第5話 世界設定
入学初日が終わり、帰途に就く。
何の心構えもなく突然ゲームの中に転移。一体何がどうなっているのか腰を落ち着けてじっくりと考えたいので、自分の部屋があるであろう学生寮に向かって歩いているところだ。
この冒険者学校は全国から生徒が集まってくる。そのためほとんどの生徒はこの学校に隣接する寮から通っているのだ。俺も同様に寮住まいかと思いきや――
「あんれぇ……ナルミ君だっけ。君ぃ寮に登録されてないよ? 自宅から通学してるんじゃないの?」
「えぇ……あの、ココってどこですかね。住所教えてくれませんか?」
寮の入り口にある部屋割り表を見ても成海の名前がなかったので寮の管理人さんに聞いてみたところ、どうやら自宅からの通学だったようだ。
管理人さんから「まだ若いのに……」と小声で憐れみを受けつつ冒険者学校入学案内のパンフレットが手渡される。表紙を捲って所在地を見てみれば、見知った場所が書かれていた。そういえばダンエクの世界はほぼ同時代の仮想日本が舞台だった。
元の世界でこの付近には遊びに来たことがあるが、山と海が眺められる風致公園と閑静な住宅地だったはず。それなのに校内から見える周囲の景色はビルやマンションだらけだ。ここら辺りは今深く考えても答えは出さそうなので管理人さんに礼を言い、調べてもらった自分の家とやらを目指してみることにする。
やけに厳重で頑強そうな正門から外に出ると学校前はホテルやデパート、複合商業施設が立ち並ぶ繁華街になっていた。一見、元の世界の街並みと同じように見えるが、通行人を見れば鎧を着ていたり大きな武器を背負っている人もいたりで間違いなくダンエクの世界だと分かる。
そんな街並みを眺めながら5分ほど歩いたところで、目的の住所に辿り着く。
家の一階部分は店舗になっており、入口上部には『雑貨ショップ ナルミ』と大きく書かれている看板がある。雑貨屋だろうか。家の表札もちゃんとブタオの苗字である「成海」なので間違いはない。しかし車も置いてあり、どうみても俺一人で住んでいる家ではないな……
(これ入っていいのか? でも知らない家に入るのは抵抗が……いや俺はここを知っている?)
辛うじて記憶を引き出せたのか、目の前の建物を見ると既視感と実家のような安心感が湧いてきた。というか実際、ここがブタオの実家なんだろうけど。
しばらく店の前でうろうろしていると、店の中からエプロンを着た四十路くらいの女性が声をかけてくる。
「あら、颯太だったの。不審者かと思ったじゃない」
「えぇと……ただいま……」
柔和な顔とスラっとした細めのスタイル。ブタオの太ったイメージとかけ離れているので母親ではないと思ったが……何とブタオの記憶がこの四十路美人が母親だと言っている!
「おにぃ。おかえり~」
奥から小学校高学年から中学生くらいだろうか、大きなパーカーを着た童顔の髪の短い女の子が髪留めをしながら出てきた。これまた可愛い子だが……俺を「おにぃ」と呼ぶということは、この娘がブタオの妹だというのか!
「そんな目を見開いて……どうしたの?」
「あ、いや。何でもない」
美形なサラブレッドからロバ……いや豚が産まれるものなのか。この世の神秘に触れた気分になる。
そんな不思議な感慨に耽りながら、ふらふら家へと入る。母娘は冷蔵庫の前で今日のご飯はどうするかと話し合っていて、特に俺のことは気にしていないようだ。
俺の部屋は……階段を上がって2階の奥か。
少しずつブタオの記憶を引き出すコツのようなものが分かってきた。どうやら思い出そうとするプロセスがいつものそれと違うようだ。別の人格を意識して覗き込むような感じなので今まで勝手が分からなかった。
普段の思考は俺が主体だし、すぐに引き出せる記憶も元の世界の俺と特に変わらない。だが早瀬カヲルや家族など、思い入れのある人物と話したとき、無意識的にブタオの感情がフラッシュバックすることがある。それらは俺の心情とは明確に違うので分かりやすい。
例えば早瀬カヲルを思い浮かべたときの焦燥感だったり、先ほどの母娘を見た時の安堵の感情だったり。俺には美人の恋人なんておらず、家族もいなかったので、唐突にあふれ出す経験のない感情に戸惑いを感じた。
これらを踏まえると俺はただ転移してブタオの体に入り込んだのではなく、俺という人間にブタオの記憶や感情が付随し混ざりあって同化している、というのが正解かもしれない。
突然異世界から来た知らない人に乗っ取られたブタオ君にはすまないと思うし、俺としてもさっさと出ていってやりたいのだが――というか全てダンエク運営が悪いのだが――そもそも出ていく方法が分からない。
今後出ていくにも、もしくはこの世界でブタオとして生きるとしても、情報を色々と集めて上手く乗り越えていかねばならない。
さて、何から手を付けていこうか。
*・・*・・*・・*・・*・・*
ブタオの部屋は北東に位置しているため、日当たりがそれほど良くないのか薄暗い。中に入ると床が古いせいなのか、はたまた重い体重のせいなのか少々軋む。
記憶を取り出しながら見渡せば何の違和感もなく、むしろ酷く落ち着く。突然の転移で勝手がわからず、今まで何気に緊張していたのだと初めて気づく。ベッドの上に荷物を投げ捨て、ほっと一息……というか。
(汚ねぇ部屋だな、オイ!)
