第2話:少女と落下

「え?」


 身体が浮く感覚。クオーツの視界いっぱいに、まるで獣のように口を開けたクラックが広がった。


「っ!!」


 クオーツが咄嗟に手を伸ばし、クラックの端を片手で掴んで落下を防いだ。


 しかし状況は芳しくない。今にも掴んでいる部分が体重に耐えられずに割れそうだった。


「せ、先輩……なぜ!?」

「悪いな……竜水晶はよ、スキル発現に使うと割れちまうらしいんだ。つまり、一回しか使えない。お前、俺に素直に譲るか? いや譲らねえよなあ。だったらお前には死んでもらった方が都合が良い」

「そ、そんな……譲りますから、助けてください!」

「すまないな。悪意を見せた相手に背中を見せるほど、俺は甘くねえんだ」


 先輩労働者がクオーツを一瞥すらせず、中央の赤い水晶へと近付いていく。


「くそ……嫌だ……こんなところで死にたくない!」


 何とか這い上がろうとするも、無駄だった。


 もはや落下するのも、時間の問題だ。


 またもや騙された。それが悔しくて泣きそうだった。


 クオーツがもがく中、先輩採掘者が赤い水晶へと辿り付く。


「これで俺も……あははは! 力を手に入れたらこんなクソ鉱山ぶっ潰してや――」


 彼が赤い水晶触れた瞬間――


「は?」


 空間の中にあった水晶が全て動き始め、そして先輩労働者の目の前で地面が隆起する。


「な、何だ!?」


 その反動で、クオーツも落ちかけていたクラックから飛ばされ、壁際へと身体を打ち付けた。


「ん? 久々に起きたと思ったら……なぜ人間が我が寝所にいる?」


 そんな声が響き渡る。


「ああ……ああああああ!!」


 先輩労働者の前にそびえ立っていたのは巨大な竜だった。その鼻先には巨大な赤い水晶状の角が生えており、身体の居たるところから水晶がまるで鱗のように生えている。


 そう、この部屋にあった水晶は……全て地面の中で眠っていたこの竜から生えていたものだった。


「ああ……嘘だ……なんで」

「まあ良い。眠りを妨げる虫は……潰すに限る」


 竜の言葉と共に、水晶状の爪が呆然としていた先輩採掘者へと振り下ろされた。


 肉の潰れる音が響く。


 クオーツが叫ぼうとしたその瞬間。甘い匂いと共に、口を何かに塞がれた。


「シーっ! 声を出さないで!」

「んー! んー!」


 クオーツの後ろから手を前に回して、彼の口を塞いでいたのは、黒髪の美しい少女だった。


「静かに! 見付かったら殺されるわよ! 分かったら頷きなさい」

「んー! ん!」


 コクコクと頷いたクオーツの口から手が放された。そしてそのままグイッと身体を引っ張られると、壁にあった小さな隙間へと押し込められた。


 その隙間に黒髪の少女も入る。


 狭い空間で密着したことで、クオーツが顔を真っ赤にした。


「なななな、なに!? 君は!?」


 静かに叫ぶという器用なことをするクオーツを、少女が睨む。


「良いから、黙って!」

「どういうこと? なんで竜が、君は誰?」

「ああもう、うっさいわね! 後で説明するから黙ってなさい!」


 少女が目を釣り上げて怒るので、クオーツは無言で頷いた。


「ふうむ……まだ人間の臭いがするが……こやつの死体の臭いか? ふあああ……寝るとしよう」


 水晶竜がそう独り事を呟くと、再び地面へと潜っていった。


 空間に静寂が戻る。相変わらず中央には赤い水晶――竜の角――が瞬いている。


「ふう……危なかったわ。というかあんたらバカじゃないの!? ガジャラの寝所に入りこむなんて!」


 少女がそんなことを言いながら壁の隙間から出ていく。それにクオーツも続いた。


「えっと……ガジャラ?」

「ん? 水晶竜ガジャラよ? 有名じゃない……ってあれ……あんたまさか……人間!? あ、尻尾も角もない!」

「へ?」


 クオーツが改めてその少女を見つめた。見たところ黒髪に、赤い燃えるような瞳の美しい少女だが、良く見れば頭部の左右から黒い角が、お尻の辺りから、赤と黒の鱗を纏った細い尻尾が生えていた。


