名探偵ラト・クリスタルの追放

第35話 キルフェ嬢の結婚

「この砦（とりで）は非常に興味深い人物であふれているようだ」

　ラトはしみじみとした口調であった。

　クリフとしては、皮肉（ひにく）のひとつも言いたくなる。

「名探偵揃いのお前のところとちがって粗末（そまつ）な出来（でき）の親兄弟で悪かったな」

　キルフェのことを除（のぞ）けば、クリフは砦に置き去りにしてきたものに何（なん）ら未練（みれん）はなかった。現実逃避ばかりで愚（おろ）かな父親、そんなにもこの斜陽（しゃよう）の砦がほしいのか、父親に迎合（げいごう）してばかりいる上の兄ふたり。イエルクの置き土産（みやげ）である三人のじいさんども……。竜人公爵がいまだにイエルクの仕打ちを恨（うら）みに思っているのなら、ひと息に潰（つぶ）してもらって全く構わない。

　しかし砦にはなんの罪もないキルフェがいる。だから無下（むげ）にもできない、というのがクリフの悩（なや）みの種となっていた。

「頭の出来はともかくとして、君の家族は十分、奇妙（きみょう）で興味が湧（わ）くよ。たとえば、ラメル婦人の存在だ。彼女はずっとこの砦にいるの？」

「いいや、俺は知らない。最近来た客分だと思う」

「キャストライト子爵の身内だろうか」

「それはないはずだ」

「だとしたら、彼女は僕に対して嘘をついた」

「嘘だって？」

「ああ。ご挨拶を、と僕が申し出たとき、彼女はすばらしく優雅（ゆうが）なしぐさで手の甲（こう）を差し出した。実に完璧（かんぺき）な宮廷マナーだ。アクセントに訛（なま）りもない。彼女はかなり位（くらい）の高い、きちんとした教育を受けられる家柄の出身のはずだ。そしてそれがキャストライト子爵でないなら、マルタ村の出身ということは考えにくい」

「考えすぎだ……と言いたいところだが、お前のその手の洞察力は確かだからな」

「君もわかってきたじゃないか、クリフ君。何故そんな嘘をついたのかを含めて、暗号文の謎に辿りつくには、まずは情報収集が必要だな。君が砦を去ってから何があったのかを正確に知る必要がある」

　クリフはまた深いため息を吐きだした。その手の情報を持っていそうな三人の人物に心当たりがあったからだ。

「それから、竜人公爵の元に届いた手紙にも語ってもらおうと思う」

「手紙に？」

「手紙に残されていたヒントは封蝋（ふうろう）だけじゃない。人の文字の書き方の癖（くせ）――これは変えようと思って変えられるものではないんだ。一度、砦の住人たちの筆跡（ひっせき）と暗号文を見比（みくら）べてみる必要があるだろう」

「うちの親父や兄弟にそんな手紙を竜人公爵に向けて出す度胸（どきょう）があるとは思えないけどな」

「しかし、ラメル婦人やエセルバードは別かもしれない。彼らが竜人公爵を怒（おこ）らせて何を得るかは謎だが、砦が滅（ほろ）んだところで懐（ふところ）の痛まない部外者であることは間違いない。それに、オスヴィンたちも容疑者（ようぎしゃ）から外（はず）すわけにはいかない。ああいう人物こそ、追い込まれると思いがけないことをしでかすものだ」

「わかった。どっちから行く？」

　「情報だ」とラトが答えたので、クリフはラトを城門脇にある使用人小屋へと連れていった。

　小屋にいたのは、もちろん畑で出会った胡乱（うろん）げな老人たち三人組である。

　三人の老人たちは実に優（すぐ）れた情報提供者であった。彼らは流石にイエルクの部下だっただけはあって、年の割に目端（めはし）がよく利（き）き、砦で起きた出来事を仔細（しさい）に覚えていた。

　たとえば、オスヴィンが王家から金を借りようとして、引き換（か）えに砦の周（まわ）りの堀（ほり）を埋（う）めることになり、結局その返済（へんさい）に困って子爵（ししゃく）の力を借りたことだとか、キルフェの婚約者であるエセルバードがいかに下種（げす）な男かについては、それについてのちょっとした専門書を出せるくらいの知識を有（ゆう）していた。

「エセルバードはキルフェ嬢ちゃんの前じゃ猫かぶってるが、ありゃ大した性悪（しょうわる）よ」

　とは、三老人のうちノッポの言である。

「金勘定（かねかんじょう）に関しては狡賢（ずるがしこ）いが、村の娘に何人も手をつけてて、隠し子もひとりやふたりじゃない。まあ、みんなまとめて養（やしな）うだけの甲斐性（かいしょう）はあるんだがなあ」

