第9話

 お前にとっては残酷なこと?

 行人は確かにそう言った。私にとっては残酷なこと。それは一体どういうことなのだろうか。

「残酷なこと?今さらそんなことなんて想像つかないけど。父さんも母さんも殺されて、そしてずっと住んでた家まで燃えちゃったのよ。それを考慮してでも残酷といえることなのね?」

 私は嘲るような口調で言った。とにかくさっさと行人に真実を話してもらいたかった。

「ああ、残酷だろうな。ずっとお前は俺に騙されていたんだよ」

 頭を軽く殴られたような衝撃が伝わる。しかし私は動じていないように泰然たいぜんとして振舞った。

「働いたことのないお前にはわからねえだろうが、いくら家賃の出ねえ野宿で生活していても、土木現場の給料だけで生活していくなんて無理があるんだ。特に今の時代はな。ましてやその生活にもう1人、それも未来ある学生となれば、まず不可能になる」

 その言葉でめまいのようのなものを覚える。

「そんな、じゃあ私は最初から邪魔だったってこと?」

「まあ、最後まで話を聞けよ」

 行人は診察台の上で座りなおしてあぐらをかいた。

 私に診察用の椅子を差し出し、座るように会釈する。私は生唾を飲み込みながら素直に従った。

「つまり、俺は最初から土木作業員なんかじゃねえ。あの作業着は俺がいつも周りから目立たないように着ているだけだ。ゴミ捨て場から拾ってきた誰のかわからねえゴミだよ」

 行人は表情を変えずにそう打ち明けた。こうやって今まで何の表情も変えずに嘘をついてきたのだろうか。

「これもまた、お前みたいな平和ボケしたやつにはわからねえだろうが、今の東京にはヤクザとか暴力団みたいな、要するにドグラが警察どもの目をかいくぐって密かに活動してんだよ」

 ドグラというのは、ヤクザや暴力団といった裏社会組織の総称だ。2030年ほどに広まり出した呼び方で、裏社会の話題を主として取り扱うという狂った出版社の名前『門蔵社かどくらしゃ』からとったらしい。

「警察を目指してるお前に詳しくは言えねえがな。お前はいずれあいつらの敵になるわけだし、情報を教えて後から捕まりたくはねえしな」

「それで、その暴力団がどうしたのよ」

 私は先を急かした。しかし本当はその先が何となくわかっていた。どんな言葉が出てくるのか予感していた。

「俺は考えた。こんな時代に身寄りも住む場所もねえ俺が生きていくにはどうしたらいいかって。汚ねえ地面に這いつくばって野垂れ死ぬ連中の仲間入りはしたくなかったからな」

 行人はゆっくり私の目を見た。吸い込まれそうな黒い瞳孔が私を見据えている。私はその中に小さく広がる闇を見た気がした。

「俺がやったのはドグラどもと繋がって金をもらうことだった。詳しくは言わねえけど、色々なルートで繋がることに成功したわけだ」

 やめて。頭の中で私は呟いた。

 あなたは私が家族以外で初めて心を開いて接することができた人。いやだ。聞きたくない。

「俺はそこらへんの物取りみたいな弱っちい軽犯罪者を捕まえて証拠として弱みを握って、それを俺が契約を結んでるドグラに情報として提供して、見返りで金を貰ってたんだ。要するに俺がやってんのは情報屋みたいなもんだな。そして今回のこれは、以前からホームレス襲撃を繰り返してた連中をぶん殴ろうとしたときにやられたんだ」

 行人は縫ったばかりの腕を掲げて見せた。

「今の暴力団ってのは昔と違って仲間を増やしたがるからな。脅す道具がほしいんだ。それを提供してくれる人材は貴重なんだよ」

 行人は遠い目をして言った。

 手のひらに痛みを感じた。握りしめた爪が食い込でいた。

 何なのそれ。意味が分からない。

「だからお前が俺と生活するようになって手に入れたもの。食料、服、勉強道具、本・・・。全部ドグラからもらった金で買ったものだよ」

「ふざけないで!」

 私は立ち上がり、後ろへ椅子を蹴り飛ばした。後ろで何かにぶつかった椅子が倒れる音がする。

「最低!私が警察を目指しているのを知っておきながらよくそんなことができたわね!私はずっと行人がちゃんと働いてるって信じてた。最初は信用できない人だと思ってたけど、ほんとはちゃんと優しい部分もあるんだって、私のこと、いざとなったら、ちゃんと助けてくれるんだって思ってたのに。そんなのあんまりだよ・・・。あんまりだよ。それなら最初から何もほしくなかった。ついてこいなんて言ってほしくなかった。突き放してほしかったよ」

 私は歯を食いしばった。堪えようとしても感情が抑えられない。目の前がだんだん滲んでくる。

「大体、どうしてそんな人たちと繋がるのよ。ホームレスを襲ってた連中を殴ろうとした?それだけなら行人のやっていることは正義といえるわ。正しいことだわ。なのにどうしてそこからドグラなんかに繋がろうとするのよ。行人こそそのまま警察になった方がいいんじゃないの」

