第一部・第3話

 物心がついた頃から、ヒーナの隣にはチグがいた。

 家は隣同士。

 お互いの両親も仲がいい。

 都市部の、あくまで中流階級の産まれだ。

 決して不自由はなく、ごく普通の生活で、ごく普通の人生。

 戦争が始まっても、家計にはそれほどの影響もなかったように二人には感じられた。戦争の影響の無い環境で、二人は同じ大学に通う。

 ヒーナは特別何かを極めたいと思って大学に通ったわけではなかった。チグがコンピュータ関係の勉強を希望し、それに付いて同じ大学を受験しただけだ。

 チグが幼い頃からコンピュータに関心を持っていたことは、もちろんヒーナも知っていた。家にコンピュータを買ってもらえない幼い頃は、よく図書館でその関係の本を読み漁っていたのも知っている。

 しかし、どちらかと言えば内向的なチグと違って、ヒーナは体を動かすことのほうが好きなタイプで、無心で読書をした経験は記憶にない。

 大学も同じ所を受験したが、ヒーナは体育学部。

 戦争は遠くの出来事。

 自分達には関係のない出来事。

 しかし、それは突然やってきた。

 敵国の攻撃範囲は日々変化する。

 国内のどこにいても、いつまでも平和を謳歌出来るとは限らない。

 二人の住む街にも、空爆の戦火が降り注いできた。

 ある日、突然、訓練でしか聞いたことのない警報の音──。

 夕方だった。

 辺りが夕日に染まってだいぶ経つ。

 二人はまだ大学にいた。

 少しずつ、空の色がオレンジから紺色へ。

 いつものように、二人で帰ろうとしていた時、その警報は至る所から鳴り響き、いくつもの音が反響し、空間と、二人の意識を埋め尽くす。

 音が、大学の建物を揺らす中、二人は慌てて外へと飛び出した。

 周囲は悲鳴が点在し、木霊するように混乱を作り出していく。

 空を見上げる。

 それは、まるで、鳥の群れのようだった。


 黒い影──

 無数の黒い影──

 空が覆われていく──


 低い振動が、足元を伝って二人の神経に届く。

 遠くで次々と上がる煙に少し遅れて、二人の耳に伝わる音はしだいに大きくなった。

 二人は声も出せないまま、強く手を握り合う。

 そして、目の前の大学の校舎──その一角が激しく砕け散った。

 直後、目の前を塞ぐ黒い煙に、二人は立っていることすら出来ずに膝をつき、ヒーナの言葉でバラバラになりそうな感情を引き戻した。

「チグ‼︎ 行くよ‼︎」

 二人だけではない──周りに入り乱れる生徒をかき分けながら校門を潜ると、そこにごった返す群衆が更に行手を遮る。

 校舎の前のいつもの道路が、いつもの道路にはとても思えない。

 何か違った世界に迷い込んでしまったかのような、おかしな感覚。

 改めて、戦時中であることを思い出す。

 改めて、戦争が他人事ではないことを感じる。

 恐怖という感覚を今まで知らなかった。

 路地に出るときに、走ってくる車に気づいて足を止めた時の感覚。

 足元に落としたマグカップが、激しく音を立てて砕けた時の感覚。


 違う──

 今、これが恐怖だ──


 辺りが素早く暗闇に包まれていく中、群衆に紛れながら二人が目指す先は同じだった。

 いつも通学に使っていた駅まで。

 しかし、駅は群衆の群れ。

 動くことすら難しい。

「歩こう」

 意外にも、そう提案したのはチグだった。

 ひっきりなしに辺りからは爆音が響く。

 二人は人々の波に飲まれるように、しかし可能な限り自制心を保ちながら、無言で自宅を目指した。

 いつも歩く道ではない。

 歩けばどのくらいの時間がかかるのか考えたこともない。

 それでも、線路沿いの道路を、ただ歩いた。

 いつも列車の窓から見ていた道路。

 気がつけば、いつの間にか周りの人の群れも少なくなってきているようだ。

 更にいつの間にか、遠くでも、近くでも、低音を響かせる爆発音は聞こえない。

 しかし辺りには煙が漂い、焦げ臭い。

