第64話 進行と暗雲


 ラトと監視役のドラバイト卿がキッチンから戻ってきた後、裁判が再開した。


 クリフは今度こそ意識をはっきりと裁判に集中させるべく、最大限の努力をした。正直にいって椅子いすに座っているだけでも苦しい。


 だが自分の命運めいうんが決まる裁判で、妄想もうそうに取りつかれたまま死刑しけい宣告せんこくされるというのは、たちのわる悪夢あくむそのものだ。


 アルタモント卿は二人が着席ちゃくせきすると、「では……」とあらたまった様子でかたりかけてくる。

 それをラトがさえぎった。


「開始の前にひとつかふたつ、質問があるのですが」

「何だね、ラト」

「ずっと疑問ぎもんに思っていたのですが、アルタモント卿は議場ぎじょうにはいらっしゃらないで、音声だけで裁判中の僕らの様子をうかがっているのですよね?」

「その通りだ、ラト。しかし君たちの行動は手に取るようにわかる。たとえば君たちがすわっている椅子の下には、座っている人物の重量をはかるしかけがついている」

「なるほど。僕達がしたらすぐにわかるということですね。逃げ出したところでドラバイト卿とロー・カンをやり込められるとは思えませんが」

「君のことだ、とんでもない手でまないとも限らない。そういった意味では、君たちとの接触は最低限のほうがいい。理解してくれたかね」

「これは確認ですが、重量をはかるしかけはテーブルにもほどこされていますね。そうでなければ、僕たちが毒を飲んだかどうか貴方にはわからないからです」

「そうだね。毒を飲んだかどうかは、器の重量の変化と症状の進行ではかっている」

「もうひとつ。実は昨夜さくや、パパ卿のタウンハウスでさわぎがあったのですが、そのことをアルタモント卿はご存知ぞんじでしょうか。もしかしたら、探偵裁判と何らかのかかわりがあるかと思っての質問です」


 アルタモント卿はこの質問に答えるのに少しばかりの沈黙ちんもくを必要とした。

 タウンハウスでの騒ぎとは、もちろん例の泥棒騒どろぼうさわぎのことだ。


「いや。なんのことかわからない」


 たっぷりと時間をかけて返された答えは、クリフにとっても意外なものだった。

 もちろん口先くちさきだけの嘘かもしれない。

 しかし、彼が真実をべていた場合、なぜそのような返事をアルタモント卿がしたのか理解できなかった。

 タウンハウスに姿を現わした泥棒だか暗殺者だかは、てっきりアルタモント卿の手下てしたのはずだと思っていたからだ。


「そうでしたか。お答えくださってありがとうございます。質問はこれで全部です」

「飲み込みがはやくて助かるよ。これは嫌味いやみだ」

「裁判を遅延ちえんさせる意図いとはありませんよ、アルタモント卿。ただこまかいことが気になる性分しょうぶんなだけです」

「裁判に関係ないなら、とっとと進めてくれ」


 クリフはれる視界しかいをなんとかまっすぐにしようとしながら、うめき声を上げた。

 アルタモント卿がくすりと微笑ほほえむ。


「それでは、おちかねだ。この裁判をひらくに当たって我々騎士団は事件の再調査を行った。とくに、スティルバイト卿のなみだぐましい貢献こうけんぶりがなければ、この調査は失敗に終わっていたことを念頭ねんとうに聞いてほしい。彼は真実をあきらかにするため、部下たちをひきいてガンバテーザ要塞に向かい、埋葬まいそうされた三十一名の王国兵の亡骸なきがらこしてくれたのだ。そしてドラバイト卿とロー・カンが検死けんしを行い、数々の名簿リストや報告書とらしあわせながらその死因しいんを再検証し、ガンバテーザ要塞にてセヴェルギンと部下たちがひとり残らず死亡したことをあらためて確認した。その結果を受けて、我々はこう結論づけた。この惨事さんじを引き起こしたのは、当時、要塞にいた中で唯一の異分子いぶんしであったクリフ・アンダリュサイトしかいないのだと……」

