第60話 探偵の館


 オブシディアン家は王家おうけと同じくらい古い歴史をかさねた家系かけいのひとつである。


 代々の当主は宰相職さいしょうしょく歴任れきにんし、王国の有力貴族ゆうりょくきぞくのひとつとしてかぞえられながらも、はなやかな貴族たちとは一線をかくしていた。

 彼らは《影の貴族》と呼ばれて貴族からも平民からも恐れられていたのだ。

 その理由は、王国の権謀術数けんぼうじっすうのかげには必ずオブシディアン家の存在があるからだと言われている。


 現在の当主グラスラーバ・オブシディアンは老齢ろうれいで子供がいなかったため、後継あとつぎとして引き取られたのがグラスラーバの姉オプシアノスの末子まっし、アルタモントであった。


 探偵騎士団が宮廷きゅうていで存在感をしめすようになったのはアルタモント卿の影響が少なくなかった。

 アルタモント卿は若い頃から探偵騎士団に強い興味をもっていた。

 彼は入団をゆるされると同時に、他の探偵騎士たちの批難ひなんおさえてジェイネル・ペリドットを円卓にくわえて活躍かつやくさせた。

 ジェイネルの働きは王都の貴族の間でたちまち評判ひょうばんになった。

 これまで完全なる秘密組織であった探偵騎士団が公然こうぜんの秘密そのものとなる弊害へいがいはあったものの、ジェイネルが貴族たちの間で支持を得るにつれてアルタモント卿も騎士団での地位を高めていった。

 現在、アルタモント卿は団長として探偵騎士団の全権ぜんけん指揮しきする立場にある。

 

「探偵の館は探偵騎士の大切な拠点きょてんだ。これまで王国に存在したすべての探偵騎士とその助手、そして彼らの探偵術を記録し保管する場所でもある。おそらく館にはアルタモント卿と探偵騎士たちがかまえていることだろう」


 むかえの馬車に乗りこんだあと、ジェイネルはあからさまに憂鬱ゆううつそうな顔つきで説明した。


「何度もお話しましたが僕は探偵騎士にはなりませんよ、パパ卿」


 難しい顔をしているパパ卿に対し、ラトはあっけらかんとしている。


「パパもそれを応援してあげたいんだけどね、ラト……」


 ジェイネルの溜息ためいきは深い。


「アルタモント卿はそれで引き下がるような御方おかたではない。彼はどんな手を使っても自分の望みをかなえようとするだろう」

「パパ卿。たとえ名字が違ったとしても、僕はパパ卿の息子です」


 どうやらジェイネルは探偵騎士としても、貴族としてもアルタモント卿には頭ががらない様子である。

 たとえばラトのことがある。

 ラトはアルタモント卿からペリドット侯爵家にたくされた子であるが、ジェイネルと同じ家名かめいを名乗らないのにも理由があった。


 というのも、貴族が継子けいしとして養子をむかえるには王のゆるしが必要なのだ。


 オブシディアン家の力があれば国王のそばで口入くちいれをし、養子相続ようしそうぞくことなど造作ぞうさもない。

 これはまさしくジェイネルとラトのきずなあだとなった形である。

 ジェイネルはラトの父親であろうとする限り、アルタモント卿の首輪くびわをつけざるを得ないのだ。


 クリフはジェイネルにたずねた。


「マラカイト邸での事件をぶじに解決したのだから、ラトへの挑戦は決着がついたはずだ。なぜ俺たちが探偵騎士団に呼び出されなければいけないんだ?」


 ジェイネルは答えず、かわりにラトが口を開いた。


「赤い手紙には僕の勇気をためすとあった。確かに博士の事件を解決することで僕は勇気を証明した。でも手紙にはこうも書いてあった。クリフ・アキシナイトに正義はあるか? ――ということだ」