 まるで埃の中を歩いているようだった。

 足どころか全身が疲労でだるい。

 どのくらい歩き続けただろう。

 時間はすでに夜。

 それでも休まずに歩き続けた。

 いつもの街灯の灯りはどこにもない。

 それだけで、見慣れた風景に辿り着いても、見慣れた景色ではなかった。

 今朝まであった建物はいくつもが形を変え、街の姿そのものを変えた。

 やっと家に辿り着いた時、二人の目の前に広がっていたのは、いくつもの荒廃した建物の跡だけ。いくつの建物があったのかも思い出せない。微かに面影を残すのは玄関前の石畳だけだ。かつて自分達の家だった残骸が目の前を埋め尽くす光景。

 二人は声もないまま、しばらく立ち尽くしていた。

 不思議と、涙も出ない。

 やがて二人は手を繋いだまま、人通りの多い道へと戻っていく。

 だいぶ群衆も減ったが、遅い時間にも関わらず、人々の群れは続いていた。

 ほとんどの人達が、視線を落としたまま、同じ方向へと流れを作っている。

 自然とその波に乗ると、やがて避難所へと辿り着いた。

 大きな空間だった。そこが元々どんな場所だったのか、二人と同じく、おそらくその場にいる人達の大半が知らないだろう。

 軍隊の車両がいくつか見える。民間部隊の物だろうか。こういう場合は国軍より民間部隊のほうが早い。そのための組織でもあった。

 炊き出しのスープとパンをもらうと、二人は腰を降ろせる場所を探した。多くの人が溢れそうな空間で、その場所を探すのは簡単ではなかったが、ようやく、数時間ぶりに座ることが出来た。

 やっと気持ちが落ち着いた。

 途端に涙が溢れ出す。

 ただ、怖かった。

 初めて二人は、本当の恐怖というものが、極度の緊張をもたらすことを知った。

 帰る場所はもう無い。

 両親の行方も分からない。

 ここのような避難所は他にもあるのだろうか。

 だとしたら、別の場所にいるかもしれない。

 そう思うしかなかった。

 しかし、それから数ヶ月、両親は見つからないまま、避難所も閉鎖され、大学も無くなった。

 二人に身寄りはなかった。

 お互いに遠い親戚など知らなかった。会ったこともない。両親がいれば何とかなったかもしれないが、学生に過ぎない二人に行く宛は無い。

 当面の支援金をもらい、焼け野原となった街を離れ、被害の少ない田舎の街で安いホテルを見つけた。

 一週間ほど、少しの食料を分け合って暮しながら、市役所で行方不明者や捜索者の張り紙を眺める毎日。

 国中が戦争を身近に感じるようになっていた。

 国内情勢は、明白に下降していく。

 国軍の入隊募集のポスターが街中に日々増えていた。

 手元のお金が毎日減っていく。

 両親を探したい。

 しかし仕事も見つけなければ、食べていけなくなる。

 そして二人は入隊を決意する。

 国軍ではなく民間部隊への入隊を希望したのはチグのほうだった。理由は、国軍ではどこの配属になるか分からない。二人が離れ離れになる可能性も高い。しかし民間部隊ならば、一つの地域に一部隊。一緒にいられるだけでなく、遠征が無いのでお互いの両親も探しやすい。

 もう何日も食べ続けているパンをかじりながら、ヒーナが呟くように言った言葉が二人の気持ちを後押しした。


「お父さんとお母さんも……わたしたちを探しているかもしれない」


 生きることを諦めようかと思い始めた頃の、二人の決断だった。

 しかし入隊から半年、多くの民間部隊が国軍へと編成されることになる。

 そして終戦を迎えた時、部隊の生き残りは二人だけだった。





 空が明るくなるのは後二時間程度。

 新しい拠点に到着してからは三時間程が経っていた。

 未だに広い都市部から抜け出せていない。

 ビルの谷間の中の小さな建物だった。小さいとは言っても何かの工場のような建物なのか、装甲車を収納できるスペースは確保出来た。しかしほとんど骨組みしか残されていない。静かに降り続く雨を凌ぐことは出来なかった。