「アルタモント卿、いくらイエルクの孫だからといって、クリフ君ひとりでそれだけの人数を殺せるわけがありません。どれだけすぐれた剣士であっても全員を殺害する前に剣がれますし、誰かしらはびて救援きゅうえんを呼ぶでしょう」

たしてそうかな、ラト。それはクリフ君がたったひとりで、他に仲間もおらず、いかなるレガリアをも所有していなかったら……という前提にもとづいた発言に思えるね」

「つまり……」

「私はこう考える。彼には当時、ほかにも仲間がいた。そして極めて強力なレガリアを所有しており、ガンバテーザ要塞を手中しゅちゅうにおさめるタイミングを虎視眈々こしたんたんねらっていたのだと」

「そのレガリアとは?」

「ずいぶんとさっしが悪いね。もちろん《針魔獣はりまじゅうのレガリア》だよ、ラト。ガンバテーザ廃迷宮の奥深くにねむっている魔物をます大切なピースだ。これは長らくガンバテーザ近郊の街で保管されていたが、事件の前にのだ」

「おや、聞いたことのない事件です」

「そうであってくれてうれしいよ。もしもその事実をおおやけにすれば王国中が混乱こんらんおちいるだろうことから、情報はせられていたのだ。そして秘密裡ひみつりに命令を受けたセヴェルギン隊長とその部下たちが要塞に派遣はけんされたのだ。針魔獣の復活を目論もくろみ、レガリアが廃迷宮に持ち込まれることを見込んで……」

「あなたは王国の暗部あんぶのことならば何でもご存知ぞんじのようだ。さすがは《影の貴族》と呼ばれるだけのことはありますね。ほかに僕に言っていない王国の悪事はありませんか? もちろん、これは嫌味です」


 ラトはため息を吐いた。

 王国のいかなる隠し事であっても、軍隊の秘密の作戦であっても、オブシディアン家の知らないことはない。

 むしろ王家をあやつり、そうさせたのが彼らなのかもしれないのだ。


「要塞でくなった兵士たちのほとんどに、毒針どくばりを持つ大型の魔物と交戦こうせんした形跡けいせきがあった。彼らは針魔獣の強靭きょうじんはりに全身をつらぬかれ、毒を注入ちゅうにゅうされて死んでいた。獣による咬傷こうしょうもみられた。それらは当時の検死官の報告によるものだが、ドラバイト卿らが遺髪いはつをしらべ未知みち毒素どくそ検出けんしゅつしたことから、まず間違いなかろうと思う。犯人は伝説どおりレガリアをもちい、針魔獣をあやつってガンバテーザ要塞をおそわせたのだ」

「あらためて針魔獣との交戦こうせんによってくなった兵士の具体的な数をおしえてください」

「要塞での死者は総勢三十一名。針魔獣との交戦による死者は三十名と思われる。この数の中にはセヴェルギン隊長もふくまれる。それはセヴェルギン・アキシナイトが部下をひきいて、果敢かかんにも針魔獣にいどんだことをしめしている」

「ひとりだけ、交戦をまぬがれた兵士がいるようです。何ものでしょう」

「名前はエリオット・ロードナイト。部隊が針魔獣のレガリアの捜索をめいじられる直前にセヴェルギン隊長の部隊にくわわった新兵だ。彼には針魔獣と交戦した傷はなく、死因は剣によるものだ」

「その剣は、セヴェルギン隊長に残された傷をもたらした凶器きょうきと同一なのですね」

「その通りだ。クリフ君は要塞の兵士たちの相手を針魔獣にまかせ、エリオット隊員をころし、その前後、セヴェルギン隊長にも斬りかかったものと思われる」

「しかし、アルタモント卿。あなたは事件の犯人をクリフ君だとした理由のひとつとして異分子であることを指摘してきしましたが、部隊に加わったばかりの新兵というのは十分、部隊にとって特異とくいな存在といえるのではありませんか?」