「つまり、お前の試験は終わったから今度は俺ってことか。ますます気にわないな、探偵騎士団ってやつは。俺はお前の助手になるつもりはないっていうのに」


 クリフが言うと、ジェイネルがクリフの両手をにぎりしめる。

 そしてすかさず悲しげな子犬のような表情をかべるのだった。


「そこを何とかお願いできないかな? クリフ君。きみがラトの助手をつとめてくれたら、引退後にはいい感じの地所じしょでも何でも君にあげるから……さ!」

「……あんたがそんな感じだから探偵騎士団が調子に乗るんじゃないのか?」

「え? なんのこと? ちょっとよくわからないなあ」


 アルタモント卿が指定した館は守護塔しゅごとうの影にあった。

 常にロンズデーライトの星の輝きに照らされている王都の中でも、そびえ立つ守護塔のそばには影ができる。

 そして探偵の館は、どの時間帯でもいずれかの塔の影がかる立地りっちにあった。

 この影のせいで館はその全体が陰鬱いんうつな灰色にみえた。

 入口の両脇にたたずむ二羽の烏の彫刻ちょうこくが玄関を威圧的いあつてきにらみつけているさまは、ペリドット卿のタウンハウスとはちょうど正反対の印象を来客に与える。

 ジェイネルはラトとクリフを先導せんどうし、緊張した様子でそのとびらの前に立った。


「クリフ君、あれ!」


 ラトが指で示した館の軒先のきさきには見覚えのある金色の小鳥がとまっていた。

 小鳥は彫刻ちょうこくじりながら、そのつばさを大きく広げた。


「キエーッ!」


 小鳥は耳をつんざく奇声きせいを上げると、ラトのつえの元に戻っての一部になった。

 鳴き声の奇怪きかいさはともかくとして、どうやらペリドット卿の屋敷から持ち出された花瓶かびんのかけらはこの館に運びこまれたので間違いないようだ。


「パパ卿、盗みを働いたのは誰か、見当けんとうはつきますか?」

「いいや……いまはまだ。しかし対面してさぶりをかければ、いかに探偵騎士といえども、私の探偵術の前でその正体しょうたいかくとおすことは難しいだろう」


 たのもしい口ぶりではあったものの、その口調はどこか強張こわばったものだった。

 彼の緊張は演技ではなさそうに見える。「用心ようじんしたまえ」とつけされた言葉も、心の底からのほんもののように思えた。

 探偵騎士たちの何に用心ようじんすればいいのかはわからないものの、クリフはいくばくかの不穏ふおんさを感じ取った。

 いったい三人の到着をどこから見ていたのだろう。

 館の扉は自然と内側へと開かれた。

 ジェイネルから順番に人気のない玄関ホールへとむ。

 広々とした玄関ホールに、杖を手にした騎士たちの彫像が左右に三体ずつ置かれている。

 正面には、また別の広間へと続く入口があり、二階へ上がるための階段が全体を取りかこんでいた。


「探偵騎士ジェイネル・ペリドットが参上さんじょうした。アルタモント卿に目通めどおり願いたい!」


 ジェイネルがよく通る声を上げる。

 そのとき、よく日にけた紙きれのようだった室内のにおいに、パイプ煙草たばこのにおいがまじるのが感じられた。

 みると、いつのまにか彫像のかたわらに人影が出現していた。

 灰色の髪をひたいのうしろにでつけた長身痩躯ちょうしんそうくの男で、いかにも剣呑けんのんするどひとみをしている。


「パパ卿、がってください」


 クリフがそう言ってジェイネルを下がらせたのは、その男が全身からはなつただならない気配けはいと、彼がまとっている鼠色ねずみいろのコートのえりに金色のへび徽章きしょうかざられていたからだ。


 蛇の紋章は《サーペンティン移動医師団いどういしだん》、通称サーペンティンの民と呼ばれる流民集団るみんしゅうだんのあかしだ。


 サーペンティン移動医師団は王国の内外をわず出没しゅつぼつし、医療が受けられない辺境へんきょうの民に民間療法をほどこしながら流浪るろうする。

 町医者まちいしゃことなり謝礼金の期待ができないなか、終生しゅうせい奉仕ほうしと旅についややす彼らの生活のかては主にの成果である。この流民るみんたちは、老若男女ろうにゃくなんにょを問わず全員が医師で、同時に狩人でもある。


