151.この傷も過ちも、私達にこそ相応しい。


「別の道があったと知る為の、苦しみと会う為だ」


 悪魔なんだろうか、私。


「これしか無いって信じてた。だから全てを懸けて歩いて来た。いつも頭の隅で、本当にそうなのかなって疑いながら。ああその通り。違ったんだよ。お前も私も。気付かないだけで、信じられないだけで、もっと上手い方法があったんだ。お前は罪悪感に駆られないでお兄さんの望んだ通りに、妹さんと普通の暮らしを送ればよかった。私は帯刀おびなたを救えないと分かっていたのに、誰にも助けを求めず罪滅ぼしを選んだ。こんな息苦しい思いを抱えなきゃいけない答えが、正解な訳無かったんだよ。間違い続けて今やっと、それに気付けたんだ」


 ずっと堪えて来たのだろう。裁の涙は止まらない。


「もう無理やわ。これからどうやっていいか分からへん」


「やり直せばいいさ」


「どうやって」


「どうとでもだよ。ここまでやって来れたんだ。きっとこの先だってやっていける」


「もうこんな思いしてまで、生きてく理由が無い」


 裁の言葉の一つ一つが、胸を突き刺さし抉って来る。


 痛くてしょうがない。私が散々頭の中で家族へ繰り返して来た、呪いの言葉と同じだから。


「妹さんに会いに行こう」


 裁は妹さんという言葉につられただけみたいに、何の希望も見出せていない顔を僅かに上げた。


 少し期待してしまっていた私は、黙りそうになる口を必死に喋らせる。沈黙してしまったが最後私も裁も、どこにも行けなくなる気がして。


「魔法使いを探して、忘却の魔法も解いて貰おう。もうお前は魔法使いじゃないんだ。身分も記憶も隠して貰う必要無い。妹さんとずっと会ってないんなら、沢山話を聞かせてやればいい。確かにお前は間違った。でも何も無駄じゃないし、意味が無かった人生なんかじゃない。妹さんっていう全てを懸けて守ったものが、確かにこの街で生きてるじゃないか。他の誰でもない、お前自身の手によって」


「合わせる顔無いわ」


 突き放すように返された。


 裁はまた、ぐしゃぐしゃな顔になって涙を流す。


「山程魔術師を殺して来た。この街の奴らも、あんたの親代わりの阿部さんも。平凡も幸せも、相応しくない」


「〝患者〟の症状をコントロール出来てるように魔法に耐性のある悪魔らいの私が、どうして劇場支配人の悪魔の服従の魔法をあっさり食らうんだって訝しんでたよな。私と劇場支配人の悪魔には、親和性があるって」


 裁はぽかんとなって私を見つめた。


「ぎょっとしたよ。バレたんじゃないかと思って」


 結局上手い宥め方なんか分からなくて、苦笑する。


 私だって器用じゃない。もっと上手い生き方は無かったのかと、毎日ふとした瞬間に考える。考えたって出来る事は、いつもは多くないけれど。だからその多くない方法に、全てを懸けて走って来た。


「お前に殺されると覚った芋虫の悪魔は、夭折ようせつの魔法となりお前に居座った。でももしお前が夭折の魔法以外の原因で死ねば、芋虫の悪魔も今度こそ死んじまう。夭折の魔法は不発で終わりだ。悪魔が自身を材料に放った魔法だろうと、その対象を失えば機能しない。だから私のクソジジイが死んだ時、不倶戴天の悪魔にかけられた変身の呪いも、こいつを材料にクソジジイが願って手に入れた不死身紛いの体質も、消えないとおかしい。変身の呪いも不死身紛いもクソジジイを対象に起きたもので、その子供や孫にまで狙って放たれたものではないんだから。つまり、受け継いでから弱める事は出来ても、消えないんだよ。不俱戴天の悪魔と、奴の魔法は。刺し違えてでも相手を憎み続ける、復讐の悪魔なんだから。父は永遠なんて無いと信じて魔術師になってこの呪いから逃れようとしたけれど、自分よりクソジジイの血が薄い私が父より悪魔喰らいとして優秀であると知ったあの瞬間碌に動けなくなったのは、きっとこの仕組みに気付いたからで、それに今まで気付けず過ごして来た自分に、打ちのめされたからだ。そして、〝不吉なる芸術街〟の魔術師が天喰あまじき家を恐れる本当の理由は、そんな強烈な魔法に晒されながら全く正気を保っている精神と、食らった悪魔と魔法を支配下に置いてしまう、いかれた身体だ」


 だから知っている。その性質も、扱い方も。


 劇場支配人の悪魔を思い出すのも癪で、罪悪感に呑まれるその様に相応しいように別人の話し方を思い出しながら、右手で裁を指す。


「貴様これより、一切の悪魔との取引を禁ずる。そしてこの先、もし私が道を誤った時は、お前が磨き上げた刃で私を斬れ」


 宙に現れた『親喰おやばみ鬼鶴おにづる』が、私達の間に突き刺さって立ち上がった。


 限り無く魔法に近い『餓牙がが獄送ごくそう』を土台に作られた事から、何とか再現出来た『親喰おやばみ鬼鶴おにづる』越しに裁が目を見開く。


 上貂かみはざの口調の真似て、裁へ服従の魔法を放った私は、眉をハの字にして苦笑した。


「こんな事は、上手くいくもんだよな」


 裁の涙が、大人しくなる。


「ずっと隠してた『餓牙がが獄送ごくそう』を見せちまったから、私を拘束出来る魔法も魔術も無いって街の魔術師にバレちまったんだ。だからもう、このままじゃいられない。この街を追い出されたら、本当に行く当てが無くなる。それは困るから、お前が見張ってくれよ。『親喰おやばみ鬼鶴おにづる』を使いこなせるのはお前だけだし、私に拮抗出来るのもお前だけなんだから。これならお前の罪も、いつかきっとあがなえる。気の遠くなるような、時間はかかるかもしれないけれど」


 裁はまた、大粒の涙を流し出した。でもその表情に浮かぶ苦痛と悲しみは、幾分柔らかい。


 私はもうお手上げで、肩を竦めて苦笑するしか無い。


「幸せだろ?」


 裁は呆れたように、小さく吹き出す。


「……あんたってほんま、気に障る……!」


 それは刺々しさも毒も無い、初めて見せた平凡な笑顔だった。


 私はその笑顔で、勝手に救われた気になる。


 裁。お前は知るかって突っねるだろうけれど、私も今漸く、一番殺したかった奴への復讐を果たせたんだぜ。魔法使いでも魔術師でも、悪魔でも家族でもない、憎んでばかりで選び取れない、嘆いてばかりで何も救えない、そんな場所から抜け出す事すら出来なかった、自分をやっと。


 私の人生にも、確かに意味はあったんだ。それがどれ程の孤独と苦悩に満ち、誰にも理解されない在り方でも。


「もう嘆くのは終わりにしよう」


 私も久々に無理せず笑って、右の親指で裁の涙を拭う。


「願いも正解も、やっと手に入ったんだから」



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