「助手を守ろうとして必死なのだね、ラト。もちろん、我々は唯一、針魔獣と交戦することがなかったエリオット隊員が犯人であるというせつ検証けんしょうしている。私がそのように簡単なことに気がつかないと思うかい」


 ラトはくちびるはしをつよくみしめている。

 もしもアルタモント卿が目の前にいたとしたら、そのようなわかりやすい行動は取らなかったに違いない。


 アルタモント卿がこの場にいないのは、自分が圧倒的あっとうてきに不利となるラトとの心理戦しんりせんけるためだ。


 そしてその作戦はかなり有効に働いている。

 アルタモント卿は続けた。


「質問だ、クリフ君。君は針魔獣のレガリアを使って要塞の兵士たちを惨殺ざんさつすることを計画し、そして見事みごとげたのだ。そうだね? 肯定こうていなら黒、否定なら白い杯を飲みなさい」


 目の前に黒と白の杯が現れる。

 ラトは、はっきりとした意志でクリフが黒い杯に手を伸ばすのをみた。

 瞬時にラトはその腕をつかんで止めた。


「クリフ君、君がそんなことをするはずがない。君はエストレイ・カーネリアンの後継者こうけいしゃなのだから」

「証拠は?」

「え?」


 クリフは苦しそうに顔をゆがめている。


「俺がエストレイの後継者に相応ふさわしいという証拠でもあるのか?」

「クリフ君、どうしてそんなことを言うんだい? まだ君だと決まったわけではない。あやしい人物は他にもいる」

「ラト、それはエリオットのことか……?」

「そうだ。王国兵が皆殺みなごろしにされるようなすさまじい状況下で、たったひとり、針魔獣と交戦せずにんだ理由がわからない。エリオットはかなりあやしい人物だよ。彼がレガリアのしんの所有者で、針魔獣をあやつっていたと考えたとしても、何ら不思議ではない」

「だとしたら、俺も針魔獣とは戦っていない。それに、エリオットが犯人だというせつは絶対にありないんだ」

「……何故?」

「エリオット・ロードライトは……だ。どうせ、それも調べはついているんだろう」


 言葉の最後は、アルタモント卿に向けられたものだった。

 アルタモント卿の声が衝撃的な事実をげる。


「その通り、ロードライトは離縁りえんした彼の元妻の家名だ。探偵騎士団はエリオットが針魔獣の毒針をけなかったのは、セヴェルギンが身をていして息子をかばったからだと結論けつろんづけた。針魔獣とのたたかいにおいて、セヴェルギン隊長はまことに勇敢ゆうかんな王国兵として働き、そして父親としての模範的行動もはんてきこうどうをも示した。クリフ君。いまいちどかさねておう。我々の推理が正しく、セヴェルギン隊長の行いが天地神明てんちしんめいにかけて名誉めいよちたものであるなら黒い杯を、そうではないと思うなら白い杯を飲みほしなさい。ただし、これで三杯目だ。しておくように」


 クリフはいっそう強いまなざしでラトをにらみつけた。


「その手をはなせ、ラト。セヴェルギン隊長の勇気と献身けんしんについてはうたが余地よちもない。彼らを追い詰め、命を奪った犯人は俺だ」


 ラトの指先から、ゆっくりと力が抜けていく。

 その先から、ラトは目をらした。

 これまで一度も犯人から、容疑者ようぎしゃから、ありとあらゆる真実から目をらすことなく、真実だけを見据みすえていたそのスモーキー・グリーンのひとみが、えきれずに現実から離れていった。