 そうした人物の足元に何気なにげなく置かれているのは銃身じゅうしんの長いライフル銃であった。


 しかも、その銃床じゅうしょうにはレガリアの象嵌ぞうがんほどこされている。


 サーペンティンの民といえば王国にいち早く火薬かやくと銃の危険をもたらした民族として知られているが、男がたずさえているのはそれよりも厄介やっかいなレガリア銃だ。

 魔力を銃弾じゅうだんとしてはなつか、あるいは銃弾に魔法の効果を付与ふよするレガリア銃は、銃は魔法におとるものとして遠ざけた王国にかえいた最新の暴力装置ぼうりょくそうちである。

 それを脅威きょういと取るなというほうが無理からぬことである。


 ラトも無言でクリフのとなりならぶ。


「やめてくれ、彼は私たちの敵じゃない!」


 そのとき、視界の端にある暗がりが、ほんの一瞬そのやみを色濃くした。

 ジェイネルの戸惑とまどった声を無視し、クリフは腰にげた剣をさやごとつかんだ。


 考えるよりもはやく体が勝手かってに動いていた。


 鞘を半分ほどベルトから引き抜きつつ、左手側に大きくみ込む。

 それと同時に、必殺ひっさつの抜き打ちがクリフのどうめがけて放たれた。

 白刃はくじんが横にかせたクリフの剣の鞘にんで止まる。


「ふうむ、不意打ふいうちへの対応は10点中9点といったところだな」


 死角しかくから突如とつじょとして現れた敵が、落ち着いた声音で言う。

 言葉が、そしてお互いの吐息といきがまじりあいそうなほどそばにある。


 敵の剣は鞘に食い込んだままだ。


 クリフはそのまま鞘と柄を押し下げて敵の剣をふうじこめる。

 そして、みずからの剣を片手で抜き放ち、やいばを敵の脳天のうてんめがけて振り下ろした。


 この超至近距離ちょうしきんきょりであれば、敵の剣はすでにいきおいを失い、使い物にならない。


 必殺の返し技だった。


「10点満点だったな」


 別の声が――サーペンティンの男からもたらされた。


 男はすでにレガリア銃を構えており、引き金は引かれた後だった。

 はなたれた弾丸は雷撃らいげきに変化し、衝撃波しょうげきはを放った。


 クリフの剣は敵をとらえることなくみだれる。


 それと同時に紫色の雷が拡散し、へびのように剣とラトの杖に巻き付いた。


「あっ!」


 次の瞬間、二人の武器は手からすべり落ちていた。

 ひろい上げようとすると、再び稲光いなびかりが発生して激痛が走る。

 男はすずしい顔つきでそれを見下ろしながら、レバーを引いて銃身をくるりと回し、弾丸だんがん再装填さいそうてんする。

 

「ラト、クリフくん!」


 ジェイネルがレガリアをかざそうとすると、銃弾がその足元をつらぬいた。

 タイルが割れて破片が飛び散る。

 今度はレガリアによる魔術のたまではない。

 当たれば死ぬなまりの弾だ。


 ジェイネルは狼狽うろたえている。

 年長者ねんちょうしゃとして、そして探偵騎士として立場を決めかねているのだろうが、いまは出てきてほしくないというのがクリフの本音ほんねであった。


 クリフの前にはツイードの上着を着た紳士しんしが立っていた。


 いきなり剣を向けて来たなぞの紳士は、ブルネットの髪に浅黒あさぐろはだ、それでいて意外なほど理知的な鳶色とびいろの瞳をしていた。

 レガリア銃を構えているサーペンティンの男と同じくらいの長身だ。

 しかし二人が並ぶと対照的にみえるのは、この紳士が服を着ていても一見いっけんしただけでわかるほどよくきたえられた体つきをしているせいだった。


 紳士はパイプ煙草たばこのにおいのする声でクリフにかたりかける。


「失礼——先ほどは計算違いをしてしまったようだ。さて、お次は互いに徒手空拳としゅくうけんといこう。剣なしでどれくらいつか、二分か、それとも三分くらいか……。イエルクがこぶしきたえたという逸話いつわは聞かないから、案外一分と保たないかもしれん」


