第6話

 私と行人の拠点探しが始まった。

 行人曰く、いつでもこのような事態になってもいいように、あらかじめ新しい拠点の目星はかなり前からつけてあったらしい。

 ボロボロの紙に書かれた行人の手書きの大雑把な地図を見せてもらいながら、2人でどの場所に引っ越すかを検討した。珍しいことに行人は私の意見も聞いてくれた。

 私の要望はというと、高校に近いということが第一だった。完全に私だけにしかメリットはないことだが、やはり今後のことを考えるとその条件は優先したかった。また、そうすると必然的に各避難所とも距離が近くなり、叔母さんの捜索にも効率がいいはずだ。

 そしてその結果、燃えてしまった私の家から1時間ほど離れた位置にある古くなった診療所になった。

 昨今は昔と比べて心霊などの現象を信じる人は減少傾向にある。かく言う私もそういった類に恐怖心を抱く性格ではなく、叔母さんを含め両親も心霊系を怖がっているのを見たことはない。

 しかし、診療所となれば話は別だ。診療所といっても病院の類。いくら幽霊の類を信じていないといっても、今回に関しては例外である。本能レベルで抗いがたい恐怖を感じてしまう。

 私は最初は渋ったが、行人曰く、過去に数ヶ月だけ隠れ家にしていたことがあり、私が想像しているような、おどろおどろしい雰囲気のところではないとのことだった。

 すでに誰かが住みついている可能性はないのかと尋ねると、「診療所なんて誰も怖がって寄りつかねえよ」と、軽く笑った。おどろおどろしい雰囲気ではないのに怖がって誰も近づかないとは一体どういうことなのか。いつも通りの適当な男だ。

 だが結局、行人の言葉を信じてその場所を選んだ。他に高校から近いところはそこしかなかったし、医療施設ならばソーラーパネルが設置されていて電気に困ることは少しは減るとも踏んでいた。

 こうして30分ほどで引っ越し先が決まり、今度は荷物運びが開始した。

 冷蔵庫は運び出さないことにするらしい。無理もない、私の腰ほどもない小型の冷蔵庫といえどもここから数時間も離れたところへ運搬するのは骨が折れるだろう。道中襲われる危険もある。

 行人はすぐそこにある倉庫から1台の自転車を押してきた。

 よく見ると後輪の両サイドに金属製のカゴが太い針金を巻き付けて固定されている。行人が自分で改造したのか、それとも最初からそうなっていたのか。

 冷蔵庫に加えてソファやテーブルももちろん置いていくことにした。

 冷蔵庫から缶詰めやカップ麺、レトルトものなどを取り出し、段ボールに詰める。果たして冷蔵庫にわざわざ入れるようなものなのかと思ったが、貴重な食料を隠す意味もあるのだろうと自分の中で結論付け、理由は問わないことにした。またどうせ馬鹿にされるだろうから。

 ビニール袋に詰められたドライアイスも一緒に段ボールに詰め込む。段ボールの隙間から白い煙が漏れていた。

 カセットコンロやラジオ。ソーラー発電ができる携帯型コンセントも別の段ボールに詰める。

 段ボール2つを自転車の両側のカゴに載せる。難なくカゴの中に納まった。これで準備は整った。

 私が自転車にまたがって、上手くバランスをとって漕げるか確かめているうちに、行人はさっさと歩き出し、私を急かした。

 空ではすでに日が傾いている。

「もう少し感慨とかないわけ?」

 私にとっては、また住んだ家から離れるようなものだった。1週間も過ごしていないはずなのに、行人と過ごしたこの廃アパートには謎の親近感があった。

 行人は一言「ない」と言って、さっさと歩くように言った。

 しぶしぶと私は黙って従う。文句を言ってもどうせ丸め込まれるのが関の山だ。

 自転車はひどく安定性が悪かった。その原因はどう考えても後輪の両側に乗せた荷物だ。何かを引きずっているかのようにペダルが重い。

 行人はそんな私などお構いなしに両手をポケットに手を入れて悠々と大股で歩いている。

 これからも私はこいつにこき使われるのだろうかと行く末が不安になる。


 どれくらい歩いたのだろうか。いつの間にか工場跡が遠くの空に溶け込みそうになっていた。恐らく時間にして1時間くらいだろうか。住宅街の隙間から無数の細い煙突が寂しげに空に向かって背伸びしているのが見えた。