 黒い杯からクリフの体内へと流れ込む液体は、れた喉の粘膜ねんまくえぐりとるかのような痛みを与えた。


 これまでよりずっと強い痛みだった。

 肉体は異物いぶつを反射的に吐きだそうとするが、太腿ふとももつめを立ててでも、それをかねばならなかった。


「うううっ!」


 とてもすわってはいられず、床の上にくずれ落ちる。


 どれくらいの間、くるしんだだろうか。


 扉の鍵が開いてドラバイト卿とロー・カンが入ってきた。

 二人の助けを借りて、クリフはようやく控室へとはこもどされた。

 彼の体には、体の中心部から外側へと広がるように、不気味ぶきみ赤褐色せきかっしょく斑紋はんもんが浮かび上がっていた。


「クリフ君……!」

「うかつにさわるのはやめておけ、ラト。いま、患者のはだにかすかにでもれれば、数千の針で刺しつらぬかれるような激痛を与えることになる」


 ロー・カンが絶望的な忠告を加えた。


 それはすなわち、毒を飲んだクリフに対してのありとあらゆる介助かいじょが、症状をらくにするどころか拷問に取って変わることを意味していた。


 水の一滴いってきさえ、クリフを苦しめる地獄じごく毒液どくえきになるのだ。


「ロー・カン。僕が君を尊敬していたのは、君のあらゆる知識ちしきが正義のためにもちいられると信じていたからだ。だがこれは違う!」

「この事態じたい悪人あくにんのしわざに思えるなら、そうだろう。彼に飲ませている毒はすべて敵を始末しまつするのに使用した毒の組み合わせだ。そいつが悪人なら当然のむくいをけているまでだ」


 クリフは長椅子に体を横たえることさえできなかった。

 体が何かに触れるだけで、それが恐ろしいまでの激痛げきつうわるからだ。

 わずかにじろぎをし、うめくだけで皮膚ひふと服とがこすれあい、ロー・カンが言った通りの痛みにさいなまれた。


 クリフが激しくき込んだとき、ラトがたまりかねてった。


 だが、できる事は何もない。


 背中をさするだけのことでも、今のクリフにとっては地獄じごくひとしい。

 ラトにできるのはそばで見守みまもることだけだ。

 あまりにも痛々しいせきがやむと、ラトは離れて見守っているドラバイト卿とロー・カンのほうをゆっくりと振り返った。


 ラトは全身に血飛沫ちしぶきびていた。


 クリフが喀血かっけつしたのだ。


 ドラバイト卿は眉間みけんに深いしわを寄せて「すく手立てだてはないのだ」と告げる。


「…………少し、外の空気をいに出ます」


 ラトは固い口調くちょうで言い、クリフのそばを離れて地上への扉を開けて出て行く。

 ドラバイト卿はラトの監視のためにそのあとについていった。


 控室ひかえしつに残ったロー・カンは苦しみもだえるクリフのそばに近づくと、コートのうちポケットから何かを取り出した。


 それは見覚みおぼえのあるナイフだった。


 玄関ホールで武器を取り上げられたとき、クリフが差し出したかくし武器のひとつだ。


「いいか、クリフ・アンダリュサイトよ。よく聞けよ。次の杯で四杯目になる。それを飲めば手足がしびれ、全身の自由がきかなくなる。じきに内臓ないぞうくさり落ち、五杯目で心臓が止まる。これでも医者を名乗なのる身だ。いくらアルタモント卿の命令めいれいとはいえ俺のほどこしたくすり無駄むだに苦しむところは見ていられない。手足が動かなくなる前に、これを使って首をかき切るがいい」

