第2話 突き動かす何か
「本当によろしいんですか、草薙会長」
「もちろんです。七日間私が不在でも大丈夫なように準備を済んでいますし、この施設の管理体制も万全です」
とある施設の一室に、清水社長と二人でいる。
部屋の中には、人が一人だけ入れる大きさのカプセルと、そこに医療機器が繋がれているだけある。
私は入院服に着替えているが、社長はいつも通りスーツを着ている。
なぜ私たちがいかにも病人のような格好でホテルのような施設にいるのかというと、話は日大連代表が面会に来た一年前まで遡る。
*
「条件……ですか?」
「はい。私をこのバーチャル社会化計画(VSP)のテスターの一人として選んでほしいのです」
「——わかりました。ただし、参加するにあたりいくつか制限を出させていただきます」
しばらく鈴木さんは思考を巡らせていたようだが、向こうも私に対して条件を出すことで参加を認めてくれた。
鈴木さんから提示された条件は三つ。
どれも至ってシンプル。
一.テスターであることは公表しない。
二.ゲームの情報は収集しない。
三.実名ではなく、偽名で参加する。
別に飲めない条件ではないし、鈴木さんから言われなくてもそのつもりだった。
なので、私も条件を飲んで、この日常生活のすべてをバーチャル化するトンデモ計画に参加することが正式に決まったのである。
会社としてVSPをバックアップするということと。
そして、個人としてVSPに参加すること。
この二つを成立させるために、私はすぐさま動いた。
まずは、前者については計画書を元にして、どんな結果が得たいかを明確にすることから始めることに。
これは、提案者と開発者の両方の意見を参考にした。
得たい結果が定まらないと、どんなプログラムにしていけばいいのか方向性が固まらない。
(ただ、しっくりこないというか、違和感がある……なんだろう?)
おかしいことがあったわけではない。
むしろ、おかしいと思うことがない。
提案者である日大連の鈴木さんと、開発責任者である日本産業社の加納社長から別々にヒアリングしたわけだが——お互い望むことや考えていることが一緒だったのだ。
それ自体は調整する上でとても楽だけれど、提案者と開発者が別の場合双方の意見が食い違うことがよくある。
どの視点で物事を見ているかによって意見が変わるわけだから、当然と言えば当然な訳ですが。
(私には彼らの意向に従っていればいい。事業として成功させ、社会貢献できればいいのだから)
湧き上がる疑問を押し殺して、VSPのプログラム制作に取り掛かる。
まず、ただバーチャル世界を楽しむだけでは話にならないため、VSPの主旨を決めた。
一番結果としてわかりやすいのは、バーチャルでもパートナーシップが良好な構築できるかどうか。つまり、仮想結婚の状況をVSPの評価基準として定めた。
次に、パートナー探しについては、バーチャル内で探す案も検討したが、見つからない対象数が想定されるため、テスター内で事前に選出することとなる。
選出方法については、あらかじめテスターにアンケートを答えてもらい、回答結果に基づいてAIが自動選出。
選出アルゴリズムは開発元が極秘で構築することになったため、私もそれ以上の詳細については何も知らない。
実際に試験運用で使用するVR機は、日本産業社の次世代VR機<アクセス>。
フルダイブ技術に成功したと公式では発表しているものの、まだリリースされているわけではない。
つまり、テストユーザーはあくまで開発元の人間のみ。
試験運用以降にリリース予定なので、今回私が参加する段階ではある意味人体実験に近いだろう。
そして、今回は私がユーザーとして参加する手前、プログラムの詳細まで関われない。
あくまで枠組みまで。
となれば、私が会社の立場でできるのは本当にバックアップのみ。
まずは、VSP専用の医療機関の設立。
最新鋭医療機器を揃え、現実世界での七日間にわたる寝たきり生活を最大限サポートする体制を整える。
テスター同士の接触は無くすために、ホテルのようなシングルタイプの個室を用意することにした。
余談だが、VSPは日本だけではなく、世界中で同時に開催されることになったようだ。
時間差開催によって、万が一にもテストの内容がネットを通じて漏洩するのを防ぐ目的があるという話。
となると、施設を用意できる国は必然的に先進国となる。
つまり、世界の約八割が対応不可能であることが現状である。