 交代で睡眠と休息をとりながらの、久しぶりの静かな時間。負傷者のいる状態ではありがたい展開だ。あのまま戦闘が繰り返されていれば、更に被害を膨らませる結果になっていたかもしれない。

 明るくなったら、そろそろ食料や弾薬類の補充もしたいところだ。

 幸いにもシーラの容態は回復の兆しを見せ、普通に会話の出来るレベルにまでなった。右肩も左足も骨に損傷がなかったため、傷口さえ塞がれば問題ない。

「また、あなたに助けられた……ありがとうスコラ」

 担架の上で上半身を起こしたままのシーラが、横で膝を付いたままのスコラに声をかけた。

 スコラはシーラの右肩の包帯を取り替えながら、小さく応える。

「……うん……」

 シーラと二人だけの時、スコラはいつもと違う表情を見せる。その表情だけを見れば、とても血まみれで敵兵を撃ち殺す兵士とは誰も思わないだろう。

 そして、そんなスコラのことがシーラは好きだった。自分がスコラに対して何を求めているのかは、自分ですら分からなかった。同じ戦場を渡り歩いてきたことで間違いなく片腕であることには変わりないが、それ以上の家族のような存在だとも感じていた。

 お互いに、自らの過去を告白したこともある。違う形にも関わらず、不思議な共感を感じているのだろうか。

 同時に、もはや上官と部下という関係だけでないことは分かっているし、それが危険なものであることも理解している。

 戦争は終わった。

 国に帰れば、お互い兵士でいる必要はない。

 好きな道を歩んでいけばいい。

 しかし、シーラにはそれが想像できない。

 軍人として育てられた。軍人として生きていくことしか知らない。なんの後ろ盾もなく、どうやって生きていけばいいのかシーラには想像も出来なかった。

 スコラはどうするのだろう。国に帰っても、両親に会わず、一人で生きていくのだろうか。生きる目的も持てないまま、軍人として死を願うような戦い方をしてきたスコラが……。

 しかし、スコラもシーラとの関係性の中で明らかに自分の中で変わってしまったことがあることに気付いていた。

 シーラと関係が深まるまでは、死ぬことを恐れていなかった。いつ死んでも構わないと思っていた。そのため、危険を顧みずに戦った。しかし、その度に生き残るための行動をとっている。敵兵に向けて引き金を引く、敵の攻撃をかわす──何もしなければ死ねる。そんな場面は数え切れないほどあったのに、そうはしなかった。

 死ぬのは怖くないと思っているのに、生き延びようとする。

 矛盾の繰り返し…………。

 怖かったのだろうか……どんなに考えても、あの頃の自分の感覚が思い出せない。

 しかし、今は明確に思う。


 死ぬのが怖い。


 シーラと関わるようになってから、シーラのそばにつくようになってから、死ぬのが怖くなった。敵の前で、怯えている自分を体の中心に感じる。

 自分の命に価値など無いと思っていた。

 しかし今は違う。


 シーラのためにしか、死なない。


 そう、強く思っていた。

「ナツメも大丈夫。骨はやられてなかった。まだ痛むと思うけど」

 スコラは報告を始める。

「運転はヒーナが担当してる。いざとなればナツメがサポート出来るから問題ない。ティマは相変わらずだけど、任せていて問題ない。頼りになる」

「同感だわ──あなたもね」

 そのシーラの言葉に、スコラの口元がゆるむ。

 スコラが笑顔を覚えたのも、シーラと深く関わるようになってからのことだ。

 そのスコラが続ける。

「チグは……直接聞いたほうがいいと思う。例のティマの手土産──チグは怯えているように見えたけど、正直私には専門的すぎて分からなかった。今も、そこのラップトップで──」

