第94話 黒い影

 ――早瀬カヲル視点――


『なら……見せてあげる。魔王をも打ち滅ぼした……真なる勇者の……力を』


 お面の冒険者はハンマーを持った両手を広げると、ふわりと軽やかに回って歌うようにスキル名が紡がれる。

 

『……《シャドウステップ》』

 

 消え入るような小さな声がかすかに響くと、それなりに明るかった広間が急に暗くなり、彼女の足元にぼんやりとした霧が立ち込めた。もとより希薄だった存在感がさらに少しだけ薄くなった気がする。だけど変わったことと言えばそれくらいだ。薄暗くして見えにくくする“視覚阻害系”のスキルかもしれない。

 

「初めて見るスキルのようだが……魔導具からの発動じゃねェな」


 お面の冒険者を上から下まで、じろりと睨みながら加賀が言う。先ほどのスキルを随分と警戒しているようだけど、姿が若干見えにくくなったところで加賀の優位性が崩れるとは思えない。それは周りで見ているソレルメンバーも同じように考えていたのか、次々に野次を飛ばし始める。

 

「ハッタリだっ!」

「苦し紛れで何かをやったところで加賀さんには通用しねぇんだよ!」

「小賢しいチビっ! 早くくたばれぇ!」


 Dクラスの生徒も一緒になって大きく声を荒らげて野次を飛ばしている。だけどその声の内にはどこか苦しさが混じっているようにも感じる。圧勝すると思われた加賀とここまで渡り合えた事実は、彼らにも相当なプレッシャーとなっていたに違いない。

 

 とはいえ私達の立場が苦しいというのも変わっていない。もし負けるようなことがあれば私達Eクラスは二度と浮上できないよう徹底的に叩かれ、未来が絶たれる可能性がある。彼女にいたっては最悪命を取られるだろう。

 

(でも、このまま何事もなくやられるとは思えない)

 

 加賀が放つ濃密な殺気の前でも、お面の冒険者は逃げる素振りを見せず飄々ひょうひょうとしていて、とても追い込まれているようには見えない。それに伝説のクランに所属しているというのが事実なら特別な何かを隠していても不思議ではない。そう、例えばあのスキルだって……

 

「大宮。あれにどんな効果があるのか知っているか?」

「すっごく速くなるスキルだよっ。やっぱりあの子覚えてたんだね」

「……なに?」


 大宮さんによれば周囲を暗くする視覚阻害系スキルではなく、速度バフスキルらしい。だけど、さっきの口ぶりでは他にも――

 

「始まるぞっ」


 磨島君の声に我に返って前を見れば重心を大きく下げ、大剣の剣先をお面の冒険者に向けて構えている加賀がいた。先ほどまでのあざけるような顔ではなく、眼光は鋭く随分と険しい表情になっている。もしかしてあのスキルがはったりではないと感じ取ったのだろうか。

 

 対するお面の冒険者は構える、というより、ふわふわと飛んでいるように舞っている。二つの武器を合わせるとかなりの重量だというのに、あのように軽やかに動けている姿に高い実力を感じざるを得ない。そこに加賀が大きく一歩踏み込み、地面を蹴り上げた。

 

「うォおおォおおお!!」


 爆発的な加速力で距離を縮め、お面の冒険者の喉元に大剣の剣先をねじ込もうと腕を伸ばす。疾風のような速さに外野から歓声が上がる。

 

 そんな高速突きをお面の冒険者は半回転ほど舞ってふわりと躱すと、その場から消えてしまった――と思ったら、加賀の真後ろにハンマーを振りかぶって現れた!

 

 加賀は必死の形相で振り返ってガードするものの、恐ろしい速度で叩きつけられたハンマーの衝撃を殺しきれず勢いよく飛ばされてしまう。その先に、再び瞬間移動するかのように現れたお面の冒険者。


「……あれはなんだ。ワープでもしているのか?」

「速すぎて見えないだけだよっ、あのスキルは本当に凄いの」

 

 あまりの速さに磨島君がたずねると、握りこぶしをぶんぶんと振るいながら凄く速くなるのだと力説する大宮さん。少し前までかろうじて見えていたはずの立ち回りが、すでに私の目で追うことは不可能な領域となっている。注意深く見れば、ほんの僅かに黒い影があることに気づくくらいか。

 

 吹き飛ばされながらも身を翻して身構える加賀に、お面の冒険者が見えない影となって縦横無尽に襲い掛かる。大剣とハンマーが勢いよくぶつかって大きな金属音が鳴り響き、周囲にいくつもの火花が上がる。そのたびにお面の冒険者の立ち位置が変わっているため、クラスメイト達が目をしばたたかせて見ている。

 

 ハンマーから強烈な光が噴射して、攻撃速度がさらに上がる。大剣にぶつかる音から察するに、一発の威力も相当に跳ね上がっているようだ。四方から無数に放たれる攻撃に対処するため釘付けとなっていた加賀は、苦し紛れに無理な体勢からスキルモーションに入ろうとする。

 

「糞がァァァ弾けろっ! 《ディレイスラッシュ》!!」

「ダブル……《フルスイング》!」

 

 強力な斬撃を2回飛ばす大技、《ディレイスラッシュ》。最前線の攻略クランでもメインの火力として扱われる前衛最強格のウェポンスキルだ。お面の冒険者はそれに合わせてハンマーを横に大きく振りかぶり、《フルスイング》のスキルモーションに入る。

 

 《フルスイング》はだ。単発としては火力の高いスキルではあるが、《ディレイスラッシュ》の火力には及ばない。

 

 だけど、お面の冒険者が振りかぶる右手と左手の両方には、ウェポンスキルのオーラエフェクトが発生している。あれではまるで2発の《フルスイング》を放つようではないか――

 

 うねる様な風をまとった2発の斬撃がほぼ同時に放たれ、赤と紫色のエンチャントを纏った2発の《フルスイング》と真正面からぶつかる。部屋全体に切り裂くような衝撃波が吹き荒れ、そして――かき消えた。

 

 加賀が驚きのあまり目を見開いているけど、それは2発の斬撃がかき消されたことに対してなのか。それとも《フルスイング》が左右両方のハンマーから放たれたことに対してか。

 

 スキル硬直で動けない僅かな時間。先に動いたのはお面の冒険者だ。紫電を放つハンマーが爆発的な速度で加賀の左足に撃ち込まれ、ついに均衡は破れる。

 

「ぐあっ……」


 加賀の下半身は合金の軽装甲で覆われているものの、あれだけの速度でハンマーを撃ち込まれれば多少の装甲があったところで意味を成さない。その一撃で足はあらぬ方向に折れ曲がり、追加で電気のようなものが身体を駆け巡る。よろめきながらうめき声を上げて、もう崩れ落ちる寸前だ。

 

 それでも大剣を支えにして何とか倒れるのを回避し距離を開けようとするが、お面の冒険者はそれを許さない。すでにハンマーを振り上げて追撃に入っている。数発の打ち合いこそ発生したものの、左右のハンマーが怒涛のように撃ち込まれて大剣が飛ばされ、次に利き腕を折られ。ついには気絶し動けなくなってしまった……

 

(つ……強すぎる……)

 

 金獅子の勲章の持ち主を一方的に圧倒するとは……想像を遥かに超えた強さに震えが走る。格闘戦のときも、加賀が《アクセラレータ》とかいうスキルを使って挑発してきたときも、本気なんて出していなかったのだ。あの状態となった彼女を止めるためには、金蘭会よりさらに上のカラーズを呼ぶしかない。



 スキルを解除したのか、足元のもやが収束し部屋全体の光量が元通りになる。その部屋の中央でポツンと立っていた少女は何を思ったのか、マジックバッグからワイヤーのようなものを取り出して加賀をグルグル巻きにし始めた。

 

 右手と左足は折れて使えないはずだけど、それでも私達程度なら十分に殺せる強さはある。目が覚めても暴れないよう縛ってくれているのだろう。一方でソレルメンバー達はそれを捕食しているように見えたらしく、恐慌状態となっている。

 

「ありえねぇ! あの加賀さんがやられるなんて!」

「加賀さんを喰おうとしているぞ!」

「ば……化け物だああああ!」

「俺等も喰われるっ、早く逃げろっ」

「ちょ、ちょっと待ってよー!!」

 

 自分達が次のターゲットになると思ったのか、ソレルメンバーが恐れ露わに一目散に離脱し、その後にDクラスの生徒たちがパニックになりながら慌てて逃げ始める。だけど、もし彼女が本気なら誰一人として逃げることは叶わないだろう……そのつもりはないようだけど。

 

 そんな混乱の最中に大宮さんが真っ直ぐに駆け出していった。

 

「もうっ、危ない事しちゃだめでしょっ」

「……」


 小柄な体を優しく抱擁し、お面の冒険者も抱き着き返す。その姿は仲睦まじい姉妹のよう。武器を持ち出して戦っている最中は気が気でなかっただろう。二人には聞きたいことは山ほどあるけど、今はそっとしておこう。

 

「まさか、攻略クランまで出張ってきたとはな。参ったぜ」


 気難しい顔をしながら磨島君が話しかけてきた。ソレルの男達に奪われていた腕端末を取り戻し、クラス対抗戦の運営本部に連絡を取っていてもらっていた。軽く今までの状況を説明したところ、先生がここまで直接来られるそうだ。幸い、この階に近いところにいたようで、20分もあれば到着するとのこと。


