地下拳闘場の秘め事

第41話 昼下がりの決闘


 残念ながらこの事態を引き起こした元凶げんきょうがどこにあるのか、クリフ・アキシナイトには見当けんとうもつかなかった。

 その原因の大きなところをめているのが北方領主ほっぽうりょうしゅたる竜人公爵りゅうじんこうしゃくなのだが、しかしその存在をクリフに引き寄せたのは名探偵ラト・クリスタルの父親、ジェイネル・ペリドット侯爵である。そう考えるといつも通りラト・クリスタルが悪いような気もするのだが、竜人公爵の激高げっこう魔性ましょうを呼びましたのは他ならぬクリフの義妹いもうとキルフェ・アンダリュサイトなのである。

 しかしながら現実に起きている確かなことだけをひろい上げ、つなぎ合わせると、奇妙で不可解ふかかいな事実だけが残る。

 それはクリフが冒険者ギルド前の広場にいて、目の前にはジュリアンという名の冒険者がいるということだ。

 そしてジュリアンがクリフに望んでいるのはなんとなのである。


「クリフ・アキシナイト。俺は貴様きさまに命をけた決闘けっとうを申し込む!」


 その宣告せんこくを受けたときクリフはまず唖然あぜんとして、しばらく後に呆然ぼうぜんとした。

 ジュリアンはせんだってクリフが加入を希望していたクランのリーダーである。

 しかし彼らとの関係は、初仕事に出かけようという直前になって竜人公爵の乱入らんにゅうにより台無だいなしになってしまった。

 このときの公爵のあらぶりようはすさまじく、ジュリアンのクランは壊滅状態かいめつじょうたいおちいり、いまだに仲間たちは療養中りょうようちゅうである。

 そうした矢先やさきにギルドからの呼び出しがあった。

 クリフがおうじたところジュリアンが待ち構えており、こうして決闘を申し込まれているのだった。


「あっ……あのときのことは――確かに、俺にもいたらない点があった。治療費の支払いも、いずれ金を作って必ずするつもりだ」


 クリフはとりあえず頭を下げた。

 しかしジュリアンは謝罪しゃざいを受け入れなかった。


「治療費は必要ない。クランメンバーの負傷ふしょうはすべて俺のあやまちゆえだ。あのときの美貌びぼうの紳士がかの高名こうめいな竜人公爵だというのは後から知ったが、確かに俺たちのような駆け出しのクランにとっては名誉の負傷といえなくもない」

「じゃあ、どうして――決闘なんて……」

「これは君のための決闘なのだ。もちろんギルドの了承りょうしょうは取ってある。見届け人として敏腕氏びんわんしを指名した」


 敏腕氏は彼の持ち場であるカウンターを離れ、ギルドのひさしの下からきびしい眼差しを二人に向けている。

 わけがわからず、クリフは敏腕氏に水を向けた。


「冒険者ギルドが私的な乱闘らんとうみとめるなんて、そんなことがあっていいのか?」

「近頃、ギルドでは妙な噂が持ち上がってまして……。まあ、妙な噂話なんぞいつものことではありますが、そのうちのひとつが貴殿きでんのことなのです」

「俺の?」

「ええ。先日……ご承知しょうちの通り、ギルドの表玄関で大騒動が起き……その原因がとりどりに噂されまして、最有力とされている説が、ジュリアン氏と竜人公爵が暴力騒ぎを引き起こしたというものなのです」

「…………は?」

「つまり、あの一件は世間せけんでは痴情ちじょうのもつれであるとされているのです」


 敏腕氏のいつものまじめな口ぶり、まじめな顔つきから《痴情のもつれ》などという単語が飛び出し、クリフの思考回路しこうかいろはじけそうになる。


「……はあ!?」

「つまり、ジュリアン氏はよこしま性的関心せいてきかんしんからあなたをクランに引き入れようとし、不埒ふらち横恋慕よこれんぼの気配を察知さっちしたあなたの情夫じょうふである竜人公爵がそれを防ぐために……」

「とんでもない眉唾まゆつばだ!」

「しかしそれが世間で語られている真実の一形態いちけいたいというものなのです。ジュリアン氏はこの噂を不当なものとしてギルドに正式な決闘の申し入れをなさったのですよ」