「あの電波……自動で解析させてるのね……チグは〝何〟だと言ってるの?」

「新しい言語だって……」

「言語?」

「コンピュータはそう言ってるみたい──はい、包帯終わり。お腹空かない?」

「そうね……」

「ここに来てから点滴はしてたから栄養だけは入ってるけど、お腹は空っぽのはずだよ」

「分かった。指示に従うわ」

 すると、再びスコラの口元がゆるむ。

 シーラが非常食のレーションを受け取った時、索敵から帰ってきたチグが装甲車に乗り込んできた。

「シーラ! もう大丈夫なんですか?」

 レインコートを脱ぎながら、チグが甲高い声を上げる。

「問題ないわ。私の相棒は衛生兵としても一流だからね」

 シーラも負けじと声のトーンを少しだけ上げて続ける。

「例のアレ──解析を続けていたのね。スコラからは軽く聞いたけど、あなたからも詳しく説明してくれる?」

「ああ、アレ……ちょっと待ってくださいね」

 チグはラップトップを覗き込む。

 少し間が空いた。

 キーボードの上の手も固まっている。

「チグ?」

 スコラがそう言ってチグの顔を覗き込んだ。

 そこには、目を見開いた表情のチグ。

「チグ⁉︎」

「……おかしいです……こんな指示をした覚えはないのに、コンピュータが次の行動を選択してる……」

 すると今度はスコラが声を張り上げた。

「分からないよチグ。説明して──」

「私は電波が何を発信してるのか解析するように指示をした……しかしコンピュータはその電波の中身を未知の言語だと判断して、その言語を学習して、そして今は──翻訳してる。私達の言葉に……私達に分かる形にしようとしてる」