 錆だらけの自転車をぎこぎこ鳴らしながら私は無言で先へ進んだ。じんわりと背中に汗が浮かんできたのがわかる。少し嫌な感じだ。

 そして私たちの影が闇に飲み込まれたころには、目的地である診療所がうっすらと住宅の間から浮かび上がってきた。

 目測したところ恐らく2階か3階建てのあまり大きくはなさそうな診療所だった。好き放題に伸びた木々が屋上を覆い隠しているのが暗闇の中からわかった。それだけでも不気味な雰囲気が私の全身を舐めるように伝わってくる。

「ねえ、本当に行くの」

 私が尋ねると、行人は「当り前だろ」と、言うだけで、どんどん枯れた草木が生い茂る道を進んでいく。

「ちょっと待ってよ、自転車じゃこの道、無理だってば」

 私は足を止めて、低い声で行人を呼び止めた。もう外出禁止時刻に達しているだろう。声を抑える必要があった。

 すると行人は面倒くさそうに踵を返し、私の手から自転車のハンドルを奪うように取り、強引に枝や蔦まみれの道を進み始めた。力任せに行人はどんどん進んでいく。何だか私が甘えてたみたいだ。精一杯やってみたけど本当に進まなかったのに。

 まあこれで身体が軽くなった。私は肩を回す。

 辺りを見てみると、住宅がぽつぽつとあったが、どれも人が住んでいる雰囲気はなさそうで、診療所だけでなくここら一帯が廃墟地区となっているようだった。

 夜風が服の隙間から背中を伝う。汗が乾いて背中が冷たくなってきた。思わず身震いをする。

 診療所の門は解放されていた。出入口付近に錆まみれになったバスの残骸が道を半分ほど塞いでいた。

 行人はその間を通って中へ進んでいく。

 私はそれに続いた。

 暗闇の中に木々に囲まれてひっそりと佇む診療所を見上げる。解体を中断されたらしく、2階部分の鉄骨がむき出しになっており、内部の様子が見えていた。

 規模としては特別大きいというわけではなく、どちらかというと小規模の診療所という方が近いかもしれない。

 正面玄関のガラス扉は割られていた。行人は自転車のままその暗闇の中へ歩み寄っていく。そして玄関の中に自転車を停めた。

 私は今までよりほんの少しだけ行人に近づいて進む。一歩進むごとに自分の足が震えているのがわかる。鼓動も早くなっている。こんなところに入ったのは初めてだ。

 ぱきりとガラスを踏んでしまい、小さく肩が跳ねた。その音は暗闇の中に吸い込まれていった。

「ねえ、明かりないの?」

 私は我慢できずに聞いた。

 行人は声を抑えて私に「持て」と、言って、棒状のものを渡しの手に収めた。私が数時間前にあのヘルメット男に振るった小さな木刀だった。

「誰かいるの?」

「今のところいなさそう、けど、一応念のため」

 行人は一旦、自転車と荷物をそのままにして、廊下を進み始めた。

 玄関から廊下を進むとすぐそこには待合スペースがあった。長椅子が縦横無尽に散らばっている。

 私は行人にぴったりとくっつき、気持ち程度に背後を確認しながら廊下を進んだ。

 そんな様子で私たちは1階の診断室や処置室を確認した。

 ついで2階と3階も同様にすべての部屋を見て回った。特に誰かがいたような形跡はなく、私は安堵から行人の身体にもたれかかった。

「何してんだ、動きづらいから」

 行人は強引に私を引きはがす。

 中途半端な解体によって2階と3階の半分ほどの部屋が外気にむき出しになっていた。汚くうるさい光を発する東京の夜景は、そこから眺めると知らない世界のように見えた。

 そして私たちは荷物を2階の一室まで運んだ。その部屋には診察台がひとつと、医者がよく座っているようなくるくる回る椅子と診察テーブル。そして奥の方に隣室と繋がっている通路があり、そこを進むと棚で溢れた空間が広がっていた。恐らく点滴や血圧を測る処置室だった場所だろう。それらしい器具が色んな所に転がっていた。