 動きやすさを重視した服を纏っており、一見すると冒険者か何かに見える。


「えっと……僕は人間だけど」

「っ!! しまった私としたことが……人間を助けるなんて! ええい、なんでこんなとこに人間がいるのよ! とにかく死になさい!」


 良く見れば、その少女の瞳孔は縦長であり、角と尻尾も相まって、それはクオーツの知るところの竜人という種族の特徴に当てはまっていた。

 

 そんな竜人の少女が殺気を纏って、魔法陣を展開しながらクオーツへと掴みかかろうと一歩踏み出した、その瞬間。


「へ?」

「あっ」


 二人が立っていた床に、亀裂が入り――


「ぎゃあああああああ!!」


 二人は砕けた床と共に――奈落へと落ちていった。


「ぎゃあああああ!!」


 叫ぶ少女をクオーツは抱き寄せると、下方向へと目を向けた。


 穴はどこまでも続いているように見え、ところどころを巨大な水晶が淡く照らしている。


「まずいなこれ」

「たーすーけーてー!! びええええええん!!」


 先ほどまでの威勢はどこに消えたのか、泣き叫ぶ少女を抱えながら、クオーツは落ちていく。


 なぜか、彼はこの危機的状況で妙に冷静になれた。というより、色んな事が一度に起こり過ぎて、理解を放棄したのだ。


 考えるのは、如何に生き残るかということだけに絞った。


「君! 竜人なんだろ!? 竜人は竜と人、どちらの長所も持っているって聞いたけど、凄い身体能力で着地とかできないの!?」

「むーりー!! あたし、魔術以外はからきしだもん!!」


 クオーツの目に終着点が映る。落ちる二人を待っているのは固い水晶状の床であり、このまま落ちれば二人とも肉塊となって終わりだろう。


「なんか魔術撃って着地とか!?」

「むーりー! 攻撃魔術しか無理だしこの状況じゃできない!! 高いところむり!!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ少女をよそに、クオーツは思考する。


 何とかこの速度を緩めないと死んでしまう。あるのはツルハシだけだ。だけどこの速度では、壁に当てたところで弾かれる。


 落下速度を緩めるような何か強力な衝撃が必要だ。爆発魔術でも何でもいい。


「爆発……そうか!」

「あああ、お父様お母様家出してごめんなさい!」

「君、この首輪外せる!?」

「首輪!? これなら魔力を込めるだけで無理矢理外せるけど!?」

「早く!」


 少女が分からないまま、手をクオーツの首輪へと伸ばし、魔力を込めた。すると砕けたような音と共に、首輪が外れる。


 同時に、首輪の爆石がそれを感知して赤く光りはじめた。


「イチかバチかだ!」


 クオーツは落下しながら、その首輪を下へと投げた。


 そして少女を抱えると背中を下へと向ける。


「あんた何し――」


 少女がそう言った瞬間に――爆発音。


 爆炎と衝撃波が二人を襲った。


「ぎゃあああああ!!」


 落下速度がその余波で一瞬、ピタリと止まり、そして縦穴の壁際へと二人を吹っ飛ばした。


 意識が飛びそうになりながらもクオーツがツルハシを壁へとありったけの力で突き刺す。


 壁を削る音と、火花。腕がもげそうなほどの力が掛かってくる。


「ああああああ!!」


 クオーツが叫びながらツルハシを握り続ける。


 やがて二人は地面へとぶつかった。


「がはっ!」


 身体全体を襲う衝撃で、再び意識が飛びそうになるも、何とか保ったまま、クオーツは抱き抱えていた少女を離した。


「いててて……あんた大丈夫!?」

「大丈……夫かな?」


 見たところ、少女は平気なようだ。


「あんたバカじゃないの!? あんな無茶苦茶な着地して! 普通なら死んでるわよ!」

「あはは……運が良かった……ほら、さっきの爆発で床が割れて……砂になってる」


 クオーツの言う通り、爆石の影響で地面の水晶が砕けて砂状になっていた。もし岩のような地面に落ちていたらまず生きていなかっただろう。


「なんで……私まで助けたのよ。あんたを殺そうとしたのよ!? あんた一人だったらもっと着地も軽く済んだはずでしょ?」

「でも……最初にあの水晶竜から助けてくれたのは……君だから……それに首輪は……僕一人では外せなかった」

「それは……その……」


 少女が困ったような顔していたのを見て、クオーツが無理矢理微笑んだ。


「僕は……クオーツ。君は?」

「あたしは……カーネリア。あの……その……助けてくれて……ありがとう……」


 その竜人の少女――カーネリアはそう言って、顔を真っ赤にして逸らした。


 それが後に、名コンビとも呼ばれることになる、クオーツとカーネリアの出会いだった。

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