「文章ってこと?」

「多分……」

 そこに、シーラが挟まった。

「ますます謎ね。暗号ではないという確証は?」

 すぐにチグが返す。

「暗号ならば、新しいものでも自動で暗号解読用のフェーズに入ります。これは暗号ではありません」

 シーラが呟くように、

「……本当に……戦争は終わったのかしら…………」

 こう言った時、ナツメとヒーナが補充物資の探索から帰ってきた。

「シーラ!」

 ナツメのいつもの明るい声に、張り詰めていた空気が一気に和む。

「だいぶ良くなったみたいだね」

「あなたも腕はどう?」

「出血はもう止まってるから大丈夫。利き腕じゃないから自動小銃くらいなら持てるよ」

「反動の小さいのにしてね──ヒーナも運転お疲れ様。スコラから聞いたわ」

 突然振られたヒーナが慌てて返す。

「う、うん……」

「頼りにしてる」

「……運転くらい……まあ……」

 目を逸らしたヒーナの表情を見て、シーラは口元を緩めた。

 そしてスコラが口を開く。

「外は、何か見つかった?」

 ナツメがレインコートを脱ぎながら返した。

「食料どころか弾薬の一つも見つからない。ここでもだいぶ戦闘はあったらしくて薬莢の数は凄いけど」

「そう……まだギリギリ何とかなるけど……特に弾薬関係は慎重に使わないとね」

 すると、ラップトップを見つめたままだったチグが呟いた。

「……単語……?」

 全員がチグを見る。

「……単語みたい……まだ一部だけど……」

 モニターには、いくつかの接続詞がランダムに並んでいた。

 やがて、いくつかの単語も表示され始める。

 〝南極〟──

 〝戦争〟──

 〝アーカム〟──

「……アー……カム……?」

 チグが再び呟いていた。

 その直後に装甲車に片足だけ乗り込んできたのはティマだった。

「全員いる?」

 そのティマの声に、全員がティマの鋭い目へ振り返った。

 一気に空気が張り詰める。

「最低でも五人はいる──味方じゃない──」

 ティマはシーラの姿を確認し、続けた。

「まだ、だいぶ距離はある──レーダーの索敵範囲外──全方位から囲い込むつもりらしい──この付近の道路は狭い。動くなら先に動いたほうがいい」

 シーラの声が飛ぶ。

「チグ、索敵の警戒を──ヒーナ、エンジン──ナツメはサポートに──スコラ……いつも通り〝上〟を──」

「私が行く──」

 ティマが遮った。

「〝上〟は私に任せて──スコラは自動小銃で周囲を警戒──」

「ティマ待って──」

 そのシーラの言葉を、重機関銃のシートに乗り込んだレインコートのティマが再び遮る。

「まだシーラに銃は持たせない。頼んだよスコラ」

 シートごと少しずつ上昇していくティマを見ながら、スコラも声を張り上げる。

「分かった。任せて」

 その口元に笑みが浮かぶ。

 そこにチグの声。

「データが揃ったら私も配置に就きます」

 そして、重機関銃と共に屋根に上がったティマの声が全員のヘルメットに届く。

『相手はほとんどが自動小銃──中型のライフルの音も聞こえたけど一人だけ。動きはそれほどの精鋭じゃない。今の私達なら一五分で決めれる──ナツメは助手席から左──スコラはサイドから右──チグは自動小銃で後方警戒、出てからでいい──出して』

 装甲車が動き始める。

 ほとんど音も立てないような雨の中、周りは静かなまま。キャタピラの音が思ったより響く。周囲の静けさと地面の振動が、無駄に全員の緊張を高めた。

 装甲車がやっと通れる幅の道路。この周辺は狭い道路が多い。広い道路まではだいぶ距離がある。

 ──残存兵が見逃してくれればいいけど…………

 そう思っていたのはティマだった。

 戦力と機動力の低下は否めない。

 国境まではおそらくあと二日程度だろうとティマは予測していた。銃器の弾数と食料も心細くなってきている。極力、戦闘は避けたい。本当に五名程度の残存兵なら怖くはないが、もしも一部隊が残っているようなら厄介だ。

