第36話 愛の試練・上
ラト・ペリドットはたちまちオスヴィンと
あたりまえの
キャストライト子爵とちがい、何の責任も持たないラトは
ラトが自分を
ささやかながら夕食には肉が出て、ワインも振る舞われた。
調子に乗ったオスヴィンのことを良く思わないのはキャストライト子爵である。
オスヴィンは明らかに子爵こそが正式な婚約者であることを忘れかけていた。それどころかラトとキルフェの婚約の邪魔者だとさえ考えていたことだろう。
しかしそのおかげでラトはまるで
どこに行って何をしていてもお
普通なら、砦の内部をどこの馬の骨とも知れない奴に歩かせるのは大問題だが、誰もその危険性に気がついていなかった。
そしてオスヴィンたちが完全に
すなわち、
ラトはラメル婦人やイライジャやエメリーを順番に
やや
キルフェは相変わらず小屋で病人たちの世話をしている。
オスヴィンはというと日中のほとんどを仕事部屋に
そこでラトが
もちろん、砦に火を放つのはクリフが拒否した。
よってラトにできたのは、昼間のうちに
彼はしばらく話し込んだあと何でもないような顔をして、滞在中の部屋として割り当てられた客室に帰って来た。
「どうだった?」
「今夜、オスヴィンは部屋を
「なぜだ?」
クリフの言う何故だ、という言葉は、あれほどエセルバードを警戒していたオスヴィンが部屋を空けるということと、ラトが直接キルフェ嬢と話すと言い出したことの両方についてだった。
ラトはじっとクリフを見つめた。ただ見つめただけではない。
お互いの瞳を覗き込み真正面から
「
「殴られたとしても、僕は彼女と話さなくちゃいけない。いちおうは求婚者なのだからね」
キルフェの小屋へと向かう途中、ラトは今夜、オスヴィンを部屋から誘い出す仕掛けについて話した。ラトはオスヴィンの部屋にいって、もしも婚約が成立したら、
実際には行われない
ただし、あくまでも口約束である。契約書にサインをするのはキャストライト子爵がキルフェのことを
そのかわりにラトが大きな
「どうしてオスヴィンが部屋を留守にするんだ?」
「それは開けてからのお楽しみのびっくり箱さ。それよりも気がついているかい? 僕らのうしろにいる
「キャストライト子爵だろう」
小屋の形が見えてきたところでラトはクリフに
「君もここらへんにしておいたほうがいい。僕は直接行って声をかけてくるけれど」
「病気が怖くないのか?」
「僕にはうつらない」
ラトは前髪や服装を正しながら、自信ありげに言った。
「リム病にかかったことがあるのか?」
リム病は恐ろしい流行病だが、一度かかった者は二度とかからないと言われている。
「まあ、そんなようなものだね」
ラトはそう言って、小屋に歩いていく。
ラトはキルフェを小屋の外に誘いだした。
風向きからして、会話は聞こえてこない。
クリフは二人の様子を離れた場所から見守った。
ラトなんか、三秒とたたずに女性を怒らせる天才だと思っていたが、案外うまくやっているらしい。クリフは数年ぶりにキルフェの笑顔をみることができた。
遠くからではあるが――それは
クリフは無意識に自分の髪を
何の
何故連れて行かなかったのだとエセルバードは問いかけたが、じつはクリフは砦を出ると決意したとき、キルフェを誘ったのだ。
この砦を抜け出して共に来てほしいと。
けれど、キルフェは首を
彼女は昔から頭がよく、クリフと共に行けば自分自身が
だからキルフェはクリフにささやかな
あのときは見捨てて行くしかできなかった。
でも、今ならどうだろうか。
キルフェの姿を見ると、いまだにそんな
ラトは彼女にクロスワードパズルを
「クリフ君、僕は彼女に
「
「いいや、これはちがう。真実の求婚だ。返事はまだだが、クリフ君、僕は彼女と結婚する。ペリドット家に使いを出して三日もすれば、パパ卿が
「冗談……だよな……?」
「冗談ではない」
以前にもラトは冗談で「クリフ君の妹と結婚する」などと
*
その夜、ラトが言ったことは真実になった。結婚のことではない。
オスヴィンが深夜になって外出したのである。窓からこそこそと息子二人を引き連れて小屋の方角へと歩いて行くのが見えた。
それを待ち構えていたラトとクリフは
オスヴィンのその部屋はイエルクが使っていた部屋でもあり、砦の他の場所よりも
