第12話 絶望と決意


 なじみ深い西棟の廊下を、一階にある治療区画へ向かって進んでいた。


 ここは重症患者が運ばれてくるところで、タマラさんが治療室で治して、休養が必要な患者が回復室に移動する流れだ。

 回復室にはベッドが八床あって、ゆっくり休めるようになっている。カリンのもとへ向かう途中、さまざまな思いが浮かんできた。


 僕がクビになってから大変だったんじゃないだろうか? 密かにずっと気になっていた。

 それからやっぱり、カリンは大怪我を負ったのか? 四肢欠損くらいなら、僕の青魔法で治せるけど……もっとひどいんだろうか?


 回復室に入ると一番奥のベッドのカーテンが引かれていた。僕が駆けつけた時に全体回復の治癒魔法をかけたからか、タマラさんがすでに完全に治療を終えたからか、ほかに患者はいなかった。ウルセルさんは静かにカーテンの中に声をかける。


「連れてきた。大丈夫か?」

「ええ……大丈夫よ」


 ジェリーさんだ。張りのない沈んだ声に拳を固く握る。

 促されてカーテンの中に入ると、ベッドの上でカリンが眠っていた。

 穏やかな寝顔に少しホッとする。


「カリンがなにか大怪我したんですか?」


 僕の問いかけに答えたのは、ジェリーさんだった。


「クラウス、本当にごめんなさい。カリンちゃんは……街の人が魔物に襲われそうになって、身を呈してかばったの。その時に魔物に噛みつかれてしまって……」

「ああ、カリンらしいですね。それなら僕の青魔法で治します。診てもいいですか?」


 ジェリーさんはウルセルさんに視線で問いかける。ウルセルさんは診るべき箇所をポツリと呟いた。


「やられたのは、左腕と左足だ」


 ジェリーさんと場所を交代して、掛布をめくった。カリンの左腕と左足には、黒い呪文のような文字が浮かび上がっていた。


 予想外の現実に思考が止まる。

 僕はこの模様に見覚えがあった。そうだ、いまでもハッキリ覚えている。


「この模様……そんな」


 僕が唯一治療できなかった冒険者に、この模様が浮き出ていた。彼は両腕とそれをつなぐように肩と胸にもこの模様が現れていて、最後には呪文の部分が石化して亡くなったんだ。


『クラウス様、おかげで父は安らかに眠ることができました。あなたは私の心の支えにもなってくれました。このご恩は決して忘れません』


 そう言って涙の跡がのこる顔で微笑んだ黒髪の少女が、鮮明に思い出される。

 カリンは左腕と左足をつなぐように呪文が浮き出ていて、もしこれがすべて石化してしまったら助からない。

 喉がカラカラに乾いて、心臓はバクバクと鼓動している。手のひらには冷や汗がにじんで、指先は冷たくなっていた。


「あの子の父親と、同じなのか……?」


 僕の治癒魔法が効かなかった。どんなに手を尽くしても治せなかった。

 いや、まだあきらめるのは早い。あの時は青魔法を使えなかったんだ。試す価値はある。


完全回復オールメディカル!」


 カリンに浮かび上がる黒い模様に、僕の魔力を注ぎ込む。

 この青魔法なら自己再生能力を最大限にまで高めるので、四肢の欠損すらも治せる。だけど対象者の負担が大きすぎて、いざという時しか使えない。でも今は、今だけはどんな手を使ってもカリンを治したい。


 淡い青い光に包まれたカリンは、そっと目を開けた。僕の青魔法で魔物から受けたダメージが回復したみたいだ。

 ただ黒い模様は消えなかった。


「お……兄ちゃん?」

「カリン! 気分はどうだ? どこか痛むか?」

「ううん……大丈夫。ごめんね、失敗しちゃった……」


 そこへ治療室に駐在しているタマラさんが戻ってきた。調べ物をしていたみたいで、書類の束や古書を抱えている。


「ご家族の方がこられた……って、クラウスだったのかい……」


 そんなに期間は空いてないはずなのに、久しぶりに会った気がした。だけどタマラさんの顔に歓喜はなく、いつになく神妙な顔をしている。


「タマラさん……詳しく聞かせてもらえますか?」

「ここは病人が休む部屋だ、別室で話をしよう」


 カリンはまだ体がだるそうで、ジェリーさんにお願いして僕とウルセルさんで話を聞くことになった。




 僕たちはふたつ隣の談話室に移動して、四人がけのテーブルについた。タマラさんは隣に座ったウルセルさんにも見えるように、抱えていた古書をテーブルに開いた。


「ここを読んでくれるかい」


 タマラさんが指をさしたのは、黒い双頭の蛇の絵だ。文字は古代のものらしくて読み解けない。それを見たウルセルさんは眉根を寄せて難しい顔をしている。


「これは古代遺跡に眠る邪竜ウロボロスという魔物だよ。三千年もの昔に世界を滅ぼしかけた邪竜のことさ」

「それが、カリンと関係あるんですか?」

「たまにね、ウロボロスが封印されている古代遺跡から欠片のようなものが飛び出してきて、周りにいる人間に襲いかかるんだよ。ウロボロスの欠片に噛まれたら、身体に黒い呪文のような模様が浮かび上がるんだ」