 紳士は剣を手放して上着をぐと、両のこぶしにぎりしめた。顔の前に上げた二本の腕はまるでかたざされた鉄の扉のように見える。


「来ないならこちらから仕掛しかけよう」


 紳士の身体がけもののように躍動やくどうするのを見て、クリフはまよったことを瞬時しゅんじ後悔こうかいした。


 踏み込みと同時に恐ろしくびるきが放たれる。


 あわてて腕でかばうが、それよりも速く鋭く重たい拳風けんぷうがクリフの左頬ひだりほおった。


 拳そのものはあご粉砕ふんさいする手前のギリギリのところで止められていた。


「何秒待ったとしても、君が有利になることはないぞ、少年」


 アドバイスを送ったのはサーペンティンの男である。

 冷徹れいてつなまなざしで銃を構えたまま、この戦いを静観せいかんするつもりのようだ。


 何がなんだかわからないが、やるしかないのだと覚悟かくごを決めて構えを取る。


 その瞬間をのがさず、紳士が動いた。

 紳士は体の前に堅牢けんろうとりできずいたまま、上体じょうたいを左右に振って、拳を繰り出してくる。


 速い。

 しかも打撃のひとつひとつが体のしんに響くほど重たい。

 一発でもまともにもらったらどうなるかわからなかった。

 必死に歯をいしばり、突き出される拳をはらいのけ、腕でいなす。


 恐ろしいのは、獣のようにおそいかかりながらもクリフを見つめる両の目が終始冷静そのものであることだ。


 クリフが、なんとか攻撃にてんじることができないかとした前蹴まえげりが、すさまじい連打れんだ合間あいま軽々かるがると払いのけられたときは、正気をうたがったほどだ。


 彼の目は相対あいたいするすべてを見通しているかのようだった。


 おまけに苦しまぎれに放たれたクリフの打撃は、その頑健がんけんな肉体にまれていくようで、なんら手ごたえがない。


 いちかばちか、腰の後ろに差した短剣にれた。

 しかし、指先に強い電撃が走って握りこむことができない。

 レガリアだんの効果は短剣にもいているのだ。


 そのすきに紳士は距離を一気にめ、クリフの体をで吹き飛ばした。


 吹き飛ばされながらもクリフは思考を続ける。

 上半身への攻撃はまったく意味をなさない。それどころか、逆に強すぎる打拳だけんをもらうきっかけになってしまう。


 ではどうするか――。


 いちかばちか、大胆に距離を詰め、足をねらうしかない。

 紳士の構えからして、強烈きょうれつで大振りな攻撃を足下に放つことはできない。近距離であれば、拳の勢いはがれるはずだ。

 着地したクリフは立ち上がらずに、地面の上を飛ぶように、できるだけ姿勢しせいを低くしたまま間合いに飛び込んでいく。

 紳士の足下で身体からだを大きくひねりながらの足払いをかける。

 だが、直撃を食らっているはずなのに、紳士はびくともしなかった。

 絶望的な気分のまま、拳を受けない地面すれすれの高度を飛んで回し蹴りを放った。


 普通なら予測よそくもできない攻撃のはずだ。


 しかし、紳士はそれすらも予知よちしていたかのようにかわしてしまう。肉弾戦にくだんせんではさすぎる。


「クリフくん! これを!」


 視界のはしでラトが地面に落ちた剣をひろい上げるのが見えた。

 つかにハンカチをいているのは、武器にれないための工夫くふうだ。


 のどから手が出るほど、がほしかった。


 渇望かつぼうといっていいくらいの欲求よっきゅうが体の奥底からがり、思考を支配するのを感じる。


 その剣があれば――


 そう考えたとき、目の前の紳士のひとみの色がわった。

 そこに、いままで読み取れなかった感情がはっきりと浮かんだのだ。


 だった。


 同時にクリフ自身も自分の考えというものにちのめされ、呆然ぼうぜんとしていた。

 剣を受け取るために立ち上がったクリフの体に、紳士が放った拳が刺さる。


