第10話 女装趣味・下



 いったい何故、ラト・クリスタルが女もののドレスをまとってここにいるかということをかたるには、何故、クリフ・アキシナイトが牢屋ろうやれられたのかについてはなさなければならない。


 クリフはガルドルフ邸第三階層にて女性冒険者のミイラを発見はっけんしたあと、適切てきせつな手続きを取って女性を蘇生そせいさせた。


 もちろん蘇生させたのはクリフではない。

 《掃除》に随伴ずいはんしていた司祭しさいである。


 ちなみに迷宮内でくなった冒険者の蘇生は高額こうがくだが、事後払じごばらいも可能であるため、蘇生可能な遺体いたいはとりあえずは蘇生となるのが慣例かんれいだ。


 とはいえ、女性ミイラの死に方は少々不審ふしんな点がみられた。


 まずは、死因しいんだ。

 遺体には後頭部こうとうぶ打撲痕だぼくこんがあり、これが致命傷ちめいしょうとみられたが、魔物にやられたにしてはそのほかの部分が綺麗きれい。魔物とあらそっての死ならば、ほかにも怪我けががあってもおかしくない。むしろ無いほうがめずらしい。

 何より彼女の武器はさやに入ったままだった。


 息をかえした女性は、死から生へと急激きゅうげきに引きもどされた混乱こんらんで取りみだした後、周囲をおびえたようすで見回した。


「何があったんだ?」


 そう訊ねられた女性は、やや朦朧もうろうとしながら記憶をさぐっているようだった。


 水を飲まされて、ゆっくりと覚醒かくせいしていくのがわかる。


「だ、誰かに後ろから……」


 彼女はあえぐような口調くちょうでそう言った。


なぐられたのか? 犯人を見たのか?」

「ええ、たおれるまえに……」

「いったい、誰に?」


 女性は戸惑とまどったようすを見せたあと、何故か。

 本当に理解りかいがたいことなのだが、クリフをゆびさしたのだった。


 こうしてギルド職員は大した考えもなくクリフを牢屋に入れた。


 通常の犯罪行為はんざいこういとちがい、迷宮内での事件事故は被害者自身の証言しょうげんというものがある。

 さりとて覚醒直後かくせいちょくごの女の言うことに信憑性しんびょうせいも何もあったものではないが、クリフがクジ引きで選ばれた仲間を信頼しないように、魔物をたおして一獲千金いっかくせんきんをねらうようなやから世間せけんの者は信じない。


 こうして、クリフは苦肉くにくさくとしてラト・クリスタルを呼び出すことになった。


 もちろん実際にすくいの手を求めたのは、この街の権力者けんりょくしゃであるカーネリアン夫人だ。迷宮街に来てまだ日があさいクリフにはほかたよれそうな知り合いがいなかった。


 すると、カーネリアン夫人ではなく、何故だかラト・クリスタルがドレスを着て現れたというわけだ。


 クリフはたまらずにたずねた。


「その格好かっこうはいったいどうしたさわぎなんだ?」

「カーネリアン夫人ふじんが用意してくれたんだ。夫人がわかかりし頃にていたドレスだそうだよ。どうだい、似合にあっているでしょう」


 何度目をこすってみても、白と薄水色を基調きちょうとしたはなやかなドレスは目の前から消え去ってくれない。


 造花ぞうかと白いふさふさの羽飾はねかざりがついた帽子ぼうしもだ。


 確かに小柄こがら中性的ちゅうせいてきなラトは、それらのアイテムをよく着こなしていた。

 だが、それ自体じたいが問題そのものだった。


「そうじゃない……、聞きたいのは、それをどうしてお前さんが着てるんだってことだよ。本気でお前、ときどき話がつうじなくなるのなんでなんだよ」

「なあに? 僕がドレスを着てちゃいけないの?」


 さも、それが当然とうぜんなのだと言われると、間違っているのは自分なのではないかという気がしてくるものだ。

 クリフはおそるおそるかえした。


「おまえ、もしかして女だったのか?」

「女でなければドレスを着てはいけないの?」

「当たり前だろ……?」


 あまりのおそろしさに、問い返す声がふるえていた。

 ラトはそんなクリフのことをはなわらってみせた。


「男はドレスを着ちゃいけない。なるほど、じつに馬鹿馬鹿ばかばかしいね、そんな法律があるわけでもなし」

常識じょうしきだ」

「君は常識ってものに親でも殺されたの?」

世間せけんってやつがあるだろ……」

「それが毎晩耳元で手を叩き、大声を上げて安らかなねむりを妨害ぼうがいしてくるとか? ほんと馬鹿馬鹿しいったらないね。世間も常識も、何もしやしない、かわいいものさ。大体ね、君が言ったんだよ。うわさが街で広がってるから変装へんそうしていって」