もっともいきなり世界各国が参加できるような体制はまだない。
いくら我が社が世界有数の企業で、影響力があったとしても、そんな中他国の情勢を理解して対策を打ち出すにはあまりに時間がなさすぎる。
あくまで他国の情勢に関与する必要がなく、かつ、こちらがサポートするのは機器や場所や期間中のサポートだけで問題ないと判断された国については、日本で対応することになった。
日本と言っても、我が社に全部丸投げ。
物申したい気持ちは大きいが、これで各方面に貸しを作っておくことは会社にとって利益も大きい。
それに、世界全体で足並みを揃えようとすることは、世界平和にも繋がるかもしれない。
会社としても、VSPへの参画は意義あるものだという認識が強くなった。
(私が承諾してからこの話題を出してくるあたり、本当に食えない方だ)
その一方で、個人として準備することは会社絡みではあるが、とてもシンプルだった。
実務的には関わっていないため、私がやるべきことは業務フローの再構築だけ。
今までは私に各方面からの報告が集め、取りまとめた情報を社長に流すフロー。
私の業務をそのまま清水社長に委任するとなると、ある重大な懸念事項が生まれる。
なぜなら、清水社長は経営者としての手腕は卓越しているが、事務作業者としての手腕は壊滅的にNGなのだ。
営業出身の責任者でよくあることだが、俺は売り上げで会社に貢献しているから的な思考で有頂天になっていることが多々ある。
確かに売り上げには貢献しているかもしれないが、売り上げる前後のことを何も考えていないから、他部署との連携が正直な所ザルになってしまいがちである。
清水社長も今でこそ私と直接関わるようになってから連携の意識が出てきたが、最初の頃は独断専行が多くて、よく空回りしていた。
彼には苦手な事務作業を克服してほしいが、経営者として手腕を振るってもらったほうが会社としてメリットが大きいため、後継者探しは難航。
やるべきフローの見直しはシンプルなはずなのに、思った以上に簡単にはいかなかった。
結局半年間あれこれ試行錯誤した結果、私に提出してもらっている報告書をそのまま清水社長に報告してもらうことで話がついた。
理由は、私があれこれ報告書作りの指導を日頃から行なっているので、報告書としての精度は当初とは比べ物にならないくらい良くなっているから。
彼への負担はあまり変わらないと判断した結果だが、何度か試してみたところ問題なく運用できることがわかり、ひとまず最低限の懸念事項がなくなり、あとはVSPのバックアップ準備に全力を注ぐだけになったのである。
*
こうして期間内にできるだけの準備を整えた私は、本日から試験運用が開始されるVSPに参加するために、VSP専用に建築した施設にいるのである。
「ですが、VR技術はまだ未知な部分も多く——」
「ありがとう、清水君。もちろん私の身に万が一の事態が起きないとも限らない。それで、この書類を用意した」
「これは?」
「もし私が経営判断ができないような状態に陥った場合には、全権を君に一任するという誓約書です」
「会長!」
「わかっています、あくまで保険です」
珍しく冷静沈着な清水社長が声を荒立てた。
怒っているというよりも、私の身を心配してくれている様子が窺える。
「我が社がトップダウンでやってきたからには、誰かが私の代わりになる必要があります」
「それでも……やはり会長の代わりというのは、荷が重すぎます」
「すまない。ですが、会社の今後の方針を決定するには、どうしても私自身が参加する必要があるのです」
「……かしこまりました。ただし、一つだけご忠告が。テスターの中にはいわくつきの人間が多いと聞きます。十分ご注意ください」
清水社長は私の耳元に近づき、小声で忠告する。
「もちろんそのつもりです。では、会社のことはよろしくお願いします」
それだけ彼に伝えると私は用意されたカプセルの中に入り、VRを起動する準備を始める。
(パートナーキラーの三位凪沙、か)
テスター宛の最終通知書に書いてあった、自分のパートナーの名前を思い出す。
VSPへの個人としての参加を決めるきっかけになった人物。
その人物とバーチャル環境とはいえ、結婚した状態になるとは何の因果だろうか。
不安とはまた違う何かの感情が私の心を占めていくのを感じつつ、意識をしだいに手放していった。
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