第37話 愛の試練・下
ラトは小屋の周りで見聞きしたことをレガリアの力で再現してみせた。
狩猟小屋の裏口の周辺が大きく
イライジャたちの証言通り、窓が割られていた。
彼女はほかの患者たちと自分の生活空間を分けていたので、そこはちょうどキルフェが寝起きしていた部屋の窓にあたるところだった。
小屋の裏口には、患者の汚れた衣服などを焼くことができる小さな
彼女が
窓の下には男の靴の
謎の襲撃者は
「森の中でひとつ気になることがあった」
レガリアが緑色の植物の
葉は
「ムラサキツルイモという
「それは祖父が
クリフは吐き捨てるように言った。
イエルクは生前、戦という暴力だけでなく毒の恐ろしさを隠し持つことで砦の支配者として振舞っていた。その恐怖は敵だけでなく息子オスヴィンまでもを押しつぶしてしまったほどだ。
「注意したほうがいい。
ラトが画像を拡大する。
たしかに、つるの一部が切り取られて
「もしかすると竜人公爵に手紙が送られたことと、キルフェが刺されたことは何か関係しているんじゃないか?」
クリフが
*
キルフェは傷が原因の高熱を発したが、翌日には下がった。
それが
なんと、彼女は
あまりにも意志がかたく、止めようがなかったのだ。
ラトとクリフ、そして三人の老人と、みずから
その間にペリドット家からの返信が砦に届けられた。
ペリドット家の
「パパ卿が直接、
ラトとクリフは森の中に
キルフェはまだ
何度目をこすっても、今のクリフのそばにいるのは、
「ラト、頼むから、フリだって言ってくれ。今まで何か考えがあるんだって黙って見ていたが、これはひど
「どうしてそう思うんだい?」
「俺たちは竜人公爵の使いでここに来ただけだ。暗号文の意味を
「わけがわからなくなんてない。これが
「いいや、わけがわからない。何度も言うようだが、どうしてそれが竜人公爵の暗号に
「じゃあ告白するけれど、彼女との婚約は竜人公爵の依頼とは関係ない。だが、他ならない僕自身の意志でキルフェ嬢との結婚を望んでいるのは確かだ」
ラトはすんなりと認め、
「まさか、お前もキルフェを本気で愛しているなんて言い出すんじゃないだろうな」
「愛は――とくに男女の愛情というものは、僕には理解できない。たとえば、僕はパパ卿のことを親しい
あの日、とラトは言った。
「キルフェ嬢が刺された日、僕はオスヴィンを部屋から引き出すためにちょっとした入れ知恵をしたんだ。キルフェ嬢との婚約をお決めになるのは家長の貴方です。ですが、エセルバードはそれでは納得しないでしょう…………ってね」
子爵はキルフェのことを愛していると言った。
愛ほど難解で理解不能な
より良い条件を求めるオスヴィンはその対応に頭を
「だったら、キルフェ嬢本人に決めさせればいいと言ってやったんだよ。僕か、エセルバードかをね。エセルバードが真実の意味でキルフェを愛しているんだとしたら、彼はキルフェ嬢の意見を
その後の展開は父親の性格というものをいやというほど
エセルバードは本当にキルフェのことを愛しているかもしれないが、オスヴィンは単なる
オスヴィンがひそかに小屋に行ったのは、キルフェに、婚約者としてラトを選ぶよう
キルフェが自ら選んだのだと言えばキルフェ嬢を愛しているエセルバードは引き下がる。
オスヴィンも家長としての
しかしオスヴィンのたくらみが成功するよりもはやく、誰か知らない第三者がキルフェを刺し殺そうとした。
「父親を利用した僕が言うべきじゃないかもしれない。だが言うよ。クリフ君、ほかならない君のために言うんだ。彼女はここにいてはいけない。僕は愛情がわからない奴だけど、彼女を必ず幸せにすると誓うよ」
「決めるのはキルフェ自身だ」
そう答えると、何故かラトは傷ついたような顔をした。
クリフの言葉がナイフになって、今まさにラトを切り裂いたのだと言わんばかりの顔つきだ。
満点の解答ではないと自分でもわかっている。
それでもクリフは何と言えばいいのかわからなかった。
エセルバードも、ラトも、それぞれ方向性は違うもののキルフェの身を案じていることには変わりない。
