313:四阿の主

「そうか。アクリセが、か」


 庭園の四阿に幾つかの書類が山積みになっている。その書類の山の中心で。椅子に座るこの四阿の主がお茶を飲みながら……右の掌で目を隠した。


 報告をした緋の月の連絡員は彼がああする時は泣いているのだという事を知っている。


 見るからに優雅な。そして滑らかな生地。ゆったりとした、それでいて動きやすい蒼い服。デザインは……ベルトで留める作務衣……だろうか。柔らかな生地で作られている合わせの大きめの上掛けを引っかけて、分厚い報告書から顔を上げる。


 その顔立ちは……まさに芸術品。切れ長の目。長い睫毛。シュッとした鼻。薄い唇。白い肌。敢えて欠点を上げるとすれば、顔のバランス的に口の幅が広め……という事くらいだろうか。そのため、笑顔が妙に似合う。


 長い髪は黒に近い紺色。一般的な茶色の髪に比べて、一本一本がクッキリとしている。


 草木の緑と、咲き乱れる色とりどりの花。その中で服の蒼と相まって、異様に目立つ。


「彼は……ああ、そうか。東方……ローレシアを任せていた……のだったか」


「はっ」


「なぜ、死んだ?」


「それが……」


「ん……どういうことだ?」


 緋の月の者は、一番の下っ端であっても、自分がどういう状況でなぜ死ぬことになったのか……という事を仲間に託して死ぬ。強敵であればあるほど、その情報が大切になるからだ。

 復讐するかしないかは残された者達が決めるが、緋の月が、これまでに逃した相手はいない。


「匂いを追わせました。城塞都市カンパルラから少し東に外れた場所が、アクリセが命を落とした場所です。ですが……それ以上は……」


「ああ、確か東端……の城砦都市か。リドリスの」


「はい。普通であれば……その。我々が何かを掴んでからの報告になるのですが、今回はそうも言っていられないかと思い……」


「?」


「そちらの報告書を」


 長く細い指がそれを持ち上げる。


「リドリス家の……次男が王国直参で叙爵か。ああ、そのカンパルラの城砦都市、それ以東の領地を治めることになるのか。ってあそこ以東は深淵の森だろう? あってないような物ではないか」


「はい。その理由が」


「夜光都市……か。ああ。都市住民に高性能な灯りの魔道具を配付した……という報告があったな」


「はい。さらに、城砦都市全体が女神の加護で夜でも明るいという」


「おお。その情報を聞いて、人を増やす指示をしたな。そういえば。ちょっと前に」


「はい。これまでリドリスで活動していた者達をカンパルラに向かわせると共に、新規で一隊。商隊を派遣しました。さらに……なんとなく嫌な予感がしましたので……念のため、アクリセを」


「ああ。悪い判断じゃ無い。というか、そこまで厚くすれば……お前達なら確実に何かしらの成果が上がるハズだが……」


 ここまで、四阿の主は、独り言を言っている様に……呟いているだけだ。答えは全て、彼の耳元でしか音になっていない。周囲に人影は一切無く。たまに柔らかな風が吹いている。


「つまり。私の緋の月が……十本の一人を遣わしたにも関わらず、何一つ独自に情報を得ることが出来ていないということかい」


「……申し訳ありません」


「そういえば……ここ半年くらいか。ローレシアで……ああ。完全に読まれたか。そのリドリス……周辺で尽く、こちらの手の者が討ち取られているな」


「……確かに。カンパルラに乗り込んだ者達だけでなく、リドリスで山賊を率いていた者……狂乱敗走スタンピード担当者……」


「確か……カンパルラの領主となるリドリスの次男。その娘に虫毒ギャシを使ったハズだ。その娘が死んだ……という情報は一切無いな?」


「はい。半年前……いえ、個々数カ月前辺りから誰一人戻っておりませんし……周辺都市での一般商人からの聞き込みでもそのような情報は一切ありません」


ふー。


 長く息を吐き、目を閉じて、考えこむ。

 

「考えられるのは、その次男が娘の危機を経験し、我々の存在に気がついたのだろうな。そしてリドリス家、辺境伯家に助力を頼んだ。その力がなければ、緋の月のみを集中的に潰す……のは不可能だ。かなりの人が動いているハズだ」


「はい……少々悔しいのですが、現実を受け止めなければでしょう」


「そうだな……そして、そのカンパルラの新領主が叙爵される最大の原因が、特製ポーション……か」


 風が……動いた。


 そして、次の瞬間には。四阿の書類の狭間にポーション瓶が置かれていた。


「今回、それが手に入りました。僭越ながら、中身は改めております」


「ん? どうだった……というか、何故、私に確かめさせる?」


 ポーションは……非常に不味い。それは世界の常識だ。


 なので、中身を確認済みだというのなら、主である自分にわざわざ飲んでみろとは言わないはずだ。緋の月の者達は四阿の主に絶対の忠誠を誓っているし、彼に苦痛を与える敵や何かを決して許さない。


 それはお互いの共通認識だ。にも関わらず。ポーション瓶を手にして、口に運ぶ。ん? 


「……なんだこれは」


「は。それが特製ポーションだそうです。その一瓶で、これまでのポーション数本分の効能が確認されています。浅い切り傷であれば、それをかけ、少量口に含むだけで治癒されます」


「あり得ない……な。聞いたことも無いぞ? なんだ、この飲みやすさは。いや、下手すれば絞り汁等のジュースよりもサッパリしていて旨いなんて……。遺跡からの発掘品でも、錬金術関連の文献でも、見たことも聞いたことも無い」


「は。主様がそう言うのであれば……これは、「カンパルラ」にしか無い物なのでしょう」


「私は錬金術に関して、世界で最も詳しいと思っていたのだがな。とりあえず、ポーションに関しては完全に敗北したわけか。つまり、灯りの魔道具の情報を得た時点で……もっと本格的に動かなければ成らなかったということだな。少々、いや、知らぬうちに驕り高ぶったか」


「……」


「緋の月はこれまで通り。いや、遠方諸国に送り込んでいる者達を引き上げさせろ。そしてリドリスへ向かわせろ。現在動かせる十本は?」


「弐、参、漆、玖……といったところでしょうか?」


「全員だな。さらに……。ああ。これ以上は色々と確認してからか。本格的に裏戦を仕掛けるぞ」


「はっ」


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