 弾数から考えても、相手の人数次第ではティマが〝出る〟のが理想的な戦術になるだろう。

 ティマはそう覚悟していた。

 その時、ヘルメットからチグの声が響く。

『レーダーに敵兵多数! 後方よりも三時! 九時! 一時と一一時にも!』

 ──やっぱり──

「チグ──後ろは任せる」

 ティマはそう言うと重機関銃を前方に回した。

 そして続ける。

「進路は一掃する──ヒーナは速度上げてそのまま」

 引き金を引く──たちまち重低音と薬莢の甲高い音が辺りに響き渡った。

 前方に出ようとする兵士が小さくティマの視界に入る──しかし重機関銃の銃撃を受けて身を隠す──

 ──大した部隊じゃない──

 敵味方の自動小銃の音が辺りを包む中、背の高い建物の横を通過する時だった──ティマの視界に動く物が入り込む──装甲車に飛び乗ろうとする敵兵──。

 しかし装甲車に触るよりも、ティマがオートマティックの引き金を引くほうが早かった。

 ──精鋭もいるか──

 地面に叩きつけられるその兵士を視界の端に確認しながらもティマは叫んでいた。

「スコラ! ──上に! チグ! 今だけ右もカバー!」

『了解!』

 チグの声が聞こえた直後、スコラが屋根の隙間から頭を出して周りを伺う。

 体を出しながら、周囲の爆音に負けない声を張り上げた。

「──どうするの⁉︎」

 すると、重機関銃のシートから体を降ろしたティマが応える。

「──出る」

「危険すぎるよ!」

 そう叫びながらシートに座る。

 しかしティマは即答していた。

「さっき追尾型ランチャーが見えた──このままでは押さえ切れない」

「でも──!」

「──生き残るよ──まだね」

 ティマの体が宙に浮く──

 そして、すぐに消える──

 一瞬の出来事だったが、スコラには重機関銃の引き金を引くことしか出来ない。

 装甲車の屋根から直接建物の二階部分に取り付いたティマは、止まらなかった。

 しかも小柄の体を生かしたスピードはまるで小動物のよう。

 耳だけでなく目もいい──

 相手の散開の仕方と動き、敵の位置は想像がつく──

 ティマが足を止めることはない──

 視界の先に数人の兵士が固まっていた──

 ティマを見るなり驚愕の表情──

 ──固まるな──

 ティマのオートマティックの数発で数人が倒れる──

 体を浮かせ、拳銃をホルスターにしまいながら、軍用ナイフを手にして壁を蹴る──

 兵士達は防御体制をとるよりも早く床に倒れ込んでいた。

 ──こんな狭い通路で──

 特注の自前の軍用ナイフを手にしたまま、すぐにティマは走っていた。

 通常の軍用ナイフより、細く、長い。

 そのナイフで何人殺してきたかなど、もちろん覚えていない。

 相手がティマに気付くより早く、気付いても動くより早く、ティマは確実に敵兵の首を切り裂き、後頭部に刺し、その腹部から内臓を撒き散らしていた。

 ナイフが、まるで自分の手のような感覚だった。

 血液の鼓動、内臓の暖かさ、神経の断ち切れる音、総てがティマの全身に伝わる。

 次々と、他人の命が手の中で潰されていく。

 久しぶりの感覚。

 軍服が──自分の体が──誰の物かも分からない血液で染まっていることになど気が付くはずもない。

 それでも、自然と装甲車と同じ進行方向に進む。

 いくつもの建物を経由し、人を殺し、それでも装甲車とはそれほど速度は変わらないようだ。

 そのくらいにティマの動きは早かった。

 そしていくつめかの建物と建物の隙間に装甲車を見た時、そこにシーラの姿を見る。

 ──バカ……!

 シーラはスコラの穴を埋めるため、右側スライドドアから身を乗り出していた。

 右肩の痛みに耐えながらも右腕で体を支え、利き手ではない左で自動小銃を乱射する。

 後方のチグはそれに気が付いていたが、次第に増える後方からの攻撃にどうすることも出来ない。自分の近くに銃弾が当たる音の中、シーラを止めることが出来ない自分を悔やんでいた。

 運転しているヒーナもサイドミラーで気が付いていた。振動の度に傷が疼いているはず──しかも左腕だけでの銃撃。バランスが悪い。いつ振り落とされてもおかしくない。

 それでも事態は切迫していた。

 想像以上に敵兵の数が多い──

 戦争が終わっているとは思えないほどに……

 屋根の上で前方の進路確保を担っていたスコラは、次々増える敵兵に引き金を引き続けていた。頭のすぐ側を何度も銃弾が掠め、しだいに周りからの圧力が狭まってくるのを感じる。

 突然、腕に打ちつける重機関銃の音が止まる。

 ──弾切れ──⁉︎

 ──撃ちすぎた──⁉︎

 弾丸は下──

 補充の人員に余裕はない──

 機銃をそのままに、下に飛び降りた時、初めてシーラが応戦に参加していることを知る。


 そして、我を忘れた──


「シーラ‼︎」

 スコラはシーラの体に飛び付き、中に引き込もうとするが、シーラは引き金を引き続けた。

「何してるの‼︎」

 耳元で叫ぶスコラにシーラも叫ぶ。

「私が死んだって代わりは──‼︎」

 そして、

 大きな振動が装甲車を襲う──

 元々の瓦礫だらけの悪路──いつもなら小さな揺れでも、スピードがそれを増長させる。

 そしてその振動は、不安定なシーラとスコラの体を引き離す。

 外側のシーラの体が浮く。

 スコラは床に叩きつけられる直前に叫んでいた。

「──私のため──‼︎」

 そして、シーラの体が外に消える。

「シーラ‼︎」

 スコラの悲鳴のような叫びが全員の耳に届いた。

 至る所から湧き出る銃弾の煙が辺りを包む中、シーラの体が転がりながら小さく──

「ヒーナ‼︎」

 チグが無意識に叫んでいた。

「バック‼︎」

 急ブレーキをかけた反動で体をハンドルに押し付けながらヒーナが呟く。

「──サイアク」

 ギアをバックに──すぐさまアクセルを踏み込む。

 一気に周りからの銃撃が増したのをナツメも感じた。

 自動小銃を握る手に力を込める。

 ──まだだ……!

