291:元剣術師範の苦悩2
「マシェリエル様。この度はお時間ありがとうございます」
「姫様、申し訳ありませんな。ドノバンがどうしても、と申しましてな……」
「いや、構わない」
マシェリエル様はなんとなく上の空……と言った顔でこちらを見た。なんだろうか……非常に曖昧というか……剛毅果断という言葉がお似合いの姫将軍の面影はどこへやら。剣術指南として幼少の頃から見知っているわけだが……こんな表情は見たことが……ない。
「姫様……今回我々がこうして来ましたのは……」
「ああ。判っている。私が何を考えているのか怖くなったのだろう? あの勝負以来、何一つ声を掛けなかったからな……」
まあ、その通りだ。ああしたマシェリエル様の我が儘に始まった模擬戦は過去に何度か行われている。だが、勝っても負けても、その度に姫様主催の食事会などが行われ、お互いの健闘を称え合う……ことで遺恨を無くし、丸く収まることになる。
今回はそれが無かった。これでは、負けた姫様に遺恨有り……と思われても仕方が無い。
「済まんな……余計な心配をかけてしまったか……」
ふむ。それほど遺恨が残っている……と言うわけでは無い様だ。
「では、何も問題は無かったと?」
「……問題は……あるな」
何か……他でやらかしたか? サノブ殿はそれを恐れてさっさとカンパルラに戻ったのだが……。
「アーリィにな……言われたのだ」
アーリィシュ・ケラオ・シャラガ。マシェリエル様の側近中の側近。元近衛騎士の側付きだ。彼女の剣は既に、師匠である私に匹敵する。今もこのテラスの入口……で警護の任に着いているハズだ。
「……私は、恋をしている……らしい」
「え?」
「ええ?」
あ。いや。た、確か、マシェリエル様は……16で隣国レデフに嫁ぎ、18で夫である第二王子、シンゲラ様が病で亡くなった。爵位などの継承がハッキリしておらず、その四年後……複雑な外交交渉の末、ローレシアに帰ることになった。
あれから既に二年。つまり……現在は24歳になられるハズだ。
24歳といえば、既に適齢期も過ぎている。
※こちらの世界での女性の適齢期は14~18歳。口の悪い者は20歳でも行き遅れと噂する。貴族の場合、10歳近辺で婚約者がいるのは当然で、事情があれば、12歳で婚約、結婚もよくある話である。
出戻りであることと、身分の高さが問題となり、現在も御一人で過ごしている。まあ、そもそも、武威がありすぎるのが問題なのだがな……。
「いま、恋と仰いましたか」
「ど、どなたに……」
「それがな……ノラム……か。かの御仁に、だ」
……。そんな馬鹿な……。
「ちょ、そ、それは、あの、え?」
ち、父上の顔も……驚愕を隠せない。
「負けたあの日の夜……から。寝ても覚めても、常に、あの御仁の事が忘れられないのだ。今も常に、浮かび続けている」
「え、あの、姫様、ノラムは……その、酷い怪我で顔をマスクで隠しておりましたし、会話もほとんどされていなかったと思うのですが……」
「ああ。顔など、ホンの少し傷痕を見せられたくらいだな。だが、そんな事は関係無いようだ。私自身も少々、戸惑っておる。これはどうすれば……爺、どうすればよい?」
「いや……あの……」
父上が幾ら賢かろうと、これの答えは……出ないのではないだろうか?
「姫様、ノラムは……その、平民でして……」
「そんなものは養子でも家名を与えるでも、如何様にでもなる」
まあ、そうだ。
マシェリエル様は容姿の美醜では無く、ノラムの武威に惚れたのかもしれない。圧倒的だったからな……。あの勝負は。姫様の剣技はこの国でも有数。正直、あそこまで徹底的に打ちのめされた、歯が立たなかったのは初めてなのかも知れない。
これは不味い。……これは面倒くさいことになり……そうだ。
ノラム……いや、サノブ殿が……現公爵とはいえ、王家に列なる姫様の好意を「これは名誉」と素直に受け容れる……ワケが無い。
表向きは受け容れても、姫様の夫となって……というのは、サノブ殿の性格的にあり得ない。
とにかくそういう……貴族絡みのあれやこれやが嫌で、我々に丸投げしたのだから。
だが。
もしも。
姫様の懇願を受けて、王家経由で是非に……と申し込まれてしまったら……リドリス家としては断れない。
サノブ殿をリドリス家の養子として身分を整え、彼を姫様に差し出す準備をしなければならない。
何よりも彼の現在の身分は平民なのが勘違いを呼んでいる。我々貴族は、平民が我々貴族の側に列せられるのは、尽く名誉と思う……と信じ込んでいる。
それこそ、自分もそう思っていた。王前で、直接、お褒めの言葉をいただくことが最上の誉れと思い込んでいた。
だが、サノブ殿は違うのだ。
多分、そこに一切の価値を認めていない。地位や名誉の使い方は知っていても、固執すべき重要な要素ではないのだ。
マズイ。それは出来ない。絶対に出来ない。
「ひ、姫様……ノラムを知る者として……一言よろしいでしょうか……」
「ああ。教えてくれ。彼のコトであれば、何でも知りたい」
目が輝いた……うわぁ……これは本気か……。
「まず、彼は……貴族の権勢を何一つ権威と考えておりません」
「ああ。それは……何となく判る」
「はい。姫様であれば、当然、第一王女、戦女神、現公爵……王侯貴族としての肩書きを背負って生きて来られました。それらはある意味、生きる上での縛り、行く道を制限することに他なりません。ですが……彼は……彼にはそれが一切無いのです」
「であろうな。だから……私は一人で……まあ、アーリィには相談してしまったが……爺達にも相談せずに悩んでいたのだ……」
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