第19話 誰も知らない宝石


 クリフはカーネリアン夫人から話を聞いてすぐに、この件がラトの退屈たいくつまぎらわせるのに最適さいてきなものであることに気がついた。

 謎や事件を求める名探偵めいたんていというものの心情しんじょうは今一つ理解に苦しむが、ひまを持てあまして法的にも健康的にも危険にちた冒険に出られるくらいなら、素直に手慰てなぐさみの玩具おもちゃを与えておくのがいいだろう。

 朝いちばんにラトの部屋をたずねたクリフはいくらか得意げに、夫人から聞いたままを、やや脚色きゃくしょくを加えつつ語ってみせた。

 クリフはちらりちらりとラトの表情をうかがう。

 ラトは朝日のまぶしさに目をしかめながら、朝食にえられた紅茶に口をつけている。あまり寝てないのか、ぼんやりとした表情だが、それはまだ話の核心かくしんというものを語っていないからだろう。クリフはそう気を取り直して先を続ける。


「ルベライト夫妻の離婚争議りこんそうぎはもつれにもつれた。でも、結局は合わないふたりだったわけだからな。いつまでも不毛ふもう婚姻生活こんいんせいかつを続けていたって仕方がない。ふたりはお互い離婚に同意することになった。妻が同意書どういしょたずさえて夫の屋敷をたずねて行き、そこで事件が起きたんだ」


 事の起こりはこうだ。

 妻が訪ねていったとき、夫は見知らぬ商人たちと商談しょうだんをしている真っ最中だった。

 なんと、ルベライト氏はこのおよんで宝石商を自宅にまねいて趣味の鉱物収集にはげんでいたのだ。

 離婚りこんはすでに決まっていたことだが、妻からしてみると自分への当てつけのような気がしたことだろう。

 ルベライト夫妻は宝石商たちを置いて隣室りんしつへと移動した。そこで再び言い合いになり、あまりに激しくやり合うので、別室で待機たいきしていた宝石商ほうせきしょうたちが止めに入ったほどだったという。


「しかしまあ、こういう経緯けいいだったからこそ、別れるりがついたのかもしれないな。宝石商たちが見守る中、最後は二人ともが離婚同意書にサインした。そして奥方が帰宅きたくして、大騒ぎになった。――消えたんだよ。宝石が。跡形あとかたもなく」


 ひと騒動そうどうえて、宝石商たちが商談をしていた部屋にもどると、彼らが持ち込んだ素晴らしい宝石のひとつが影も形もなく姿を消していた。

 時間にしてほんの数分のことだ。


「どうだ、これは十分、お前が言うところの事件やなぞにふさわしい話ってものだろう?」


 自信満々じしんまんまんにふんぞり返るクリフとは対照的たいしょうてきに、ラトの返事はすずしげだ。


「どうだろう。いまのところ、それはたんなるくしものの話であって、なぞとは呼べないと思うけれどね。僕から言えることは、もう一度よく部屋の中を探すべきだということだけだね。棚の下とか……絨毯じゅうたんの下なんかをね……」

「そういうのは、もちろんルベライト家の人たちがさんざんやっているんだ。だけど、そもそも商談をしていた部屋は内側からかぎがかけられていて、現場にいたのは宝石商とルベライト夫妻だけだったんだよ」

「だったら、そのうちの誰かが宝石を持っているだろう」

「それが、誰も持っていなかったんだ。宝石が無くなっていることがわかったときに、全員で身体検査をしたんだそうだ。ルベライト夫人だって例外じゃない。服のポケットやかばんをあらためたが、何も出てこなかった」

「それで奥さんが再び腹を立てて、殺人事件が起きたとか?」

「そうはならなかった。なくなった宝石というのは大変貴重きちょうなもので、多額たがく慰謝料いしゃりょうを手にしたばかりの夫人も二の足を踏むほどの金額だったそうだから、むしろよろこんで身の潔白けっぱくを証明したんだ。もちろん屋敷の使用人たちも全員、はだかになった。宝石はまさに屋敷のどこからも消えたんだ。どうだ、不思議だろう?」


 ラトはソファから身を乗り出してたずねた。


「まだ肝心かんじんなことを訊いていないよ、クリフくん。その消えてしまった稀少な宝石というのは、いったいどんなものなんだい? サファイアか、エメラルドか……。それから、大きさもね。大切な要素だ」

「それが、その宝石にはまだ名前がないんだ。それも、この事件の謎めいた点のひとつだと言える」

「ほほう」

「宝石はとある鉱山で採掘さいくつされたばかりの全く新しい鉱物で、収集家であるルベライト氏も見たことがないようなものなんだそうだ。宝石商たちは原石げんせきを氏が購入するなら、命名権めいめいけんゆずってもいいとも言っていたらしい」