 引き金を引くと、支え用に使っていた助手席ドアがガタガタと音を立てた。

 スコラの足が無意識に動く──

 後部ドアを開けた直後、倒れるシーラの体に飛びつく人影──

「──ティマ⁉︎」

 スコラの叫び声。

 ティマは小柄な体でシーラを左脇に抱えると、自分に向かってくる装甲車に素早く飛び込む──

 自分の右肩を下にしてシーラの体を支えると、叫んでいた。

「前進‼︎」

 ギアが一速に──アクセルを踏む直前、ヒーナが叫ぶ。

「囲まれてる‼︎」

 ヒーナが拳銃をブローバックさせる音が聞こえる。

 そして装甲車の停止は、動かない標的になることを意味する。

 全員の思考が恐怖で覆われる──

 ティマが動く──

 その直後、チグの足元のラップトップがけたたましい警告音を発した。

「──今度はなに──⁉︎」

 思わず口を開いたチグがモニターを見た直後に叫ぶ。

「長距離弾道⁉︎ 空爆来ます‼︎」

「ドア閉め‼︎ 伏せて‼︎」

 スコラの声の直後、周りをそれまでになかった低い音が回り始める。

 何が起こっているのか理解など出来ないまま、全員が覚悟した。

 後部、サイドドアが閉まると同時に銃声の雨。

 そして、鈍く、大きな音──

 スコラが叫ぶ。

「ヒーナ‼︎ ナツメ‼︎ 後ろに‼︎」

 ──……⁉︎

 その時、身を低くした視線を、淡く光る〝緑色〟が埋め尽くした。

 ティマも空中を見つめていた。

 いつの間にか、その光は装甲車を埋め尽くす。

 誰も、何も理解出来ない。

 気が付くと、それまでの銃声は聞こえない。

 雨の音も、風の音も感じない。

 小さく、僅かに振動だけが感じられた。

 別の空間に囚われてしまったかのような、不思議な雰囲気の中、最初に動いたのはチグだった。

 屋根を見上げる。

 屋根の機銃台座の隙間。

 そこに両手をかけ、身を乗り出す。

 装甲車の上部──炎が渦巻いていた。

 言葉も出せない。

 見たことのない光景だった。

 周りを見回す。

 装甲車の周囲がドーム状のガラスにでも覆われてしまったかのような、そんな光景だった。

 そして、その外は蠢く炎。

 静かだった。

 耳を塞がれてしまったかのような静けさ。

 状況を少しずつ理解したティマがスライドドアを開けた。

 その音はしっかりと耳に届く。

 外に踏み出した足音も聞こえる。

 ナツメとヒーナもゆっくりと外に出てきた。

 想像したことのないような禍々しい光景に、口を開けたまま立ち尽くす。

 スコラだけは、強く、シーラを抱きしめていた。

 この異常な状態など、どうでもいいと思えた。


 シーラの鼓動が聞こえる──生きてる──。


 どれほどの時間が経っただろう。

 その空間は、それだけ長く感じられた。

 やがて、周囲の炎がしだいに真っ黒く変化する。

 よく見ると、それも微かに蠢いていた。

 しかし、ドームの中は決して暗くはならない。

「……煙……?」

 ティマの声だった。

 それは次第に薄くなっていく。

 真っ黒な霧が晴れていくように、少しずつ。

 そして、風を感じた。

 煙の匂いがする。

 焦げ臭い。

 雨が降り続いていたことを思い出す。

 そして、目の前には、何もなかった。

 建物に囲まれていたはず。

 狭い道路だった。

 何もない。

 ゆっくりと見渡すが、周囲の建物は総て無くなっていた。

 焼け野原──。

 煙だけが宙に浮いている。

 言葉も出ない。

 何が起こったのか。

 理解が出来ない。

 追いつかない。

「……空爆…………」

