143.敵に相応しい醜悪さ。


 裁の付与の魔法エンチャントで蘇り、私に瓦礫へ戻された街は、爆弾でも落とされたように音と粉塵を撒き散らす。それに吹き飛ばされたビビットオレンジの血の豪雨に全身を殴られ、つい目を守ろうと瞼を閉じそうになりながら荒れ狂う空気の渦へ落下した。


 一陣の風が吹く。それは台風のように暴れる空気を両断して疾走し、正面で弾けた。鮮血のような赤と、ボルドーのメッシュが目に焼き付く。


 裁。


 噴き上がった粉塵に紛れるように煙に化けて飛び、瓦礫の下敷きを往なしていた裁が現れた。


 腕が持ち上がらない。


 目をやると、振り下ろしたまま固定するように、裁の左のハイヒールが剣の峰に着地している。


 息を呑む。その間に振るわれていた裁の右足に、左の脇腹を蹴り抜かれた。


 ミサイルのように地上に打ち落とされるも収まらないその威力に乗るように、転がって受け身を取ると粉塵止まぬ瓦礫の平原を走り出す。裁の位置をアナログ時計の十二時として、逆走するように半円を描き六時へ向かって背後を取った。今や『天をも喰らうとりで』の内部を覆い尽くす、粉塵の最奥へ狙いを定める。


 一秒もあったか分からないその停止時間で、辺りの瓦礫が騎士のゴーレムへ変貌し向かって来た。先頭の一体が私を両断しようと、両手で剣を振り上げる。


 瞬間がら空きになった騎士の腹へ、右に持ち替えた剣を打ち込んだ。上下にすっぱり両断された騎士は独りでに粉々になる。それを目の端で見送りながら後続の騎士へ突っ込むと、皆刃を掠めただけで崩壊し瓦礫へ帰った。


くどいねん! 地味になっただけで『一つ頭のケルベロス』とおんなしかい!」


 騎士の剣筋より鋭く、粉塵の最奥から裁の怒号が接近して来る。


 私は尾で地を殴り付け、宙へ辺りの瓦礫を躍らせた。煙に化けて向かって来る裁へ弾幕宜しく、諸手に握り直した剣の峰で躍る瓦礫を打ち飛ばす。砲弾の如く放たれた瓦礫の群れは、雲のように揺らめく粉塵を八つ裂きにして疾走した。


 ならば紛れる意味は無いと裁は身を晒すと砲弾の雨を、躱し、付与の魔法エンチャントで砕き、足場にしながら掻き分けるように加速して、最後の一つは蹴り返して寄越す。


 そいつを頭上で順手に握り直した剣で両断した。断たれた瓦礫が二つに分かれて脇をすっ飛ぶ中、裁は私の正面方向、間合いのギリギリ外側へ、先程地上へ落とされた私より激しく着地する。激高した時から私を見据えたまま、まだ振り下ろしの力が乗って自由の利かない刃へ吐き捨てた。


「潰れろ!」


 付与の魔法エンチャントを浴びた『餓牙がが獄送ごくそう』が、軋むような金属音を上げ砕かれる。


 粉々にじゃない。何なら、刃こぼれすらしていない。破壊されたのは上っ面。ただ新調された『一つ頭のケルベロス』のように見せていた、魔術で拵えたその外皮。


 我ながらあんまりだと隠していた正体を晒された『餓牙がが獄送ごくそう』に、裁は蒼白になって絶句する。


 付与の魔法エンチャントで壊せないという事は、その対象は生物。厳密に言えば裁が扱っている付与の魔法エンチャントの場合、その一部や死骸死体も含まれる。


 柄から峰は、一続きを思わせる滑らかな骨。鍔は腰椎。刃は鱗のように犇めくコヨーテの歯で鋸みたく波打って、柄は人皮で革包みされた上に、獣毛と鉄紺のカラーが入った黒髪が入り混じる糸巻をされている。人と獣で拵えらえたようなその様に、裁は沈黙すら耐え切れなくなって声を漏らした。


「何よそれっ……」


「見惚れるだろ!?」


 踏み込んで裁を間合いに入れ、溜めるように右脇へ下ろしていた『餓牙がが獄送ごくそう』を振り上げる。左側腹そくふく部から右肩へと逆走する袈裟斬りを叩き込もうと迫る切っ先に、裁は寒気を覚えたように息を呑み激しく地を蹴った。間一髪で右肩に掠める程度で往なしながら短く跳び退ると、続けて三度も同じ跳躍を重ねて距離を取る。


 すっかり開いた互いの間を、粉塵は阻まない。私達が動き回っている内に霧と共に吹き飛ばされ、野次馬みたいに辺りで漂っている。


 そこから動かなくなった裁へ、切っ先を下ろして嗤った。


「雨が邪魔なんだろ」


 静かになった空気へ吐き出される互いの息が、白くなって消える。


「吸血鬼が変身した際の姿でもある煙とは、空気中に固体や液体の微粒子が浮遊してる状態だ。 だが、これだけ激しく降られたんじゃ幾ら小粒になろうと打ち抜かれて、身体をその場に固定されちまう。お前自身もこの血の雨で、身体が重くなって来てるからな。さっさと私の軍服を付与の魔法エンチャントで壊して来ないのも、繊維が引っ切り無しに雨を浴びては血を含んで生物的な状態に近付いてるから、対象の指定に手古摺てこずるんだろ。厳密な設定を求められる付与の魔法エンチャントの弱い所だ。お前はもう煙に化けて逃げ回る事も、死なずに私から悪魔のはらわたを取り出す術も無い」


 跳躍で崩れていた姿勢を正した裁は、憎々しげに私を睨んだ。


 そう、『天をも喰らうとりで』が降らせているこの血の雨は、魔術ではあるが本物の血液だ。材料が生物なのだから。


 ふと裁は驚いたように目を見開き、素早く辺りへ目をやった。


 気付いたのだろう。瓦礫を対象にした付与の魔法エンチャントが、機能しない事に。



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