しかしクリフだけが態度を決めかねている。
まるで十四歳のあのときのままだ。
どうか無事でいて、というその声だけを胸に
*
証拠もなく、ラトの観察眼をもってしてもキルフェを襲った者の犯人はわからないままだった。
そしてエセルバードとラトの仲は決定的なまでに
おそらく、あの夜オスヴィンがなぜ狩猟小屋に行ったのか、彼にもおおよその
オスヴィンは、ラトとラメル婦人がキルフェの
けれどもこの対立は思いがけない形で
夕食時に、キルフェが館に現れたのである。
彼女は
銀色の
おしろいを
「ラト様。お兄様。どうか一緒にいらしてください」
彼女はそう言ってラトとクリフ、そしてラメル婦人を呼び出し、食堂にいたオスヴィンやエセルバードたちの元に連れて行った。
室内に入ってきたキルフェの姿をみて、オスヴィンやエセルバードは席を立った。
もちろんオスヴィンは病への恐怖から、エセルバードは紳士の
クリフは妹が何をしようとしているのか、
「お父様、お兄様方、キャストライト子爵様。こうしてお
キルフェはそう言ってラトに謎めく
こんなにも強い光をはなっているのに、だれにも本心を決してのぞかせない瞳だった。
「いまさらこうして小屋から出て
ラトはひとりの紳士として、彼女の眼差しを受け止めている。
「ご存知の通り、わたしは
エセルバードが緊張のあまり、つばを飲み込むのが遠くからでも見てとれた。
この場にいるだれもが、神秘的な美しさを放つキルフェの
「しかし――イエルクおじい様は
「ですから、わたしの
彼女は食事のテーブルに手を
「お
あまりのことに誰もが
イエルクの血は、血の
彼女は杯から一口、ワインを飲むと、その器を差し出した。
まずはエセルバードへ。
エセルバードはためらうことなく一歩進み出て――――。しかし、二歩目を
瞳がどうしようもない
彼は目の前の女性を確かに愛しているが、しかしそれ以外にも引き受けねばならない
キルフェは彼の
そして、ラトのほうを振り向いた。
振り向いた先に既にラトの手が待ち構えていた。
ラトの手のひらが器ごとキルフェの手のひらを
「レディ・キルフェ。
ラトは何のためらいもなく器を受け取る。
残りのワインを飲み
キルフェは苦しげに体を二つ折りにし、唇から血の混じった
その体が、彼女の意志から離れて激しく
「ムラサキツルイモの毒だ!」
ラトが
クリフもはっと我にかえる。
「誰か、ほかにワインを飲んでないか!?」
オスヴィンやイライジャが青ざめた顔で首を横に振るのがみえた。
いつ仕込まれたのかわからないが、
「誰も食卓に近づくんじゃないぞ! 何に毒が仕込まれてるかわからない!」
「クリフくん――。おそらく、器だ」
銀色の杯の、キルフェの唇が触れたあたりが黒ずんでいる。
誰かが、杯に毒を
「いったい、誰が?」
キルフェの
「君か、エセルバード!? 彼女が自分との婚約を
エセルバードは戸惑い、うろたえ、慌てふためいた。
「わっ、私じゃない……! ちがうんだ、信じてくれ!」
キルフェがいっそう苦しんだ。
「クリフくん水だ。いますぐ毒を吐かせなけりゃならない。水を用意してくれ!」
「ぼっちゃん、これをお使いなせえ、いましがた井戸から
三人の老人のひとり、チビが
老兵の姿を視界に入れれば、いやでも思い出してしまう。
イエルクは戦の際、毒を使うことを
イエルクは王国に寝返っても
そして、その残酷さが息子オスヴィンの心を歪んだものにした。
クリフにもその血が流れている。竜人公爵にいたぶられている仲間を
クリフは木桶の中に手を差し入れ、水をすくい、自分の口元に運んだ。
キルフェ・アンダリュサイトの夫は、
――――このワインを共に飲みほしてくださる方です。
冷たい
どうか
どうか、ここからふたり、遠く離れたとしても無事で……。
別れた時、クリフも同じことを願った。
その願いはいまも変わらない。
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