部屋の奥の壁にはイエルクと、その奥方と
赤毛の
その
ラトは部屋をくまなく歩き回り、小窓の前に立ち止まり、その表面のざらつきを指で
「調べるなら早くしろ。オスヴィンはあれで案外、神経質な性格なんだ。何か
書簡をまとめて入れた引き出しを調べながらクリフが言う。
「
「
「それって誰のこと?」
封の開けられた手紙や書類の
「この便箋、裏に
「それがどうかしたか?」
「窓にも糊がついていた。この屋敷の掃除はいつ誰がしているの?」
「キルフェがしなけりゃ、誰もしないだろう。オスヴィンはノッポたちを
「クリフくん、
ラトはクリフにオスヴィンが書いた手紙と竜人公爵に送られた暗号文を並べてみせた。
確かに二つの手紙の字は似ている。
しかし、似すぎている。
「なんだって親父が、こんな手紙を竜人公爵に……。とうとう気でも
「いいや……。君のお父上は確かに
「黄変?」
「紙の
ラトは便箋を手に先程の
これが真昼であったなら、強い光が紙を
二枚の紙を重ねたままランプの光にかざすと、その字がぴったりと
「筆跡から特定されるのを恐れた誰かが部屋に忍びこみ、字を書き
「そうだ。しかも字を写し取るには、真昼の陽光が必要だ……。そうなると、手紙はこの館にいる誰かが書いた可能性が高い」
守りの薄い砦とはいえ、小さな砦にしのびこみ、誰にも見つからずに書き損じた便箋の文字をうつしとって出ていく……。そのようなことを
便箋を元にもどしたのは神経質なオスヴィンに
「ラト、もったいぶらずに教えてくれよ」
「何をだい?」
「いつもの具合なら、そろそろこの暗号文の意味がわかったとか言い出す
「暗号文の意味? ――残念ながら、それは僕にもわからないよ」
そう答えたラトの目は窓の外に動く人影を見つけた。
それは
ただならない雰囲気を感じ取り、クリフとラトは急いで
「ぼっちゃん! キルフェお嬢様が倒れた!」
ノッポが
森には館の住人が
狩猟小屋に続く小道の途中にみんな立ち
「僕が行く。心配ない、僕には医学の知識がある」
ラトは小屋への道を駆け降りていく。
そのあとから、チビとノッポが
「かなり深く
「わ、私の館に病のもとを入れるつもりか!?」
震え声を発したオスヴィンに
クリフだったら、
エセルバードは真剣な声音で、噛んで
「彼女を
もしも
竜人公爵を待つまでもなく、ただちにこの砦を
事態は急を要していた。
オスヴィンはようやく使用人小屋なら使ってもよいと許可を出し、ラトはキルフェを運びこんで一晩中出てこなかった。そばにはラメル婦人も付き
他の者たちは食堂に集まり、まんじりともせずに
「お前のせいだぞ、クリフ。お前があのような者を連れてきたから、こんなことになったのだ」
オスヴィンはそう言ってクリフを
オスヴィンはキルフェを失うことを恐れている。だが、それは義理の父親としての愛ゆえではない。キルフェがいなくなればエセルバードはもちろん、ペリドット家との婚約話も解消されてしまう。そうなれば砦の暮らしが立ち行かないからだ。
義理の娘の身の心配もできないとは、悲しいまでの
そして夜が明けてラトが戻ってきた頃あいには、段々と小屋で何が起きたのかが明らかになってきた。
深夜、オスヴィンとイライジャ、そしてエメリーは小屋に向かった。
夜の森の中をこわごわ歩いて行くと、イライジャが見知らぬ黒いマントの人影を進行方向に見かけた。
三人がこっそりと後をつけていくと、人影は小屋の裏手へと回り、ふいに姿が見えなくなった。その後、窓が
遠くからキルフェに呼び掛けると、小屋の戸口に真っ青な顔をした彼女が現れた。
そのときすでにキルフェは腹部を刺されており、彼女は助けを求めるように小屋の前へと
「キルフェ嬢の
ラトはまるで一流の医者のように振舞った。
その報告を聞き、全員がほっと胸をなでおろす。
「はじめてお前と一緒にいてよかったと思ったよ。死体専門じゃなかったんだな」
「死体も生者も傷の
ラトの問いにイライジャとエメリーが気まずそうに顔を見合わせる。
彼らはキルフェが血を流した
それはオスヴィンも同じことで、しかし息子たちと違って
ラトは
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