第一部・第4話

 国境までは、それから三日。

 やっと辿り着いた。

 広範囲に渡る爆撃があったせいか、あれからは一度も戦闘をすることなく移動を続ける。

 そのせいか、意識を失ったままだが、シーラの容態は安定していた。

 スコラは常に横についたまま。短い仮眠をとる時ですらシーラの横で眠った。

 ティマは哨戒も兼ね、ほとんどの時間を屋根の上で重機関銃と共にいる。それが全員にとっての安心材料でもあった。

 戦闘に遭遇しなかったとはいえ、全員が無口だった。最低限の会話しかしていない。

 全員が〝アーカム〟を理解することに戸惑っていた。

 混乱していた。

 理解とも違うのだろう。

 信じるか、反発するか。

 受け入れるか、拒絶するか。

 今までの人生の中で、想像もしなかったこと。

 この世界の外にある、もう一つの世界。

 朝──。

 早朝──。

 まだうっすらと夜の名残がある時間──。

 装甲車は、国境の橋に辿り着いていた。

 誰も何も言わなかったが、自然と装甲車は橋の前で止まった。

 長い橋。

 向こう側に自分達の故郷がある。

 運転席のヒーナ、助手席のナツメ。

 屋根の上では重機関銃のシートに座るティマ。

 誰も口を開かなかった。

 橋の向こうに、遠くからでも分かる荒廃した街並みが見えた。

 まだ薄暗い時間だというのに、一つも灯りは見えない。

 すると、装甲車後部と運転スペースを仕切る扉が開く。

 チグが顔を出した。

「久しぶりに雨止んでるね……今、どこ?」

 至るところに銃撃によるヒビが入るフロントガラス越しに、チグが目の前の橋に視線を送りながら口を開いた。

 ナツメが応える。

「これじゃあ、分かんないよねえ……ここの周りですら面影ないもん」

 そのナツメを受けてヒーナも挟まる。

「建物もほとんどなくなっちゃってさ……あと一〇〇年もすれば砂漠になるのかもね」

 チグが再び口を開く。

「で、今どこ?」

「国境」

 ぶっきらぼうに応えるヒーナ。

 その言葉の裏にどんな感情があるのか、それが分かるだけに、チグは言葉を止めた。

 辿り着きたかったのに、帰りたくない。

 当然、未だにお互いの両親の生死は分からないままだ。不雑な感情はチグだけでなくヒーナにもある。

 元々国内の民間部隊として、前線に送られることはないと思っていた。そのために国軍を選ばなかった。両親を探すためでもあった。しかし国や政治に振り回される。戦争に人生を動かされた。

 超えることがないと思っていた国境を越え、やっと戻ってきた。

 国の勝手で、国軍の都合で、自分はここにいる────ヒーナにとって、その感情はやはり簡単に消せるものではない。

 軍人になんかならなければ、ずっと国内にいて…………どんな人生になったのだろう。生きていられただろうか…………チグとも一緒にいられたか分からない。何も知らずにいたほうが幸せだったのかもしれない…………どうせ、いつかは、誰もが死ぬ…………。

「……おかしな話だよね」

 ヒーナの耳にチグの言葉が入り込む。

 その声が続いた。

「どうして、私たち、ここにいるのかな……?」

 ──自分で選んだ…………

 ──生きるために…………

 ──誰かのせいだけど…………その度に自分で選んできた…………選べた…………

 ──選べない人もいる…………自分はワガママだ…………

「まあ…………」

 やっとヒーナが口を開いた。

「チグがいれば、それでいいや」

「さすが親友」

「まだ死ぬなよ」

「ヒーナもね」

 ナツメはどうなのだろう、と、ふとチグは考えた。ナツメの過去を聞いたことはない。明るい性格のナツメに暗い過去があるようには見えなかったが、それは何かの裏返しなのだろうか……なぜ、正反対に見えるティマと唯一心を通わせられるのか……その横顔からは分からない。

 しばらくの静寂の後、チグが口を開いた。

「国軍の本部にさあ……量子コンピュータがあるんだよね」

 ヒーナが応える。

「何それ。しかもなんで国軍のことをあんたが知ってるのよ」

「好きだからに決まってるでしょ……民間部隊になんかある物じゃないし、正直使ってみたかった」

「今の状況であんたの趣味なんか──」

「〝アーカム〟の解析をしたい。量子コンピュータならもっと分かることがあるかもしれない」

 その目は真剣だった。

 そして続ける。

「……みんなだって……知りたいでしょ…………」

 誰も応えない中、チグは屋根を見上げた。

 ──ティマ……あなたはどこに行きたいの?