「馬の鼻先はなさきるされたニンジンというわけだ。それで、大きさは?」

「それほど大きくはない。片手におさまるほどだ」

「宝石が無くなったのはどれくらい前のことなんだい?」

「おとといのことだ」

「じゃあ、問題が起きてからすぐ、ルベライト夫人はカーネリアン夫人に泣きついてきたことになるね」


 クリフは少しばかりおどろいた。この話をカーネリアン夫人の元に持ち込んできたのは確かにルベライト夫人だったが、そのことをラトにはまだ話した覚えがなかったせいだ。

 ラトはこのことについてするど知見ちけんを披露してみせた。


「こんなことは驚くには値しないよ、クリフくん。君はこの事件についての概要を話すとき、いつもルベライト夫人の視点に立っていた。離婚の経緯けいいについてだって、夫人の心理を説明するときはかなり詳細に話していたが、反対に夫の側の言い分には全くと言っていいほど言及げんきゅうしなかった。これは、カーネリアン夫人が妻のほうに肩入れをして情報を取捨選択しゅしゃせんたくしたせいにちがいない」

「ああ、そのとおりだ。というのも、昨日カーネリアン夫人のところにとうのルベライト夫人がやってきたっていうんだ。なんでも宝石商がくなった石の代金を夫人に支払うように言ってきたらしくてな。支払わなければ、移動裁判所にもうし立てると言っている」

「全くもって災難さいなんな話だね。しかし、納得なっとくのいかない筋書きでもある。彼女は宝石が無くなったとき、身体検査しんたいけんさおうじて身の潔白けっぱくを証明したんだろう? それに宝石をぬすんだのは夫かもしれないし、宝石商たちが詐欺さぎを働いたという可能性だってある」

「二人が離婚届にサインしたあとの行動が問題なんだ。まず、離婚同意書にサインした執務室から一番に出ていったのは奥方だった。宝石商と交渉していた客間きゃくまとは二間続ふたまつづきで、廊下に出るためには必ず宝石のあった部屋を通らなければならない。夫と宝石商が執務室から出てくるまで、時間にしてほんの三分間ほど、奥方の行動は誰にも見られていないことになるんだ」


 元妻は宝石など見ていない、知らないと主張しているが、離婚して他人になってしまった夫がその言葉を信用するはずがない。現実として宝石は影も形もなく消えてしまったわけで、持ち去った可能性があるなら、それは夫人しかないだろう、というのが宝石商の主張だ。

 ルベライト夫人の戸惑とまどいと混乱は想像にかたくない。

 このままでは宝石泥棒ほうせきどろぼううたがいをかけられた上に、子どもたちとらしていくための賠償金ばいしょうきんまで奪われてしまうのだ。


「彼女は指一本、宝石にれていないと主張しているんだね?」


 ラトは確認した。


「ああ。本人はそう言っている。さあ、どうだ。これは立派ななぞだ。面白おもしろくなってきただろう。どうする、調査しに行くか?」

「調査って?」

「ほら、ミイラ事件のときみたいに、街を歩き回ってさ。事件を解決するために、あれこれしたらどうだ」


 クリフがそう言うと、ラトは笑い声を立てた。


「君の魂胆こんたんはわかったよ」


 ラトはおかしげに肩をらしながら、そう言った。


「でもね、この事件を解決するためには、僕はやしきから一歩も出なくても構わないんだよ。君が夫人にいくらか伝言でんごんをして、メイドにちょっとばかり買い物をたのめば、事件はすぐ解決するだろう」

「なんだって? この謎がもう解けたってのか?」

確信かくしんはないけれど、事件の解決にとっては確信なんてものが必ずしも重要な役割を果たさないということはままあることだ。まあ、手法によるね。僕はそのあたりの手段は取り立てて選ばないことにしているよ」


 そう言って、ラトは目をつむった。もう事件への興味を失ったらしい。

 クリフは何もわからないまま、ラトに命じられたとおり、カーネリアン夫人に伝言を伝えに行った。

 ラトはカーネリアン夫人を通じて、新聞にこのような広告を打った。


『ルベライト卿へ宝石を売ろうとした宝石商の方へ。賠償金ばいしょうきんをお支払いすることはできませんが、しかし元夫へのつぐないのために、同じ品物を購入し、彼におくりたいと願っています。商談しょうだんにはグレナ・カーネリアンが立ち会って下さいます。ぜひ連絡されたし』


 カーネリアン邸に宝石商から連絡があったのは、広告が掲載けいさいされてからさらに三日後のことだった。

 その間、ラトは部屋にこもり、何やら工作をしている様子だった。

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