 またもや衝撃を与える直前で寸止すんどめされた拳を、クリフはただ見下ろすことしかできずにいた。


「ふうむ、二分半だ。格闘かくとうはそこそこといったところか。よくったほうだが、いかんせんパワー不足ぶそくだな」


 拳がかすかに引かれ、再び突き出される。

 ほんのわずかな距離から放たれた拳であるが、すさまじい威力いりょくに背中までつらぬかれた。


 鳩尾みぞおちを深くえぐられたクリフは身を二つに折り曲げて地面の上にころがった。


 助けにろうとしたジェイネルの足元にもう一発、弾丸が撃ち込まれる。ジェイネルは一歩下がりつつ、突然攻撃をしかけてきた二人にうったえかける。


「いったい何をするんだドラバイト卿。彼は我々の敵ではない。探偵騎士団の仲間なんだぞ!」


 ドラバイト卿と呼ばれたのは、ツイードの紳士であった。

 紳士は、戦いのときのあの恐ろしさをすっかりと上着のポケットにしまってしまい、眉間みけんに深いしわせながらゆったりと落ち着いた声音でおうじた。


「それは貴殿きでんが決めることではなかろう、ペリドット卿。我々にも判断材料というものが必要だ。むろん君にとっては相手と三秒ほど見つめ合えばすむことかもしれないが、我々が持ち得る言語というのはこの通り狂暴きょうぼうなものなのでね」


 クリフは胃液いえきを最後の一滴いってきまできこぼしながら、なんとか体を起こした。

 ぐらつく視界であたりを見回すと、いままで人気ひとけの無かった二階の回廊かいろうに、二つの人影があるのが見えた。


 片方は顔をかくした小柄こがらな女性で、紫色のヴェールをかぶっている。

 ヴェールの奥からは老婆ろうばの声が聞こえてきた。


「ドラバイト卿のおっしゃるとおりですよ。ペリドット卿、もしもそのぼうやが仲間だというのなら、素性すじょうをよく調べなければならないのはなおさらのこと。のうちに何を取り込むかは、よくよく吟味ぎんみしてから決めてもおそくはありませんとも……」

「そうかあ? 俺様おれさまはちょっとこのノリにはついていけそうにないけどね。むらさきばあさんは意外と過激かげきなのが好きだからな」

「まあ、失礼ですよ。スティルバイト卿。わたくしのことはデリー夫人、または紫夫人むらさきふじんとお呼びなさいと何度も言ってるでしょう」


 ヴェールをかぶった老婦人の隣には、真っ赤な上着を着た金髪の青年がいる。

 この顔ぶれの中では若く、まだ二十歳かそこらといった頃あいだろう。

 そして全員が――サーペンティンの男以外は――それぞれにレガリアをめ込んだつえを手にしていた。


 クリフにも彼らの正体がわかりかけていた。


 そのとき、二階の奥から杖が床を鳴らす硬質こうしつな音響が聞こえてきた。

 音が鳴りはじめると、ドラバイト卿をはじめとしたこの場の全員が緊張し、耳をそばだてはじめ、落ち着きを失うのが見てとれた。

 そうして現れたのは、すらりと背が高く、闇よりもいブルネットに青白いはだをした男であった。

 黒いコートを肩に羽織はおり、悠々ゆうゆうと歩いてくる。

 彼は二階の廊下の真ん中に立つと、玄関ホールをひと通り見回して、ピンととがったはなと切れ長のひとみをクリフへと向けた。


「探偵の館にようこそ、クリフ・アンダリュサイト。わたしがアルタモント・オブシディアンだ。手荒てあら歓迎かんげいになってすまないが、我々探偵騎士団と君の祖父の間には一晩ではかたくせぬ因縁いんねんというものがあるのだ」


 みずからアルタモントと名乗りを上げた男が向けてくるまなざしは、その鋭さにしてやさしげなものだった。

 

「じいさんなら死んだぞ。とっくの昔にな」


 クリフが吐き捨てるように言うと、老婦人が首をかしげる。


「さて、それはどうかしらね。イエルクは私が知るかぎりでも七度は自分が死んだように見せかけて王国をあざむいたことがありますよ。果たして八度目が無いと言い切れるかしら」