 まさしくカリンの症状だ。そして昔に診た冒険者にも合致している。タマラさんはさらに言葉を続けた。


「その欠片に噛まれたら、ウロボロスの呪いが発症して少しずつ石化していく。噛まれてしまったら、私には助けられない。余命はおそらく二年ほどだろう」

「……治す方法はないんですか?」

「ここにある古書や資料は漁ってみたけど、わからないねぇ。これからも調べるから、なにかわかったら知らせるよ」

「ありがとう……ございます」


 なんとかお礼だけ言って、またカリンのもとに戻った。




 ウルセルさんとジェリーさんにもお礼を言って、ギルドに戻ってもらった。こんな状況じゃ仕事は山積みだろう。

 いまは僕ひとりがカリンの側にいた。


 窓から入ってくる月明かりが、カリンのアッシュブロンドの髪を淡く照らしている。とても穏やかな顔で深い眠りについていた。


 余命二年。


 余命二年だって? ……ふざけるな。

 ついこの前、十七歳になったばかりだぞ?


 初めてカリンと会った時の記憶が蘇る。


 僕は養子だった。カリンはまだ赤ちゃんで母さんの腕に抱かれてた。カリンを見た瞬間、僕の魂が揺さぶられた。

 すごく小さい手で僕の人差し指をギュッと握ったのを僕は覚えてる。薄紫の瞳は透き通っていて、僕の顔をじっと見つめていた。きっとカリンは小さすぎて覚えてないだろうけど。


 父さんと母さんが死んでからは、ずっと我慢ばっかりさせてた。

 カリンはいつも夜にひとりで泣いてた。僕が仕事で朝早いから困らせたくないってひとりで膝を抱えて泣いていたんだ。それに気付いてからは僕が淋しいから添い寝してくれって言って、カリンがひとりで泣かないようにしてた。


 いつも笑顔で元気にいってらっしゃいって僕を送り出してくれて、それだけで頑張れた。カリンがいたから、僕はどんなにバカにされても歯を食いしばってやってこれたんだ。


 僕の青紫の瞳から、涙がこぼれ落ちる。頬をつたって手の甲にポタリと落ちた。


 僕はカリンを守りたかった。もう大切な家族を、大切な人を失いたくなかった。


 どうしてカリンなんだ!?

 どうして、カリンが余命宣告を受けるんだ!?

 どうして————!!


 硬く握りしめた拳がわずかに震える。爪が深く食い込んで血を流しても、僕のやりきれない気持ちを鎮めるにはまったく足りない。


 僕はなんのために治癒魔法の研究をしてきたんだ?

 僕は治癒魔法しか使えないのに、それすらも役に立たないのか?

 いろいろな青魔法を考えて使えるようにしてきたのに、カリンは治せないのか?


 考えろ。

 本当にできないのか?

 ただの自己再生に効果がないのはわかった。

 それなら、他で治せる方法はないのか?


 考えろ。考えろ。考えろ!!!!

 僕にできることは、それしかないんだ!!


「玄武」

《我が主人よ、どうした?》

「ウロボロスの呪いって知ってるか?」


 一縷いちるの望みをかけて尋ねた。聖獣ならなにか知っているかもしれない。胸ポケットから顔をだす玄武は、悲しそうな瞳で答えた。


《……すまない。我らは封印のための道具ゆえ、ウロボロスの気配は感知できてもそういった知識はないのだ》


 そうだよな、そんな都合よく答えが転がってるわけないか。


「いや、いいんだ。ただ、四聖獣を正気に戻すのは、少し待ってもらえないか?」

《我は主人殿の命に従うだけだ》

「……ありがとう。ちゃんと役目は果たすから」


 僕は覚悟を決める。


 カリンを治して、カリンが笑う未来を必ず手に入れる。


 ————やるしかない。やり遂げるんだ!!



 この日から青魔法の研究は、さらに進化を遂げていった。


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