第40話 あの女・下
「あなたは人の行動になんらかの合理性があると
「そうです。それが名探偵が用いる推理というものです」
「ではそれが推理というものの
よどみなく発せられるキルフェの語り口に、ラトは黙りこんだ。
「とっくの昔に私の意図に気がつき、私がすることを止めようとしたのではないのでしょうか。あなたは鷹です。天から地を
沈黙が彼女への
ラトはなかば、彼女の答えを予測していた。そういう人物ではないと、もうわかっていた。
竜人公爵へ送られた手紙と同じだった。
なんの
キルフェ嬢は死ぬとわかっていて、あの暗い小屋で
彼女は死に向かう
ラトは認めた。
「僕は間違った。あなたのしたこと、そのすべてにトリックなど存在しない。あなたはただ毒を飲み、生還した。その間を結ぶ
ラトはそのことに思いを
もしもラトの言う通り、生存する確率を上げるためのなんらかの工夫が計画に
そして何よりも、隠しようのない、
彼女にはそのいっさいが存在しなかった。
「そうまでしてあなたを
キルフェははいともいいえとも言わなかった。
それは二人にとって自明だったからだ。
「選定人が現れたことで、あなたは今回のことを仕組んだのです。ラメル婦人の前で三つの奇跡を起こして聖女候補になるためです。
ラトはそこで言葉を切った。
「あなたはクリフ君のことを愛している。クリフ君があなたを愛しているのと同じに」
愛だけが、
「やはり、おわかりでしたね」
「それだけは、はじめて砦を訪れたその日そのときから、明確にわかっていた事柄です。あなたたちは見つめ合っていた。僕はその秒数を数えていました。あなたはご存知ないでしょうが、冒険者のジュリアンという男がいます。そいつがクリフ君を見つめていた時間と同じです。僕と目を合わせたときなんか一秒だってもたないクリフ君が……です。これ以上は
ラトはそう言って、さらに付け加えた。
「結婚の手続きなど形式ばかりのものです。
ラトがキルフェに求婚したのは、イヤガラセでも面白半分の悪ふざけでも、何でもなかった。心からの親切心だ。クリフがキルフェのことを愛していると知っていたからこそ、ふたりの幸福のためにラトはキルフェと結婚するつもりだったのだ。
クリフは最後までそのことに気がつかなかったが、
しかしその計画こそがパパ卿の言う通りラトの目をくもらせた。
キルフェはラトの計画に乗るだろうと信じ切っていた。だから、それを振り払い、毒の杯を自ら飲み干す未来を
「なぜ、クリフ君を選ばなかったのです? もう愛していないからですか? それとも聖女になる名誉があなたの理想なのでしょうか」
「愛しているからこそ……」
キルフェは答えた。
「あの砦で、わたしとお兄様はふたりきりでした。お互いのことを心の底から理解しあえるのはお互いしかいなかったのです。本当のことを言えば、お兄様が砦を出ていってからもずっと、いつかわたしのことを
「クリフ君はきっとそのつもりでしたよ」
「わかっていました。だから、竜人公爵ではなくお兄様が現れたときは天にも
「僕ですか?」
「ええ。お二人が共にいるのをみて、気がついたのです。このまま、お兄様と共に行ったら……。お兄様は仮にも妹である私を砦から、エセルバードのもとから連れ去ったことを一生思い
このときはじめて、ラトは圧倒されていた。
実のところ彼はキルフェ嬢が毒の杯を持って食堂に現れたとき、あのみごとな
彼女の演技力に
「ですから、ラト様。わたくし、キルフェ・アンダリュサイトは聖女になります。そして永遠に遠くに去るのです。もう二度とお兄様にも、
愛ゆえに。
すべてが愛ゆえに……だ。
いま彼女は真実とも呼べる愛を手にしていた。
いや、彼女自身が愛そのものであった。
それゆえに
そして奇跡を起こした。地獄の炎に焼かれるような痛みと高熱、繰り返す
彼女は彼のことを本当に愛しているのだ。だからだ。
その意地とも呼べる
ラト・クリスタルはこのとき初めて愛というものの真実の姿を
乱暴につかみかかっても、キルフェ嬢を止めるべきなのはわかっていた。
誰の、どんな人生を覗いてみたとしても、ひとりの人間のことを同じだけ愛するのは無理だろうからだ。
しかし彼女はそれさえも予見していた。
キルフェはテーブルの上に、金の
ラトがオスヴィンへの誓いのかわりに贈った指輪だ。キルフェがそれを隠し持っていたということが何を示すのか、ラトにはよく理解できた。
あれだけ娘を、よりよい条件で
キルフェは毒を飲むまえにこの指輪を盗んだ。
オスヴィンは指輪がなくなったことを知り、まさか、それがいま死にかけている養女のしわざであるとは思わなかったに違いない。常識的に考えればラトを
何よりもキルフェはオスヴィンの部屋で似合わぬ高価な指輪を見つけて、それがラトが約束の代わりに贈ったものだということを瞬時に見通したのである。
「……ひとつ聞かせてほしい。もしも僕らが来ず、怒りくるった竜人公爵が砦を襲っていたとしたら、君はどうしていたんだい?」
「どうしていたと思いますか」
「まさか、剣を抜いて戦うわけではあるまい」
「もちろん、おっしゃる通りでしょう」
キルフェは言ったが、彼女は竜人公爵を恐れているようには見えなかった。
恐れていれば、あのような
ラトは、
それは推理ではなく、まったくの想像であったが、ひどく
「親愛なるラト・クリスタル様。ではこれで失礼いたします」
彼女は立ち上がり、
キルフェ嬢が舞台から
あとから、何も知らぬ
そしてとうとうラト・クリスタルは、自分の
今日このときをもって、クリフ・アキシナイトにとっても、名探偵ラト・クリスタルにとっても、女性といえばただひとりのことを
そして、この名探偵と相棒が砦で起きたことや彼女のことを思い出して話題にするようなときは、いつでも「あの
《奇跡の生還 おわり》
《参考文献:シャーロックホームズの冒険 ボヘミア王のスキャンダル 石田文子訳 コナン・ドイル著》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます