第87話 アウロラの使徒
――
何の準備もできていないというのに大悪魔といわれるフロアボスが召喚されてしまった。周防にとってはほんのイタズラに過ぎないのかもしれないけど、脱出アイテムを持っていない私はここから逃げることすら叶わない。
もとより、脱出アイテムは庶民が買えるような代物ではないことから、貴族でなければ死んでも別に構わないと判断したのだろう。これだから時代錯誤な貴族主義国家は困る。だが泣き言をいくら言ったところで状況は何も変わりはしない。退路が無いのなら覚悟を決めて戦うしかない。
この階のフロアボス攻略動画は本国で見させられたことがある。あれはレッサーデーモンという悪魔族で、推奨される最低必要戦力は戦闘訓練を積んだレベル20が十八人というもの。実際はその戦力でも勝率は半々といった厳しい内容だったことを思い出す。
それなのに、ここには私と成海颯太、鎧女、聖女もどきの四人しかいない。レベルだけは20近くあるようだが、しょせんは甘やかされて育った坊ちゃん嬢ちゃんばかり。ほとんどパワーレベリングで上げたようなものだろう。幾度の試練と死闘をくぐり抜け、己を追い込んできた本国の熟練兵と同等の戦力レベルと見なすのは
その中でも学年主席ということで少しは期待していた聖女モドキも早々に離脱してしまった。同じ貴族である鎧女も脱出アイテムを使うのは時間の問題。そうなれば成海颯太と私の二人だけになってしまう。果たしてあの男は使えるのだろうか……
(上手くすれば私一人でも“発狂”までは持っていけるかもしれない……でもそこまでだ)
フロアボスは一定以上HPが減ると発狂と呼ばれる状態となり、強力なスキルを使ってくる場合がある。この悪魔もHPを残り4分の1くらいまで減らすと全身が青い《オーラ》に包まれ防御力が大幅に上がり、桁違いの破壊力を持つ凶悪なスキルを放ってくる。そうなれば私だけで対応することは不可能。
成海颯太も少しはやる様だが、これから迎えるであろうハイレベルな戦闘に付いてこられるとは思えない。絶望的――そんな言葉が脳裏を掠めたところで突然、思わぬ方向に流れが変わっていく。
何を血迷ったのか鎧女が脱出アイテムを使わず悪魔に立ち向かっていくと、それに触発された成海がタンクをやると言い出したのだ。そういえば不思議に思っていた。悪魔が召喚されたときもあの目には怯えや恐怖が浮かんでいなかったことに。その理由もすぐに判明する。
「デカブツ、こっちだぁあ! 《イリテッド・ハウル》!」
(あれは……
この広大な広間全体が震えるほどの咆哮。あれは神聖帝国にしか存在しない最高機密ジョブ【ナイト】が使用する代表的なスキルだ。
東欧に位置し、聖女アウロラを頂点とする神聖帝国。その帝国の中でも【ナイト】に就けるのは聖女アウロラに選ばれた超エリートのみ。将来は近衛騎士、またはアウロラの使徒となって国政に大きな影響を与えていく重要人物となると聞く。彼らは人前に現れること自体滅多になく、情報管理も徹底されており厚いベールに包まれていた。それなのに――
その帝国の国家機密が目の前にいる!
私は正直アウロラを、そして使徒の実力も舐めていた。神聖帝国はゴロツキ冒険者共がテロ紛いに作り出した歴史の浅い新興国だし、神輿に担がれただけの
両腕に炎を宿した成海颯太は、巨大な四本の腕から振り下ろされる大質量の拳を、いとも簡単に受け流し、あるいは躱し、隙あらば
けど、おかしなことだらけだ。
成海の動きは決して速いわけではない。むしろ私や悪魔のほうが数段速くパワーも上のように見える。それなのに私でもギリギリ躱せるかどうかの連打を必要最低限の力と動きだけで簡単に
(何故そんな動きができるの……?)
見てから躱しているのではない。拳を繰り出す予備動作をしただけで成海はすでに重心を動かし回避に移行している。ならば動きを予測したからか。それも違うだろう。
攻撃を予測したからといってあの動きができるものではない。レッサーデーモンが繰り出すパンチの軌道予測に少しでもズレがあれば一撃でノックダウンしかねない。そのため予測からの回避はある程度、保険を掛けた大きな動きを取らざるを得なくなる。
だが成海の動きには迷いが一切
(レッサーデーモンを……どこまで知り尽くしているの?)