 ティマは屋根の上、機銃越しに橋の向こうに見える荒廃した街を眺めていた。

 数日前の空爆の被害は見られない。建物がいくつも見える。それでもやはり、知っている街とは違う。例え遠くからであっても、人の営みがあるようには見えない。

 すると、機銃台座横の隙間からスコラが頭を出した。

「国境?」

 ティマが遠くを見据えたまま応える。

「うん。……いいんでしょ? 帰っても……」

「そうね……あそこを目指してきた……戦争が本当に終わったのか……どこが勝ったのか……分からないことばかり。それに……」

 スコラは軽く下に視線を向けて続ける。

「シーラの治療もしないと……ここにある物資だけじゃ……」

「そうだね。行こう」

「ティマへの感謝は忘れない──絶対に忘れない」

「軍人だから……軍人として……」

「でも、あなたは〝命〟を救った」

「あなたもね……何人も救ったんでしょ?」

 ティマがスコラへ首を回した。

 スコラが初めて見る、柔らかいティマの表情。

 空が明るくなってくる。

 いつの間にか、久しぶりの陽の光が降り注いでいた。





 軍中央本部ビル──。

 橋を渡り、人影の無い街をいくつも経由し、首都のそのビルに到着したのは、陽がだいぶ上がった頃。

 その頃には、全員の気持ちを絶望感が包み込んでいた。

 少なくとも戦勝国には見えない。

 どこにも人気がない。

 それは、目の前のビルも同じだった。

 六人の中で、このビルに入ったことがあるのはシーラくらいのものだ。末端の兵士が入れる場所ではない。

 ビルの正面で、ヒーナは装甲車を停めた。

 思わずヒーナの呟きが溢れる。

「帝国の面影もなくなったか…………」

「ホントだね……なんだったんだろ…………」

 自然と応えていたのは助手席のナツメだった。

 かつて見ていた光景が崩壊している現実。

 帰ってきた場所は、帰りたかった場所ではなかった。

 ティマの声が屋根の上から聞こえる。

「チグ──このビルにも動くものはないの?」

「動体センサーには何も……」

 運転席からヒーナの声。

「どうする?」

 すると、再びティマ。

「私が行く」

 アスファルトに飛び降りたティマに、珍しく不安げなナツメが助手席から声をかけた。

「何も……持たなくていいの……?」

 背中を向けて歩きながら、ティマは愛用のオートマティックを掲げる。

「これだけで」

 ナツメの口元に笑みが浮かぶ。

 ──そうだよね……もう分かって…………

 そして続ける。

「多分大丈夫だと思うけど、ティマが戻ってくるまで警戒を続けるよ」

 そして残る全員が周囲を見渡した。

 建物の至る所が崩れかけている。ここも戦場になったことが窺えた。どこにも煙は見当たらない。しばらく戦闘行為がなかったことだけは分かる。大きな門を抜けて道路が続き、建物入り口まで五段程度の幅の広い階段があった。

 入り口はガラス張り。自動ドアだったはずだが、今はそのガラスすらない。電気も通っているようには見えなかった。

 軍の本部ビルに人気がない時点で、この国が国として存続しているとは思えない。秩序どころか、インフラだけでなく、国民が残っているとすら思えない惨状だった。

 三〇分程でティマが戻る。

 誰も残ってはいない。しかしそうは言わず、

「緊急用の保管庫を見付けた。食料、弾薬、医療物資もある。医務室は問題なく使えそう」

 それを聞いたスコラの目が輝いていくのが分かった。

 それを見たティマが続ける。

「シーラを運ぼう。しばらくはここを拠点に──」

 全員が頷く。

 装甲車を駐車場に納めると、一階の医務室にシーラを運ぶ。電気は通っていないため、医療用の機械類は使えない。しかし戦場での治療行為を行なっていたスコラには問題ない。

 そして二日間──スコラは医務室を動かなかった。

 その間、このビルを離れたのは三人──全員で相談した上で、ヒーナとチグが故郷を目指すことになった。

 ビルの駐車場には小型の軍用車両が数台残っていた。どこの国でも使われているエコノミータイプだが、辛うじて整備の出来る物は一台。二人の故郷は首都から近い。周囲の状況把握も兼ね、ナツメをドライバーとした。腕の怪我はほとんど治っている。

 ビルの警戒はティマが一人で行える。いつものようにティマ自ら買って出た。

 ビルは二五階建て──中の探索も兼ねていた。所々戦火の後はあったが、建物そのものを崩壊させるほどの大きな被害があるようには見えなかった。鍵が掛かった部屋も多くあったが、やはり人間はいない。終戦のデータに繋がるような資料も見当たらない。

 ヒーナとチグの故郷までは、車で一日弱──早朝に出発して、到着した頃は夜のだいぶ遅い時間だった。本来であればもっと早く着ける距離だが、やはり至る所が戦火のために悪路と化していた。しかもルート上の調査をしながら。

