロー・カンや。おまえが無事であるよう
普通の王国民がサーペンティンの民の生活をあまり知らないように、サーペンティンの民のほうも大抵は王国での
当然、探偵騎士が何か、探偵助手がなんなのかも知らない彼らは、ロー・カンが王都の医院に
「ああしていると
ドラバイト卿が言うと、ジェイネルが無言でそのたくましい腕を叩いた。
探偵騎士たちも
ドラバイト卿とジェイネルの知識勝負は
もてなしの
ひき肉を包んだ芋の
しかし両者が有する知識量はかなり
「では、ドラバイト卿。ロー・カンという名前はじつは生まれたときに両親からつけられた名前とはちがうっていうのは知っているかな? ロー・カンというのは、狩りの腕前と医師としての実力の両方に恵まれた人物に与えられる
「知っているに決まっているだろう、彼は私の探偵助手なんだぞ! サーペンティンは生まれてから何度か名前を変える。
どうにも決着はつきかねた。
気分転換をかねて、勝負は天幕の外にまで
あちこちにたき火の火が
普段は別々に行動している家族たちが
大切な馬や家畜の世話に精を出したり、刺青を彫っている者もいる。
天幕は家族ごとだが、そのうちのひとつに子ども用の天幕があった。
ここでは各家庭の子どもたちがひとつ所に集められ、医術の講座が開かれていた。
彼らは夜はこうして
もちろん子どもたちの性格は様々で、誰もに
サーペンティンの民は《知識》や《技術》ですら分け合い、共有する。
彼らは、ある者に治療ができないのなら、別のできる者がやれば良いと考える。患者の汗を
そうして家族のすべてが仕事と分け前を共有するのである。
「ドラバイト卿、ご
ジェイネルに促され、見ると成人を
「あれを次の勝負にしようじゃないか」
ジェイネルがドラバイト卿に挑んだのは
二人は我先にと集団に混ざり、夜遅くまで踊り明かした。
それにしてもサーペンティンの民の音楽と舞踊にかける情熱にはなみなみならぬものがある。
次々に歌い上手、楽器上手、踊り上手が集まって王都からの客たちを取り囲み、じきにその姿は見えなくなった。
数時間後、
知っての通りの体力自慢ではあるが、次から次に踊りの相手が登場し、音楽は
しかも珍しい王都からの客人を、誰も逃がそうとはしない。
ジェイネル・ペリドットは得意のジャグリングなどを
流民たちの狂乱の踊りに
「フフ……。この勝負、私の勝ちだな」
ドラバイト卿は勝利を確信した。
それは思いのほか
かねてから探偵騎士団の連中は、ドラバイト卿のことを《武闘探偵》なんぞと呼び、医師であるということや探偵であることさえすっかり忘れているような
アルタモント卿が
クドー・ドラバイトという男がなぜ探偵騎士と呼ばれているのか、もう少し深く考えてもらいたいものだ――とか思いながら、彼は、誰もいない天幕に転がっていた自家製の酒を勝手に飲み、
なぜ天幕に誰もいないかについては大して深く考えなかった。
全身を
そのうち自分も眠たくなって少しばかり
しかし、半時もせずに何かが体の上を
目覚めたとき、そこには三人の女たちがいた。
女たちはサーペンティンの民のビーズや刺繍を身につけている。
いずれも、そこそこ年かさの女たちである。
彼女たちはドラバイト卿の上着を
「だ、誰だっ! そこで何をしているんだ!? ロー・カンはどこに行ったんだ!」
そして天幕の外に向けて声をかけた。
「ロー・カン!
