130.フィナーレは灰色で。


 尾で跳んだ。激浪を跳び越え身を翻すと、劇場支配人の悪魔の正面に着地する。


 劇場支配人の悪魔の目が、漸く私へ向いた。構わずその腹を貫く。折れた『一つ頭のケルベロス』じゃない。宙でそいつを引っ込めて戻った左腕で。五本の指が空を掴むように、劇場支配人の悪魔の背から飛び出した。


「その姿とはそもそも幻像であると気付かれるとは思ってなかったんじゃないか?」


 劇場支配人の悪魔に一瞥もやらず、左腕から伝う感触を確かめながら問う。


「裁が〝館〟で殺したお前は、付与の魔法で偽造した職員の死体だった。今なら納得出来るぜ。何せ〝館〟で阿部さんと一緒にバラバラになって転がってたお前の死体は、赤い血を流してたからな。悪魔の血の色とは人間から離れてる。悪魔らいの血の色が狂うのもその所為だ。悪魔を殺した事のある裁がそれを知らず、あれは偽物の死体だと気付けなかったのは、あいつが殺した悪魔は芋虫の悪魔っていう、そもそも人間から離れた姿をした悪魔だったからだよ。虫の体液なんて気色悪いのが普通だ。お前が偽造した死体の血が赤色な事に、疑問を持ちようが無かったんだ。だが、裁が偽造に気付けなかった本当の理由はこれじゃない。怪物の知覚は悪魔を超える。そいつを以て自分そっくりのゴーレムを作るような裁の観察眼は、お前の付与の魔法エンチャントの粗さを見抜いた程だ。それでも分からなかったのは、そもそも劇場支配人の悪魔の姿とは、それじゃないんだよ。本物があるなら裁が、偽物を用意した時点で見抜いてる。そしてさっきお前を両断した時、お前の身体は一滴の血も流さなかったし、今腕に伝ってる感触も生物の身体のそれじゃない。骨も内臓も位置や数が滅茶苦茶な、ただ見た目を繕う為に死体を掻き集めて作った人形だ。この姿とは最初から偽物しか存在せず、そしてお前の本体とは、街の地下に敷き詰められていたあの巨大な腐肉だ。殆ど意表を突くような現れ方をされてたもんでさっきやっと気付いたが、犇めく眼球や破壊されるとのたうつ様が生物的だし、何より服装規定ドレスコード用のスーツ代わりに纏った、『一つ頭のケルベロス』でも砕けないスライム状の皮の中で流れるあの真っ青な液体こそ、悪魔の血に相応しい。お前の本来とは付与の魔法エンチャントに頼って幻像を拵えないと人間に関われず、水に紛れなければ移動すらままならない、愚鈍で腐った肉の塊だ」


 劇場支配人の悪魔は喋れない。ただ目を見開いた間抜け面で、私を見下ろしている。


「お前の望み通り、最悪の七ヶ月間だったよ」


 目も合わせず吐き捨てた。


「演出シナリオにケチは付けられても、心までは奪えない、劇場支配人の悪魔。名前負けしてるのはただ一つ。その肝心なものは支配出来ない力に不相応な、私の祖父が食い殺した悪魔を調べなかった傲慢さだった」


「カッ、ハッハ……!」


 まだ私の絵に魅了され満足に動けない劇場支配人の悪魔の偶像は、掠れた声で笑う。


「お見事だ、こんな結末も悪くない……。命を懸けた、甲斐がある……! もう刀は折れたんだ、幕引きには、とっておきの手を見せてくれるんだろう……!?」


 負け惜しみでも何でも無い、心底しんていからの満足が滲んでいた。


 悪魔の感性だ。人間のものとは乖離しているし、理解しなくていい。それでも晴れやかで憎たらしいその面に、まともに笑えなくなった自分の虚しさを突き付けられたような気分になる。


「ああ本当は使いたくなかったし、せめて裁を倒す為にとっておいた、一度切りの魔法だよ」


 自暴自棄のように吐き捨てた。本当に気に入らないのはその面じゃなくて、こんな奴でも幸せに死ねるってのに、何ら苦しみから逃れられていない自分に気付いた悔しさに。


 爽やかさとは程遠い胸の内を抱えたまま、右手で左腕を掴んで支える。


「その侮り、不俱戴天の悪魔の魔法には高く付くぜ」


 劇場支配人の悪魔の幻像が、本体である腐肉が、瓶が、獣に引き裂かれたように砕け散った。オーボエみたいな音も、あれだけ眩しかったカクタスグリーンの光も消え失せて、空を覆うアスファルトの棺の下に解放された、瓦礫の平原へ投げ出される。


 砕け散る間際に幻像が放った哄笑が、銃声のように鳴り渡った。



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