第63話 逃げない勇気


 クリフはくさりつながれながら兵士たちの様子ようす観察かんさつしてごした。


 兵士たちは数人の組をつくり、要塞ようさいから出て行っては夕方には帰ってきた。


 レガリアがふうじられている以上、針魔獣はりまじゅうおそってくるはずもないのに、わざわざ周辺の警戒けいかいを行っているのだろうか。


 要塞に残っている者たちは調理や清掃せいそうや事務方の仕事に従事じゅうじしているようだ。


 セヴェルギンとサヴィアス、軍医ぐんいの男は大抵たいていいつも隊舎たいしゃにいたが、セヴェルギンは頻繁ひんぱんひまな連中を集めて中庭で剣術の訓練を行った。


かたどおりに! わきをしめろ! 何よりも強いてきなまけようとする自分の心だ、気を引きめたまえ! 素振すぶりはすべての基礎きそとなる、一日千回!」


 セヴェルギンが木剣ぼっけんを片手に、つまらない怒鳴どなり声をげるのをながめているのがクリフにとって一番退屈たいくつ苦痛くつうに満ちた時間になった。

 二番目に退屈なのは、男たちが真面目まじめな顔をして藁人形わらにんぎょうたたいているところを見ることだ。


 セヴェルギン隊長はようやく顔のれが引いたようだ。


 訓練をするかたわらで大あくびをしているクリフを見つけると意気揚々いきようようとやって来て、みょう威張いばりちらしている。


「退屈なようだな。クリフ。どうだ、お前さんにもわしがひとつ稽古けいこをつけてやろう!」


 そう言ってさやに入ったままの剣をクリフのかたわらにげたのだった。

 部下に指導をしていたサヴィアスが遠くで青い顔をするのが見えた。


「セヴェルギン隊長、やめてください。真剣しんけんはまずいですよ!」

「黙っておれ! ワシは王国剣術の師範代しはんだいだぞ、こんな小僧こぞうおくれを取ったりせんわ!」


 クリフはそれを聞いてむっとする。

 しかし感情を表には出さずに、足枷あしかせのはめられた両脚を見せた。


「やめておく。気が乗らないし、それに、両手がいていても足のほうがこれじゃあな」


 右足と左足のかせは短い鎖でつながっていて、ようやく立つことができるかどうかといった状態だ。


 セヴェルギンはそれをみると無邪気むじゃきふところから鍵を取り出した。


「なんじゃ。そういうことなら片方だけ足枷あしかせはずしてやろう」


 そうして座ったままのクリフに近づいた。


 セヴェルギンが両ひざを地面にき、ジャガイモ頭を不用意ふよういにクリフへと近づけたそのときには、勝負は決まったようなものだった。


 それは完全にクリフの得意な間合まあいだった。


 クリフは右手で剣のつかを掴み、地面に押し付ける。

 そのまま左手でさやを持ち、鞘の尻のほうを天に向け、やいばを抜き放つ。


 そして、むき出しになった刀身とうしんをセヴェルギン隊長の首筋くびすじてた。


「ぬわっ! なっ、なんだ!?」


 セヴェルギン隊長はわけもわからぬままうしろに飛びのく。


 もちろんクリフのほうは本当に斬るつもりはない。

 本気なら、セヴェルギン隊長はすで故人こじんだ。


 やいばはすぐに鞘におさめた。

 いのちまでは取らないかわりに、逃げようとするセヴェルギンの側頭部そくとうぶを剣を鞘に入れたままで思いっきりえる。

 まだ何をされたのかもわからないでいるセヴェルギンのむねさや小突こづいてやると、まともに立ち上がることもできずにしりもちをつく。

 セヴェルギンが再び顔を上げると、クリフはすでに剣を抜き、その胸元むなもとに鞘と切っ先の両方をきつけていた。


 こうなってしまえば、セヴェルギン隊長にできることはない。

 後はされるのをつばかりだ。


「あんた、これで二回死んだぞ。部隊長っていうわりに弱すぎるんじゃないのか? そんなので稽古けいこをつけるだとかよく言うぜ」


 クリフが周囲を見回みまわすと、サヴィアスが本物の剣を抜きかかっているのが見えた。

 仕掛しかけたのはセヴェルギンのほうだが無理もないだろう。

 クリフは手にした剣をおさめると遠くにてて元の位置に戻った。

 セヴェルギンもこれにこりてクリフのところには二度と近寄ちかよらないにちがいない。

 そう思っていると、それまでぼうっとしていたセヴェルギンが大声おおごえを上げた。


「うわはははは! おもしろいやつだな!」


 緊張きんちょうしたその場の空気がわずかに弛緩しかんする。

 続けてセヴェルギンはとんでもないことを言いだした。


「しかし、わしはまだ負けてはおらんぞ、クリフよ。この勝負はお前の負けだ!」

「なんだと?」

「わしはお前に王国剣術の稽古けいこをつけてやると言ったのだ。なのになんだ、お前の剣は。そんなもの、邪流じゃりゅうも邪流だ。そのような卑怯ひきょうな剣では、王国剣術には勝てん!」