外で
「どうしたんだ? クドー」
「どうしたんだ? じゃない。これはいったい……、いったいぜんたい、何なんだ? 誰なんだ、彼女たちは!」
ドラバイト卿は女たちを見回し、まるで
「何ってお前。それはもちろん、
「こっ……。子作り!?」
「べつに驚くようなことじゃないだろう。大人なら誰でもしていることだ。しかもクドーは医者で頭がよく、体が丈夫だ。子どもが生まれたらきっと
ドラバイト卿はたまらず
「そんなわけないだろ! それに誰もがすることではあるが、誰とでもはしない!」
「まあそう言うと思って、俺が事前に
「
「どうしてだ?」
ロー・カンは本気で不思議そうに首を傾げる。
「みんな夫の子どもをひとりふたり産んで、次の子が欲しいと思っているだけだ。
ドラバイト卿は
サーペンティンの民が王国とは全く別の文化を持つということは、様々な書物で目にしていた。
もちろん、そのいくつかには、彼らが時として集団に新しい血を入れるために養子を取ることもあるとも書いてあった。
だが、これほどまでに積極的だとは全く思っていなかったのである。
書物に書かれた
「……待ってくれ、ジェイネルはどうしたんだ?」
「ジェイネルか。あいつは今、踊りの途中で抜け出して、子どもたちの天幕で絵本を読んでいる。あいつの子種がほしいという物好きもいたんだが残念だ。子どもの集まる天幕では子作りは禁止だからな」
ちがう、とドラバイト卿は思った。
嘘つきジェイネルのことだ、とドラバイト卿は推理を働かせる。
あの男はいちはやくこの
そして女たちが客人を
敗北の味は苦すぎるものであった。
「ロー・カン。もしかして、あんたの旦那、男が相手でないと使いものにならないんじゃない?」
いつまでもその気にならないドラバイト卿にじれて、女たちのひとりがロー・カンに文句を言う。
「え? そうなのか?」と、ロー・カンが言う。
「ロー・カン。あんたも
「嫌だよ、
ロー・カンの
ジェイネルとの勝負にも負け、しかも長年、探偵騎士とその助手として組んできた相棒にも裏切られた気持ちがした。
こと相棒に関しては、いまは本当に何も知らない初対面の相手に、それもとんでもない異常者に思える。
相棒を失ったと表現しても
クドー・ドラバイトは探偵人生最大の
*
『……というわけで、来年あたり、ドラバイト卿の子どもが三人ほど生まれるかもしれないね。このことをどうしても誰かに話したかったんだけど、ドラバイト卿には口止めをされているし、こんな話を共有できるのは君しか考えられなかった。もちろん、カーネリアン邸の女性たちやラトには
ジェイネルから、迷宮街はカーネリアン邸に
クリフは
カーネリアン邸の応接間には、ラトやクリフのためにペリドット侯爵家から届けられた手紙と荷物であふれ返っていた。
荷物にはジェイネルからの贈り物がたくさん詰められている。
その内訳は、ジャムや高級菓子、服や絹のスカーフ、酒、葉巻などだ。
ラトの
その仕分けをしているカーネリアン夫人とラトに向けて、クリフは手紙を差し出した。
「ラト、お前の親父さんが俺にこんな手紙を送ってきたぞ」
「クリフ君に宛てた手紙だろう? 僕も読んでいいのかい?」
恐ろしいまでの速読で手紙に目を通し終えた瞬間、ラトはけたたましい笑声を上げて
頭を軽く床で打っても笑いは止まらず、苦しそうに涙までこぼしている。
それを見て、カーネリアン夫人が不思議そうな顔をしている。
「手紙には何て書いてあったのですか? クリフさん」
「下品で刺激の強い男の下半身の話がお嫌いな女性は、読まない方がよいと書かれています」
「そんな女性、この世にいないわ」
こうして手紙はカーネリアン夫人の目にするところになった。
しかし彼女はラトとちがい、高貴な夫人らしく目を丸くして「まあ」と口にするだけだった。手紙はメイド長のアンナへと回された。
かくしてドラバイト卿はカーネリアン邸においては、ある意味では一番人気の探偵騎士となった。
その名前を出すと皆が一様に「あの……」と言い、様々に
《番外編 ロー・カンの里帰り――おわり》
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