 診察室と処置室をこんな風に自由に行き来するのは初めてだった。幼いころに風邪で診察を受けたときに看護師さんが奥の通路から出入りしているのを見て、その先に何があるのだろうと不思議がっていたのを思い出した。そこを実際に通っているのは何だか大人になった気分だ。

 荷物はその処置室にまとめて置いた。

 そして荷物をすべて運び終えたころには私はくたくたになっていた。特に脚への疲労が痛みと共に伝わってくる。

「こんなものだな」

 行人は呑気にそんなことを言う。

 それから行人は携帯型コンセントを取り出してポットに繋ぎ、それでお湯を沸かした。そして2人分のカップ麺を作り、診察台に座りながら2人で食べた。

 カップ麺なんて人生で数えるほどしか食べたことがなかったが、こんな状況で啜る食べ慣れないそれは、私の味覚に非現実の興奮を伝えた。

「明日は屋上に行ってソーラーパネルが生きてるか確かめる」

「もし生きてなかったら?」

「ここのパネルは寿命の長いやつだったはず。回線をねずみかなんかに食いちぎられていない限りは大丈夫だと思う。配電盤が1階にあるから、明日の早朝に充電を始められるようにスイッチを押してくる」

 そして私たちはそれぞれ寝袋にくるまってその夜は眠った。本当は行人とは別室で眠りたかったが、恐怖心が勝った。

 行人は診察台の上でミノムシみたいに安らかに眠っていた。私は硬くて冷たい地べたで木から落ちたイモムシのように身体を縮ませながら眠った。本当にこの男には優しさというものを感じない。覚えてろよ。


 翌朝、すでに起床していた行人に屋上まで連れて行ってもらった。

 行人の目論見通り、屋上のソーラーパネルはちゃんと機能していた。

 1階のブレーカーを上げてくるように行人に頼まれ、私は1階へ向かった。

 診療所内は相変わらず別世界のようでしんと静まり返っていたが、廊下中の窓から朝日が差し込んでおり、昨晩ほどの不気味さはなかった。

 廊下中に私の足音が響く。ときおりガラスの破片を踏んだり、木の枝を蹴り飛ばしながら進んだ。

 階段で1階に降り、行人に言われた通り、受付カウンターの中に入っていく。事務用テーブルが設置されっぱなしになっているだけで、他に特に物はなく、殺風景だった。

 奥の壁に備え付けられた電源盤を開ける。いくつものスイッチが覗く。

 私は手についた蜘蛛の巣を払いながら、スイッチの下に書かれた文字をひとつひとつ見ていった。正直ごちゃごちゃしていて何がなんだかわからない。

 すると近くにもうひとつ電源盤があることに気づき、それを開ける。中に他より大きな赤色のスイッチがあった。

 私は慎重にそのスイッチを弾いた。特に何も起こらなかったが蓋を閉じて上階へ向かった。

 行人は屋上から戻っていた。コンセントにプラグを差し込んでいる。

 するとプラグに繋がった携帯型コンセントのランプが緑に光った。

 行人は黙って親指を立てた。

 私は嬉しくなり、頬を緩ませながら思わずガッツポーズをした。

 その様子を見ても相変わらず行人は仏頂面だったが、気にしないことにした。


 電気が通ったおかげで、少しは生活にゆとりができた。

 30年ほど前からソーラーパネルを使った発電方法が増加した。一般住宅をはじめとして、病院などの様々な公共機関の建物にもソーラーパネルが備えられるようになった。これによって、もし災害で断線が起きても一時的に対応できるようになったのだ。