レッサーデーモンというモンスターを深く熟知していなければ不可能な動きを何度も繰り返している。その推察が確かなものになったのが、四本の腕で連撃スキルを放ってきたときだ。
悪魔が斬撃のモーションを繰り出す前に、成海は重心を動かして安全な場所に体を入れており、まだ拳を振り抜いておらず隙も生じていないのに、片手剣スキルの発動モーションに入っていた。さらには目視することなく攻撃を避けていたり、腕の軌道にあらかじめスキルを設置し断ち切るという曲芸までしでかした。完璧すぎて気味が悪い。
次に何の攻撃が来てどこに隙が生じるのか、あらゆる攻撃パターンを網羅し、思考ルーチンすらも把握していないとできる芸当ではない。それを可能とするには、動画を見るだけでは不可能。何十、下手すれば何百回という途方もない実戦経験が必要となってくるはず。果たしてそんなことが可能なのか。
(どれだけの数の悪魔の書を手に入れたらそうなるというの)
レッサーデーモンを召喚するには悪魔の書が必要となる。だが入手には、より強いモンスターを倒す必要があり、そこまでの手順や道程も複雑。数を揃えるとなると途方もない人員と時間が必要となる。帝国にあるダンジョンを使って組織的に集めていたのだろうか。
入手方法はアメリカだけの機密情報だと思っていたけど、周防ですら知っていたのなら帝国にだって知られていてもおかしくはない。しかし、そんなに悪魔の書を集めて何をしていたのかも気になる。
帝国の情報は表に出てくることがほとんどなく、世界各国が工作員を送り込み情報を探っている。同期の仲間も何人か入り込んで諜報活動をしているけど、組織の中枢までたどり着けた者は、いまだ誰もいない。そういった意味でも、アウロラの使徒である成海颯太とのコネクションは一塊のミスリルにも匹敵する。
何とかして篭絡し機密情報を引き出すことはできないものか。きっと驚くようなモノが出てくるに違いない。距離を縮めるために私はもっと愛想良くすべきだろうか。
「久我さんっ、コイツのHPが25%切ったら《鑑定》でモニタリングしてくれ!」
「……なんで私がそのスキルを持っているのを知っているの?」
「それは後回しだ。とにかく体力が残り2割で発狂する。俺が合図したら二人とも一度離れてくれ」
『分かったよ、成海クン!』
《鑑定》はとっておきだったのに……後で必ず問い詰めなければなるまい。それはともかく、この男ならば発狂まで問題なくタンクを続けられるだろう。だが発狂後は最深部のフロアボスにも劣らない強力無比なスキルを使ってくるわけで、専用の装備も無く、たった一人でどうにかできるとは思えない。
何か思いもよらぬ手段があるのか。それとも帝国の更なる機密を見せてくれるのだろうか。非常に興味深いが、その前に一応聞いておこう。
「成海颯太。何をやる気なの?」
「俺が発狂スキルを
避けるとは何だ。この悪魔の発狂を一度でも見たことがあるのなら、そんなことは到底不可能だと知っているはずなのに。しかし、ここまでの成海颯太を見れば本当に避けきってしまうかもしれない。全くもって得体の知れない男だ。
「……いまHP26%」
『発狂って、“リッチ”の発狂みたいなヤバイのを使ってくるんだよね』
「あぁ。千発の魔法弾を撃ってくるな」
『千発!? だ、大丈夫なの?』
「23%」
発狂が発動するHPが近づいてくるにつれ、苦戦を強いられ渋い顔をしていた悪魔が再び残虐な笑みを取り戻す。これでやっと惨たらしい死を与えられる、とか思っていそうな顔だ。
「21%」
「くるぞ、二人とも離れて!」
『信じてるよ! 成海クン!』
「まかせろ!」
急いで鎧女と共に広間の隅まで退避する。レッサーデーモンの発狂スキルはとにかく広範囲に壊滅的な被害をもたらす。十分な距離を取らねばならない。
「グシャァアグアアァア゛ア゛! シヌガイ゛イ゛!」
残り20%となったその時、視界が青い光で塗りつぶされる。地鳴りのような低周波の雄叫びとともに、赤黒かった悪魔の全身が青く燃え盛る炎に包まれ、広場が重苦しいほどの《オーラ》に満たされる。