 やはり誰にも会わない。

 そして、死体すらない。

 ただただ荒廃した街並みを見続け、絶望感と諦めが口数を減らした。

 夜の星空だけが三人の気持ちを早らせる。

 当然、故郷が近づいていくことでヒーナとチグの気持ちはざわついていた。

 落ち着かない。

 そこに誰かがいることを期待する。

 誰かがいることに対する期待。

 誰かがいることへの恐怖。

 両親がいるわけはない──いるはずがない。

 それを確認することの緊張感。

 認めることへの嫌悪感。

 やがて、車は二人の家へ──。

 何も変わっていなかった。

 あの時のまま。

 時が止まったまま──しかし、二人の時間は進んでいた。

 二人は瓦礫の上に立ち尽くす。

 周囲は静かなまま。しかし、ここに辿り着く前に、何度も同じような静けさは味わっていた。


 小さな音──人の動きが作り出す空気の揺らぎ──運転席で二人を待っていたナツメの耳に、いくつかの音が届く。


 ライフルの部品が擦れる、微かな音。

 方向は一カ所だけ。

 広がり方からすると、せいぜい四〜五人。

 車で逃走するか、車を盾にするか……。

 ナツメは開けたままの運転席の窓から手を出し、車の薄いボディを軽く指で突いた。

 その小さな音に、ヒーナとチグが振り向く。

 小さく頷くナツメ。

 二人は車に近づき、ナツメは運転席を降りた。

 自動小銃を低い位置で二人に渡しながら小さく口を開く。

「──正面の半分崩れた家の影……四〜五人……だいぶ近付かれた──車を出せば狙い撃ちに合う。あっちと違ってこっちには身を隠せる所はない……車を盾に──」

 三人が腰を落とし、自動小銃を構えた直後、暗闇が小さく光った直後に銃声が響く。

 続けて何発も音が弾ける。

 車のボディが鉛玉を吸い込む振動が三人に伝わり、三人は引き金を引いた。

 車が激しく揺れる。

 敵兵がゆっくりと広がり始めた。

 一人が月明かりに一瞬だけ浮かんだ直後、ヒーナが叫んだ。

「待って‼︎ 民間部隊だ‼︎」

「──え────⁉︎」

 ナツメが小さく応えようとし、ヒーナが軽く腰を浮かせ、更に叫ぶ。

「待って‼︎ 私達は──‼︎」

「危ない‼︎」

 ナツメは立ち上がりかけると同時に、見開いた目で、敵兵を横目で追う。

 懐かしい顔が見えた。


 ──お父さん…………


 その銃口は、真っ直ぐ自分に向けられていた。

 鈍い感覚──

 体が落ちていく。

 何が起こったのか分からない。

 地面に崩れ落ちながら、ナツメの意識が薄らいでいく。

「ナツメ‼︎」

 そう叫んでその兵士を撃ち抜いたのはチグ──。

 直後、銃弾が飛び交う中で、ヒーナは両手を広げて立ち上がっていた。

「やめて‼︎ 私達は敵じゃない‼︎」


 ──もう、ここでは誰も死なせたくない…………


 空気を震わせるような叫びは──銃声を瞬時に止めた。

 ヒーナは大粒の涙を流しながら叫び続ける。

「やめて! やめて‼︎」

 相手兵士も銃を構えながら、それぞれ立ち上がっていた。

 そして、静かになる。





「まだ生きてる‼︎」

 ヒーナの叫びが早朝の医務室に木霊した。

 ヒーナとチグと共に、血だらけのナツメを抱えた初老の民間部隊兵。

 状況の説明よりも早くスコラが動く。

 ナツメは左肩と首の間を撃ち抜かれ、大量の出血で意識はない。

 その傷口を見たスコラは、すぐに思っていた。


 ──この肩は……もう動かない…………


 ヒーナが手伝うが、衛生経験の無いチグは民間兵を廊下に連れ出した。

 廊下の壁沿いのベンチに腰掛け、大きく溜息をつく。

 隣に座った民間兵も、大きくうなだれたまま。

 最初に口を開いたのはチグだった。

「私も民間部隊です……遠征に回されたけど……」

「──すまなかった……まだ味方が残っていたなんて……」

「私も一人、殺してしまいました……元々電子員だから久しぶりで……」

 チグが手を軽く上げる……小刻みに震えていた。しかもその手は、ナツメの出血で血だらけのまま、すでに赤黒く染まっている。

 その手を見た民間兵が応えた。

「……ナツメ……と言ったか……あの兵士……あなたが何度も呼んでいたが…………」

「……ええ…………」

「父親のことは……」

「……? 聞いたこと、ありませんけど……」

「まさかとは思うが……父親は民間部隊の兵士じゃないだろうか……」

「さあ……彼女の過去までは……」

「そうか──いいんだ……すまない……今は、無事に治療が終わることを祈ろう」

 兵士の、手が震えていた。

 しばらくすると、廊下に焦げ臭い匂いが漂ってきた。

「──何? ……火薬、じゃない……」

 立ち上がったチグは治療室のドアを叩いて叫んだ。

「スコラ⁉︎ どうしたの? 大丈夫⁉︎」

 ドアの奥から、ヒーナの声が聞こえた。

「大丈夫だから! 開けないで!」

 一時間後──

 治療が終わる──

 中からスコラの声がする。

「チグ? いたら手伝って欲しいんだけど」

 チグが扉を開ける。


 血の海────


 それ以外の表現はない。

 言葉を詰まらせたチグに、スコラは出来るだけ冷静に話しかけた。

「疲れてると思うけど、ごめん……衛生的にもこのままには出来ない。さっきの兵士さんにも手伝ってもらって……」

 スコラはそれだけ言うと、血に染まった、細長い布の塊を両手で抱えるようにして部屋を出る。スコラの全身も真っ赤になっていた。

 チグが一歩踏み出す──血の海を避けるような隙間はない。

 ──ナツメの血…………

 それでも、チグはベッドに近付いた。

 反対側で、肩で息をするヒーナに言葉をかける。

「……お疲れさま…………ナツメは?」

 ヒーナの両頬を涙が落ちる。唇を噛み締め、そして応えた。

「……大丈夫……大丈夫……もう……大丈夫…………」

 チグがナツメを見た。

 肩がない──

 あるのは血まみれの包帯の塊────

 そしてスコラは、軍服を真っ赤に染め、ビルの入り口までゆっくりと歩いていた。

 ブーツの音が鈍く響く。体の所々から、点々と真っ赤な雫を落としながら、ゆっくりと歩いていた。

 身体中が休息を求めているのが分かった。

 足が重い。

 腕に抱えた布の塊が、しだいに重くなっていく。

 やがて入り口が見えた頃、そこでライフルを構えたままのティマの後ろ姿を見て足を止めた。

 何かを大きく飲み込む。

 すると、ティマが首だけで軽く振り返った。

 二度目に見る、柔らかいティマの目。

 スコラの血に塗れた頬を、涙が流れていった。

 何かが壊れてしまいそうだった。

 何を言えばいいのか、スコラの頭には何も浮かばない。


 ──伝えなければ…………


 ただ、それだけを考えた。

「……ティマ…………」

 スコラの小さな声に、ティマはその潤んだ目を見て応える。

「いいよ……分かってる……ここに来た時を私も見てる。覚悟はしてたよ」

 何も返せないままのスコラに、ティマが続けた。

「あんたも……〝悪魔〟って言われたんだってね……知ってたよ」

 ティマはスコラの腕の中から、布の塊を受け取ると、再び背を向けてさらに続ける。

「私には……〝天使〟にしか、見えないけど」

 その塊を見つめながら、

「ありがとう……ナツメを救ってくれて……」

 そう言うティマの表情は、スコラからは見えなかった。





 その翌日、シーラが目覚めた。

 ここまでの一連の報告をスコラが伝える。

 アーカムからナツメの負傷──この建物の現状──。

 そして、最終的に四人が集まった民間部隊の兵士から、戦争の勝敗が分からないこと、この国にすでに秩序が存在しないことを聞かされる。

 国内では終戦の通達が出た直後に、大量のドローンによる空爆があり、多くの国民が亡くなっていた。それが何を意味するのかは分からない。数ヶ月をかけて、僅かに生き残った民間部隊の兵士があちこちに転がる遺体を集め、焼却処分にしていた。

