第49話 行動と信頼
すべての
あの晩、地下拳闘場に
ナミル・デマントイドは
あくまでも裏社会の顔役である。
ラトたちも
その後、ヴィクトリアス氏あらためゴッドフリーはデュマン殺しの罪を認めた。
大筋ではラトの推理の通りである。
ゴッドフリーは十五年前、兄に八百長を持ちかけた。そして
その後のゴッドフリーは知っての通りだ。
彼は拳闘士としては
しかしひと月前に迷宮街に現れたデュマンはゴッドフリーの入れ替わりを知り、ナミル氏に真実を告げると言ってゴッドフリーを
ゴッドフリーは
ヴィクトリアスを
もちろん真実を知ったナミル氏は怒り狂っていた。
が、しかし、拳闘士たちを皆殺しにすることはしなかった。
目撃者が多数いるため、したくてもできなかったのか、それとも別の考えがあるのかは店の営業再開を待たねばわからない。
ほとぼりというものが冷めるまで、クリフとラトはカーネリアン邸に共に
そして酒のボトルと葉巻を置いた。
どちらも申し分なく高級なものだ。
「ナミル氏は僕達を殺すつもりはないらしい。いましがた部下がこれを送り届けて来た。報酬ももらえるだろう。贈り物のどちらもに毒が
「これからあの店の拳闘士たちはどうなるんだろうな」
「ナミル氏には営業は続けるべきだと
ラトは酒の
「絶対に飲まないぞ。こんな、何が入っているかもわからない酒なんか、
「犬にはきかないが人間にきく毒というものも考えられる。あるいは酒と
「
「まあ――形だけでも、あの場から生きて帰れた無事を
「お前のおかげじゃない、ゴッドフリーが敏腕氏にビビってくれたおかげだ」
「さて、ゴッドフリーが敏腕氏に恐れをなしたかどうかは
「……どういうことだ?」
クリフは首を傾げた。
ゴッドフリーは兄に劣っていたが、それでも一応は拳闘士なのだ。兄を殺した
「それはね、クリフ君。彼は服を
「服を……?」
そう言ってからクリフは思い出した。
寮を訪ねたとき、ラトはゴッドフリーに「ガウンを脱いでほしい」と頼んでいた。その後すぐにブルーノがやってきてうやむやになってしまったのだが、あれは単なる思い付きや気まぐれではなかったのか。
「デュマンが拳闘士たちに虐待を受けていたという証言をした酒屋がいただろう」
「ああ、確かに……」
「あれは逆ではなかったかと思うんだ。おそらく虐待を受けていたのはゴッドフリーだ。殴られていたのは彼のほうだったんだよ。顔は覆面で隠せるが、体は無理だ。デュマンの場合、
「しかし、そんなことがあり得るか? いくら拳闘に弱いとはいえデュマンよりは圧倒的に強いんだぞ」
「彼は困難に立ち向かうとき、
どうやらラトが敏腕氏とゴッドフリーを戦わせようとしたのは、ゴッドフリーがヴィクトリアスと同じ強さを持っていないことを証明させるためと、そして人前で衣服を脱ぐことができるか
もちろんゴッドフリーが虐待を受けていたかどうかの確証はない。
しかしラトはその可能性に賭け、勝利したのだ。
「可能性は高かった。何よりゴッドフリーからは罪悪感というものが感じられなかった。それは殺人を『当然の行い』だと感じているからだ。デュマンは
その推理は、クリフにとっては不愉快なものだった。
クリフはあるときまでヴィクトリアス氏のことを信じていた。
彼が弟の死を目撃し、変わったことを。
自らの非を認め、善人になったのだと。
しかし現実は違った。
ゴッドフリーは実の兄を卑怯な方法で殺害したが、罪悪感を抱かず、罪を
「君は少し落ち込んでいるだろうね」
ラトは言った。
心の内を読まれ、クリフは少しむっとしたが、しかし口にはしなかった。
それよりも素直な質問を投げかけた。
「お前は言ったな、人は変われないと」
「変化するのは難しいと言う意味だよ、クリフ君」
「悪人はいつまでも悪人のままか? 心に巣くった
それはクリフ・アキシナイトとして、そして同時にクリフ・アンダリュサイトとしての、本心の
クリフは心の底から正しくありたいと願っている。