「汚い女遊びばっかしよるもんで、病気をもらってはげになったんじゃ」

　ヒゲがしみじみ言い、チビが「くくく」と笑う。

　キャストライト子爵については聞けば聞くほど、婚約者向きの男には思えなかった。しかし金策（きんさく）に悩（なや）むオスヴィンとしては、子爵家から相応（そうおう）の支度金（したくきん）と融資（ゆうし）を受け取れれば文句（もんく）はないのだろう。

　婚儀（こんぎ）は約束どおり、キルフェの成人を待って執（と）り行われる予定であった。

　それはクリフが砦を出て間もなくのことだった。

　しかし――二年ほど前、近隣の村々にリム病が流行しはじめ、結婚は先延（さきの）ばしになった。

　幾人（いくにん）かの患者が砦のそばに捨（す）てられたのを見たキルフェ嬢は、何を思ったか、病人を森の狩猟小屋に運んで手厚く看病しはじめたのである。

　リム病は南方で定期的に発生する恐ろしい流行病（はやりやまい）で、患うと高熱が出て全身に紫色の痣（あざ）が広がり、末期（まっき）になると皮膚（ひふ）が腐（くさ）り落ちる。治癒（ちゆ）しても広範囲に痣が残ることがあり、忌（い）み嫌われる病だった。

「旦那様やエセルバードはすっかりビビりあがっちまって、小屋のそばには近寄りもしませんや」

「それが子爵との婚約を延期させるためだとしたら、なかなかうまい手だね」

　ラトは本気で感心しているようだった。

　もしもキルフェが婚約を良く思わなかったとしても、養女で、家族の中でも立場の弱い彼女は家長に従（したが）うほかない。しかし奉仕活動という名目（めいもく）のもと恐ろしい病気を患う患者のそばで働いているとなれば、結婚式を先延ばしにしたとしても誰にも角（かど）が立たないのだ。

　だが、いつもふざけた態度の老人たちも、このときだけは真剣な顔つきだった。

「わしらもそう思っとったんですがねえ……。あんまり真剣に看病するもんで、キルフェお嬢様も病にかかりなさってな」

「いっときはもう駄目かと思われたんですが、奇跡的に回復なすったんで」

「今じゃ旦那様はキルフェお嬢様にも小屋で暮（く）らすよう命じなさって、必要なものはわしらが運んどります」

　ラトが視線を投げてくるが、これはクリフも初めて聞く話だった。

　砦を出てから、クリフは名前を変え、あちこちを転々（てんてん）としながら生きてきた。知らせようとしても手紙を届ける術（すべ）すらなかっただろう。そのことを考えるとクリフは暗い気持ちになった。

　三人はラメル婦人についても話してくれた。

　彼女はリム病にかかって一年前に家族の者に連れられて砦にやって来た。だが、実際は捨てられて、置き去りにされたものらしい。しかし病状が軽く、短期間で回復したため館で療養（りょうよう）を続けている。

　ラトの見立（みた）て通り、マルタ村出身だと言ったのはうそのようだった。

　さすがのオスヴィンも、そのことに気がついてはいる。

　だが、今のところオスヴィンは、このあやしいラメル婦人の正体についてせんさくする気はなさそうだ。彼は回復したラメル婦人の家族が感謝し、幾（いく）ばくかの謝礼（しゃれい）を渡しにやって来ることだけを望んでいるのだ。

「話をしてくれてありがとう。これは僕からの気持ちだ」

　ラトはコインを指で弾（はじ）いた。

　三老人が我も我もと手を挙げる。

　コインが三つ天井に舞い、それぞれ順番にノッポ、ヒゲ、チビが取っていった。

「きしし、毎度（まいど）！」

　情報収集を終えたラトとクリフが小屋の外に出ると、今度はキャストライト子爵が待ち構えていた。

　どうやら、小屋の中の会話が聞こえていたらしく、子爵の顔は真っ赤に腫（は）れあがっていた。

「ご歓談（かんだん）の邪魔をしたようですな！」

「ええ、ちょうど貴公（きこう）の噂話に興じていたところですよ」

　聞き耳を立てられていたことなどちっとも意に介さない様子で、ラトはニヤニヤ笑っていた。

　クリフはその様子をうかがいながら、内心ヒヤヒヤしていた。

　今のラトはラト・ペリドットで、他人の許嫁（いいなずけ）を横から搔（か）っ攫（さら）おうとしているのである。

　子爵が冷静でなかったら、決闘を挑（いど）んできてもおかしくはない状況だ。

「オスヴィン殿が貴殿（きでん）に目通りしたいとのことだ。個人的に。いかがですかな、ペリドット卿」

「願ってもないことです。すぐにお伺（うかが）いしましょう。では失礼」

「待ちたまえ！」

　やはり決闘かとクリフは思った。仮にそうなったとして、どちらに味方すればいいかクリフは迷った。キャストライト子爵がラトを亡（な）き者にしてくれるなら願ってもないことだが、どうも子爵に分（ぶ）が悪いような気がする。