「最初は同盟国の生き残った部隊とも無線連絡は出来ました」

 ナツメを担ぎ込んできた初老の兵士が説明を続ける。

「しかし、我々と同じく定期的にドローンの攻撃を受けて…………その内、発電機の燃料も切れてしまって…………」

「同盟国も、我が国と同じ状況ということですか?」

 シーラはベッドで上半身を起こしたままで、兵士達に尋ねた。

「どうやら……そのようです…………」

「皆さんは何人残っているのですか?」

「我々の部隊はここにいる四人……と他には三人だけです。もしかしたら他の場所にも別部隊がいるかもしれませんが……我々は七人だけになりました」

「そうですか……どこの国のドローンなのか分かりますか?」

「分かりません……見たことのないタイプでした」

 するとシーラは、近くで話を聞いていたティマの顔を見た。

 ティマが挟まる。

「うん。私達が遭遇したヤツと同じかもね」

 シーラが再び兵士達に顔を戻す。

「生き残った民間人はいませんか?」

「います……我々が助けられたのは五〇人程ですが……」

「今はどこに?」

「ここから近い所に大きな商業施設だった建物があるんです。今はその地下に……最近は新しく増えてはいません……」

「食料は?」

「少ないですが、今はまだなんとか……」

「ここのビルの隠し倉庫に残っています。持っていって下さい」

「助かります」

「私達はしばらくここを拠点に動きますが、定期的に情報交換をしましょう。窓口はヒーナ・アーカス一等兵とチグ・ウェスト一等兵です。彼女達も元は民間部隊の出身ですから、皆さんとはやりとりもしやすいはずです」

 民間兵達が帰ると、部屋に残ったのはシーラ、スコラ、ティマの三人と、ベッドで横になったままのナツメだけ。

 シーラが大きく溜息をついて、口を開く。

「結局誰も…………戦争の結果を知らないのね…………」

 すると応えたのはスコラ。

「勝ったのは…………アーカム…………? いつの間にかアーカムと戦争してたの?」

「……あのドローンって……アーカムよね……」

 ベッド脇のサイドテーブルに、チグが解析用に使っていたラップトップがあった。スコラがそれを開き、改めて翻訳された文章を表示させる。

 シーラはそれを見ながら、再び大きく溜息をついた。

 そして続ける。

「ティマ、あなたは信じられる? 私達に創造主がいたことを表してる」

「ある意味──リアルだよ」

 意外にもあっさりとティマが応え、続けた。

「私は〝神〟なんて信じない……そんな幻想は人間が創り出したものだ。神に支えてるなんていうヤツはただの詐欺師。御大層な御身分だよ。さっきの避難所の奴らにも現実を教えてやればいい」

 ──何か、あったの…………?

 シーラはそう思ったが、あえて掘り下げようとはしなかった。

 ティマは壁にかけてあったライフルに手を伸ばす。

「ヒーナ達と交代してくるよ。あの二人もほとんど休んでない……休ませてやって」

「ありがとうティマ、頼むわ」

 部屋に残るのはシーラとスコラ──隣のベッドで、未だナツメは目を覚まさない。人工血液の輸血はすでに終了し、点滴を続けていた。野戦病院のように切断面を焼いて処理したが、まだ出血は完全に止まっていない。こまめな包帯の交換も必要だが、様子を見て再び輸血が行われることになるだろう。片時も目を離すことが出来ない。そして目を覚ましたら、おそらく今度は痛みと、それに伴う発熱も考えておかなければならない。

「スコラ……」

 ナツメの点滴のパックを交換し終えたスコラに、シーラが優しく話しかけた。

「あなたは……誰か探したい人はいないの?」

 スコラはすぐには応えなかったが、やがて口を開く。

「……私は……別に……ヒーナとチグに行かせてあげて……二人とも両親を探してるって言ってたし──生き残ってる人達がいるなら、もしかしたら……」

「あなたもティマも……優しいのね……でも、いいの?」

「だめだよ……ここから離れるわけにはいかない」

「ある程度なら、衛生兵の勉強をしてきたヒーナが見れる……それと、動けない私に代わって、避難所で〝アーカム〟のことを説明してきてほしい」

「アーカムを⁉︎」

 スコラはシーラのベッド脇の椅子に腰掛けて続けた。

「そんなこと伝えてどうするの? 本当かどうかも分からないのに」

 するとシーラは冷静に応えた。

「定期的に攻撃があるということは、私達を〝敵〟と見てるってことじゃない? 大規模な空爆だって……どこかの残存兵力にしては規模が大きすぎる。残っていたミサイルを利用した可能性が高い……そんなことが出来るって…………」

「それは私も感じてたけど……」

「まともに残ってる国があるとしたら、半年も占領政策に移行しないのはおかしい……そもそも勝敗が分からないなんて、そんなバカげたシミュレーションは防衛大学でも教わらなかった」