 敏腕氏の鋭い眼差しが、相対するジュリアン氏に向けられる。


「その通りだ。クリフは確かに好みのタイプではあるんだが……」


 そう、ジュリアンは前置いた。

 よこしまな目で見ていたというのはどうやら真実らしい。


「だが、俺がお前をクランに誘ったのは、断じて恋人にするためじゃない。お前には冒険者としての確かな才能があると思ったからこそだ。今回の騒動そうどうで妙な噂が立ち、不当な評価がはびこるのはこちらとしても本意ほんいではない」


 なかなかどうして、妙なところで義理堅ぎりがたい男である。

 しかし、クリフとしては「だから決闘」などという短気に付き合ういわれもない。


「気持ちはありがたいが、どうしてそれが決闘だなんてことになるんだ?」

「これは先達せんだつとして言わせてもらうが、冒険者の世界は所詮しょせんは力の世界だ。お前にかけられた疑惑ぎわくを解くには、お前自身が冒険者たちの目の前で実力を発揮はっきするしかない」


 ジュリアンはそう言って剣のさやから白刃はくじんを抜き放つ。

 観衆が「おお」と期待にふくらんだ声を上げた。

 広場には騒動を聞きつけて物見高ものみだかい冒険者たちが集まってきている。

 野次馬やじうまたちが望んでいるのは流血と大騒ぎであって、名誉の回復なんかは二の次であろう。

 だが、だからこそ、ここでの勝敗は迷宮街に知れ渡るだろう。


「敏腕氏、頼むからめてくれ。ギルドとしても、こんな乱闘騒ぎを認めていいことなんて何もないはずだ。衛兵隊に何て説明するつもりだ?」

「ギルドは認めてはいませんよ」


 敏腕氏はずれた眼鏡のを押し上げながら言った。


「ただ私が、貴方が戦うところを見たくて許可を出したんです」

「なんだって?」

「いいですか、クリフさん。ジュリアン氏は少々、色恋に浮かれたところのある人物ですが、迷宮街では指折ゆびおりの戦士です。ナメてかかっていたら死にますよ」

「ナメてかかるも何も、こっちは新参者しんざんものなんだぞ」

「では私と戦いますか? 彼と戦わないなら、私が勝負をいどみますよ」

「本気で言ってるのか……?」

「もちろんですとも」

「お前が評価していたのはラト・クリスタルのほうじゃないのか?」

「彼の洞察力どうさつりょくや推理力は驚嘆きょうたんあたいしますが……。しかし、どちらと戦いたいかというと、やはりあなただ」


 敏腕氏はそう言ってあやしげな微笑ほほえみを浮かべた。

 それは冷徹れいてつな受付係としての笑みではなく、どこかにごりのある、えたけもののような笑みだった。

 敏腕氏にくらべれば、ギルドの面前めんぜんで決闘をいどんできたジュリアンのほうが単純でわかりやすい。

 クリフは考えて、ジュリアンの前に立った。

 竜人公爵の起こした事件の発端ほったんが少なからず自分にある以上、どこかで決着をつけなければいけない話ではあった。

 もともと、土下座どげざくらいはするつもりでいた。

 さみしい懐具合ふところぐあいのことを考えれば、落とし前を金銭きんせんで求められなかっただけましかもしれない。


「いい判断だ。敏腕氏は強いぞ」

「あいつはいったい何者なんだ?」

「知らん。この街の冒険者の誰もが知ってるが、誰も知らん。世の中には知らないほうがいいこともある。——さあ、そろそろはじめようじゃないか。公平をしてレガリアは使わない。命を取るつもりでかかって来い」


