150.命の証明


 スマホぐらいの大きさをした白い芋虫が、斬撃でよろめく裁の背中の内側から、押し出されるように外へ飛び出す。


 私は裁の脇を通って駆け出すと、『餓牙がが獄送ごくそう』で芋虫を貫いた。芋虫は見えない獣の顎に捉えられたように、ズタズタに裂かれて消える。


 それを見送る時間も惜しくて、裁へ駆け戻った。


 魔法使いは魔法を使える魔力量を確保するよう、取引の際心臓を悪魔仕様に作り変えられる。裁は、夭折の魔法をかけて死んだと同然になった芋虫の悪魔から、魔法を盗む形で魔法使いになった。だから心臓がどうなっているか分からない。魔力量は吸血鬼になって用意したと話していたが、強制的にとは言え取引を交わした格好に限り無く近いので、心臓が変質していてもおかしくない。なら『餓牙がが獄送ごくそう』の対象内だ。悪魔と同等になってしまったのなら、裁の心臓も潰してしまう。


 悪魔のはらわたで人間の心臓を用意してやればいい。そうなのだが、私の身が持つ自信が無い。


 今にもぶっ倒れてしまいそうな身体を引きるように、足を強引に走らせる。


 魔力切れで形を保てなくなった『餓牙がが獄送ごくそう』が砕け散り、『天をも喰らうとりで』が傾いた。ビビットオレンジの血の雨も止み、霧も急速に晴れていく。そんな事ばかりはっきりと分かるのに、背を向けて崩れ落ちていく裁がやたらと遠い。


 声が出ないと気付いた。


 手足が止まりそうになる。


 知るか。


 進め。


 取り零すな。


 この瞬間を掴む為だけに、何度でも傷付いて歩いて来た人生だろう!


 互いに膝を着いて崩れながら、裁を肩を掴んで向き直らせた。その勢いにされるがままになるように、一切の激しさが失せた裁が呆然と俯く。


 生きてる? 死んでない? それとも私の目が駄目になっただけ?


「裁?」


 顔を覗き込みながら肩を揺らした。人形のように返事が無い。


 離した右手を自分の腹へ走らせる。


 何でもいい。胃でも肝臓でも引き抜いて、裁の心臓を取り戻す。


「無駄やった」


 細い声が聞こえた。


「ここまで来たのに、また失敗。またあたし、取り零した」


 裁の声だ。腹を抉ろうとした右手を止め、顔を上げる。


 俯いたままの裁が、はらはらと涙を流していた。落下し地に突き刺さっていたのが裁の肩越しに見えていた『親喰おやばみ鬼鶴おにづる』が、幻のように霞んで消える。そして裁のロングヘアから〝患者〟の証である、ボルドーのメッシュが消えた。


 ……芋虫の悪魔が死んで、奴に起因する全ては砕かれて。裁は夭折の魔法から抜け出せて、やっと今、魔法使いを引退した。その為に積み重ねて来た努力と辛酸の証明である、魔法と魔術を失って。


 ぼうっとしていた頭が冴える。喜びでなんかじゃない。やって来ると分かっていた、胸の悪さに襲われて。


「ごめん」


 意味の無い言葉を吐いた。


「もっと早く出会ってれば、そこまで苦しませずに済んだのに」


 裁は顔を上げないまま目を見張る。何秒だろう。少しそのままで固まって、苦しげに顔を歪ませると涙を流した。


「ああ遅いわ」


 雨も止んだのに、消えそうな声で吐き捨てて泣き崩れる。


「何よ今更。正義の味方なんて、っくにおらんて思ってた。何の見返りも無く救ってくれるヒーローなんて、甘えたあたしが見てる悪い夢って。やのに今頃、あたしは間違ってるって突き付けに来て……。こんなんあたし、何の為の人生やったんよ……!」


 かけるべき言葉は知っていた。


 それが裁の求めるようなものでも無ければ、裁の救いにもならない事も。



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