王都からの使者 2

 買い出しに行ったり邸周りの掃除をしたり、本館以外での仕事は幾らでもある。例の如く、ご客人の前には出ないようにというお達しにより、バランド子爵がいらした昨日の午後から私にはそういった作業が任せられることになった。


「ここはもういいから、この書類をジスランのところに届けに行って頂戴」


 庭の草引きをしていたところでそう声を掛けられ、屈めていた体を起こして振り返る。そこにいたのは、いつも通りの不機嫌な表情を浮かべたクレティエンだった。


「分かりました。じゃあここを片付けたらすぐ」

「片付けはバスチアンに任せるわ。それより早くこれを」


 最近腰の調子が思わしくないとぼやいていた、庭師のバスチアン。この量の草を麻袋に詰め込む作業は、たぶん腰痛悪化に拍車を掛けるだろう。せめてこの一画だけでも片付けさせてもらえないかと訴えたけれど、クレティエンは片眉をピクリと上げただけで、差し出した封書を引っ込める気配すら感じさせない。

 そんなに急いで届ける必要があるものなら、今朝早くワイン樽を馬車で運び込んできたあの青年に言づければ良かったのだ。彼が農業組合長のジスランの所に寄るって言っていたのは、私と一緒に検品に立ち会ったクレティエンだって聞いていたはずなのに……。

 私は釈然としないまま、それでも逆らうことなんてできないから、黙って作業用手袋を外してそれを受け取った。さっさと用事を済ませて、帰ったらすぐにバスチアンを手伝おう、そう思っていたら。


「ついでに、休憩も取るといいわ。昼過ぎまで戻らなくて結構よ」

「ええっ、昼過ぎまで? でもまだ10時になったばかりで」

「つべこべ言わずに従いなさい」

「……」


 私をこの邸の敷地内に置いておきたくない、そんな意図がひしひしと感じられる。そこまで私を子爵の目に触れさせたくないのかと、すごく嫌な気持ちになった。クレティエンが私を信用していないのは分かっているけれど、こんなにもあからさまに厄介払いしなくたって……。


「戻ったら別館の自室で待機しておくように。私が声を掛けるまではそこから出ないこと、いいわね?」


 ちょっと厳重すぎて、もはや私に対する嫌がらせとしか思えない。私のことがお嫌いですか、そんな言葉が出かかったけれど、何とか飲み込んでうなずいた。

 今日はいい天気だし、のんびり散歩気分でジスランのいる農業組合まで向かおう。その後はゆっくりマルシェやカフェの並ぶルータム通りを歩いて、お昼を食べるのもいいかもしれない。イライラしてやさぐれた心は、美味しいもので癒すのが一番だ。


「おう、ニナじゃねえか。組合の方に来るなんて珍しいな」


 レンガ造りの小さな建物のドアを開けると、カウンターにいたジスランが声をかけてくれた。

 普段顔を合わせるのはブランモワ邸の中でのことがほとんどなせいか、なんとなく気恥ずかしさを覚えつつ、入口のところでペコリと頭を下げる。


「あの、書類を急ぎで届けるように言われて」

「書類? ……急ぎのモンなんてあったかな」


 首を傾げながらも、それを持ってくるよう手招きするジスラン。私が差し出した封書を受け取ると、ジスランは雑な手つきでそれを開けて中を確認し始めた。


「作付計画変更期限のおしらせ……なんでぇ、こんなどうでもいい手紙を届けるよう言付かって来たのか?」

「どうでもいい内容なんですか、それ」

「俺が昨日食った夕飯の内容よりどうでもいいよ! 今年度の作付けは変更ナシだってこないだの会合で決まったし、それは領主様にも報告してあるんだからよ」

「……そ、ですか」


 それを聞いた瞬間、こんな早い時間から休憩に入るなんて何だか申し訳ないとか、こっそり早めに戻ってバスチアンを手伝おうとか、そういう真面目な自分を勢いよく押し退けて心の前面に台頭してきたのは、混じりけのない怒りの感情だった。

 こうなったら昼食どころかデザートまでゆっくり堪能して、休憩時間ギリギリかちょっと過ぎるぐらいまでルータム通りをほっつき歩いてやる。バスチアンの腰の状態を心配している場合じゃない、ともすれば誰彼構わず攻撃してしまいそうなこの刺々した心をうまく丸め込まなくては。