「さっき、みっともなく尻もちをついてたのはどこの誰だよ!」

「うるさい! そんなもん知らんわ、卑怯者ひきょうもの戯言ざれごとなんぞは聞く気にもならん。くやしかったら王国剣術で勝負せい! やい、負け犬め! まーけいぬ、まーけいぬ!」


 セヴェルギンはおどけながら両手をたたいてみせる。

 クリフはこぶしにぎりしめ、いかりにまかせて思いっきりセヴェルギン隊長の顔をなぐりつけた。

 そして部下たちが一斉いっせいに飛び掛かってクリフを押さえつけるまで、なぐり続けた。


「殺すっ! 殺してやる!!」


 わめき散らしながらあばれるクリフの手足を複数の手が押さえつける。

 背中がかたい地面に当たり、自重じじゅうの何倍もの体重にし掛かられて呼吸こきゅうが止まりそうになる。

 はいの空気がすっかりからになっても、吐きだす言葉が意味をうしない獣のようなえ声としても、クリフは身をよじって暴れ、さけび続けた。


 ――気がつくと彼の体は控室ひかえしつの長椅子の上にあり、全身を押さえつけられた状態で横たわっていた。


 クリフの上半身を押さえ込んでいるのはドラバイト卿で、両足はロー・カンが担当していた。


 ドラバイト卿の左手にはさっきまで彼の首元くびもとかざっていたスカーフがかれ、クリフの口の中に突っ込まれていた。


 一時的に錯乱状態さくらんじょうたいおちいったクリフが舌をんで死ぬのをふせぐためにそうしたのだろう。


 狂乱きょうらんり、全身のいたみと熱とが戻ってくる。


 錯乱状態から解放されたことを知らせるため、クリフはドラバイト卿のひじを軽く叩いた。


 ドラバイト卿は用心深ようじんぶかく、もう一度しっかりクリフの上半身じょうはんしんに体重をかけると、小さな明かりを取り出して瞳孔どうこうの状態を確かめた。


「危機はったな。あやういところだったぞ、ロー・カン。被告人が証言台しょうげんだいに立てなくなったらどうするつもりだったんだ!」


 ドラバイト卿は怒り心頭しんとうと言った様子である。

 ロー・カンは役目は終わったとばかりに向かいの長椅子に腰かけ、懐中時計かいちゅうどけいを取り出して冷たい目つきで時間を確認する。


「時間通りだ。いったん症状しょうじょうおさまれば小康状態しょうこうじょうたいに入る。舌を噛みさえしなければ死にはしないんだから、まだ可愛いほうの発作ほっさだ」

「発作は何度起きる予定なんだ」

「これきりのはずだ。まだ二杯目だからな」


 そう言うと、上着うわぎの内ポケットからサンドイッチを取り出して食べ始めた。薄切りのパンにスライスした牛肉をはさんだだけのものだ。

 よくもこの状況でめしが食えると思って見ていると、いったい何を勘違いしたのか「台所キッチンにまだたくさんあるぞ」と言う。


 まさかクリフが立ち上がって取りに行くとでも思ったのだろうか。


 助手であって探偵騎士ではないとはいえ、どうにも感性かんせいが違いすぎる手合てあいだ。


「クリフ君、記憶ははっきりしているかい?」


 ラトがそばにいることにクリフはようやく気がついた。


「いや、二杯目を飲んだところまでだ。何があった……?」

「君はずっとセヴェルギンを殺してやると騒いでいたんだ。陪審員ばいしんいんへの印象いんしょうは最悪だっただろうね」

「正直に言うと裁判の間の出来事もあやふやだ」

「僕からはアルタモント卿の質問にいつも通り答えているようにみえたよ。どうやら強い幻覚症状が出て、時間の感覚が失われ、現実と妄想もうそうの区別がつかなくなってきているようだね」


