chapter1. 欲求ってなんだろう?

第1話 変わらない日常

 6月初旬にもかかわらず、季節外れの猛暑によって暑苦しい時間が続く中、ある超高層ビル最上階はクーラーのおかげで快適な環境になっている。


 現在、世界各国に散らばっているグループ会社との定例会議の真っ最中。


 各社の動向について順次報告を受け、それぞれにテキパキと質疑応答を進める。

 限られた時間の中で、あれこれ意見を言い合うのは時間がかかるから、我が社では現状を把握できた会社に対して、トップダウンで情報を落とすようにしている。


「草薙会長、会議お疲れ様でした」


「お疲れ様、社長。今回スケジュールが遅れている会社は何社でしたか?」


「今回は103社のうち、9社でございます」


「そうですか、ようやく9割ですね。各国要人からの依頼である開発プロジェクトは、社会に大きく貢献できるまたとない機会です。そのことを、改めて各社への意識付けをお願いします」


「かしこまりました。それでは、失礼いたします」


 礼儀正しい清水社長が、速やかに退室していく。

 無駄に広い会長室に一人残った私は、部屋から一望できる都心を無心で眺める。

 都心にいながら、周囲には何も遮られるものがなく、眺めは抜群に良い。

 いわゆる絶景が目の前に広がっている。


 しかし、私の心はまったく揺れ動かない。

 景色に慣れたからという訳ではなく、最初からそうなのだ。


「本当に私はつまらない人間だな」


 呟きに対して、もちろん誰も答えてくれる人間は周りにはいなかった。



 私の名前は、草薙彰。


 34歳にして、世界でも有数の一流企業を束ねる会社——FateGate社の会長である。

 若輩者でなぜそんな地位までスピード出世できたのかというと、もちろん草薙家の威光が強い。

 草薙家の親族は歴代日本の首相を輩出している、政治家の家系。

 私の父が前首相ということもあり、話題性があった。

 しかも、父は世界大戦回避に尽力した立役者であり、緊急事態終息後に謎の死を遂げている——つまり、英雄的な存在だったため親の七光の効果は絶大だっただろう。


 そんな私が政治家の道には進まず、経営者の道を進んだのはその方が国家に縛られず社会貢献できると考えたからである。


 だからこそ、親の威光を借りながらも、幼い頃から必死に勉強して、小4の頃には会社を設立。

 あらゆる投資で資金を貯めつつ、将来有望な会社を買収していき、今では世界の名だたる企業100社以上を傘下に持つ化け物のような会社へと変貌を遂げている。

 会社として取り扱う案件は、すべてが国家間の重要プロジェクト。


 貧困に悩んでいる国への支援や、暮らしがより豊かになるための技術開発には惜しみなく出資している。


 そういった影響もあってか、昨年は世界の影響力ある経営者ランキングで一位を獲得し、国家に縛られず社会貢献するためには十分過ぎるくらいの地位や名誉・富を、30代で私は手に入れたのである。



 一方で、プライベートは何もない。

 娯楽を楽しむことも一切ない。

 もちろん友達と呼べる存在は一人もいない。

 相談できる相手もいなければ、頼りにしている相手もいない。

 縁談の話は腐るほどくるが、経営者として足枷になると思い、すべて断っている。


 草薙彰個人としての魅力はないに等しく、小さい頃からずっと孤独を貫いている。


 だが、それでいい。

 大義の前に、個人としての幸せは必要ないと思っているから。

 大義名分というやつだ。


 当然ながら、私には休日というものは存在せず、毎日会社に出勤して終日会議に参加している。

 実際、会長となった今となっては会社経営そのものは各社の社長に一任しており、あくまで社長の相談役としての立場に徹している。


 ということは、普段会う人間といえば、世界中の社長クラスか政治家たち。

 あとは、自宅から会社まで送り届けてくれる秘書くらいである。


 やっていることがいつも一緒で、何も変わらない日常生活。

 何一つ不自由はなく、欲しいと思ったものはすべて手に入れたはずだが、どこかまだ満たされていない感じもする毎日。


「いや、私は満たされている。だからこそ、社会貢献に専念できるのだ」


 満たされない感じがする度に、そう言って自分自身に喝を入れる。

 これも最近の日課になりつつある。


(——このままで私の人生は終わるのか?)