 ジュリアンは宣言通り軽装けいそうであった。

 手にした長剣も、この前見たものとは違っている。

 本気の武器にはレガリアがそなわっているからだろう。

 そしてジュリアンからは、クリフはそれくらいの相手だと思われているということでもある。

 クリフは意を決して剣を抜いた。

 つかを両手でにぎりこみ、切っ先を天に向け、立てて構える。

 王国剣術——王国軍の兵士が最初にならう初歩のかたであった。


「それでいいのか?」


 不意に、ジュリアンはそうたずねた。不思議そうな表情だった。


「ああ、構わない」


 クリフがそう答えると、決闘がはじまった。

 結論から言うと、この戦いは三十秒もたたずに決着がついた。


 クリフ・アキシナイトの負けである。


 いて敗因はいいんべるなら、圧倒的な力の差だ。前衛戦士として一線いっせんで活躍するジュリアンとクリフでは体格に差がありすぎる。

 剣を合わせた時点で力で押し負けており、足もとがからんだクリフは剣を手放して尻もちをついていた。

 クリフは諸手もろてを上げて降参こうさんしてみせる。


「――――俺の負けだ。決闘はこれで終わりだ」


 ジュリアンは深いため息を吐いた。

 クリフの魂胆こんたんけてみえていた。いくら体格に差があるとはいっても、クリフには本気で戦う気持ちがみじんもない。

 適当にませて、噂話はやり過ごせばいいと考えているのだ。


「決闘をいどんだ以上、この戦いには俺とクランの名誉がかかっている。それで許されると本気で思っているのか?」


 ジュリアンはクリフの襟首えりくびをむんずとつかみ、力ずくで立ち上がらせた。

 再び足が地面に着いた、と思った瞬間、クリフの体は肩越しに投げられて地面に打ち付けられていた。背中を強打きょうだして一瞬だけ息が止まる。


「言ったはずだぞ、これは命をけた決闘だと。本気でやれ。次は受け身が取れないように投げるからな」


 そう言い捨てたジュリアンに、クランリーダーらしい気さくな優しさは皆無かいむであった。もちろん色恋に浮かれてハメを外す若者の影もない。

 迷宮にもぐり、魔物を殺す冒険者としてのすきのない強さだけがそこにある。

 転がった剣を渡され、クリフは再び剣を構えた。


 ジュリアンが本気であることは、これでようやくクリフにも伝わった。


 互いに抜き身の剣を構えた以上、遊びではないのだ。

 クリフは歯を食いしばり剣を下段げだんに構えた。

 これもまた王国流剣術の構えである。

 その姿をジュリアンはやはりつめたい目つきで見ていた。


「次は背中ではなく頭から地面に打ち付けられることになる。死ぬぞ」

「…………俺は本気だ」

「お前ははずだ。いいか、これが最後の忠告だぞ」


 決闘は再開した。

 しかし、誰の目にも、二度目の戦いも一度目と大差ない結末けつまつをたどりそうにみえた。あまりにも実力がかけ離れすぎているのだ。

 クリフと相対するジュリアンから放たれているのは、闘志とうしであり殺意さついだった。

 しかもそれが目には見えない大気の流れとなって、彼の周囲でうずを巻いているようにみえた。

 ジュリアンの引力はクリフの視線をつかんで離さない。

 やがて観衆のヤジも耳に入ってこなくなった。

 こういう状況にクリフは覚えがあった。


 剣術を習うために対峙たいじしたときと同じだ。


 祖父は――ハゲワシのイエルクは――剣の稽古けいこのとき、相手が血を分けた孫であることをまるで失念しつねんしていた。剣の持ち方さえままならない幼児であっても、死んでしまっても構わないと思っているようだった。


 祖父の殺気と、いまのジュリアンの闘志とは、ちょうど相似形そうじけいをなしているかのようにみえる。


 幾度いくどか剣と剣が合わさり、火花を散らした。

 強い力ではじかれ、再びクリフの手からつかすべり落ちる。

 ジュリアンは再びクリフの胸倉むなぐらを掴んだ。

 このおよんでもクリフはうつむいたまま、闘志のかけらも見せようとはしなかった。


 ジュリアンはため息を吐いた。


 それはクリフに才能があると判断した自分への落胆らくたんでもあった。

 ここで本気を出して、死にものぐるいになってでも一矢いっしむくいることができないなら、迷宮に行ったとしてもどこかで野垂のたれ死ぬのがせきの山だ。それならこの場で息を止めてやったほうがましだ――このとき、ジュリアンは本気でそう考えた。


