144.理想はいつも程遠い。


「『かつえる牙が地獄に送る』だ」


 最後の由縁を切り出す。


 裁は焦燥を滲ませつつも私を見る。少しでも距離を取るべきと考えたのか、目が合うなり微かに後退った。


 こいつに対しこうも明らかに優位に立つのは初めてで、つい嗜虐的な笑みが止まらない。


「『餓牙がが獄送ごくそう』、『天をも喰らうとりで』。こいつらを成しているのは、私がリセットされる度に即削除されて来た私の死体だ。吹っ飛ばされた私の身体の一部が跡形も無く消える場面を何度も見せたが、あれは正確には消えてたんじゃなくて、こいつらを作る為のストックなんだよ。そして、『一つ頭のケルベロス』に封じられて今まで使えなかったと言った通り『餓牙がが獄送ごくそう』とは、限り無く不倶戴天の悪魔の魔法に近い。だからこいつが対象と出来る相手も、共にこの世にいる事が耐えられないと憎む相手ただ一人であり、一対一での戦いでしか機能しない。その能力とは、対象とした者の持つ、あらゆる悪魔を起源としたものを食らい尽くし破壊する事。魔術も魔法もこいつに斬られりゃ木っ端微塵で、こいつを壊せる術にもなりはしない。そして対象は勿論お前。もう私にお前の付与の魔法エンチャントも、まだ隠している〝魔の八丁荒らし〟の由縁たる、二つ目の魔法も通じない」


 裁は動揺の余り声を荒げた。


「いや待て。ただそれだけやったら、あんたの知覚が怪物に追い付けるようになった理由が無い」


「お前が今日殺した魔術師の中にいた」


 あれだけ頭の回転が速い裁が追い付けず、あっさりと黙り込む。


「親殺しの〝魔の八丁荒らし〟と悪魔の間でも有名人だったお前とは、今日まで自分を魔法使いとして扱って来たんだろうよ。だから吸血鬼になろうとも、狩人についての知識は浅い。悪魔を超える知覚を持つ怪物を、どうして人間である狩人が狩れるのかについても」


 私が何を言おうとしているのか、裁はまだ気付けない。ただ言葉を待って見据えて来る。


 柄から離した右手で、軍服の胸元のボタンを開けた。首元がよく見えるように緩めた軍服を掴んで引っ張ると、頭を左へ傾ける。肩甲骨から鎖骨辺りまで伸びる水墨画調の入れ墨が分かったのか、裁は目を見張った。


怪猟彫けりょうぼりって言うんだよ。警察が、狩人と魔術師を混同しがちな理由だ。狩人とは、魔術師とは異なる怪異的な技術を以て怪物を狩る。それがこいつだ。死んだ狩人の血を染料に、骨を針にして彫る入れ墨。こいつで材料となった狩人が持っていた、狩りについてのあらゆる知識経験を引き継ぎ、そしていつか、その狩人の仇を討つ。全ての狩人は古くからこの術で力を蓄え、今や怪物にも並ぶ存在となった。狩人達が決して素肌が見えないよう、コートにハットと手袋で身を包んでいるのもこの怪猟彫を隠す為。優れた狩人は殺した怪物を材料に怪猟彫けりょうぼりを施すから、頭のいい怪物に見られたら戦力がバレちまって面倒だからな。私は魔術師だし悪魔らいで元々身体能力が高いからって、阿部さんが彫師に紹介してくれたのは一度切りだったけれど」


 裁は息を呑んだ。私が何を言っているのか、漸く分かったらしい。


「こいつが形見になるなんて思わなかったさ」


 軍服を掴んだままの右手で、怪猟彫けりょうぼりを指す。


「妻はいたけど子供はいない人だったから、私の面倒に困ってたよ。魔術師としても元狩人だから、ちゃんと指南出来てるか自信が無いって零してた。だから狩人時代に狩った怪物のコレクションの中で、最も上等なものを怪猟彫けりょうぼりにしてくれたんだ。どんな敵と戦う事になっても父みたいに、さっさと死んで欲しくないからって。だから、吸血鬼の知覚を持つお前にも追い付ける」


 右手を柄に戻し、正中線に剣を構えた。


「私がずっとなりたかったのは、愚昧ぐまいな聖女でも、隠し事だらけの狼少年でもない」


 刃の向こう、ビビットオレンジの血の豪雨に掻き消えそうな、生涯分かり合えないだろう相手を見据える。


 そう分かっているに、口走ってしまう。後悔なんて一つも無いのに、確かに寂しい事でもあると知ってしまっているから。


「鉄村も置いて、帯刀おびなたもほったらかしてこんな所にいるぐらいに私とはただ、間違っている事は絶対に許さなければ正しさも決して譲れない、正義の味方になりたいんだよ。こいつに生まれも育ちも関係無い。私とはずっと最初から、こういう人間だったんだ。幼稚園で帯刀おびなたが馬鹿な連中にいじめられてたあの日、私は確かに自分の意志であいつを助けようと思ったし、今朝も鬱陶しいって心底ムカつきながらこの場所で売人から街の連中を、私自身の憎悪からも売人を守ろうと、誰も殺さないよう戦ったんだから。親だの友達だの幼馴染だの、特定の誰かへ情を傾ける関係をこうも軽んじられるのも、当たり前だったんだよ。正義の味方とは誰しもを平等に救う者の事であり、親代わりの人を殺されたからって、悪人だからって、誰かを斬り捨てる事を是とする者の名ではないんだから。だから私はお前を救う。お前に恨みが無いなんて言えば大嘘さ。でもこれが私で、この生き方こそが、確かに私であると言える在り方だから」


 地を蹴った。


 渾身の力を乗せた剣を、眼前に捉えた裁へ振り上げる。


 劇場支配人の悪魔が私に服従の魔法をかけたきっかけは、〝患者〟となった帯刀おびなたを外敵から守る為、瓶にかけていた魔術だった。あれの正体は、極限まで性能を抑えた『餓牙がが獄送ごくそう』である。鉄村が強力過ぎる『暴君の庭』をトラテープの魔術へ劣化させ用いているように、『一つ頭のケルベロス』の機能下でも働くようごく少量の魔力で使った。故に、万一職員以外の人間が帯刀おびなたの瓶に触れたら攻撃するようにという、不特定な脅威への抑止力として機能出来ていた。そんな状態でありながら劇場支配人の悪魔が恐れた程、本来の『餓牙がが獄送ごくそう』とは凄まじい。


 故にこの一刀で終わる。


 一切の誇張無く、このかつえる牙が地獄に送る。こんな馬鹿げた延長戦は。


 怪猟彫けりょうぼりで怪物だろうと逃れられない一撃となった刃が、ビビットオレンジの血の豪雨に閃く。


 決着が脳天へ振り下ろされる中、動けない裁は目を見開いた。磨き上げた付与の魔法エンチャントも、〝魔の八丁荒らし〟の由縁である二つ目の魔法も潰された所為か、諦めのような、妙に落ち着いた様になると目を伏せる。


 骨同士がぶつかる、聞き慣れない打撃音が上がった。柄から腕、肩へと抜けていく衝撃を他人事のように感じつつ、眼前へ釘付けになる。


 二本目の『餓牙がが獄送ごくそう』があった。


 それを両手で握った裁が、切っ先を地に向けるように構えたそいつで、私の『餓牙がが獄送ごくそう』を受けている。



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