ナタークの大道芸団

 本屋、散髪屋、ちょっと高級なブティック、小さなカフェ……石畳の独特な模様が美しい道を挟んで色んな店が立ち並ぶこの通りは”ルータム通り”と呼ばれている。南北に長く続くその通りのちょうど真ん中にある大きな広場では、季節の野菜や果物、漁港から今朝届いたばかりの新鮮な魚介類が並ぶマルシェが開かれていて、ビゼー道具店に向かう道すがら、私たちは何となく屋台を見て回っていた。


「なかなかの人出だな。今日はイベントか何かやっているのか?」

「ううん、大体いつもこんな感じ。地元の住人だけじゃなく、遠くからわざわざここまで食材を買い付けに来る人もいるらしいから」

「日常的にこんなに混んでいるとは……」


 バルジーナ皇国にもこういった市場はあるそうだけれど、ここまで活気づいた雰囲気ではないらしく、キアンは物珍しそうに商品の陳列棚を覗き込んでいる。


「この小さくて赤い実は、果物なのか」

「そう、グロゼイユっていうんだよ。見た目は色鮮やかでおいしそうだけどかなり酸っぱいから、このままではちょっと食べづらいかもね」

「じゃあこっちは?」

「あっ、ネクタリーヌ! これは桃によく似た味で、皮ごと食べてもおいしいの。私もリュカもすごく好きなんだけど、王都に出回るのはいつももうちょっと遅い時期だから」


 そこまで言って、はっと口を噤む。色とりどり並ぶ果物にワクワクを抑えられずにはしゃいでしまって、つい自分の出自に関係することについて舌を滑らせてしまいそうになったのだ。

 幸いなことにこの失言は雑踏に紛れてかき消されていたようで、キアンは特に反応を見せる様子はなく、引き続き商品を眺めながら、ネクタリーヌか、と小さく呟くのみだった。


「悪いが道をあけてくれ!」


 そうやってしばらく商品を見て回っていると、不意に威勢のいい声が辺りに響いた。何が始まったのかと声のした方を伸び上がって覗き込むと、大量の布のようなものを積んだ荷車が目に入った。

 あふれる人波を堂々とかき分けて進んでいく何台もの荷車。その場にいた人たちは嫌な顔をすることなく、むしろとても協力的な態度で道を譲っている。 動物の革をなめして繋ぎ合わせただけのその大きな布は、商品ではないということだけは分かった。ずいぶん質素と言うか素朴と言うか、とにかく地味で特徴的なところは何もないし、そもそもかなり使い古された感じがあるからだ。でも一体何の目的でこの混雑したマルシェにあの革布を運び込んでいるのかは、全く見当もつかなかった。


「何だ、何か始まるのか?」

「あんちゃん、この時期にマルシェに来たのは初めてか?」


 彼らを見送りながら問いかけたキアンに、私が口を開くより前に串焼き肉の屋台のおじさんが苦笑しながら声を掛けた。


「ありゃあこの辺りの風物詩でよ。毎とし雨季が近づくと、ルータム通りの店の屋根に若い衆が上って革のタープを取り付けていくんだ」

「タープ……って、雨よけとかに使う布製の?」

「そうそう。向かい合った店の屋根を渡していく感じでタープを張るんだよ。んで、このマルシェのある広場にはでっかいテントを張るんだ。雨季はいつも客足が鈍っちまって売り上げも落ちてたんだが、濡れずに買い物ができりゃそれも解決できるだろって、領主様が商工組合に提案して、タープやらテントやらを寄付して下さったらしい」

「なるほど……通りの店全部の屋根に謎のポールが立っていたのは、タープを張るためだったのか。しかしそれならいっそ、屋根を造り付けてしまった方が良さそうだけどな」

「そんなことしたら、天道祭りのランタンを店の前から上げられなくなるだろ」


 天道祭りというのはいわゆる収穫祭みたいなもので、作物の収穫を祝い、来年度の豊穣を願って夜空に小さな熱気球を飛ばす催しなんだそうだ。元々は収穫後の小麦畑で行なわれていた、農村部だけのお祭りだったらしいけれど、豊作=商売繁盛につながるとしてこの商業地区でも実施されるようになったのだとか。


「夜空によ、たくさんのランタンが飛んでいくんだ。そりゃあもう言葉にできねえくらいの絶景でな。俺は流しで屋台をやってるだけでここが地元ってわけじゃねえんだが、それでもこの土地に自然と感謝の念が湧くくらい、毎年あの光景には感動させられんだよな」

「へえー……」


 眼裏にその時の情景を映しているのか、目を閉じてうっとりとそう話すおじさんに、つい私もその心情につられて惚けたような声で相槌を返した。


「8月の半ばごろにやる祭りだ、興味があるならまたその頃来るといい。今日のところはうちの串焼き肉を食いながらタープ張りの様子でも見て行ったらどうだ? 今年はナタークの大道芸人たちが手伝うみてえだから、何かおもしろいパフォーマンスが見られるかもしれねえぞ」