「戦争自体が……アーカムに抑え込まれた……?」

「あくまで仮定の可能性に過ぎないけど……」

「だとしたら……」

 スコラが声のトーンを落として続ける。

「アーカムの目的は何? 人類の絶滅?」

「いえ……翻訳の通りなら……統括…………〝神になる〟っていうのは、そういうことかも」

「そのためには……軍事力は邪魔…………」

「だから攻撃された……数が多かったから空爆を受けた…………」

 そのシーラの言葉をスコラは鼻で笑って返した。

「なんだか……ティマの言ったことが一番しっくりくるね」

「ホントね」

 口元に笑みを浮かべたシーラが続ける。

「機械が〝神〟だなんて、滑稽だわ」





 翌日、医務室をヒーナに任せる形で、スコラとチグが避難所へと向かうことになった。

 万が一戦闘に巻き込まれた場合を想定し、これ以上の被害を出せないことから民間部隊の護衛が二人。別車両で随行する。

 チグのラップトップを持ち込み〝アーカム〟の説明をすることが一番の目的だった。

 避難所として使える建物の地下部分は決して広いわけではなかった。五〇人程がひしめき合うように暮らしていた。年齢は様々だ。幼い子供も多い。

 チグは常に辺りを見渡す。

 もしかしたら、この中に両親が見つかるかもしれない──僅かに浮上した可能性を諦める気にはなれなかった。

「これから──多くのことを語らなければなりません」

 多くの民間人を前に、スコラが説明を始めた。

「どう受け取るかは皆さんにお任せしますが…………これは私たちの知り得る情報であり、私たちにも分からないことは多い、ということだけは最初に話しておきます」

 スコラとチグの説明は、当然のように多くの反発を招いた。簡単に信じられるほうがおかしいのかもしれない。スコラ達だってそうだった。

 しかし、現状の〝敵〟が何者なのか、明確にするのには的確だった。

 問題は〝神〟という言葉に過敏に反応する人間がいること。

 いつの時代も、神という存在が必要な人々はいる。そうやって歴史は紡がれてきた。実際、宗教がなかったら文明は全く違ったものになっていただろう。歴史上の社会基盤を作れていたかも分からない。

 現実を受け入れられる人々と、受け入れられない人々。

 スコラは微かに不安を感じていた。

 何か、嫌な予感がしていた。

 帰りは車両一台でスコラとチグの二人だけ。しかし、危険性の少ないルートを教えてもらっていた。しかもまだ日は高い。そしてチグのようなレーダー員もいる。それほどの距離でもないことから、スコラは帰り道に関しては不安を抱いてはいなかった。

 しかし教わったルートを走らせながら、嫌な感覚が蘇ってくる。

 懐かしい通り──。

 そこは、幼い頃の家の近く──。

 やがて、細い路地で、スコラは車を停めていた。

 高級住宅地ではない。高くても三階建の集合住宅が並ぶエリア。

 運転席を降りると、助手席で不思議そうにしているチグに向かって言う。

「ちょっとだけ待ってて。何かあった時のためにエンジンは切らないでおく」

 チグが自動小銃を渡そうとするが、スコラは断って続けた。

「大丈夫……目の前の二階建て……五分もしないで戻るよ。拳銃だけで」

 スコラはそれだけ言うと、建物横の階段を登った。

 どこから見ても廃墟だ。どこのガラスも割れ、ドアは壊れたまま。他と同じで人気はない。

 二階の入り口ドアは、歪んで開け放たれたまま。

 父がこのドアを開ける時、大きな音を立てるのが常で、スコラはその度に神経を逆立てた。

 嫌な記憶しかない。

 そんな懐かしい場所。

 あるはずのない人影。

 いるはずのない人物。

 キッチンの棚を背もたれにし、倒れるように座り込んでいる。

 ──死体?

 ──いや……呼吸してる……

 ──生き残り……?

 軍人ではない。周りに銃火器も見当たらない。

 スコラが近づこうとした時、その人物が顔を上げた。

「誰だ……人の家に勝手に……」


 ──……父さん…………まだここに…………


 弱々しい声だった。

 だいぶ痩せ細ってはいたが、間違いはない。

 あの父の目だった。

「……女? …………そりゃいい……」

 立ち上がる。

 フラフラと足が震えたまま。

 しばらく歩いてもいないのだろう。

 いつ〝死〟んでも、おかしくはない。

 一歩、一歩、スコラに近づく。


 そして、無意識の内に、スコラは引き金を引いていた。


 まるでボロ切れのように、その体は宙に浮き、床に叩きつけられる。

 薬莢が床に当たって甲高い音を立てた時、チグが外の階段を慌てて駆け上ってきた。

「スコラ!」

 チグは自動小銃を構える。

 そして、まだ腕をまっすぐ前に突き出したままのスコラの姿に、言葉を失う。

 スコラが、まるで呟くように言葉を絞り出した。

「…………悪魔が…………まだ……生きてた…………」





 まだ夕方までは少し時間があった。

 帰ってきたスコラとチグを、警備についていたティマが迎える。

 チグが助手席からスコラを引きずり出すようにすると、その背後からティマの声がする。

「どうしたの?」

「う……うん……」

 チグは歯切れが悪い。

「ごめん……怪我じゃないから……」

 項垂れるスコラは、チグに抱えられるようにしながらティマの横を通るが、ふとティマに顔を向けた。

 目が合う──。

 それは一瞬だったが、ティマには長く感じられた。

 医務室に入るなり、ヒーナがチグを捕まえる。

「チグ……」

 なかなか次の言葉が出てこない。チグの表情は硬い。二人の両親を探すのも目的の一つだったからだ。

 チグは黙って首を横に振る。

 ヒーナも覚悟はしていた。分かっていたことでもあった。しかし、最後の繋がりだと思っていた。僅かな希望に賭けていた。しかし、やはり何も変わらなかった。

 ヒーナは懸命に言葉を捻り出す。

「ありがとうチグ……」

 分かっていても、現実を突きつけられる厳しさ。

 チグも寂しさを感じたまま、無気力感に包まれそうな自分を恐れた。

 しかし、スコラのことも気になる。

 シーラのベッドの隣に腰を下ろしたスコラを見ると、やはり視線は弱い。

 何かを察したのか、シーラも柔らかい口調で声をかける。

「スコラ、ご苦労様……無事に帰ってきて良かった……どうだった?」

「……うん…………」

 その姿は、チグにはいつものスコラには見えなかった。弱々しく、まるで子供の姿──。

「……話して……きたよ……」

 シーラがヒーナに顔を向けた。

「ヒーナ、しばらく医務室を頼むわ。チグ、スコラを別室で少し休ませてあげて」

 チグも緊急性を感じたのか、慌てたように動く。

「イヤだ‼︎」

 スコラが叫んでいた。

「イヤだ‼︎ ここにいたいの‼︎」

 シーラは表情を変えずにスコラを見ている。

 チグは、怖かった。

 理解の出来ないヒーナ。

「おねがい‼︎ すてないで‼︎」

 まるでその声は、悲鳴のようだった。





 誰も医務室から出てこないまま、時間だけが過ぎた。

 誰も警備の交代に来られないまま、ティマが入り口付近で警備を続ける。苦痛には感じない。戦場かどうかに関わらず、生きていく中で、神経を張り詰めなかった時はなかった。ティマにとってはこれが当たり前の日常。