「ところで……どうだ、仕事は。出世はできそうかい?」


 そう尋ねられ、力なく首を横に振る。


「まだまだ下っ端のままですよ。こうして大して急ぎでもないお使いを頼まれたりして、理不尽な目に合ってます」

「ハッハッハ! 下積みってえのは辛いよなあ!」


 ジスランは豪快に笑いながら、私の肩をポンと叩いた。


「ま、嫌なことがありゃ次は良いことが起きるかもしれねえ。神様だかお天道様だかがうまい具合に割り振ってくれてると信じて、のんびりやり過ごすといいさ」


 そう言ってジスランはカウンター下に手をやると、そこから取り出した油紙に包まれた何かを私に差し出した。


「今、旅の大道芸団が来ていてな。そいつらのふるさとの菓子をもらったんだが、どうも俺の舌が受け付けてくれなくてよ。良かったら、お前んとこの坊主と一緒に食べてくれ」


 受け取ると、手のひらにずっしりとした重量感を覚えた。包み紙に覆われているせいか香りは全く感じられないけれど、柔らかな触感は伝わってくる。


「かなり甘い練り菓子だ。何つったかな……そう、ロクム、って名前の」

「ロクム!」


 その名前を聞いて、思わず上ずった声を上げてしまった。


「知ってんのか」

「はい、ナターク共和国の伝統的なお菓子ですよ。”海のないくに”っていうお話の中にこのロクムが出てくるシーンがあって、私、一度食べてみたかったんです」

「……もしかして、”イッピートリート”のことか?」

「そうですそうです! ジスランもあのお話知ってるんですか?」

「子どもにせがまれて、毎晩寝る前に読み聞かせてた絵本だからなあ。一時は本を見なくても暗唱できたくらいだ」


 ナタークには海がない。でも、それ以外のものならなんでもあった――そんな書き出しで始まる子ども向けの冒険物語は、ナターク共和国のことが忠実に描かれていて、その歴史や国柄なんかを手軽に学べる素晴らしい教本でもあったりする。教員育成学校の入学試験にもその内容の一部が出題されたこともあるらしく、受験対策のためにと書棚の奥から全シリーズを引っ張り出してきて、つい時間を忘れて読みふけってしまったことを思い出した。


「ありがとうございます。ジスランの言う通り、ここに来たおかげでいいことが起きました」

「そんなに喜んでもらえるなんて、こっちも嬉しいよ。……ところで、この後すぐに邸に戻るのか?」

「あー……いえ、マルシェに寄って、お昼ご飯を食べようかなって思ってますけど」

「じゃあちょうどいいや。今2階で蓄音機を修理してくれてるヤツがいるんだけどよ、ガスパルの店に行きてぇそうなんだ。今日はみんな出払っちまってここには俺しかいねぇから、代わりに通りを案内してやってほしいんだよ」

「蓄音機……?」


 組合員の面々を頭に浮かべてみるけれど、優雅に音楽を嗜むような趣味を持つ人がいるとは思えない。あまりにこの場にそぐわない物があることに首を傾げた、その時だった。


「ゴムダンパーが潰れて硬化していたことが原因みたいだ。交換用のストックがあれば修理の続きができるんだが、ここにはないのか?」


 不意に、足音と共に聞き覚えのある声が階段の方から降りてきた。声の主を確認しようと振り返った私の目に映ったのは――


「キアン!」


 思いもよらない人の登場に、驚いて声を上げる。それに反応して、キアンの方も目を丸くしてこちらに顔を向けた。


「なんだニナ、こいつのこと知ってるのか」

「あ、はい。ちょっといろいろお世話になっていて……」


 普通に答えただけなのに、ジスランはなぜかニヤニヤ笑いながら意味ありげに私とキアンを交互に見比べている。

 きっとまた何かつまらないことを考えているんだろう、でもここで何かしら反応を見せてしまうと藪蛇になってしまうのは明らかだ。


「こ、こんなところで会うなんてびっくりしちゃったよ。蓄音機の修理をしていたのって、キアンだったんだね」


 視線にはわざと気付かないふりをしながら、さりげなくジスランの元から離れてキアンの方へと歩み寄る。


「こういう仕事、請け負うことにしたの?」

「いや、ビゼー道具店に行くつもりだったんだ。店の場所を聞こうとして彼に声を掛けたらこの建物に連れ込まれた上に、なぜか蓄音機を見てくれと言われて」


 困惑した面持ちでそう話すキアン。

 ビゼー道具店はかなり専門的なお店だから、ジスランはそこに行きたがっているキアンのことを機械工か何かだと思ったんだろう。それで、壊れた蓄音機の修理を頼んだに違いない。

 ジスランの”思惑”を理解した私は、この土地に来たばかりの頃の自分に降りかかったとある災難を思い出し、小さくため息をついた。


「あんまり無茶なことをさせちゃだめですよ、ジスラン」


 私の言葉に、ジスランは一瞬だけ焦った表情を浮かべたものの、すぐにあごをやや上にあげて腕を組み、やけに演技がかった鹿爪らしい顔をしてみせた。

 