「俺は逃げないぞ……」

「逃げるのもひとつの勇気のかたちだ」


 そう言って、ロー・カンはナイフをクリフのブーツの内側にしのばせた。

 開けはなした控室の扉のむこうに、出て行った二人の影がみえた。

 ラトの声が控室まで聞こえてくる。


「おじさま、お願い。クリフ君を助けて。このままじゃ、クリフ君が死んでしまうよ……」


 ラトはそう言ってドラバイト卿にしがみついた。

 ドラバイト卿にも慈悲じひというものがあるようだ。彼はラトをきしめたが、しかし嘘でも「たすける」とは言わなかった。


 クリフはナイフをかくしたブーツを見つめながら、眠りに落ちた。


 それが気絶きぜつという肉体にそなわった作用さようだったかどうかはあやしいものである。


 むしろこれ以上の痛みに耐えることができず、脳が妄想もうそう見始みはじめたと言ったほうがただしいのかもしれない。


 妄想の中でも、クリフはブーツを見つめていた。


 ただしそこにあるのは山盛やまもりにまれたどろだらけの軍靴ぐんかである。


 クリフが要塞に来てから三ヶ月ほどがった頃だった。


 要塞の外から戻ってきた兵士たちのくつをきれいにしてみがいてやるのが、その頃のクリフの日課にっかとなりつつあった。


 ブラシやべらで丁寧ていねいどろを落として、靴墨くつずみをつけた薄手うすでぬのでピカピカにみがく。


 汚れが特にひどいものは水洗いが必要だったが、その作業には細心さいしんの注意を払わなければならなかった。

 水洗いをしたブーツはかびえないようによく火にててかわかさなければならない。おまけに火に当てるのも、強く当てすぎると乾燥かんそうして革が強張こわばってしまう。

 よく注意して、時間や火の元との距離を見計みはからう必要があった。


 これが一足ならともかく、十足、二十足と数がそろうとなかなかの重労働である。


 クリフが作業に集中していると、湯気ゆげを上げる木桶きおけを手にした兵士が近づいてきた。


「そら、かして来てやったぞ。これを使うといい」

「そこに置いておいてくれ」


 何気なにげなく返事をして、クリフは我に返った。

 今しがた手桶ておけかたわらに置いた兵士のそれが、サヴィアスの声だと気がついたからだ。


「いつ山賊さんぞくから靴磨くつみがきに転職したんだ?」


 顔がうつりこむほどに磨き抜かれたブーツを一足手にとり、サヴィアスは苦笑にがわらいを浮かべていた。


 靴磨くつみがきはしたの兵士たちにとって大事な仕事だ。

 自分の分と上官の軍靴ぐんかを磨き上げてからではないと就寝しゅうしんしてはならないという規則きそくもある。


 それをクリフがやっているのだから、その上官のひとりであるサヴィアスはいい顔をしないだろう。


「……とうとうバレたか。まあ、今さらかくてしても無駄ムダだな。さあ、罰走ばっそうでもなんでもさせればいい。何周でも走ってやるよ」

はしるのはお前じゃなく、お前に自分の仕事をしつけたバカどもだがな」

「押しつけられたわけじゃないさ。俺が自分からやりたいと言ったんだ」

「言わされたわけじゃないんだな?」

「違う」


 サヴィアスがひどく真面目まじめな顔で言うので、クリフは笑いをこらえながら答えた。


「こういう雑用ざつようをこなしてやって、少しでも時間がけば、それだけ訓練の時間が取れるだろう? そう思ったから、俺から交渉こうしょうを持ちかけたんだ。あいつらは悪くない」

「簡単に言ってくれるな。靴磨きも洗濯せんたく掃除そうじも大事な訓練のうちなんだぞ」

「いいだろ、ちょっとくらい。あんたたち、べつに靴墨や洗濯板せんたくいたやほうきを持ってたたかうわけじゃないんだからさ」

「いいか、クリフ。王国兵はそのへんの野盗やとうとは違う。つねぎれいでいなくちゃならないんだ」

「何故だ? 不潔ふけつでいると隊舎たいしゃに病気が蔓延まんえんするからか?」

「それもあるが、一番は敵に士気しきの高さを見せつける必要があるからだ。汚れた服やブーツをいて、つかれきってはらかした顔をした兵士たちがれつをなしてやってきたとしても、そんな軍隊を誰も恐れてくれやしないだろう」