 背後から足音がする。

 聴き慣れた音。

 しかし、今は少し違う。

「ティマ……」

 ナツメの声だった。

 ティマは軽く顔を横に向けて返す。

「もういいの?」

「うん……腕だけだから……」

 声が大きくなり、やがてティマの横に姿を表す。

「左腕がなくなっただけだよ。それ以外は問題ない……」

 大量の包帯とガーゼのためか、軍服の左肩が大きく膨らんでいるが、もちろんその先の袖の中には何もない。

 その姿を見たティマは視線を前に戻して応える。

「痛みは?」

「今は痛み止めが効いてるみたい。定期的に注射しないといけないみたいだけど、出血はほとんど止まったよ。少し熱があるかな……」

 ナツメは階段に腰を下ろして続ける。

「ゆっくり休ませてもらったし、説明も色々…………ご飯も食べたし、歩けるし……」

「怪我で本国に送り返されるね」

「そうだね」

 視線を落としたナツメの表情が緩んだ。

 クスッと笑い声のあと、続ける。

「帰ったら……何するんだっけ…………」

 少しだけ間を開けて、ティマが口を開く。

「両親を探すんだっけ?」

「ああ……そんなこと言ってたっけ…………」

 ティマからはナツメの表情は見えない。

 しかし、ナツメの声の表情が変わったことは分かった。

 その声が続く。

「もういいんだ…………お父さんには会えたから……私を撃ってから…………」


 ──……………………


「……チグに────」

 ティマはその言葉を遮る。

 ナツメを後ろから包み込んでいた。

 ナツメの耳に、すぐ隣で倒れるライフルの音が聞こえる。

 そして、それに続くように、ティマの優しい声。

「お父さんは職務を全うした……立派な兵士だ…………」

 中途半端な慰めなど、ティマはしたことがない。やり方も知らない。誰も教えてはくれなかったし、必要もなかった。

 だが、今、初めて、それが欲しいと思った。

 戦場をいくつも一緒に渡ってきた。

 唯一信頼出来る仲間──それは心情的にも、技術的にも。

 

 ──見間違えるはずがない…………


 だが、上手な慰めの言葉が、どうしても見当たらない。

 ナツメの震えを感じ、包み込んでいた両腕に力を込める。

 その腕に落ちるものを感じたが、ティマは動かない。

 それしか、ティマにしてやれることはなかった。

 辺りがしだいに夕闇に包まれようとしていたが、その時間が珍しく長く感じられた。





 数時間後、周囲は暗闇に包まれていたが、月は明るい。

 照明の必要がないくらいだ。

 そして、遅い時間になって招集をかけたのはチグだった。

 ティマがナツメと医務室に戻った時、すでに他の四人は揃っていた。六人全員が揃うのも久しぶりだった。

 シーラが真新しい軍服に着替え、ベッドに腰掛けて新しいブーツの紐を結んでいる。

「だいぶ良さそうだねシーラ」

 最初に声をかけたのはティマだった。

 シーラが返す。

「あちこち包帯だらけだけど。ここに拠点を置いて良かった。新しい軍服には困らない……だいぶ動けるから安心して。あなたのおかげ……聞いたわ」

 ティマはただ口元に笑みを浮かべる。

 シーラはそれだけで嬉しかった。

 噂に聞いていた最強の兵士──終戦後に出会い、何度も冷徹なまでの戦い方を見てきた。そのティマの表情が、最近柔らかくなってきた気がしていた。

 ティマの後ろから医務室に入ってきたナツメは、ヒーナに近寄る。

「ごめんヒーナ、ちょっと痛みがきたかも……」

 ヒーナが机の上の棚を開けながら返す。

「ごめん──そろそろ時間だよね。一緒に包帯も変えようか」

 薄暗い中で、小瓶と注射器を慌てた手付きで準備する。

 シーラの隣には、ベッド横で椅子に腰掛け、項垂れたままのスコラ。

 ティマがそのスコラからシーラに再び視線を戻すと、シーラは黙って頷き、部屋の角のチグに振り返る。

「チグ、いいわ。もう一度説明をお願い」

 チグは角の机に置いたラップトップを覗き込みながら、ゆっくりと口を開いた。

「うん……警備中にごめんねティマ……アーカムのドローンが来てる……まだだいぶ距離はあるけど、これ──」

 そう言ってチグが手にしたのは、ティマがドローンからもぎ取ったアーカムの端末──。

 僅かに、その周辺が光っていた。

 チグが続ける。

「シーラ以外はこの光は一度見てるよね。あの時はレーダーで見つけられなかったけど、これから出てる電波の周波数に合わせたら、レーダーでもあのドローンを見つけられた」

 ティマが口を挟んだ。

「いい手土産だったね」

 チグがすぐに返す。

「そう……これが無かったら見付けられなかった。ただ、それ以上かもしれない」

「それ以上?」

「〝これ〟が光ってから、レーダーに映るドローンの動きが止まった……」

「──面白いね」

「距離は近いもので五キロ──約一〇〇機。多分、相手は様子を見てる……」

「なるほど……その対策か」

 すると、シーラが口を開いた。

「もし向こうが攻撃を仕掛けてきたとして、ここで迎え撃つか……こっちで出向くか……今のままでやっていけるとは思えないのよティマ。私もだいぶ回復はしたけど、あなたの負担が増えてる」