「馬鹿馬鹿しい。あいつがはかの下からよみがえってくるとでもいうのか?」

「そういうことがあっても何一つおかしいとは思いませんとも」


 その言葉には、冗談を言っているとも思えない真剣味しんけんみがあった。

 アルタモント卿はそうした老婦人の物言いを、やはりクリフに対するのと同じく、やわらかなまなざしで見つめていた。


「デリー夫人、イエルクを知る探偵騎士であれば誰もが、あなたの言い分ももっともだと思うでしょうが……」

「まあ、わたくしとしたことがすぎた真似まねをしたようですわね。ずべき事です。アルタモント卿、このあとはあなたがお仕切しきりになって」

「それでは僭越せんえつながら、ここにあつまった偉大いだいなる探偵騎士たちを、イエルクの血筋ちすじ披露ひろうできる栄光によくすることとしましょう。今宵こよい素晴すばらしい夜になることでしょう、まだ誰も見たことのない、心躍こころおどなぞめく夜に。そして館につどうのは当代とうだいきっての名探偵たちです。——まずは先ほど君をちのめした男だ。彼は《武闘探偵ぶとうたんてい》クドー・ドラバイト。こと暴力の分野ぶんやで、彼にかなうものはこの館にいない」


 ドラバイト卿は何とも言えない気まずそうな顔つきだった。

 両目を丸くし、感情の表現の仕方がわからないとばかりに大きな両のてのひらを広げてみせる。


「そしてドラバイト卿の相棒であり、きんでた狙撃手そげきしゅでもあるロー・カン」


 次に呼ばれたのはサーペンティンの男であった。

 彼は銃を構えたまま、身じろぎもせずに獲物えものを見定めながら「どうも」とだけ返事をした。


「探偵騎士団の字引じびきであらせられる《紫婦人》ことデリー夫人と、現役げんえき憲兵隊長けんぺいたいちょうであるスティルバイト卿リーズモット君だ。リーズモット君は加入して日が浅いため、あだ名はまだつけていない」

「なんでだよ。《恐れ知らず》か《至上最高しじょうさいこう》って呼んでくれっていつも言ってるだろ」

「《お調子者ちょうしもの》のスティルバイト卿だ」


 スティルバイト卿は苦虫にがむしつぶしたような表情を浮かべている。

 デリー夫人はわずかにスカートのすそを引いてみせただけで、そのまなざしはヴェールしにクリフへと向けられていた。


「それから、忘れてはならないのが《戯曲探偵ぎきょくたんてい》ジェイネル・ペリドット。君だ」


 アルタモント卿は指を鳴らし、その先を彼とは別の意味で青くなっているパパ卿へと向けた。

 次に、そのまなざしはクリフの隣に立つラトへと向かう。

 ラトはみずから、さきんじて階上かいじょうにいるアルタモントへ声をかけた。


「ご無沙汰ぶさたしております、アルタモント卿。ドラバイトおじさまやデリーおばさまにも久しぶりにお会いできて、こんなにうれしいことはありません。ですが、僕の紹介は不要です。僕は僕です、探偵騎士にはなりません。ですから、探偵騎士団からクリフ君への挑戦は無用むようのものと思ってください」

「ここにいる理由は無いと言いたげだね、ラト」

「その通りではありませんか? 僕が王都に召喚しょうかんされたのは探偵騎士としての資格を問うため。探偵騎士でなければ、これ以上館にとどまる理由もありません」


 ラトは慎重しんちょうにそう言い、さらに輪をかけて慎重しんちょうに自分のつえひろい上げた。

 電撃の効果はすでに消えているようだ。


「これでおいとまさせていただきます。行こう、クリフ君」


 そう言ってラトが探偵騎士たちに背を向けたそのときだった。


「それではを与えよう。再会の記念品として遠慮えんりょなく受け取りたまえ」


 アルタモント卿の指先が、杖の先に飾られた漆黒しっこくのレガリアをでた。レガリアの表面に金色の波紋シラーが浮かび上がる。

 アルタモント卿は杖の先をジェイネルへと向けた。

 すると、銃口を向けられ立ち尽くしていたジェイネルの頭上にある天井てんじょうが二つに割れた。

 そして、そこから轟音ごうおんを立てて鉄製のおりが落ちてきた。

 檻はタイルを粉砕ふんさいし、その下に隠されていた鉄板と合体がったいする。

 そしてがらがらと不快な音響を立てながら、取り付けられた太い鎖を巻き上げて天井の向こうへと上がっていくのだった。


「パパ卿!」

 