違和感は確かにないが、そこら中に脱ぎすてた衣類や菓子袋が散乱し、書籍や漫画が積み重なって半分ごみ屋敷と化しているではないか。仕方がないのでテレビでも点けながら片付けるとする。
テレビ画面には恰幅のいいオッサンが国会の壇上で何やら話している。画面下には名前と上院議員で伯爵であるという説明が書かれている……伯爵ねぇ。
「ダンエク」の世界設定は日本を模したものになっている。だが模したものというだけで政治システムや国際関係、国民の考え方は民主主義の現代日本と大きく異なる。強権的で軍事色が強い政治に、貴族制を採用しているなど、どちらかといえば戦前の大日本帝国に近いだろうか。
まず政治システムだが、貴族院とも呼ばれる貴族のみの上院と、庶民院とも呼ばれる庶民でもなれる下院で政治を行っている。貴族は領地を持っているわけではないが単なる称号というわけでもなく、司法では裁かれないとか爵位に応じた政治力を行使できるなど幾つもの既得権益や強力な社会的特権も持っている。
学校にも貴族やそれに仕える士族の者が何人もいるので、対応する際には注意が必要だろう。流石に切捨御免なんてないと思うが。成海家は……どうみても平民だな。
そして調べてみれば、ダンジョンが登場する明治初期くらいまでは日本と酷似していることが分かる。戦国時代の武将や徳川幕府の将軍の名前も教科書や端末で参照した限りでは同じだし、明治維新も知っている通りだ。だがその後にダンジョンが登場したことで現代日本になる過程が大きく枝分かれし歴史が変わっている。
この国の皇族や政治家はどうなっているのか調べてみたが、明治以降では名前が一人も一致しない。ダンジョンが原因で継承者が変わったのか、あるいはこの国は明治以前の日本をモチーフにしただけで全く別の国なのか。今のところ後者のように思えるが、もう少し情報を集めたいところだ。
チャンネルを変えてみる。するとどこやらの冒険者くずれのテロリストが政治家を誘拐したというニュースが流れる。これも国内の話。元の世界の日本と比べて随分と治安が悪い。
本来マジックフィールド内でしか効果がない肉体強化だが、そのマジックフィールドはこの世界では十数年ほど前に人為的に作ることが成功している。それ以来、レベルアップを繰り返して銃弾すら効かなくなった冒険者くずれによる武力の行使が問題となっているのだ。
いくつものテロリストが冒険者くずれを取り入れ、その武力を背景に政治的主張をする一方、国もそれに対抗して冒険者を育成し配備。外交や諜報分野では超人的肉体を持った冒険者が暗躍しているという。世はまさに冒険者時代なのだっ! なんつって。
スポーツなどはマジックフィールド検知システムを導入して肉体強化を排除し、公平なことをアピールしているようだ。そりゃ巨大な龍をも倒す肉体でサッカーなんてやられたら……それはそれで見てみたい。
テレビを消して今度は落ちていた新聞を見てみる。日付は……四年前? 腕の端末で今日の日付を確認すると、これは昨日の新聞ということが分かる。
四年前といえばダンエクが発売した頃か。何か関係があるのか。
時間が巻き戻ったなら株価チートできるんじゃないかと思い、新聞の経済面を見てみる。いくつか見知った会社があるにはあるが、いわゆる財閥系列会社が経済を牛耳っていて同じ名前がついた会社名ばかり。日経平均も数値がかなり違っていて元の世界の知識は使えないことが分かった。4コマ漫画を見てみると……お、ボコちゃんがやってる。
次に部屋に置いてあるPCでインターネットを見る。普段通りのニュースサイト、動画サイトは特に変わっている箇所は見つからない。しかし色々なサイトを見ていると何やらおかしな事に気づく。先ほどから下着を着てポーズを決めているグラビアっぽいのならヒットするが、全裸画像が一向に見つからない。検閲が厳しいのだろうか。こんなに思想と自由を制限してたら国が発展しないと思うのだが如何なものか。