 ティマがすぐに返す。

「私は──」

 しかしシーラに遮られる。

「相手の手の内はまだ分かっていない──戦力が低下している状態で、あなたに何かあったら……私達は全滅の可能性が高い」

 ティマは言葉を返さずに、表情の見えないスコラを見た。

 すると、チグが口を挟む。

「まだ分からないことが多すぎるの……ここにあると思ってた量子コンピュータも見つからないから、正直、解析は進んでないし……」

 それを遮るティマ。

「量子コンピュータだから解析が進むって保証はないんでしょ?」

「うん……まあ…………そうだけど…………」

 チグが言葉を詰まらせる。

 シーラが続ける。

「今回は──相手の動きを掻い潜りながら、極力、戦闘を避けたい」

「どこかに城壁でもあるならね」

「首都の郊外に軍事基地があるのは知ってる? あそこなら、ここ以上の銃火器があるし……ここよりも確実な武装が出来る。建物だって──」

「民間部隊と避難所はどうするの?」

「…………合流はしない……」

「あのドローンと会敵すれば、避難所は全滅──だから我々でドローンを引きつけて基地で叩く──一〇〇機を──」

「もっと増えるかも……私達は〝敵〟を知らなすぎる…………」

 シーラは少し間を開けてから続けた。

「危険よね。確かに──」

「今の私達の戦力でやる作戦にしては、随分とズサンだ」

 そのティマの言葉に、新しい包帯をヒーナに巻いてもらっていたナツメが、その横顔を見た。

 ──笑ってる…………

 そして、ティマの声が医務室に響く。

「いいね。悪くない」

 シーラの口角が上がる。

 ティマが背を向けながら続けた。

「チグはレーダーに張り付いて。新しい動きがあったら無線で──ヒーナは私と装甲車に必要な物資の積み込み──」

 頭だけをシーラに向ける。

「シーラは……──スコラを引っ叩いて」

 その表情は、柔らかい。





 全員が装甲車に乗り込んだのは、すでに早朝だった。

 相手への対処が不明な部分が多いため、可能な限りの物を積み込んだが、必要最低限でもある。食料、弾薬、医療物資──しかも目的地の基地の状況も分からない。どのくらいの物資が残っているのかも未知数。もしも使えないと判断すれば、更に次の基地へと移動しなければならない。

 しかし希望に叶う可能性は高かった。まず建物が堅牢であること。いざという時の要人のシェルターも兼ねていた。そして首都の近く。前線ではない。被害を受けたとすれば、せいぜい空爆くらいなはず。それには確実に耐えられる。