　しかしラトが振り返ると子爵は「貴殿ではない」と断った。

　それから、クリフに向き合って言った。

「キルフェ殿の兄君（あにぎみ）である君に言っておきたいことがある」

「俺に？」

「さきほど、あのジジイどもがわたしの噂をあることないこと好き勝手にしていたようだが――……」

「噂なのか？」とクリフは冷（つめ）たい声で答えた。

「あながち嘘とはいえない」と、苦い顔つきで子爵は言った。「しかし、キルフェ嬢への気持ちは真剣なものだと誓（ちか）おう。私は彼女を愛している。彼女を守るためならなんだってする。彼女が真実、私を避（さ）けるためでなく、病人を救いたいという気持ちで狩猟小屋にいるのなら、専用の病院を建（た）てて医師を雇い、無償で人々に奉仕する覚悟もある」

「だが、女遊びはするし、金のために小汚い真似もする。それがお前なんだろ」

「そうだ。それはやめられない。わたしはそういう病気なんだ。リム病の患者がみずからの意志で病から逃れられぬように、わたしも金がある限（かぎ）り、浅（あさ）ましい己自身（おのれじしん）からは離れられぬ」

　キャストライト子爵は苦しげに言った。こうしてわざわざ兄であるクリフに筋（すじ）を通そうというのは、存外に素直なところがある男であった。

　素直さの発露（はつろ）の方向性がちょっとおかしいが。

「だがな、この砦を見てみたまえよ、君。南方の蛮族（ばんぞく）が攻めてきたとて、イエルクの威光（いこう）はもはや彼女を守ってはくれない。三日ともたないで陥落（かんらく）することだろう。このようなところで一生、キルフェ嬢に土いじりをして人生を浪費（ろうひ）してもらいたくないのだ。わたしはわたしなりに彼女を救おうとしている」

「俺としても、妹がお前を選ぶというなら、反対はしない。話はそれだけか？」

「いや、まだある。そしてこれが本題だ。何故、彼女を連れて砦を出なかったのだ、クリフよ」

　このときクリフははっきりと動揺（どうよう）した。

　隠そうと努力はしたが、うまく隠せなかったのだ。

　砦を出たとき、クリフはまだ十四歳だった。父親からは疎（うと）まれ、兄弟には嫌われて、砦にいたのでは飼（か）い殺しもいいところだった。

　残していく妹のことは気がかりだったが、路銀（ろぎん）もろくになく、とても幼い妹を食べさせていくことなどできない。

「……金が無かった。何よりも、キルフェ自身がそれを望まなかったからだ」

　そう答えるクリフを、キャストライト子爵は鼻で笑った。

「彼女が望む望まないにかかわらず、私は彼女を幸せにするぞ。何度でも言わせてもらう。私は彼女を心から愛しているのだ」

　それまで黙って話を聞いていたラトはキャストライト子爵に近づくと、袖口（そでぐち）をまくって手首を露出（ろしゅつ）させ、脈（みゃく）を取った。

「何をする」

　振りほどこうとするが、上手くいかない。

　ラトがある種の体術に通じているのは知ってのとおりだ。

「この状態で質問に答えてくれるかな？　あなたはキルフェ嬢を愛している？」

「ああ、愛しているとも。なんなんだね君は！？」

　もう一度子爵が拳（こぶし）を振り上げると、ラトはぱっと離れた。

「どうも、結構です」

「妙なやつめ。いいかね、わたしは貴殿が滞在するのと同じ日数だけ、この館で目を光らせているからな！」

　子爵は捨（す）て台詞（ぜりふ）を吐（は）いて去っていった。

　その後ろ姿を見送ってからラトは呟いた。

「子爵のキルフェ嬢への気持ちは恐らく本物だ。嘘を示す兆候（ちょうこう）がなかった」

「だから脈拍を取ったのか？」

「そういうことだ」

　そして、ラトは呆（あき）れているクリフの手首を掴んだ。

「君がキルフェ嬢を置いて行ったのは、本当に彼女が望まなかったからなの？」

　クリフは嫌な顔をして、ラトの手を振り払った。