「困ってる人間の頼みを聞けねえような度量の狭い奴に、通りを歩かせるわけにはいかねえからな! 俺という”ルータムの守り人”の無理難題を乗り越えてこそ」

「新年のお祭りの時にクレープの屋台をよそ者の私とリュカに切り盛りさせて、リリーにずいぶん怒られたのは誰でしたっけね」


 リリーというのはジスランの奥さんのリリアンヌのことだ。

 頭の上がらない人物の名を出されたせいか、ジスランはふてぶてしかった態度を急変させた。そして背中を丸めながら拗ねたように唇をとがらせると、まあそう言うなよ、と消え入りそうな声で呟いた。


「あん時の客捌きは本当に見事だったぜ。なんせ、毎年あの祭りを取り仕切ってるうちの母ちゃんもニナの腕前を認めたんだからよ」


 顔をくしゃっとさせて笑うジスラン。愛嬌のあるその笑顔に思わず脱力した私は、今度は深くため息を付いてから苦笑いを返した。


「キアン、修理はもう終わりそう?」

「部品が足りないからこれ以上の作業は無理だな。蓄音機自体は量産品だけどかなり古い型のものだから、部品が手に入るかどうかで代金は変わっ」

「ジスラン、また今度! ほら、行くよキアン」

「えっ、行くってどこに」

「ビゼー道具店でしょ? 私が案内するから」

「いや、でもその前に、修理の手間賃と部品代金を」

「いいから!」


 渋るキアンの腕を無理やり引っ張って、組合の施設を出る。


「おい、何なんだ一体。まだ見積もりの話が済んでないんだぞ」


 外に出るなり、私が掴んでいた腕を振りほどきながらキアンが苛立ったようにそう言った。


「そんなのしなくていい」

「はあ!? いやっ、でも」

「どうしても必要なら、私が払うから。ジスランには請求しないで」


 私の返答に、キアンはその表情に貼り付いたままだった困惑の色をますます濃くしていく。


「あれは……何て言うか、ジスランなりの親切なんだよ。この町の人たちに、いい形で馴染めるようにっていうお膳立てをしてくれてるの」


 真意を求めて私を見下ろすキアンの要望に応えたけれど、どうもきちんと伝わらなかったようで。


「……よく分からないんだが」

「うん、だと思った」


 苦笑いを返しつつ、歩を進める。キアンも、名残惜しそうに組合の方を一旦振り返ったものの、特に反発するような態度を見せることなく素直に私の後について歩き出した。


「私の時もそうだったんだ。新年祭で、人手が足りないから屋台の売り子をしろって言われて」


 右も左も分からない状態でリュカと二人、注文されたクレープを作って渡して代金をもらって……そんな作業をひたすら繰り返していた。ギヨーム様は息抜きにと私たちをお祭りに行かせてくれたのに、結局あの日は一日中働かされることになってしまい、息抜きどころかすっかり疲れ切って邸に戻ったのだ。


「フランメル王国の人は基本的に排他的だから、私たちみたいによそから来た人間はなかなか受け入れてもらえないんだよね。でもそのお祭りでの一件があったお陰でみんなが名前を覚えてくれて、働き者のいい奴だって認めてもくれた」

「それじゃ、蓄音機の修理を頼まれたのは……」

「単なる仕事の依頼じゃなくて、ここに馴染むきっかけを作ろうとしてくれてるんだと思うよ」


 キアンは腕を組んで眉間にしわを寄せ、何か考えるような仕草をしている。たぶん、修理代金を捨ててまでこの町にいい形で受容されることの何がメリットなのか、いまいちピンときていないんだろう。


「キアンがこの土地に長くいるつもりがないことは分かってる。だから尚更、あまり意味を感じないかもしれないけど……でももしかしたらここじゃないどこか、ずっと先の未来で、今日売った恩が巡り巡ってキアンの助けにつながるかもしれないからさ」

「……」

「さっきも言ったけど、代金は私がちゃんと支払うよ。必要な部品を探すのも手伝う。だから」

「いや、いい」


 顔を上げ、キアンがそうきっぱりと言い放った。


「返してもらえるかどうかも分からない、しかもあっちから一方的に恩を売らされることの意味はやっぱり理解できないが……ニナがそう言うのなら、たぶんそれはいつかどこかで俺の助けになるんだと思う」

「……やけに信頼度高いな私」

「信頼はしているさ。君は、今まで会った奴らとは違う形で俺のことを理解してくれるから」

「えっ……」

「だから工賃も部品代も取らない。俺の厚意で、彼を助けることにするよ」


 そう言って屈託ない笑顔を向けてくれたこの人は、私にとって大切な存在になるかもしれない。なぜか不意に胸を通り過ぎた予感に、私の頬は思いがけず温度を上げてしまった。






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