「ナタークの、大道芸人?」

「ああ。昨日かおとといだったかな、いきなりこの町に来たんだ。妙な輩は入れたくねえって通りの店の奴らは言ってたんだが、今は繁忙期だろ? 力仕事でもなんでも手伝わせりゃいいって、農業組合のエライさんが口添えしたみてえでよ。しばらく滞在させる代わりに、いろいろと雑用を引き受けてもらってるらしいぜ」


 そのエライさんというのはたぶん、ジスランのことだろう。本当にあちこちで世話を焼いているんだなと思い、私は小さく笑いをこぼした。


「いろいろと教えて下さってありがとうございます。用事が済んだら、お昼を買いにここに寄らせてもらいますね」

「おう、待ってるからな!」


 おじさんに手を振り、その場を後にしようと踵を返す。お昼時の屋台は行列ができるくらいに混雑するから、そうなる前に道具店までの案内を済ませよう。そんなことを考えながら足を踏み出した。

 私のすぐそばを、タープを積んだ荷車が通り過ぎていく。荷台には、マントを羽織りフードを目深に被った男性数人が向かい合うようにして座っていた。わずかな風に翻ったマントの裾部分には、”狼の口”と呼ばれる邪視払いの幾何学紋様が織り込まれており、彼らがナタークの人間であることはすぐに分かった。


「何言ってんだ、お前らなら壁をよじ登れば行けるだろ」

 

 その荷車の方から聞こえてきた話し声に、私はぴたりと足を止めた。


「えー! でも組合長さんがハシゴを用意してくれるって」

「甘えたこと言ってねーで、さっさと持ち場についてこいよ。タープは後から俺が屋根まで上げるから」

「団長ってホント、自然にラクな役回りかっさらっていくよなぁ……」


 団長と呼ばれたその男性。フードから零れる長髪は黒く、マントから伸びた腕は細いながらもゴツゴツとした筋肉質で、肌は浅黒い。いつも優雅に金髪をなびかせて、透き通る白い肌や細長い指を見せびらかし、お前より俺の方がよっぽど女らしいよなと得意げな笑みを浮かべていたあいつとは似ても似つかないけれど、私があの声を聞き間違えるはずはない。


「フィル!」


 確信した瞬間口をついて出たその名前に、周りにいた何人かが振り返った。荷車に乗ったあの男もこちらに顔を向けかけたけれど、ちょうどその瞬間、私の目の前を通った集団によって視界を遮られてしまった。


「待って! ねえ、」

「ニナ、危ない!」


 荷車の方へ駆け出そうとしていたところを、キアンに手を掴まれて引き戻されたと同時に、鼻先をかすめるようにしてまた別の荷車が通り過ぎて行く。


「大丈夫か?」

「う、うん……」


 あともう一歩でも踏み出していたら、私は確実に荷車に轢かれてしまっていただろう。

 キアンが小さく息をついてから、黙って慰めるかのように私の肩をポンポンと撫でた。チラチラとこちらに向けられる好奇の視線、そしてちょっと間違えれば事故を起こしていたかもしれなかったという事実に、じわじわと現実の色味が増していくのを感じた私は、うつむいて唇を噛みしめた。

 分かってる。こんなところにフィルが……失踪した兄がいるわけがない。顔は見えなかったけれど姿かたちは全く違うし、話し方も全然似ていなかった、ただ同じような声だったってだけだ。そもそもフィルは目立った特徴のない、ごく一般的な男性の声をしていたんだから、似通った声色の人なんてごまんといることは、考えなくたって分かることなのに。


「知り合いだったのか?」


 キアンに尋ねられ、力なく首を横に振る。


「たぶん人違い。声がちょっと似てただけで、見た目はぜんぜん違ったから」

「追いかけて確かめた方がいい。見た目なんて、魔術でどうとでもなるんだから」

「いいの。たとえ本人だったとしても、会って話すことなんてないし」

「でも」

「いいんだってば!」


 声を荒らげた上に、肩に置かれたままだった手を勢いよく振り払ってしまってから、はっと我に返る。


「ご、ごめん……」

「俺がしつこくしたから怒ったんだろう。なら謝らないといけないのは俺の方じゃないのか」

「違う、今のは……私が、ただ八つ当たりしただけだから。悪いのは私の方だよ」


 力なく答えた私に、キアンは少しの間をあけてから、そうか、と呟いた。


「そろそろ道具店に行こう。ガスパルってけっこう気まぐれな人でさ、午前中で店閉めちゃうこともあるから」

「分かった。……ニナ」

「……」

「俺にできることがあるなら、遠慮なく言ってくれ。的確なアドバイスなんていうのは到底できないが、魔術に関することなら役に立てると思うから」


 キアンはきっと、さっきの人が魔術で姿を変えているかどうか確かめたいなら協力する、と言ってくれているんだろう。でもたとえあれが兄本人と分かったところで、私のこともリュカのことも見捨てたヤツに話したいことなんて、恨み言以外に何も思いつかないのだ。


「……ありがとう。何かあったら、お願いするね」


 キアンの気遣いに、感謝の意だけを伝える。さすがのキアンも私の態度に何か感じるものがあったのか、それ以上この件に関して踏み込んでくるようなことはしなかった。







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