467:兄弟①

 帝城で通常使われる謁見の間。帝城には謁見の間も幾つか用意されており、普段使いされるのは、比較的狭い……まあ、大帝国にはそれほど相応しくない小さな部屋だ。

 今上皇帝は無能……という評判と有能という評判と、傲慢という評判と、慈愛の人という評判と……とにかく様々な言われようをされている。

 だが、日常の政務を司る、自分が普段使いする場所にこういった地味な場所を選んでいる時点で……倹約の人、合理的な人という面が大きく浮かび上がる。


「兄上は……私を、常に私の事を考えてくださった。ここで決戦を考えるのは、致し方ないでしょう。勝とうが負けようが、決死決戦で決着を着けるのは私が考えた作戦でもありますから。だが、親征である必要は無いのです。まず、行くのは、私。私が。私はこの日の為に生きて来たのですから!」


 普段、声を荒げること無く、常に臣下の礼を保ち、皇帝の脇に立ち続けてきた蒼の宰相……が。一切の感情乏しく、冷徹冷酷で生活に情を挟まずに、様々な決断を行ってきたあの宰相が。


 大きな声を出し、兄の判断を取り消そうと必死になっていた。


 いま、この狭い謁見の間には非常に少ない……現在帝国を支えている上層部の人間しか同場していない。


 皇帝の手が合図する。ソレと同時に、いつの間にか宰相の後ろに控えた……男……緋の月の首領であるバディアルが……何か薬を首元に撃ち込んだ。

 魔術的な結界、護符や装備品で何重にも守られていた宰相も、肉体を傷付けず、薬品を魔術的に直接注入されてしまえば、対応は出来なかった。


 バディアルは、崩れ落ちる宰相の身体をそのまま抱え、壁際に、いつの間にか用意されていたソファに身体を横たわらせる。


「眠ったな。ああ、よい。直言を許す。というか、我々以外、誰もおらぬのだろう? この部屋の周りには」


「は」


「クルセル。ラハルはどれくらいの間……満足に寝ていない?」


 使用人の格好でバディアルとは別の背後に佇んでいたクルセルが頭を下げたまま、答え始める。


「魔族襲来の報を聞くなり……ほとんどの睡眠は様々な実務に消えて参りました。さらにここ五日ほどは……一切休んで居られませんかと」


「馬鹿が。元々身体が強いワケでは無いのだぞ? お前が付いていながら何をしていた」


「申し訳ありません。ですが……帝国の存亡ここにありと仰られて」


「ああ、そんなことは判っておる。だが、帝国の存亡の前に……ラハルが死ねば、その時点でこの国は終わるのだぞ? そこをわきまえよ」


「は……誠に……」


「まあ、いい。昔から……お前はラハルに「お願い」されると、断れなかったものな……くくく」


 クルセルの表情が困る。


「天上様……お戯れを」


「つくづく。私の肉体がラハルのモノであれば……な。残念だ」


「……」


「バディアル。クルセル……付き合え。多分、最後だ」


 謁見の間にはテーブルが用意されていた。目で合図した先にある酒肴。クルセルは、美しい装飾の付いたデキャンタを恭しく持ち上げ、今上皇帝に注ぐ。


「ラハルが……そこまで根を詰めるということは……状況は非常に厳しいということは理解しているな?」


 バディアル、クルセルが頷く。


「つまり、超常的とも言える魔道具を駆使し、芸術的とも言えるラハルの作戦に従って、さらに朕が親征したところで……もうこれはどうにも勝てぬかもしれん。いや、ここまでこいつが悩むという事は、どうやっても勝てぬのだろう……」


 その目に……迷いは一切無かった。


「よいか。私が敗れたら、お前達はラハルを担いでとにかく後退せよ」


「……いえ、ですが、我が帝国が叶わぬ敵からどこへ……」


「東だ。あるのだろう? ラハルの権謀術数、深遠策略をはね除けた国が。そこに有能な者が居るのだろう?」


 バディアル、クルセルは、つい、口から……「なぜ」という言葉が出かかるくらい、動揺した。その情報、報告は未だに未確定で……当然天上へは奏上していない。大陸で一番優れていると断言出来る頭脳を持つ、自分達の主人ですら……未だに計りかねている事案だったからだ。


「くくく。お主ら二人のその顔を見れただけでも、天原への土産になろう。爺も笑ってくれようぞ」


 クルセルは天上人である皇帝と、その片腕、宰相である弟のラハルの教育役として古くから仕えている。元近衛大隊長であった父の命で、近年は宰相の執事として仕ええている。


 今この場に、皇家の縁戚が後ろに付いていないことから判る様に、現皇帝リドルは、幼少時から皇帝として期待されるような要素が足りなかった。

 皇子時代の継承権は第五位。図抜けた体力、腕力、秀でた知力、稀少な魔力、激情による威圧……皇帝として必要とされる全ての要素が圧倒的に足りなかった。


 無かったわけでは無い。だが、同世代に、どう、考えても、リドルよりも優れた兄、姉が複数存在した。


 ちなみに弟のラハルは継承位十四位と非常に低い。


 ラハルは幼い頃に重い熱病に侵されて以来、片足が動かなくなり、杖をついての移動を余儀なくされた。「満足に身動き出来ぬ者」として、不吉、皇家に不幸をもたらすと、内密の内に処理しようとする者も多数存在したのだ。


 だが、それら全てをはね除けたのは、リドルだった。彼はラハルが賢いという事を様々な場所でアピールし、自分がどれだけ彼に依存しているか……を「さりげなく」主張していった。


 リドルはラハルと違い、継承権だけを見れば上位に位置する。大帝国の皇子の権威を存分に利用し、ちょっとした我が儘、弟を庇護する兄の主張くらいは押し通すことが可能だったのだ。


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