この状態になってしまえばこのマジックウェポンでも通常攻撃は通らなくなり、攻撃力補正が付いたスキルでしかダメージを与えられなくなる。だが問題はそこではなく、この直後に撃つスキルの方だ。
悪魔が四本の腕を掲げると、頭上に現れたのは直径3mほどの円環魔法陣。複雑な紋様が描かれており、文字のような場所から真っ黒いどろどろとした魔力があふれ出ている。これだけ離れていても肌がピリピリするほどの恐ろしい魔力密度だ。
あの魔法陣から強力な魔法弾を召喚し連続で放ってくるのがレッサーデーモンの発狂スキル。単発でもそこらの建物を粉々にするほどの威力を誇るので、体に直撃したら余程の重装備でもなければ死は免れない。
対策として行われているのは二つ。一つはいくつもの《アンチミサイル》魔導具を多重起動して結界を張りつつ、魔法攻撃に強い純ミスリルの盾を何枚も張って衝撃に耐える方法。これは本国が取る最も安全な戦術であるが、魔導具は非常に高価だし、魔法弾を受け止めすぎた純ミスリルも使い物にならなくなって廃棄処分となり、この戦術を一度やるだけでも巨額の資金が吹き飛ぶ。にもかかわらずこの戦いにそれだけ利益を見いだせないというのが最大のデメリットだ。
もう一つは被害を覚悟して逃げ回る方法。必要とするものはなく安上がりなものの、被害が全く予測できないという致命的なデメリットがある。ターゲットを固定化させず魔法弾がばら撒かれれば、これだけ広い空間でもほぼ全ての場所に着弾してしまうだろう。下手をすれば全滅してもおかしくない。一般の攻略クランが取っていた方法だが、これははっきり言って博打そのものだ。
(そのどちらの選択も取らないというの?)
まさに今、魔法陣の照準が目の前の男にロックされ、極大の魔法弾が放たれようとしている。それなのに成海は何か特殊なアイテムを使う様子もなく、かといって逃げ回るというわけでもなく、棒立ちしたまま動く気配がない。あのニヤケ面が気になるが見届けるとしよう。
魔法陣が一瞬眩く光ると、何十個もの青い光球が同時に高速で噴射され、成海のいた周辺に光の線となって着弾する。同時に爆音が鳴り響き、綺麗に並べられていた石床がめくれ上がって土埃が勢いよく舞い上がる。さらに1秒も経たずに次の光球が同数召喚され、間を置かず撃ち込まれる。光球の召喚はまだまだ続く。まるで面制圧でもするかのような明らかに過剰な火力だ。
爆撃範囲は拡大していく。召喚される光球の数もますます増えていき、それらが雨あられのように降り続ける。もう成海のいた場所は周辺含めて無事な場所などどこにもない。荘厳な雰囲気だった聖堂広間もクレーターだらけになり、見るも無残な姿に成り果てている。
レッサーデーモンの発狂スキルを実際にこの目で見るのは初めてだったけど、動画で見たものと実際の現場はまるで違った。目の前に広がる壊滅的な惨状にどうしようもない恐怖がこみ上げてくる。隣にいる鎧女は一歩だけ後ずさったが踏みとどまり「頑張れ頑張れ」と斧を振って応援している。健気な事だが、大した装備もせずあれだけの爆撃を浴びてしまえば、いかに超人的なセンスを持つ成海でも生き残れないだろう……
(だけど、最大の問題はクリアされた)
あの防御力を上げる《オーラ》は健在なのでここから先は長期戦になるが、勝機はあると考えていい。一人の犠牲で済んだと思って気持ちを切り替えていかねばならない。鎧女の火力にも頼らざるを得ないのだから。
「鎧女……ここは気持ちを切り替えて――」
『成海クン!』
「それじゃ二人とも――」
土埃が晴れると、そこに何事も無かったかのように立っている男がいた。服に付いた汚れを呑気に払っている。本当にあの極大魔法弾の嵐を躱しきったというのか……いくら何でもありえない。
「――反撃といこうぜ」
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