11:00 バス停にて
サテライトキャンパスがある『駅前』に行くには、大学側のバス停から、30分に一本しか来ないバスに乗る必要がある。間に合うだろうか? そんなことを考えながら、横を歩くサシャを確かめる。サシャの額にも頬にも、汗は見えない。『本』であった所為か、サシャの世界では、蒸し暑さは感じなかった。しかし今日は、雨が降りそうな曇り空。暑くはないのだろうか?
「水、補給するか?」
バス停に向かう途中の横断歩道で、尋ねてみる。
「まだ、あるよ」
手拭いに包まれたままのペットボトルを肩掛け鞄からちょっとだけ出したサシャに、トールは微笑みを隠せなかった。
そう言えば。幹線道路沿いのバス停に辿り着き、スマートフォンでバスの位置を確かめながら、朝の約束を思い出す。トールの世界の『便利』なものの原理を、サシャに説明しなければ。
「サシャ」
バス停に佇む古いベンチに腰掛け、ディパックからタブレット端末を取り出す。
「まず、『水洗トイレ』なんだけど、あれ、意外に簡単な仕組みで動いてるんだ」
そう言いながら、タブレット端末の検索結果を、トールの左側に座ったサシャに示す。便器の下、水が溜まっている部分は、下水からの異臭や異物が入り込まないように下から上へ、そして少しだけ上がった先にある『堰』から排水路へと再び下がっていく、管を折り曲げたような構造になっている。水が溜まっているその部分に更に水を加えると、水位が上がることで管が密閉され、サイフォン現象によって水が下から上へ引っ張られていくことで排泄物が全て下水へと流れていく。図をふんだんに使った企業のサイトに目を瞬かせたサシャに、トールも小さく頷いていた。
「それから、『自動販売機』と、……『エレベーター』」
電車が来るまで次々と、これまでにサシャが出会った『便利なもの』について、その仕組みに関する検索結果をタブレット端末を使ってサシャに見せる。
「すごいねぇ」
感嘆の声を発したサシャに、トールは思わず微笑んだ。
「ねえ、トール」
そのサシャが、タブレット端末からトールの方へと目を移す。
「その、タブレット端末、があれば、何でも調べられるの?」
「そうでもない」
ある意味予想していたサシャの質問に、トールは自分の意見を答えた。
「まだまだ、本の中にしかない知識や情報は、いっぱいあるんだ」
サテライトキャンパスが入っている建物には、図書館も入っている。午後の授業が終わったら、サシャに図書館を見せよう。そこまで考えたトールの耳が、普通の車とは異なる音を聞きつける。
「バス、来るよ」
トールがそう言うと同時に、トールにとっては馴染みがあるカラフルな色が、トールとサシャの前に滑り込んだ。
「えっ。こ、これに、乗る……」
「大丈夫」
音を立てて勢い良く開いたバスのドアに、サシャの震えが大きくなる。
バスは、かなり揺れる。サシャは、車酔いしないだろうか? 不意に脳裏を過った不安に、トールはサシャには分からないように小さく首を横に振った。サシャの世界の馬車も、揺れはバス以上。大丈夫。小さくその言葉を口にすると、トールはサシャの腕を抱えるようにしてサシャがバスに乗るのを助けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。