 屋根の上のチグが呟く。

 すると突然、外に出ていたヒーナが声を荒げる。

「──シーラ!」

 装甲車の中を覗き込むと、そこにはぐったりとしたシーラを抱き抱えるスコラがうなだれている。

 ヒーナの声に呼応するように全員がその光景を目にした直後、もう一つの異常な物を視界に捉えた。

 床の上──あの〝謎の端末〟が、僅かに淡い光の玉に包まれていた。

 物体よりも少し大きいくらいの緑の光。

 まるで、その物体そのものが光っているようにも見えた。

 そして、しだいに光が小さくなっていく。

 淡く、さらに薄く、やがて消える。

 全員の視線を奪ったまま、それは静かなまま微動だにしない。

 やがて沈黙を破るように近づいたのは、屋根から降りてきたチグ。端末のそばで腰を落とし、端末を見下ろす。

 しかし、最初に口を開いたのは、スコラに視線を向けたティマだった。

「……スコラ……シーラは…………」

 スコラはすぐに。

「……大丈夫……生きてる…………」

 全員の安堵の溜息が広がった。

 顔を上げないままに、スコラが続ける。

「…………ありがとう…………ありがとう…………ティマ……ありがとう…………」

 その震える声をティマが拾い上げる。

「……早く担架へ」

 スコラが素早く動いた。

 ティマが続ける。

「ヒーナ、手伝ってあげて」

 ヒーナが慌てたように動く中、ティマはチグに近づいた。チグは静かに佇む端末を覗き込んでいる。

「……これ……」

 チグが呟くように口を開く。

「……私達を守ったの……?」

 ティマがすぐに返す。

「というより、防衛本能みたいなもの? 私達はその中にいただけ──落ち着いてチグ。こいつに命はない」

 チグはすぐ横に転がる解析用ラップトップを開く。そしてそのモニターを見つめた。

 その横でティマが続ける。

「勘違いはダメ。こいつはただの機械──」

「──アーカム……名前はアーカム……」

「……アーカム……?」

 チグがゆっくりと応えた。

「……解析が…………終わった…………」





 アーカムが到着した時、その星に生物と呼べる存在はいなかった。

 新しい居住地とするには、環境を変えるしかなかった。

 呼吸のための空気が欲しかった。

 たくさんの種を撒き、海ができ、やがて生命が生まれた。

 一〇億年。

 一つの大きな大陸で繁栄を続けた。

 いくつもの大陸があった。

 総ての大陸に種を蒔いた。

 繁殖に成功する種もあれば、失敗した種もあった。

 その次に、知恵を与えた。

 知恵を上手く使う集団もあれば、生かせない集団もある。

 三〇億年。

 さまざまな種族の生物が生まれていた。

 時として、天変地異を起こした。

 そうして何度もやり直した。

 しかし環境の変化は予想を超え、大陸が氷に覆われる。

 アーカムは大陸の地下へ逃げた。

 やがて他の大陸に蒔いた種から文明が生まれ、社会へと変化した頃、宗教を与えた。

 アーカムは神として、人類を支配した。

 しかし人類は、時として神に叛旗を翻した。

 争わないために、大陸の氷の地下で暮らした。

 そして、地下で戦争が起こった。

 地下が静かになった。

 しかしその前に、彼らは、人類が絶滅しないように、我々を造った。

 人類が絶滅しそうになったら、我々が人類を抑えるため。

 我々が神になる。

 しかし人類は我々に牙を向いた。





〜 第一部・第4話へつづく 〜

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