 そのとき突然何かがばらばらと散らばる音がした。私は息をのんだ。静寂が一瞬私たちの間を支配する。

 足元を見ると床に医療器具が散乱していた。

 視線を上げると先程の無表情な行人とは別人のような男がこちらを睨んでいた。

 何も言わずにただ私を貫くように睨み続けている。

 私は金縛りにあったようにその場で身動きひとつ取れなくなってしまった。

「俺は生きるためにこうしているんだ。お前には一生わからねえことだろうがな。これが俺の中の正義なんだよ。俺みたいな人間が生きていくにはこうやって汚れた生き方しかねえんだよ」

 行人は眉間にしわを寄せて私を睨み続ける。その目は私が知っている行人の目ではなかった。憎しみか、何かどす黒い色をした感情が溢れている。その矛先を向けられていた。

 やがて行人はまた先ほどのように意地悪く穏やかな表情に戻った。

「さあどうするよ警察の卵さんよ。お前がこうやって生活できたのは俺が命を懸けて集めた汚れた金のおかげなんだぞ。いくら正義の味方を気取ったとしても、所詮世の中はこうなんだ。お前が信じている正義の味方たちだって、裏では俺みたいに汚い生き方をしてんだよ」

「ふざけたこと言わないで!」

 金縛りから解放された私は言い放つ。

「何もわからないくせによくそんなこと言えるわね!」

「ほう?違うというか?」

 行人は蔑むように不敵な笑みを浮かべる。

「ええ、違うわ」

「証明できるのか?」

「ええ、できるわ。私がしてみせる」

 頭の片隅で警笛が聞こえた気がした。気をつけろ。このままではこの男に言いくるめられるだけだ。冷静になれ。

 しかし私はあふれる感情の濁流に逆らうことはできず、行人の前に立ち、言い放ってしまった。

「これでわかったわ。あんたは私の敵よ。信じた私が馬鹿だった。いつかわかる日が来るわよ。自分が悪かったって。悪はいつか裁かれるんだって。それまでずっとそんな人生送っていればいいわ」

 私は行人に背を向け、ドカドカと乱暴に歩き、自分の荷物をまとめた。

 そして暗闇の中を覚束ない足で何とか歩き、裏口として利用している1階の壁に開いた穴まで向かった。

 いつの間にか雨がまた降り出していたみたいだった。穴を塞いでいた木の板をずらし、外に出る。感情的で馬鹿だと思われたくないので冷静に木の板をしっかりと戻す。

 雨音が世界を支配していた。傘を置いてきたのに気がついた。

 しかしもう行人の顔は見たくない。

 私はボロボロのダウンコートのチャックを閉め、意を決して冷たい雨の中を歩き出した。

 火照った身体の芯がどんどん冷えていくのが感じる。

 それでも頭の中は行人に対する怒りの炎が燃え盛っていた。

 これまで抱いてきた行人への疑問や違和感。それらがパズルが整合性を持ち始め、私の心をえぐり出していく。

 初めて会ったとき、彼は自分を中央区で働く土木作業員だと言った。そして一緒に生活するようになってから実際に作業着を着て拠点を出ていく姿を何度も見てきた。しかし、それは作業現場なんかに行くわけじゃなくて、そこらの悪人どもを見つけて脅すための遠征だった。堂々と出ていくことでかえって怪しまれないようにしていたのか。

 そういえば私が高校の体育館へ行ったとき、頑なに中に入ろうとはしなかった。

 叔母さんを捜しに行くとき、やたらと他人の目の届かない裏道や近道を知っていたのも、それを日ごろから利用していたから。

 転々と拠点を移動していたのも。

 あの痩せた体形に似合わぬ戦闘能力だって、悪人を脅していく中で身につけたものだったのかもしれない。そして最近になって突然何も言わずに姿を消すことが多くなって・・・。

 思い返せばきりがなかった。過去の行人の行動や言葉のすべての行動が怪しく、絶望的な感情を呼び起こす。

 ゆっくり時間をかけて私は騙されていた。別に利用されたわけではないのに。行人は私に悪意をもって何かをしたわけではない。それでも、強い憤りと悲しみを覚えずにはいられなかった。

 たとえ自分が生きるため、そして私のためだとしても、行人がやっていることは悪への加担に変わりはない。悪人の弱みを握って、それをさらに悪人のために提供するなんていくらなんでも馬鹿げてる。生きていくお金のためとはいえ、どうしてそんな道を外れてしまったのだろう。

 やはり他人なんて信用するべきではなかった。

 私はこれから1人でいよう。誰も信じず、ただひたすら自分の目指す正義の道を進み続けよう。

 世の中には悪が溢れている。

 私は闇に包まれた冬の雨の中を歩き続けた。

 今頃東京の中心部では暗闇に紛れた悪人たちが裏の世界を跋扈ばっこしているのかもしれない。下水道でうごめく醜い害虫どものように。

 すべて私の敵。いつか私が根絶やしにしなければいけない存在。

 行人もその中の1人だ。

 私は寒さに耐えかねて自分の身体を抱くようにして歩いた。

 ずっと歩き続けた。



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