 もしドローンの攻撃を受けたとしても、あの基地なら持ち堪えられる──少なくともシーラはそう考えていた。

 もはや、アーカムがどんな存在でも構わなかった。

 どれだけの数のドローンがいるのか。

 考えたとしても、相手は通常の敵国ではない。調べようがない。

 今出来ることは、生き残ること。

 先の見えない戦いに、誰もそれを口にしなかった。

 終わりの見えない恐怖。

 空が、みるみる内に明るくなっていく。

 快晴の空。

 細く、薄く、長い雲が数本。

 風もかすかだけ。

 心地いい気候に、不思議とスコラの気持ちも穏やかになっていた。

 緩やかに走る装甲車の上──重機関銃のシートの上で、スコラはヘルメットを脱いだ。

 顔、髪、急に全身に風を感じるかのような感覚。赤茶色の髪もだいぶ伸びた。気が付いた時には首が隠れるくらいにまで伸びている。

 次に髪を切れるのはいつだろうか。

 しばらく、どこにもそんな余裕はなかった。毎日、何かに追われ、それでも六人全員でまだ一緒にいる。

 最前線で戦ってきた。

 仲間の死は何度も見ている。

 同時に、何人も救ってきた。

 それ以上の人間を殺しながら。

 最後に生き残るのが誰か……それが自分でないことだけは、スコラはなんとなく理解していた。

 装甲車の中で、シーラは無線機に向かっていた。チグの操作で、シーラはマイクに向かって口を開く。

「ええ……もう向かっています……郊外の基地です。決して来ないようにお願いします。皆さんは避難所の人達を守ってください」

 寂しさか、虚しさか、何かを達観したような口調。しかし、それが覚悟のようなものかどうか、シーラにはそこまでの自信はない。

 敵のことを知らないままで戦ったことはなかった。例え最前線で予期せぬことが起ころうとも、相手が誰なのか分かった上で戦ってきた。

 しかも今回は未知の相手──人間ではない。


 かつて〝神〟だった〝敵〟────


 勝てる保証はなかった。

 生き残れる自信も確証もない。

 ただ一つ確実なのは、国がなくなってしまった以上、自分の代わりはどこにもいないということ。

「レーダはどう? 動きは?」

 シーラはそういうと、チグが見ているラップトップのモニターを見た。

 チグはすぐに返す。

「大きな動きはありません。予想通りです。我々と一緒にゆっくりと移動しています」

「いいわ……引きつけることには成功したみたいね」

 同じ貨物スペース内で、ティマは相変わらず外を警戒し続ける。

 スライドドアの小窓を開け、そこから常に外に目を配るが、そこから明るい日差しがティマの顔を照らしているせいか、それほどの緊張感は感じさせない。

 その横顔を眺めていたナツメが、床に座り込んだままティマに声をかけた。

「ねえティマ、私の左腕ってどうしたの?」

 その声を聞いていたシーラとチグは、背中を僅かに強張らせた。しかし意外にも、ティマは軽い感じで応える。

「本部の裏に芝生があったから、そこに埋めたよ」

「もうちょっとお洒落な所とかなかったの? 親友の左腕だよ」

「近くに板が落ちてたから……ちゃんと墓みたいに──」

「他に墓石になるものとかなかったの⁉︎ ちゃんと深く埋めた⁉︎」

「埋めた埋めた」

「まさかそのまま埋めたの⁉︎ 腐るじゃん」

「どうしたって腐るでしょ⁉︎」

 そんなやりとりを背中で聞いていたシーラは、不思議なほどの微笑ましさと、同時に緊張感を感じていた。その二つがここには同居している。

 このまま、それが続くわけはない。

 それも、誰もが分かっていたことだった。

 それでもシーラは、軽く微笑んだまま、運転席のヒーナのところへ向かった。

 貨物スペースとの間のドアを開け、運転を続けるヒーナに声をかける。

「あなたにだけ運転を任せてしまって、ごめんなさい」

 ヒーナはすぐに応える。

「そんなこと言ってられる状況じゃないでしょ? 私には何かに特化した技術なんかないから、仕事があって感謝してるよ」

「特化した技術? あなたはそんなものが欲しいの?」

 シーラは助手席に体を滑らせると続けた。

「私はただのエリート上がり……だからトップに祭り上げられた。何の特技もない。部下に支えられたお飾り……」

「…………」

「あなたもトップに上がる器じゃないのよね……でも、あなたのような人間に支えてもらえないと、トップに立つ人間なんて何も出来ないもの……なんだかんだ言って、あなたは部隊を支えてる」

 背後のドアを閉め、シーラが更に続ける。

「組織なんて、そんなものなんじゃない? 上下も横並びも必要だけど……広く浅くこなせる立場の人間がいるから成り立つ……みんなが天使や悪魔だったら、私はここにいない……それにヒーナ……あなた結構、私達のこと助けてる」

「……そう……?」

「うん……感謝してる……嘘じゃない」

 ヒーナは何も応えなかった。

 シーラもそれ以上を求めない。

 ただ、目の前の、懐かしい光景を眺めていた。

 懐かしい広い道路──。

 その先に、家があった。


 懐かしく、忌まわしい、あの家…………


「ヒーナ……そこの左の門の前で停めて」

 装甲車がゆっくりと停まる。

 その通りは、誰が見ても分かるような高級住宅街。

 至る所に戦火の跡は見られたが、多くの大きな建物は廃墟とはいえ残っていた。目の前の大きな門も崩壊を逃れたらしく、僅かに傾いているだけで、まだ形はそのまま。

 助手席を降り、シーラはゆっくりと門まで歩く。

 ヘルメットのマイクに向かって口を開いた。

「チグ──レーダーに動きは?」

『ありません。相手も止まってます』

 すると、装甲車の上からスコラの声が届く。

「シーラ──」

「大丈夫」

 スコラに振り返り、その目を見ながらシーラが続けた。

「ちょっと……実家に帰りたいだけ……五分で戻る。待ってて」

 そしてヘルメットを脱ぐ。

 シーラは、笑顔だった。

 シーラは門を潜り、玄関までの石畳を歩いた。もう何年も歩いていない。あの頃とは違い、辺りは雑草だらけ。

 玄関の大きな木製の扉も、しばらく開けた様子はない。明らかに廃墟と化している中で、扉が残っているだけでも珍しかった。

 シーラは重い扉を開けた。

 その扉がこれほど重いとは思ってもいなかった。いつも使用人が開けてくれていたために、直接手で触った記憶もない。

 中の壁はヒビが入り、家具は壊れ、広い玄関ホールを埋め尽くす埃と蜘蛛の巣。

 不思議な感覚と共に、なぜか清々しい。

 かつて自分を苦しめたこの光景が、崩壊してく様……。

 帰りたいと思ったことはない。

 帰りたくなかった。

 しかし、今、目の前のこの惨状の家を前に、なぜ今なのか……それが不思議でならない。

 目の前には広く大きな階段。僅かに曲がり、かつてはそれがこの家の栄華の象徴でもあった。

 それも今は埃だらけ。その埃を押し潰すかのような幾つもの足跡に、言い知れない〝おぞましさ〟を感じた。

 階段を一歩ずつ登ってみる。

 足音が響く。

 半分程登ったところで、シーラは足を止めた。

 音が聞こえる。

 足音──。

 シーラは無意識に右腰のホルスターから拳銃を取り出していた。

 一歩だけ上り、顔を上げる。

 階段の最上段にいたのは、見間違えるはずのない、母────。

 幻ではなかった。

 母は昔と変わらないドレスのままだったが、その姿は埃にまみれ、擦り切れ、落ち込んだ瞼からは生気を感じられない。

 そしてシーラに向け、震えたままライフルを構えていた。

 しかし、シーラは拳銃を向けようとはしない。

 素人の扱い方。

 自分に当てられるとは思えなかった。

 シーラは、更に一歩────。

 母の目が変わる。

 やっと、目の前の軍人が誰か気が付いたようだった。

「こんな所で──何をしているのシーラ!」

 それは驚きではない。

 昔と同じ、上からの叱責。

 シーラは階段を登り続ける。

 母の叫びにも似た声が続く。

「みんな帰って来ないの! どうして!」

 ガタガタと震えるライフルの銃口に、シーラは自分の額を合わせていた。

 そして、自分の銃口を母へ────。

 大きく目を見開き、大粒の汗を流す母の顔へ向けて、シーラは口を開いた。

「お母様。あなたはずっとお一人のままです……今も──昔も────」

 シーラは、目の前の母が倒れ込むようにして腰を落とす様を、目と拳銃で追う。

 ライフルが何度も音を立てながら階段を転がり落ちていく。

 その音が階段の途中で止まり、シーラが続けた。

「私には、仲間がいます──あなたは、立派な士官を育てられました」

 シーラは拳銃をホルスターにしまう。

 そして、敬礼────。

「新しい任務地へ向かいます。お達者で」

 背中を向け、階段を降りるシーラの足音が響く。

 素早くヘルメットを被ると、深くバイザーを降ろしていた。





〜 第一部・第5話(第一部最終話)へつづく 〜

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