「あぁ……なるほどな、言われてみればそうだな」


 クリフは得心とくしんした。

 サヴィアスたちは兵士として、常に誇り高く、強い存在だと思われなければならないのだ。

 イエルクであればえて舌なめずりをしながら村々におそいかかり、略奪りゃくだつを働くような兵士を好んだだろうが、それはとんでもない例外なのだ。

 王国兵というものは国家こっか威信いしん背負せおっている。

 だからこそ、身支度みじたくなどという些末さまつなことにも注意を払わなければならない。

 軍隊というのは、どこまでも集団で戦うことを義務づけられ、そしてその手法に特化とっかした集団であるのだろう。

 この三ヶ月で見聞きしたことは、どのようにささやかな物事であれ結論はその一点に集約していた気がする。


 かわいそうに、仕事をさぼった兵士たちは、サヴィアスにこっぴどくしかられるに違いない。


「それは浅慮せんりょだった。だが、今日のところは俺の顔にめんじてくれないか。俺が密告みっこくしたと思われると、捕虜ほりょとしての待遇たいぐうが悪くなる。この通りだ」


 クリフはずまいをただしてあたまを下げる。

 サヴィアスは難しい顔をしていたが、やがて、その場に座りこんだ。

 彼は泥にまみれた一足を手に取った。


「仕方がないな……今晩だけだぞ」


 二人並んでもくもくと作業をしながら、クリフはずっと気になっていたことをたずねた。


「サヴィアス、聞いてもいいか? お前たちがこの要塞ようさいに立てこもり、探しているものはいったいなんなんだ?」

「やめてくれ。部外者ぶがいしゃに任務の内容を話せるはずがないだろう」

「そうか。それじゃあ、もしも……俺が王国兵になると言ったら?」


 サヴィアスはおどろいてブーツを落っことして、言った。


「本気なのか?」

「うん、セヴェルギン隊長に言われたんだ。アキシナイトを名乗なのってもいいと……。どのみち仲間を殺されて、山賊稼業さんぞくかぎょう廃業はいぎょうだ。兵士みたいならしにもれてきたし、あんたみたいにアイツの部下をやってもいいかと思ったんだ」

「軍隊はきついぞ」

「それは覚悟かくごしてる」


 クリフはそう言いながらも、内心ないしんはなわらっていた。

 イエルクのしごきにくらべれば、軍隊などかわいいものだと思ったからだ。


「そうか……。それなら、セヴェルギン隊長にはなしてみよう」

「頼む。その前に聞いておきたいことがある。任務とはまた別のことで、セヴェルギン隊長の家族についてだ。妻と離婚りこんしたとか言っていたが、子供がいるんだってな」


 セヴェルギンの家族の話題わだいになると、サヴィアスは途端とたんに複雑そうな表情になった。


「……エリオットのことだな。まだ五歳のときにわかれ、それ以来会っていないそうだ。セヴェルギン隊長は不良ふりょうを見ると連れてきてしまうと言っただろう?」

「ああ」

「養子だって、お前ひとりだけのことじゃない。奥方おくがたはそれがいやで出て行ったんだよ。産んでもないのに毎年のように子どもがえていくわけだからな」


 奥方からすると、自分の子がないがしろにされているように思えたのだろう。

 じつにお人好ひとよしでおせっかいきなセヴェルギン隊長らしいエピソードだ。


「だが、お前が味方みかたになってくれれば、これほど心強いことはないな。歓迎かんげいするよ、クリフ」


 翌日、要塞ようさい異変いへんきた。


 偵察ていさつに出ていった兵士たちが血相けっそうえて帰ってきたのだ。要塞はにわかにさわがしくなり、サヴィアスが十人ほど部下を引き連れて出て行った。


 そして夕方頃、ひとりの若者を連れて兵隊たちは帰還きかんした。

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