そのために砦で学んだ
いや、正確には捨てようとした。
しかし捨てきれなかった。
「僕は探偵として、さまざまな犯罪者を目の当たりにしてきた。君と出会う前から……。おそらく人の死に力はない。死者は生者の進む道を変えることはできず、苦痛と
ラトは
「お前らしい意見だ」
「しかし……それと同時に僕は……人の心とは、そして善とは、行動に現れるものだと考えている。君はナミル氏から僕を
「正しい道とはなんだ」
「君が決めるんだ。行動だよ、クリフ君」
ラトはそう言って東の空に向けてグラスを
空は明けかけており、地平線のむこうが金色に輝きはじめていた。
朝日がグラスに反射し、
クリフは自分のグラスを持ち上げた。
二つのグラスが軽く重なり、響いて
その後、朝日が十分に
クリフは貴婦人を
早朝ではあるがカーネリアン夫人はモーリスを
「クリフさん、お話があります。クリフ・アキシナイト――いいえ、クリフ・アンダリュサイト」
クリフは全身が強張るのを感じた。
「その名前をどこで……?」
「竜人公爵です」
その返答を聞き、クリフは誰も責められないことを
人の口に戸は立てられても、竜の口が何を吐くかは誰にも決められない。
炎でなかっただけましだと思うほかない。
「迷宮街での決闘騒ぎを聞いて、私のほうでも
クリフは無言であった。カーネリアン夫人がそこまで調べを進めていたとは思わなかったが、クリフは屋敷の客分でしかなく、今すぐ出ていけと言われてもただうなずくことしかできない身分だ。
しかしカーネリアン夫人が現れたのはクリフを追い出すためではなかった。
彼女は何かしらの覚悟を
「あなたに秘められた才能と力を見込んで、お願いがあります」
カーネリアン夫人はクリフとラトを連れて馬車を走らせた。
向かったのは、ギルド街に近い一角にある邸宅である。
その玄関には最近だいぶ見慣れてきた人物が待ち構えていた。
「何故ここに……? 暗殺か?」
「今の私は
敏腕氏はそう言って懐から邸宅の鍵を取り出した。
玄関を開けると、広々としたホールが姿を現す。長らく窓を開けられていなかったようで少し
案内されるまま正面の階段を上がる。
カーネリアン夫人はその先にある
そこでクリフたちを待ち構えていたものたちがいた。
それは
部屋には、数々の
「ここは……」
カーネリアン夫人は
「ここは、我が息子エストレイ・カーネリアンが仲間たちと共に築いた彼の城。クラン
クリフは
エストレイ・カーネリアンはクランメンバーであったガルシアの裏切りに
「…………どうして」
クリフはただそれだけしか返せなかった。
「ここにある息子の資産を処分すれば、彼が生きた理由も消えてしまうでしょう。しかしあなたが現れた。あなたにはこれらを受け
カーネリアン夫人はそう言って、見覚えのある
それは竜人公爵の領地で暗殺者に襲われたとき、命を救ってくれたエストレイの持ち物だった。
「まさか俺がイエルクの孫だからですか? そのことに期待をなさっているのなら、
「いいえ、クリフさん。わたくしは資格があると申し上げたまでです。アンダリュサイト卿の孫であれば、それに応じた教育を受けているでしょう。才能も十分おありのはず。その上で、あなたがエストレイの名を受け継ぐに
はじめ、クリフは自分が何を言われているのかわからなかった。
イエルクの孫だと知られれば
ラトはそっとクリフの隣に並んだ。
「行動だよ、クリフ君」
自分が何者であるかは、行動のみが決定する。
そして何が正しい道であるかは、自分で決めるしかないのだ。
心のうちに何がひそんでいるとしても……。
その影が何ものであっても。
カーネリアン夫人はクリフに選択肢のひとつを提示していた。
そこにあるのは思いがけない未来だ。
クリフは差し出された帯を見つめ、可能性に向けて手を
《地下拳闘場の秘め事 おわり》
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