第138話 神格者
「――それで。
豪奢な洋館の、広く薄暗い一室。ラグジュアリーな椅子にゆったりと腰を掛けたドレス服の女性が、しっとりと落ち着いた声で問いかける。髪や耳、指などに巨大な宝石をいくつも付けてはいるが、それらを
女性の名は
対して向かい合うように姿勢よく立つのは、艶やかな若葉色の髪をした少女。くっきりとした目鼻にはまだ若々しさがあるものの、もう数年も経てば御神にも引けを取らない美貌に成長することは疑いようがない。御神の姪であり冒険者学校に通う、
問われた少女はまっすぐに御神を見つめながら、やや強張った面持ちで答える。
「……実に、奇妙で驚くべき戦闘でした。見たこともない強力な隠匿スキルも複数確認できましたが、恐らく力をまだ隠しているはずです。仮に、我らが
「そうですね。私が見たところでも彼の実力は名だたる攻略クランのメンバーと比較しても全く遜色ありません。隠匿スキルまで加われば……国内冒険者でも最上位クラスと判断しても良いでしょう」
壁には宙に浮かぶ天使のような女と斬り合う仮面の男の姿が、スローモーションで投影されている。スピードカメラでもブレるほどの高速斬撃の応酬。これほどの速さだというのに剣の一振り一振りには、まるで高度なチェスをしているような駆け引きが行われている。まさに“達人同士の死合い”である。
御神はリモコンを使って何度か早送りをすると、次に映し出されたのは5mを超える異形のゴーレム。超重量のためか飛び跳ねるたびに闘技場と映像が振動する。これが冒険者同士の戦いと言われて誰が信じるのか、非常識すぎる戦いであったと楠が素直な感想を付け加える。
「成海颯太の危険性は正直、計りかねています。篭絡できれば楽でいいのですが……制御下に置けないのなら別の搦め手を考えたほうが……確か、四人家族でしたか」
「はい、両親と妹の四人家族だと確認しています……ですが、今のところは我々の味方に引き込むことに注力すべきかと愚考します」
御神は映像を消すと、指の宝石を眺めながら成海颯太の扱いについて考えを巡らす。敵対する者を周囲の人間ごとまとめて葬ってきた彼女の目に、温度なんてものは存在しない。楠はその冷たい視線に冷や汗を流しながらも、成海颯太の価値を主張する。
先の決闘において、成海の戦闘技術や知識に途方もない価値が証明されたことはもちろん、争いを好まない穏やかな性格と合理的な思考を併せ持っているため、話も通じやすい。たとえ味方に引き込めなくとも、協力関係を築いてはどうかと提案する。しかし御神はすぐには首を縦に振らず、成海の存在価値と危険性を天秤にかけて、さらに思考を巡らす。
「彼は一体何者なのか。どこかの組織と繋がっている形跡は何一つ見つかっていませんが、これほどの実力者がただの個人であると考えるのも無理があります。そこで考えられる可能性は、2つあります」
1つは、御神でも探ることが困難な、高度な技術を持った工作員である可能性。この場合は背後に国家、あるいは巨大組織が関与しているので危険性が非常に高く、実に厄介。御神としてはこれを一番に危惧しており、そうであれば証拠が見つかり次第殺すべき対象になると説明する。
「そしてもう1つは【聖女】と同じく“
「神格者……まさか……」
御神の言葉に息を飲み、目を
――【聖女】とは。
約100年前、この世界にダンジョンが現れてすぐに突入し、未知なるスキルと膨大な知識を使ってダンジョン内を庭のように駆け抜け、とんでもない速度で攻略記録を作り続けた四人の少女のことである。現在に続くダンジョン攻略の基礎を作り上げたのも彼女達である。
この四人が今も生きているとすれば齢120を超えることになるのだが、驚くべきことに全員が存命している。さらには、その素顔を見た者が「まるで少女のような若々しさだった」と証言も残しており、世間では不死性も
この四人は現在は日本、ヨーロッパ、中央アジア、南米とそれぞれ別々の国に手厚く庇護されており、冒険者界、そして人心に強い影響力を与えている。彼女達はどこから来て、どのようにダンジョン知識を得て、どうしてそこまで早く攻略していったのか。そも、彼女達は何者なのか。全ては謎に包まれている。
人々はこの常軌を逸した存在を、畏敬と畏怖の念を込めて“神の代行者”または“神格者”と呼ぶ――
楠が落ち着くまで様子を見ていた御神は、静かに会話を再開する。
「成海の情報が初めて入ってきたときは“
「……月嶋も成海と同様、驚くべきスキルを多用していました」
冒険者学校で最強と名高い
「成海については警戒レベルを下げましょう……引き続き、慎重に情報を集めつつ友好的に振る舞いなさい。月嶋の方は……相変わらず、ですか?」
「はい。聖女機関が絶えず周囲に張り付いています。まずは第一魔術部をけしかけて、その隙を見て再度、接触を試みるつもりです」