 そして、力まかせにクリフの体を引き寄せようとしたときのことだった。


 不意にクリフの両脚に力が戻り、その左手がジュリアンの肩をつかんだ。

 重心の位置が変わり、クリフの体が石のように重たく感じられる。

 クリフがさっきと同じ警戒けいかいしているあかしだった。

 ジュリアンはとっさに、えりぐりを掴んだままクリフの脇の下をくぐり抜けて逃げようとした。背中越しにクリフの体を地面にたたせようとしたのだ。

 どんな形であれ地面に引き倒してしまえば、筋力きんりょくまさり体重が重いジュリアンが優位ゆういをとれる。そのまま腕の一本でも折ってしまえばいいと考えたのだ。


 しかし――裏を返すと、このときジュリアンはクリフの腕の一本でも頂戴ちょうだいしておかねばならぬと感じさせる何かを感じ取っていたということでもある。


「クリフさん、前に回って!」


 ジュリアンの戦法の変更をさとったのだろう、敏腕氏が助け船を出す。

 しかしその忠告は必要なかった。

 クリフはそれよりずっと早くにんでいた。

 軽業師かるわざしのように前方に宙返りをして、ジュリアンの腕の拘束こうそくを抜け出して地面に降り立つ。

 クリフのき手にはどこから取り出したのか、ナイフが握られていた。どうやら咄嗟とっさに掴まれたえりを切り裂いて脱出したようだ。

 そして、すかさず手にしたナイフを投げつけた。

 それをジュリアンが叩き落とす合間あいまに、落とした剣を拾い上げる。

 次は構えなかった。

 剣をゆったりと右手にたずさえたまま、何度か手の中でくるりと回す。

 切っ先が大気をかきまぜていく。

 それから再び地面をって、ジュリアンとの距離を一気にめた。

 クリフの様子は、これまでとは何かが違っていた。

 いや、が。


「ようやく本気を出したか!」


 ジュリアンも嬉々ききとして剣を構え直した。

 これでようやく本当の戦いがはじまると思ったその瞬間、クリフは剣を乱暴に振り回して放り投げた。

 その手を離れた剣は回転しながら野次馬の頭上を横切り、ギルドの軒下のきしたに突き刺さる。

 武器を捨てて身軽になったクリフはジュリアンの間合いに飛び込むと、股間こかんに向けて前蹴りを放った。


「むっ!?」


 ジュリアンはたまらず柄から片手を離し、手のひらで蹴りを受け――止める直前に、蹴り上げたつま先の向きが地面に変わった。

 金的蹴りはだ。

 クリフは蹴りを放ったときの姿勢しせいのまま、体全体が後ろに倒れた状態で上体をひねり、反対の足をムチのようにしならせてジュリアンの下顎したあごをねらう。

 ジュリアンは剣から意識を離し、その蹴りを受け止めるしかない。

 さらに続けざまに鋭い上段蹴りがされる。

 クリフは動きを止めない。

 体をひねらせて回転し、マントのがねを外した。

 汚れた布切れがジュリアンの顔におそいかかる。

 視界を奪われ、あわててマントを振り払ったそのとき、彼の足下にクリフの姿はなかった。

 見えるのは広場を取り囲む野次馬たちだけだ。


「上だ!」


 野次馬のひとりがさけんだ。


 反射的に視線を上にねさせた。

 そこには軽々かるがると飛び越え、柱に刺さった自分の剣を回収するクリフの姿があった。


 剣を引き抜く反動を利用して、鋭く、予測の難しい斬撃ざんげきが放たれる。


 かろうじてそれを受け止めたジュリアンの剣との間に激しい火花が散った。

 意表いひょうを突く動きだが、ジュリアンも負けてはいない。

 十分に体重の乗った激しい斬撃ざんげきをくりだしてクリフを間合いの外に追いやろうとする。しかし、クリフは妙な足さばきで肉薄にくはくして、決して距離をあけようとはしない。

 ジュリアンの剣はクリフのものよりも重たくて長い。魔物の強靭きょうじんな肉や骨をち切るための武器だ。

 が、超至近距離ちょうしきんきょりにいる相手には、振り下ろしやぎ払いといった大振りな動きができず、力ががれるのをわかっているのだ。

 クリフはタイミングをはかって剣を地面に叩きつけた。

 切っ先がちょうど石畳いしだたみ途切とぎれた砂地すなじの部分をけずり、土埃つちぼこりを巻き上げてジュリアンの視界をうばう。

 ジュリアンがほこりを手で払うあいだ、クリフの姿が消えた。

 視界が戻ると、クリフはジュリアンに背中を向けていた。

 二人の間に距離はなく、互いの体の熱が感じ取れるほどだ。

 クリフの剣は、ジュリアンの左足のこうに突きつけられていた。

 ほんの少し力をかければ、切っ先が革靴を切り裂いて、足は使い物にならなくなるだろう。

 クリフは剣を頭上に持ち上げる。

 飛燕ひえんのようにひらめいた銀色の刃が、頭上にあるジュリアンの首筋くびすじをそっとでて、皮一枚分だけを切り裂いていった。


 ジュリアンからは、このときのクリフの表情はしはかるしかない。

 しかしもしも本気だったら、彼の首は胴体どうたいに別れの挨拶あいさつを告げていたところである。


 ジュリアンは負けをさとり、知らず知らずのうちに止めていた息を吐いた。

 その背中がギルドの石壁に当たる。

 気がつかないうちに退路たいろのないところへと追い込まれていたのである。

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