 それなのに、この訳のわからない不安感や焦燥感は、一体どこからくるのだろうか。




 プルルル


 思考を遮るかのように、内線が鳴った。


「はい」


「草薙会長、日大連代表の鈴木様が面会に来られています」


「わかった、通してくれ」


 電話を切ると、すぐに仕事モードに切り替わる。


 事前にアポはもらっていたが、わざわざ日大連のドン自ら来るとは――きっとまた厄介な案件だろう。

 日大連とは、日本大連合組合の略称で、陰で日本の経済界を牛耳っている組織である。当然、見かけ上日本のトップは首相であるが、お金を日大連に握られているので事実上政府は日大連の圧力には逆らえない構図が明治維新以降出来上がっている。

 唯一、日大連の意向に逆らって日本の舵を切ったのが父であるため、草薙家とは因縁の関係であるとも言える。


 とはいえ、国家のために何か役立つことができるのであれば、話を聴く価値はあるはずである。



 *


「――いかがでしょうか?」


「……なるほど。これまでにない規模での壮大なプロジェクトですね」


 今回の案件は、我が社が総力を上げて取り組んでいる案件の一つであるVR(仮想現実)ゲームに関連するものであった。


 受け取った資料の題目には『バーチャル社会化計画(VSP)』と書いてある。

 分厚い資料の内容をものすごくシンプルに言うと、最終的には日常生活のすべての活動をバーチャル化するという極秘裏のプロジェクトのようだ。


 たとえば、計画第一段階目は着る服や住む場所や戸籍といった外的要因や、容姿や五感といった内的要因を、フルダイブ技術により体験できるようにする。

 フルダイブ技術とは、仮想空間内に五感を接続してその世界に入り込む技術のことを指す。

 そして、最終段階にはバーチャルですべてを完結させるわけだから、現実世界ではどうなるのだろうか。

 フッと、VR関連の資料にあった100年近く前に大ヒットしたマトリックスという映画のワンシーン——人々がカプセルの中に入っていて、機械によって管理・培養されている光景が思い浮かんだ。

 見ていてとても気持ち良いものではなかったことだけは確かである。


「いくつか問題点が思いつきますが——このバーチャル社会化計画の試験運用はあと一年後というのは急すぎませんか?」


「それについては……まず技術については、日本産業社のものを使います。先日公表した最新VR技術を使えば、なんとかなるかと。あと、テスターについては、すでに候補者をリストアップ済みです」


 鈴木さんから別資料を受け取ると、そこには彼が言っている候補者の詳細データがまとめられていた。

 犯罪歴や年収、主義主張など、およそ基本的な個人情報だけでは済まされないようなものまで、びっしり書かれている。


(これだけの情報を急ピッチで集めるのは不可能だ。おそらくかなり前からこういった情報を収集していたと考えた方が自然、か)


 2079年現在では、個人情報のほぼすべてはデジタルデータ化され、国によって管理されている。

 それに伴い、便利になったことは多い。

 たとえば、これまで結婚や引っ越しする度に役所などで変更する手続きは、一つ一つの手続きを役所まで足を運んで、紙で書いて行っていた。

 その他のカード等の手続きもそれぞれ別々で実施しなければならなかったが、国民一人一人に割り当てられた端末を使用することで、すべての情報の一括変更が可能になったのである。

 一方で、すべての情報が紐づいているので、どんな商品を買って、どんなところに旅行しているかまでがデータ管理されている。

 つまり、国民の動向はすべて国の監視下にあるといっても過言ではない。


「それで、私に何を?」


「草薙さんには、試験運用期間中のバックアップをお願いしたく——」


「機密漏洩対策と、テスターの方々の生活面でのバックアップを実施すればよろしいでしょうか?」


 鈴木さんの言葉を遮って機械的に確認すると、彼はニヤッと不敵な笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻る。


「その通りです。極秘裏の計画のため、政府は表立って動けません。そこで計画に必要なものをすべて一括で管理・用意できる御社の力が必要不可欠なのです。どうか力をお借りできないでしょうか?」


「そうですね……」


 利益や話題性だけを考えればまたとない話だ。

 実際に運用する話になれば、計画に関連する事業すべてで我が社が優位に立てるだろう。


(しかし、何かが引っかかりますね……ん?)


 テスターリストを一枚一枚眺めていたら、一枚のリストにパッと目が止まった。


「どうかなさいましたか?」


「い、いえ。すみません」


 しばらくずっと目に止まったリストに釘付けになっていたようだ。


「バックアップの件、承知いたしました」


「では――」


「ただし、一つだけ条件があります」


 私は得体の知れぬ欲求を満たすため、初めて仕事に私情を持ち込んだ。

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