突如として表舞台にでてきた月嶋拓弥。極めて高い戦闘技術と特異な隠匿スキルを持ち、その情報価値は成海同様計り知れない。生徒会長である相良明実は、闘技場で起きた全てを外に漏らさぬよう口止めの契約魔法を見物者全員に強制させたが、楠だけは除外されており、即日御神に報告していた。
御神はこれを機として楠とシーフ研究部に「月嶋の情報を集めよ」と命じたが、接触しようにも
「強硬手段を取れないのはもどかしいですが、相手は聖女機関。慎重にならざるを得ませんね。それと
「はい、細心の注意を払います」
月嶋に張り付いている聖女機関は、世良桔梗の独断により動いているものと裏が取れている。だからこそ姪である楠に全権を委任して調査させているのだが、万が一【聖女】が出てきた場合は恐ろしく面倒なことになりかねない。
何故なら【聖女】はあらゆる冒険者より強く、死者蘇生など信じがたい異能をいくつも操り、国の守り神的な存在となって人心を掴んでいるからだ。日本の【聖女】も例外ではなく、もし敵に回せば伯爵位を持つ御神とて無事では済まない。
本来なら聖女機関を
部屋の主が椅子に深く腰掛け、再び熟考に入る。
楠は主の思考をできるだけ邪魔しないよう息を殺して壁際に立つ。部屋の中は時計の音が定期的に響くだけの空間となるが、それも束の間。こちらに近づいてくる足音により、静寂が破られる。
――コンコン
重厚な木製のドアが叩かれ、御神が許可を出す前に両開きの扉が音もなく左右に開かれる。入ってきたのは腰に二本の短刀を差し“くノ一”の恰好をした女性。くノ一レッドの副リーダー、
いつものように肌の露出が多い恰好ではなく、手甲や膝当て、胴の周囲にも金属のプレートが幾重にも編み込まれた物々しいくノ一スーツを着ている。
ドアを開けようとしていた楠が頭を下げながら素早く脇へ退くと、楽しげに笑みを浮かべた藤堂は陽気な足取りで御神に近づき、手に持っていた封筒を手渡した。
御神はすぐに封を切って中のものを取り出すと、出てきたのはたった一枚の書類。されどその一枚には、くノ一レッドのここ数週間の成果が集約されている。最初のうちは表情を出さず読んでいたものの、書かれている内容に厳しさを覚えたのか、御神はわずかに眉間に皺を寄せながら紙面から目を上げる。
「一個小隊……お相手様はずいぶんと手駒を連れてきたようですね。しかも、世界各地の紛争で名を挙げた傭兵に、悪名高き冒険者も複数……ですか」
「くノ一達には戦闘の準備を急ぐよう指示しておいたわ。冒険者ギルドと“
藤堂が不敵な笑みを深めつつさらりと物騒な報告をするが、ただ事ではない事態に楠も気が気でないようだ。
藤堂が手渡したのは“金蘭会に対する調査報告書”。このクランは今週末に大規模なパーティーを開催する予定である。すでに名のあるクランや貴族、国内外のメディア宛てに招待状を送っており、当然御神にも届いていた。
親交を深める目的で各方面に送ったと招待状に添えて書かれていたものの、それは建前。本当の狙いはダンジョンに関する“革命を起こすほどのビッグニュース”とやらを大々的に発表し、金蘭会の名を世界に
そこで事前に情報を得て莫大な先行者利益を手にしようと考えた御神は、
だがその代わりに、クランパーティーの陰で“我が国の機密が流出するかもしれない”という重大な懸念事項が浮上した。しかも流出先は東欧随一の冒険者大国、神聖帝国だ。
日本にはすでに神聖帝国の最高顧問の一人である
藤堂はそのような神聖帝国の動きを警戒し配下をさらに増員させて張り付かせていたのだが、偶然にも暗号の一部を傍受。解析し判明したのは【侍】というワードが頻繁に出てきたことだった。
「藤堂様。“カラーズ”が……本当に我が国を裏切ったのでしょうか」
「さぁ? それをこれから確認しにいくのよ」
楠が目を伏せながら悲観した顔で問うと、藤堂は不敵な笑みを崩さずに答える。
この世界において知られている近接ジョブの中では“最大火力”と高い評価をされている【侍】。それは世界で唯一日本だけが独占し、国防の要として国家最高機密に指定している軍事力でもある。
この【侍】と【聖女】が双璧になって存在しているからこそ、日本は混沌とした世界情勢の中でも大きな優位性を保ち、存在感を放つことができている、といっても過言ではない。
現在、日本には国に忠誠を誓った複数名の【侍】が存在しており、カラーズのクランリーダーである
仮に、カラーズの裏切りが真実なら【侍】の情報が流出し、冒険者に対する日本の防衛力が低下する――だけで済む話ではなくなる。日本最高と言われるクランが国家反逆に加担した事実は、それだけでも国への求心力と信用が
そのような国は、国内外の武力組織を抑えつける力がないと見なされ、世界中のテロリスト共から格好の餌食となる。実際にテロリストが軍や警察を襲い、国政を乱し、社会全体を混沌の中に叩き落とした事例は珍しくないのだから。
これらの大惨事に繋がりかねない出来事が、金蘭会のクランパーティーで起きようとしているわけだ。