「先生は何か言ってたの?」

「この場にいる全員は活動を止めて待機してろってさ。まぁここまで大事になれば先生も出張って判断せざるを得ないだろ。あそこで倒れてる男の処遇も決めなきゃならないしな」


 磨島君の視線の向こうには、うつ伏せになって縛られている加賀がいる。お面の冒険者がいてくれたから難を逃れられたけど、本来ならあれほどの猛者が介入してきた時点で私達ではどうにかなるものではなかった。学校側は今回のことをどう捉えようとしているのか。

 

「まぁ、しかしだ。Dクラスの奴らの慌てた顔が見られてスッとしたぜ」

「ふふっ。そうね」

 

 色々あったけど、いつまでもへこたれてはいられない。しばし休憩を取った後は気持ちを切り替えて、最後まで戦い抜く算段をつけるとしよう。

 



 それから大宮さんと磨島君、私の3人で今後どうするかを話し合う。時間を大分ロスしてしまったため計画を修正する必要があるからだ。Eクラスは他種目の成績が厳しく、ここから巻き返すには私達トータル魔石量グループの得点が重要となってくる。失敗は絶対にあってはならないので、残りの時間でどれだけの魔狼を狩れるか念入りに計算していく必要がある。

 

 だけど今回の件は悪い事だけではない。大宮さんが強いということは分かったし、後ろには金蘭会メンバーすら倒したお面の冒険者も控えている。安全性が増した今では、より積極的な狩りができるだろうし、頑張ればDクラスに十分届くはずだ。

 

 意見を出し合って詳細な狩り計画を立てていると加賀が目を覚ます。すでに武具は取り上げ、ワイヤーできつく縛っているので大丈夫……とはいえ、恐ろしくもある。

 

「ぐっ……俺を、殺さねェのか?」


 この期に及んでも眼光鋭く睨んでくるとは、呆れた精神力だ。その視線からお面の冒険者を守るように前に立つ大宮さん。


「あなたは先生方に引き渡すわっ。この子はおぼろなんかじゃないし、もう関わらないでっ」

「ふっ、そういうことにしておくか……誰かきたな」


 後ろを振り返れば、遠くから凄い速さで走ってくる人達が見える。先頭にいるのは……Eクラス担任の村井むらい先生だ。手に細長い剣を持って、絡んでくる魔狼を一撃で切り殺している。

 

 その勢いのまま、あっという間に部屋に入ってきて縛られている加賀とお面の冒険者のいる方へ歩いていく。あの速度でここまで走り続けていたにもかかわらず、息一つ切らしていない。


「冒険者学校で教師をしております村井、と申します。金蘭会の加賀大悟だいご様ですね。至急、救急班へ運ぶ手配を。それとお面を被っている貴女は……Eクラスの補助要員としてされておりませんが、冒険者IDはお持ちでしょうか?」


 村井先生が腕端末から出した画面を操作しながら加賀とお面の冒険者の素性を調べようとする。いつもの指導的な口調ではなく、上客に接するような丁寧な口調だ。違和感を抱きつつもという言葉が気になる。

 

「あぁ。立場というものがおありでしょうし無理に提示していただかなくても結構です……が、お前達」


 こちらに振り返ると、低く冷徹な声色に変わる。


「補助要員名簿に記載されていない、外部からの助けを借りた場合は……即失格になることは知っているのか?」

「ちょっと待ってくださいっ。そんなルールはお聞きしていませんっ。それは何ですか」

「俺達は助っ人が許されていることすら聞かされていなかったんですよ!」


 登録されていない人に手助けしてもらうことは失格対象……それには大宮さんと磨島君が猛抗議する。助っ人が許されていることすら聞かされていないのに、それが登録制だったなんて知るわけがない。理不尽すぎるのではないかと食い下がるものの、先生の態度は相変わらず冷え切っている。

 

「トータル魔石量グループの処遇について、これから審議に入る。だが結果には期待するな。この場にいる生徒全員、ギルド前広場にある運営本部へ速やかに移動し、そこで待機を命ずる」

「そ、そんなっ」


 クラス対抗戦は今日を合わせて残り2日しかない。ここはダンジョン6階。今から外まで行って戻るなんてことをしていたら、狩れる時間はほとんど残らない。Dクラスからの妨害がなくなって、これからだというのに……私達が止まってしまえば逆転の目は完全についえてしまう。

 

 しかし、どうして村井先生は助っ人ルールを教えてくれなかったのか。教えても大した助っ人を呼ぶことができないと思っていたのだろうか。それに失格だなんて……これではまるで私達を勝たせないよう仕組んでいたようではないか。


 酷く底冷えするような目で見降ろす村井先生。トータル魔石量グループ一行は疑心暗鬼になりながらも、その場を後にする他なかった。

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