――以上のことを踏まえると、この国は戦前の日本の政治体制がそのまま続いた仮想日本……のようなものと言える。明治までは日本の歴史通りなのに、世界にダンジョンが現れた大正から昭和初期くらいから歴史が大きく変わっていることが分かる。
この世界では第二次世界大戦で日本は決定的な敗戦を免れてはいるものの、領土は今の日本と同じ。どうやったら無条件降伏をせずに元日本領を明け渡したのか疑問だ。
ゲームでは単なるワールド設定に過ぎなかったし、そういうものだと割り切っていた。だがそんな世界に転移したとなると話は変わってくる。
ダンジョンが発見されたことでこういった仮想日本ができ上がったというのはゲームの裏設定集を読んでいるようで調べていて面白いが、問題はゲームが現実となったこの世界が、とても面倒で不安定な状態になっているということだ。主義主張を持った超人共が跳梁跋扈する世界なんてどう考えてもおかしなことになる。
冒険者は冒険者ギルドの管理下で取り締まられているとはいえ、テロリスト、もとい冒険者くずれのせいで政情や治安が悪化している。そも、貴族がのさばるこの国では人権すらあやふやである可能性すらある。こちらの社会の常識を元の日本と同じと考えて人権だ、裁判だ、警察だ、などという考えは早々に修正すべきだろう。
そして忘れていけないのは、この世界は「ダンエク」だということ。つまり、ダンエクのシナリオやイベントが現実に冒険者学校、ひいては世界各地で起こりえるということだ。
早速ゲーム序盤でお馴染みの「刈谷イベント」が発生したわけだが、あの流れは全て俺の記憶通りの展開となった。ゲームで起こったことがこの世界でも起こるという確たる証拠と言える。まぁ刈谷イベント程度ならはっきりいってどうでもいい。あのイベントの結果がどうなろうと、俺に大した影響があるわけでもないし。
だがダンエクではシナリオによっては諜報部隊との抗争や国家レベルの戦争、ダンジョン一帯が更地になるなんて危険極まりないイベントもある。そんなことが起きたら正直手に負える気がしない。
そして困ったことにイベント巻き込まれ体質の「主人公」が同じクラスにいるのも問題だ。個々の破滅的なシナリオは、そちらに進まないようにある程度誘導できるかもしれないが、ゲームのメインストーリーで起こる事象については不可避かもしれない。
ゲームならそういった危険なイベントは盛り上がる要素となるのに、それが現実化すれば厄介でしかないというのは皮肉でしかない。
今後起こるかもしれない様々なトラブルに対応できるよう、さっさとダンジョンに潜ってレベルを上げておくべきか。明日と明後日は学校が休みで課題があるわけでもない。潜る時間はたっぷりある。それに、早くダンジョンに行って遊んでみたいしな。
そのようなことに思いを巡らせながらも1時間ほどかけてようやく片付く。部屋の隅には紐で縛られて分別されたゴミが積みあがっている。これはまた別の日にゴミに出せばいいか。
あと、片付けているときに見つけたのだが、何だろうなこの”結婚契約魔法書”ってのは。普通の色紙のように見えるけど、魔法書というからには何らかの魔法がかかっているのだろうか。
不思議に思いブタオの記憶を探ってみると、どうやら小さい頃に早瀬カヲルと結婚の約束をした手形のようなものらしい。よって、魔法書でも何でもない。「大きくなったらブタオ君のお嫁さんになってあげるっ!」って感じのやつかな。微笑ましいね。
思い出の品なら捨てるのもどうかと思うのでタンスの奥にでもしまっておくとしよう。
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