 そのとき、急に心臓をつかまれたような息苦いきぐるしさを感じ、クリフは体をげてうめごえを上げた。

 高熱のせいで周囲の風景はゆがんで見えた。

 無理に体を起こそうとすると、口の周りに湿しめった感覚が触れた。

 知らぬ間に鼻血がこぼれていた。

 手のこうぬぐっても拭っても真っ赤なしずくが落ちてくる。

 ラトはハンカチでその血を丁寧ていねいに拭いてやり、再び長椅子の上に横にならせた。


予断よだんを許さない状況ではあるが改めて教えてほしい。クリフ君、迷宮街に来てから、君はどうしてアキシナイト姓を名乗ったんだい? アンダリュサイト姓を使うわけにはいかなかったとはいえ……」

「それは……セヴェルギン隊長がそうしろと言ったからだ……」


 クリフは過去からなつかしい記憶を引き出した。


 ラトに説明するために取り出した言葉は、まるで催眠術さいみんじゅつ暗示あんじのようにクリフの意識を過去へとる。


 妄想もうそうと現実の区別がつかないとはよく言ったもので、ラトが脈を取っている手首の感触も、体の下にある長椅子のかたさも、すべてが流れ出した水のように消え去っていった。


 かわりに感じるのは土埃つちぼこりと夜のにおいだ。

 ガンバテーザ要塞は満天まんてんの星空におおわれていた。


 その夜、クリフの食事のさらげに来たのは新入りではなく、セヴェルギン隊長だった。


 セヴェルギンはまたもや顔をらした姿である。


 彼は昼間の訓練でクリフに負けた後、真剣を木剣に持ち直し、再び王国剣術での試合をいどんだのである。

 そのけずぎらいは相当そうとうのもので、負けてもいどみ、さらに挑んだ。


 幾度いくどとなく打ちのめされた試合の結果はサヴィアスの顔をさらに青白くさせただけで終わった。


「なんだ、文句もんくでも言いに来たのか」

「いいや。お前は強い。それがようくわかった。わしは隊長失格だ。自分自身をきたえなおさねばならん。だからこうして下士官かしかんの仕事を買って出ることにしたのだ」

殊勝しゅしょうなことだな」


 彼はクリフの隣にどかりと腰を下ろした。


「わしは弱いが、お前よりもずっと長く生き、そのぶん剣士けんしというものをよく見てきたつもりだ。お前、その剣をどこでならった」

独学どくがくだ」


 アンダリュサイト砦で祖父イエルクから、とはとても口にすることができず、クリフはうそをついた。


 それに、正直に答えたところでそれはどのみち嘘になっただろう。


 イエルクはクリフに対して懇切丁寧こんせつていねいに剣術を教えたわけではない。


 あの男は幼い孫を剣でかすことしかしなかった。


 打たれるのがいやならば立ち向かい、斬られるのが怖ければそれなりの方法というのを身につけなければいけなかった。


 苛烈かれつな暴力にさらされるうちに、クリフは非力ひりきな子どもでも祖父イエルクを出し抜ける距離とわざ見出みいだし、まなんだのだ。


 そのことをどう説明したらいいか自分でもわからなかった。


 だが、セヴェルギンはその場しのぎの嘘をすぐ見抜いてしまった。


「それは口から出まかせというものだな」

「なぜだ。こんなめちゃくちゃな剣術が地上に存在するわけないだろ」

「存在するぞ。わしはこの目で見てきた。実際にな」


 クリフは横目でセヴェルギンの顔をうかがう。

 セヴェルギンは顔のれのせいでしゃべりにくそうにしていたが、口から出まかせを言っているわけではなさそうだった。


「お前さんの剣は炎の中からまれる剣、戦場いくさばの剣だ。そうしなければびられなかった者が、死にものぐるいで放つ致命ちめい一撃いちげきだ。その若さで使いこなすとは、これまでずいぶん苦労したのだろう」

「わかったように言われるとはらつ」

「……クリフ、悪いことは言わん。いまからでもおそくはない、王国の剣を学ぶのだ。その剣は金輪際こんりんざいてよ」

「いやだ。俺は強い。退屈たいくつな王国剣術をやる必要なんかない」

「そのとおりだ、お前は強く、お前の剣も強い。だが……お前がしんに命をけたいとねがうとき、その戦い方は何の役にも立たん。仲間はおろか、お前自身を守ることもできない。それにくらべ、王国剣術はほこり高き騎士のけん王者おうじゃの剣だ。学んでおいてそんはない」