 季節のせいもあり、床冷えが酷かったが、所内からありったけの布を持ってきて地面に敷いたり、行人がゴミ捨て場で見つけてきた電気ストーブを使って寒さを凌いだ。

 食料は近くにあるスーパーに週に3回ほどの頻度で買いに行った。行人はあまり人前に出たがらず、私が買い物の係になった。

 叔母さんの作ってくれた料理が時々恋しくなったが、我慢してカップ麺やパンを胃に蓄えた。

 行人はどうやら本当に作業現場で働いていたらしく、毎日のように早朝からカバンを持って出かけていった。そして夕方には泥がついた作業着で帰ってくるのだった。ちゃんと給料も出ているようだ。

 その間に私は、独りの心細さと恐怖心を誤魔化す意味で、居住空間となった診察室を掃除した。床に散乱した書類や医療器具を片付けたり、木の枝を拾ってきて蜘蛛の巣を払ったりした。それでも時間が余ったときにはカバンに入った付箋だらけの参考書を読み返していた。

 資金面に関しては私の分の負担が増えたはずだ。だから私は叔母さんを捜しに行くときは決まって避難所に寄り、避難者であるような顔をしてお弁当を貰って、こっそり2人の拠点へ戻った。もちろん行人の分も貰って。

 普段からちゃんとしたものを食べてこなかったのだろう。お弁当を持ってきたときの行人は誰が見てもわかるように露骨に気分がよくなった。

 私も行人のそんな珍しい様子を見るのが少し楽しみになっていたのだ。ちゃんと人間らしい面もあるのだ。

 いつか世界が平和になったら、しっかり料理を学んで、私の作った料理を行人に食べてもらいたいと思った。きっと喜んでくれるよね。


 そして引っ越しの2週間後、高校が再開した。

 近くのコインランドリーで洗濯して綺麗になった制服を着て、私は朝靄の中、診療所から出た。

 朽ちて時間が止まった診療所から早朝に女子高生が出てくる光景を誰かが見たらどう思うだろう。

 改めて自分が誰だかわからなくなる。こんなところから高校に通う日がくるなんて想像したことすらない。

 思い返せば、家が燃えてしまったときから夢のようなできごとばかりだった。あまりに急なことが起こりすぎて、一息ついて現状をちゃんと考えることすらできていなかった。

 気が付けば行人と出会って1ヶ月が経過していた。

 私は空に向かって細く息を吐く。白い息が空に吸い込まれていった。

 今の生活ももちろん信じられないことだが、なによりもこの私が家族以外の人と1日中一緒にいるということが信じられなかった。こんな日が来るとは思ってもいなかったのだ。

 行人は私のことをどう思っているのだろう。相棒だとか、そういう意味合いのもつ存在として思っていてくれたら嬉しい。少なくとも私は今となっては行人をそう思っていた。行人は私の相棒だ。彼には命を救われているわけだ。そしてこれからも彼に頼りっきりの生活になるだろう。

 人と協力する喜びというものも行人のおかげで知ることができた。今の生活は行人と協力したから実現したことだ。今まで1人ではできなかったことができるようになる喜び、そして共に困難を乗り越えることができたという満足感。それらは私が今まで味わってこなかったものであり、とても大切なことなのだと気づかされた。

 本人には口が裂けても言わないが、いつかお礼をしたいと思っていた。

 将来、警察官になったら、私が全額負担で彼に家でも買ってあげよう。食べ物だってたくさん恵んであげよう。もうゴミ箱を漁ったり、襲われたりしないように安全な場所をあげよう。

 私は冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、そして吐いた。何だか力が溢れてくる。これが生きる気力というものなのだろうか。

 後ろの診療所から行人が視線で私を送り出してくれている気がした。

 そして私は軽い足取りで高校へ向かった。




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