「そりゃあ言ったけど、女装じょそうしろとは言ってない」

「女装だって? 僕の服の下なんか見たことないくせに」


 クリフは今度こそ、言葉の迷路めいろに起き去りにされた。

 いったい何が正しいのか、間違っているのか、何が善で悪なのか。それどころか前後左右ぜんごさゆうのちがいですらわかりそうにない。

 はっきりとわかるのは、ラトとかかわるとろくなことにならないと知っているのに、ラトを呼び出すしかなかった自分のふがいなさだけだ。


「……とりあえずここから出してくれないか」

「いいだろう。誰かこいつをろうから出してくれ! 人殺しなんてできるようなタマじゃない。ひらひらのドレスにびびっちまう腑抜ふぬけなんだぞ!」


 ラトは笑いながらたたき、大声を上げた。

 イヤガラセである。


「おい、やめろ!」


 クリフがさけぶと、ラトはぴたりと声を上げるのをやめた。


「とはいえ」


 と、ラトは急にむずかしい顔つきになって言った。


「本当の意味で君を解放かいほうするには、魔法のつえをもう一振ひとふりするしかないかもしれないね」


 不吉ふきつすぎる預言よげんであった。





 冒険者ギルドの受付カウンターには、いつも小柄こがら可憐かれんな少女がすわっている。


 ある者は彼女のことをスミレにたとえる。

 またある者は、その声音こわねがすずらんのようにあいらしいと言う。


 しかしラト・クリスタルが近づいてくるのをみると、いつも彼女は「ひっ」と声を上げてギルドのおくえてしまう。


 何故なのかは誰にもわからない。


 かわりに受付に入ったのは《敏腕びんわん》というそのものずばりの綽名あだなで呼ばれている青年せいねんだ。

 いつも笑顔えがお人当ひとあたりがよく、そのくせ何を考えているのかわからない。何かのおり激高げっこうした冒険者がカウンターを二つにたたったときでさえ、おだやかに微笑ほほえんでいたという逸話いつわの持ち主だ。

 クリフが牢屋から出られるように手続てつづきを取ってくれたのも彼だった。

 ラトはこの件の功労者こうろうしゃに対し、羽帽子はねぼうしいで挨拶あいさつする。


「やあ、敏腕くん。クリフくんを出してくれて感謝するよ」


 敏腕氏はいつも通りだ。

 しわひとつない臙脂色えんじいろのシャツにアームバンド、白いパンツという変わらぬちで、ラトのドレス姿にも、みじんも動揺どうようした様子ようすはない。

 眼鏡めがねのむこうのひとみはラトをすり抜けてクリフのほうをじっと見据みすえている。


 ラトとは違う意味いみで、何やら背筋せすじがぞっとするような眼差まなざしだ。


「おいラト、もう行こう。ぶじに牢屋ろうやからは出られたんだ。これ以上、面倒めんどうごとにかかわりたくない」


 クリフはラトにささやいた。

 平常通へいじょうどおりなのはラトと敏腕氏だけで、ギルドにつどったほかの冒険者たちはラトを見て声をひそめている。

 悪い噂をしているのだろう。


「おわかりかとは思いますけれど……」


 受付係の青年はゆったりとした声音こわねで言った。


「カーネリアン夫人たっての要望ようぼうを受けまして、冒険者ギルドはクリフ氏を釈放しゃくほうしました。ですが、衛兵隊えいへいたい見解けんかいはちがいますよ」

「…………いったいどういう意味だ?」

「あなたは依然いぜんとして殺人事件の容疑者ようぎしゃだということです」

「なんだって? ラトじゃなく、俺がか?」


 敏腕氏はうなずいた。


 当初とうしょ、クリフにかけられたうたがいそのものはすぐにれる……と思われた。


 ミイラとして発見された女性の身元みもとが、事件が起きてからほどなく判明はんめいしたからだ。


 彼女の名前はシネーラ。


 冒険者としての活動記録は二年前で停止ていししている。

 記録の上では最後に迷宮をおとずれたのが、二年前なのだ。

 彼女はそのとき殺害さつがいされたのだと思われる。

 つまり、最近アレキサンドーラにやってきたばかりのクリフにシネーラを殺すことは不可能だ。

 ただ、被害者自身が犯人としてクリフを指名したことの意味は大きい。


 死のふちからよみがえったシネーラがなぜ犯人としてクリフをしめしたのか。その理由はわからないままだ。


「衛兵隊からは、あなたを街の外に出すなと言われています。どなたか、あなたの不在ふざいを証明できる方はいらっしゃいますか」

「いるわけない。もう二年も前のことなんだぞ」

「それはこまりましたね。衛兵隊はギルドと違って怠惰たいだなので、こまかい事情じじょう斟酌しんしゃくしてはくれません」

「つまり、なんだ。要するに冒険者ギルドからは出られても、こんどは衛兵隊に逮捕たいほされるかもしれないってことか……?」

「はい。その通りです。それも殺人容疑さつじんようぎで」


 いささか馬鹿馬鹿しい考えではあるが、被害者の証言がある限り、《クリフが二年前にアレキサンドーラを訪れてシネーラを殺したかもしれない》といううたがいが消えないというわけだ。


 クリフはたじろいだ。


 まさか、こんなことになるとは思わなかったのだ。

 ラトの不吉な預言はみごとに的中てきちゅうした。


「ねえ、どうしてミイラの身元みもとがわかったの? もしかして、敏腕くんの顔見知りだったとか?」


 そのとき、ラトの場違ばちがいに明るい声が、憂鬱ゆううつな会話をってひびいた。

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