「ふざけるな。ほこりが何の役に立つ。そんなものを学んでも、野垂のたにするだけだ」

「クリフよ。幾千幾万いくせんいくまんの敵にかこまれ、退路たいろたれたとき、お前さんはどうする?」

「そんな目にうのはごめんだね」


 クリフが吐き捨てるように言うと、セヴェルギンの瞳に満ちたうれいは、よりいっそうふかまるようだった。

 彼はかぎりなくかなしい目をクリフに向けていた。


「そうだろう。そう思うのは、お前さんの剣にだ。かず、げず、正しく剣と向き合い続けた者だけが、最期さいごの瞬間まで仲間とともに戦うことができるのだ。人が窮地きゅうちおちいったとき、けして一歩も引けぬとき、か弱い人の心をささるのは、その者が正しく生き、誇りをまっとうしたという自負じふのみなのだ」


 セヴェルギン隊長はからになった皿をどけ、木剣を置いた。

 クリフはそれを苦々にがにがしい気持ちで見つめていた。

 

「王国剣術はそのひとつのみちすじだ。きびしくおのれきたえれば、何事なにごとからも逃げない勇気を与えてくれる」

「……俺が何者なのか知ったら、あんたもそんな口はきけなくなるぜ」

「お前がどこの誰かなんぞ、何も気にすることはない。なんだったら、明日あしたからでもアキシナイトを名乗るがいい。ワシは見ての通り甲斐性かいしょうなしでな。妻子さいしには逃げられて、どうせひとだ。養子をむかえるならお前さんくらいがちょうどいいだろう」

「あんたの名前で悪さをするかもな」

「どうせむかえに行くなら南のほうにしてくれ。王都もこのあたりもみがきつくて、腰がいたくてかなわんからな」


 セヴェルギン隊長は冗談めかして笑いながら、食器をかかえ、隊舎へと戻っていく。

 そして下級兵士のごとく隊舎の見張みはりに敬礼けいれいをするので、とうの見張りのほうが恐縮きょうしゅくしてどうしたらいいかわからなくなっていた。


 それからクリフはしばらくの間、セヴェルギンが置いて行った木剣を見つめていた。


 クリフは強かった。


 とりでの中では三人のじいさんに小突こづかれ、イエルクにさんざんおどされ、家族にバカにされていたが、その外に出れば彼らのおしえは他を圧倒あっとうした。

 殺し、うばうことが、いきうかのように簡単に思えた。

 だからどこに行っても、どんな貧民街ひんみんがい裏路地うらろじでもクリフは重宝ちょうほうがられた。

 クリフがひとりいれば、そのあたりにころがっている野盗やとう三人分の働きをするからだ。


 悪さをする仲間は簡単に、どこででも見つかった。


 だがその誰もがクリフのことを心から信頼することはなかった。

 気を抜けば裏切られ、見限みかぎられ、成果をぬすまれる。

 その繰り返しだ。らしはびょううごとにすさんでいった。


 そうなってしまう原因はあきらかだった。


 彼らにとって、クリフは便利べんりな道具でしかなかったからだ。


 クリフはいつでも切り捨てられる部品でしかなかった。

 誰もがクリフをぞんざいにあつかい、そしてクリフも他者をそのように扱う方法しか知らなかった。


 その夜、クリフは与えられた木剣で素振りをして夜を明かした。


 その後も兵士たちの稽古けいこを盗み見ては、王国剣術のかたを学んだ。

 数日して、そのことに気がついたサヴィアスが訓練にぜてくれるようになった。


 セヴェルギンが得意とくいげにしているのはむしょうにはらつし、型通かたどおりにしか動けない剣は何とも不自由で仕方しかたがない。


 だが、げない勇気というものをこの目で見てみたかった。


 そのようなものが本当にあるのだとしたら、クリフもこれまでの人生をてて、新しい生き方を選べるかもしれないと思ったのだ。


 そのうちに、サヴィアスたちもクリフのことを信用するようになった。


 日中、監視の目があれば納屋なやに繋がれた鎖を外してもいいことになった。

 セヴェルギン隊長の稽古けいこに参加するうちに他の兵士たちとも知りあいになった。


 やがて兵士たちにまじって、クリフが隊舎の掃除そうじや調理や洗濯せんたくを手伝うようになるまで、大した時間はかからなかった。


 夜は納屋の中で寝る許可が下りた。


 だが、雨がらない限りは、クリフは外で、おぼえた型の確認や素振りをしてごすことを選んだ。

 まるで意味のわからない王国剣術のかたまなぶことも、隊舎の掃除をすることも、どんなことでも、それが目的に繋がっていると思うと苦労だとは思わなかった。


 人は希望を裏切らない、とジェイネル・ペリドットが言った通りだった。


 人は人を裏切り、うそをつく。


 だが希望だけは、自分の力では手放すことができないものなのだ。


「台所へ行って、君の体を冷やすための氷を取ってくるよ」とラトが言った。


「ありがとう、セヴェルギン隊長」とクリフはかすれた声で答えた。

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