11:30 友人に、伝える

「あ、山川やまかわ


 サシャもトールもバス酔いすること無く無事に、サテライトキャンパスのある『駅前』に辿り着く。同時に、明るい声がトールの耳に響いた。


伊藤いとう


 蒸し暑いのだから、待つのなら駅の外ではなくバーガーショップで待てば良いのに。その言葉を飲み込み、トールは、小野寺おのでらと同じサッカー&フットサルクラブでの幼馴染みである伊藤に大きく笑ってみせた。


「1限は良かったのか?」


「うーん」


 トールの軽い言葉に、伊藤が軽い唸り声を返す。


「単位は、足りてるから、……まあ」


 それよりも腹減った。情けない伊藤の言葉に頷くと、トールは二人の様子を見上げていたサシャの、震えが止まった蒼白い頬を確かめた。


「あ、小野寺のメッセージにあった」


 トールの視線でサシャに気付いた伊藤が、サシャに向かって大きく微笑む。


「俺は、伊藤、つかさ。山川の、……腐れ縁、かな」


 そう言って頭を掻いた伊藤に半ば呆れた笑いを返すと、トールはバーガーショップに行こうと伊藤を促した。


 今にも雨が降り出しそうな曇り空の所為か、昔の特産品であった石を模した青緑色の石畳も、どこかくすんで見える。ターミナル駅の周りはバス停留所も分かりやすい感じで綺麗に整ったが、そこから続く商店街はこれから再開発が進むらしい。平日なので人通りが少なめな、どこかくすんで見える建物群を普段通りに真っ直ぐ歩き、トールと伊藤は慣れた調子でハンバーガーショップのカウンターに並んだ。


「クーポン、まだ期限切れてなかったよな」


 伊藤が財布から取り出したボロボロのクーポン券の中から、テリヤキバーガーのクーポンを千切り取る。サシャの好みは分からないが、苦い生タマネギが入っているものは選ばない方が良いだろう。そう考え、トールはテリヤキバーガーのセットを二つ注文した。


「俺も、今日はテリヤキバーガーの気分だな」


 いつもはダブルバーガーのセットをポテトをLサイズにして頼む伊藤が、メニューに指を滑らせる。


「セットのポテトも、……普通ので良いか」


 今日の伊藤は、少しおかしい。サシャと自分用のセットの飲み物にグレープジュースとオレンジジュースを選びながら、苦い思いを飲み込む。大学二年生になってから、小野寺は、サッカー&フットサルクラブに顔を出す時間が極端に減っている。工学部所属の伊藤と一緒に、食堂の机で勉強することも、最近はしていない。それで良いのだろうか。トールとサシャの分までお金を払おうとする伊藤に首を横に振る。良いわけがない。


 サシャのことについて伊藤にメッセージを送るくらいだから、小野寺は伊藤のことをきちんと『仲の良い幼馴染み』だと思っている。寂れたような気配が漂うバーガーショップの二階の隅に座るや否やバーガーに手を伸ばした伊藤を見やる。トールや小野寺と同じグループで作業をしている教育学部の男子が、小野寺に自分の感情を一方的に押しつけている。何とか、しなければ。


「ハンバーガー、食べるの、初めてか?」


 伊藤の言葉に、はっとしてトールの横に座るサシャの方へと目を移す。トレイの上のバーガーの紙包みとポテトを見つめるだけのサシャに、トールは心の中で「すまない」と謝った。伊藤と小野寺のことに気を取られすぎて、この時代の食べ物の食べ方を知らないサシャのことをすっかり忘れていた。


 二人のことを考えるのは、後にしよう。おもむろに、ハンバーガーの包みを手に取る。お手本を示すようにバーガーの包みを開き、出てきた濃厚な香りに齧りつくと、小さく微笑んだサシャはトールと同じ手つきでハンバーガーを手に取り、とろりと流れる照り焼きソースを一滴もこぼすことなく、小さな口でハンバーガーを頬張った。


「日本の味、旨いだろ?」


 サシャを留学生だと理解している伊藤が、ハンバーガーをゆっくりと咀嚼するサシャに笑いかける。伊藤のその言葉にサシャがこくんと頷くと、伊藤の方は平らげたハンバーガーの包みをくしゃくしゃにし、ポテトには手を着けずにコーラが入った紙コップを手にした。


「やっぱり、夏休みにサッカーの試合、どこかとできないかな? 小学生じゃなくて、俺達のチーム」


 コーラを半分ほど飲み干した伊藤が、トールの方へと身を乗り出す。


「暑いから、大人は『秋にしてくれ』って言うだろうな、きっと」


「隣の県の大学に行った奴に聞いてみたら?」


「そうだな」


 トールの言葉に、紙ナプキンで手を拭いた伊藤が自分のスマートフォンを取り出す。しかし誰かの連絡先を探すでもなく画面を見つめる伊藤に、トールは口の中のフライドポテトを飲み込んだ。……今、言わなければ。


「伊藤」


 声に震えがないことに、ほっとする。


「小野寺に、きちんと、気持ちを伝えるべきだよ」


 その心のまま、トールは、これまでに何度も練習した台詞を口にした。


「大丈夫さ。小野寺は、伊藤のこと好いてるし、たとえ伊藤より好きなやつがいたとしても、伊藤の好意を他の人に言いふらすなんてこと、するやつじゃない」


 トールの言葉に、伊藤の顔が一瞬だけ固まる。しかしすぐに、伊藤は口の端を上げ、照れるように俯いた。


「……うん。そうだな」


 照れ笑いのまま、トレイの上のフライドポテトを鷲掴みした伊藤の言葉に、安堵と悔恨が入り交じる。これで、良い。苦い唾を、トールはオレンジジュースで飲み下した。


 そう言えば。全然減ってないグレープジュースに再びはっとしてサシャを見る。


「これ、葡萄のジュースだから」


 小声でそう言いながら紙コップにストローを刺すと、トールはサシャの前に紫色が透けて見える紙コップを置いた。


「……!」


 予想よりも甘かったのだろう、グレープジュースを一口啜ったサシャが、トールを見上げる。トールの真似をしてフライトポテトを親指と人差し指で摘まみ、口に入れて目を瞬かせたサシャに、トールの胸の痛みは少しだけ治まった。


「で、こっちは、前に話した『馬鈴薯』っていうのを揚げたやつ」


 伊藤が紙ナプキンを取りに行った隙を見計らい、サシャにフライドポテトとテリヤキバーガーの説明をする。


「美味しいだろ?」


「うん!」


 トールの言葉に素直に頷いたサシャに、トールはほっと胸を撫で下ろした。


 そのサシャの身体が、トールの方に少し傾く。


 サシャは、何も言わない。だが、サシャは、小野寺に好意を伝えるよう伊藤に勧めたトールの胸の痛みを知っている。また少しだけ、心が軽くなったように感じ、トールから身を離したサシャにトールは無言で感謝の意を伝えた。

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