藤堂としても【侍】の情報流出だけは何としてでも阻止したいところだが、一騎当千のカラーズと神聖帝国の精鋭達が相手となれば、くノ一レッドだけでは荷が重すぎる。そこで冒険者ギルドと、日本最大の攻略クラン・
想定を超える事態に息を飲んで聞いていた楠は怯みそうになりながらも「質問をよろしいでしょうか」と言って今一度前に踏み出す。
「何を聞きたいの? 遠慮なく聞いていいわよ」
「はい、藤堂様……機密の流出を阻止するとのことですが、すでにカラーズと神聖帝国が接触を済ませているなら、もう流出してしまっているのではないですか?」
「それはまだね。もし流出しているなら神聖帝国はここまで戦力を集める必要はないわ。恐らく
その気があって接触したのなら機密情報なんて口頭ですぐに流出してしまうのではないかと楠が問うが、事はそんな単純な話ではないと藤堂が首を横に振る。何故なら【侍】や【聖女】などの重要な国家機密情報は、簡単には流出できない仕組みになっているからだ。
御神は手に持っていた紙をランタンに近づけて燃やすと、ゆっくりと立ち上がり「これから話すことは他言無用」と言って楠の疑問に丁寧に答え始める。
「……最重要国家機密を知る人間は口外しないよう“多重契約魔法”を身に刻みます。カラーズでいえば【侍】である田里を含む、五人の幹部が契約魔法を身に刻んでいるはずです。もしこの五人のうち一人でも情報を漏らすことがあれば……その瞬間、全員が連帯して死亡するという強烈なペナルティが発動します」
「身に刻む契約魔法は、人権という立場から国際法で禁じられているけど、どこの国もこうやって機密を守っているのよ。有名無実の国際法というやつね」
契約魔法は口外だけではなく、筆談や通信など情報を伝えるあらゆる行動をトリガーにできる。しかも一度刻んだ契約魔法は二度と消えることはなく、無理に消そうとすれば本人は死亡する。そのため拘束力は絶大である。これまでも身に刻む多重契約魔法が破られた例はなく、最高機密並びに世界秩序が守られてきたのもこの魔法のおかげだと藤堂が付け加える。
だが、もし多重契約魔法を回避する方法があったなら。
「そのような方法があると思いたくありませんが……神聖帝国は契約魔法を一時的にでも無効化する
――神聖帝国。
1990年代に一人の【聖女】を旗頭として冒険者達が作り上げた若い国家である。当初はダンジョンを中心とした小さな都市国家に過ぎなかったものの、周辺国と紛争を起こし連戦連勝、次々と領土を拡大させていく。特にここ十年の勢いは凄まじく、東欧の広域でEUと熾烈な戦争を繰り広げながらダンジョン情報を手段を問わず収集し、今や世界最大の冒険者大国とも言われている。
この国では何が起こっているのか、どのあたりまでダンジョン情報を蓄積しているのか、すべては厚いベールに包まれており議論が続いている。とはいえ、戦場では見たこともないスキルや装備を持つ帝国出身冒険者が幾度も確認されており、世界平均を大きく超えた水準であることは間違いない。
さらに今年に入り、世界の要人を震撼させる出来事が起きた。捕らえた機密保持者の契約魔法を解除する実験を繰り返し、死亡させていたことが明るみとなったのだ。
緊張を強いられた関係各国は帝国と激しい外交戦を繰り広げており、今現在でも国際ニュースを賑わせるホットトピックになっている――
――というように、神聖帝国の懸念点を軽く確認しながら説明する御神。それに対し藤堂がやれやれと言いながら相槌を打つ。
「節操がない国よねぇ、こんな離れた島国にまで手を出してくるなんて」
「カラーズ幹部はもちろん、
金蘭会のクランパーティーで神聖帝国は
すでに冒険者ギルドの上層部に鎮座する【侍】や十羅刹も動いている。仮に戦闘となれば、日本において第二次世界大戦以降、最大規模の戦いとなるのは間違いない。
静かな口調で指示を飛ばす御神の瞳には、荒れ狂うような怒りが渦巻いている。国に忠誠を誓ったのは機密保持者達だけでなく、彼女も同じ。裏切り者は我先にと殺しにいくつもりなのだ。
楠はそんな姿を見ても問わずにはいられないことがある。
「……叔母様。そのような場所に、成海を連れて行ってもよろしいのでしょうか」
「成海? あの食べるとすぐに太るおかしな子よね。
成海は
だが今では状況が一変してしまった。成海は
御神は顎に手を当ててしばし考えるものの、すぐに決意を秘めた目で姪を見つめる。
「成海颯太が真に神格者なら、神聖帝国の未知なる兵装やスキルに対応できるやもしれません。
「……かしこまりました。必ずや」
主の命に深く頭を下げつつ楠も静かに決意する。御神と志を同じくし、この年ですでに国に骨を
日本の命運をかけた戦いが始まろうとしている。少女は必死に思考を巡らし続けるのであった。
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