 クリフはアルタモント卿を睨みつけていた。


「あんたたちは自分の仲間にも手を出すつもりか?」

「私が仲間にどのような仕打ちをするかは、君がこれから何をなすかによって決まる。しかし正義をなすためであれば、手段は選ばないのがオブシディアン家の家訓かくんでもある」


 パパ卿を人質に取られたならば、ラトは文句もんくも言えないだろう。

 そうなると知っていてこの言いざまである。

 正義とはこのような恥知はじしらずの口から発せられて良い単語ではないと思えたが、しかし彼が次に口を開いたときには、クリフは批難ひなんの声を上げようとするのをやめ、注意深くアルタモント卿の言い分に耳をまさねばならなくなった。


「クリフ君。君は私たちにも、そしてラト・クリスタルにも隠し事をしているね」

「俺がイエルクの血を引いているって話なら、見当違けんとうちがいもいいところだぞ」

「いや、さすがの私も血筋ちすじつみとは呼ばない。血が罪ならば、もっとも深刻しんこく罪人ざいにんふるを引いている者になってしまうからね」

「いったいなんの話をしているんだ。?」

「そう……その通り、君はだ。そして、それを隠してラト・クリスタルに近づいたのだ」

「何のことだ?」

「君にはガンバテーザ要塞ようさい駐留ちゅうりゅうしていた王国兵三十余名を無惨むざんにも惨殺ざんさつし、皆殺みなごろしにした容疑ようぎがかけられている」

「!」

「セヴェルギンという名前におぼえがあることだろう。セヴェルギン・は当時、要塞の兵士たちをひきいていた隊長の名前だ」


 いきなりのことに、クリフは言葉を失う。

 檻の中のジェイネルがさけんだ。


「クリフ君、アルタモント卿の話を聞いてはいけない! ほかの探偵騎士たちもだ! 事実無根だ、彼はクリフ君をわなにはめようとしている!!」


 ジェイネルは鉄格子てつごうし隙間すきまから鉱石スキルを放つ。

 《心》のレガリアのきらめきは二本の矢となって、クリフとラトの心臓をつらぬいた。

 くさりを巻き上げるペースが速くなり、ジェイネルの姿はすっかり天井の上へと消えていく。


「おいおい、うそつきジェイネルのレガリアは厄介やっかいだぜ。檻を戻して解除させたほうがいいんじゃないのか」


 スティルバイト卿の忠言ちゅうげんを聞いても、アルタモント卿はゆっくりとかぶりを振った。


「むしろ好都合こうつごうだ。それでは始めようか、クリフ・アンダリュサイトよ。貴殿きでんを迷宮街から王都へとまねき、探偵の館に呼び出した理由はもてなしのためでも挑戦のためでもない。ラトへの挑戦さえ、君をこの場に呼び出すための口実こうじつにすぎない。我々の真の目的は、君を被告人ひこくにんとした法廷ほうていを開き、その罪をさばくことにあるのだ」


 アルタモント卿のその瞳には相変わらず柔和にゅうわな表情が浮かんでいる。それはという言葉からはおよそかけ離れた感情によるものだった。

 その感情が何なのか、クリフにはわからない。

 それはジェイネルがラトやクリフを見つめる優しさや慈愛じあいとは違う、正体不明の何かであった。


「私、アルタモント・オブシディアンは探偵騎士団団長の名と職責しょくせきのもとに、ここに探偵裁判たんていさいばん開廷かいていを宣言する!」


 どちらからともなくクリフはラトを、そしてラトはクリフに視線を向けた。


 そのとき、ラトの瞳は戸惑とまどれていた。


 ペリドット卿ジェイネルが最後に残した鉱石スキルは《対象となった者の心のうちを、いかなる方法をもってしても他者からは読めなくする》というものだった。

 このときラトは、いつもならばそのしぐさや表情の変化で手に取るように読めていたはずのクリフ・アキシナイトがいだく感情や、思考がまったくわからなくなっているという事態にはじめて気がついたのである。

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