129.今度はお前が踊ってくれよ。


「生きてるだけで寂しいからさ」


 私の左腕を放さない、裁の左手を解いた。


 やっと返された私の言葉に、裁は理性を取り戻したのか、僅かに落ち着いた様子を見せる。いや、こんな状況ですっかり凪いでいる私の態度に奇妙さを覚えて、引きられただけかもしれない。


 諦念したのか、捨て鉢になったのか分からない、でもり切れているのとも違う、底に沈む何かを抱えたまま、静まり切った水面だけを見せる湖のような、そんな調子で続けた。


「生きてるだけじゃ何ら満足出来ないから、納得出来る価値を自分に付けてやりたいんだよ。お前がやってる事と変わらない」


 途端裁は、苦しげな顔になる。離した手が垂れる様が何だか名残惜しそうで、裁は見つからないまま言葉を返そうと口を開いた。


「でもやっぱり、お前の方が徹底してるよ」


 それを遮りたくて、凪いだまま苦笑する。


「私はどうしても割り切れない。嫌なものは嫌だって思っちまうガキだから、本当はこんな結末、受け入れたくなかったけれど仕方無い」


 背を向けた。視界が百八十度回っていくその中で、裁が確信を得たように目を見開く。それが捉えるのはもう一度『一つ頭のケルベロス』を振るおうと、左の肩口を掴んだ私の右手。


 次々に蛆を叩き潰しては細分化していく、腐肉共と向かい合う。その向こうで気が触れたように笑い続ける劇場支配人の悪魔が、私と目が合うなり黙り込んだ。笑いを堪えていると一目で分かるぐらい口の端を吊り上げて、スラックスのポケットから右手を抜いて胸に当てる。その目に鑽仰と侮蔑を充満させ、私を手の平に乗せるように左腕を突き出し狂喜した。


「矢張り己の信念に殉ずるか! この世で最も敬虔かつ、愚かな聖女よ!」


 劇場支配人の悪魔を見据え、折れて魔術が吐けなくなった『一つ頭のケルベロス』を正中線に構える。


 迷い無い、凪いで心も見えない私の姿に、裁は当てられたように声すら出さない。劇場支配人の悪魔の狂喜も止まらない。


「全部予想通りだってのに、何でこんなに面白いんだろうなあお前とは! あーァそうだ、お前とはどんな状況に陥っても、必ずお前に致命傷を食らわされるんだよ! その割り切れない、一人で対極を担う己の性分にだ! うに腹の底で煮え立つ憎悪を最後は! 必ず慈愛が黙らせお前自身を破滅させる! その慈愛の正体とは、お前に積もった寂寞に過ぎないと分かっていながらだ! お前は優しいんじゃない、ただ激痛に満ちた己の過去と、人生と、運命から! 逃れたくて似たような景色を潰そうと、のたうち回ってるだけなんだよ! 意図せず周囲を欺く聖性となった振る舞いから上る自己嫌悪に、骨の髄まで蝕まれながらな! ならば既に空虚かつ凄惨と決まっているその生涯、ここで閉じる事により、俺の娯楽となって意味を持て!」


 蛸足のような触手が、一斉に蛆を粉砕した。遮るものを失った激浪は、触手に押し込まれて加速し突っ込んで来る。蛆を壊された瞬間を狙われた猛進に裁も虚を突かれ、蛆を再構成する付与の魔法エンチャントが間に合わない。


 私は横顔を向け裁へ叫ぶ。


「私とお前の間にありったけのデカいカンバスをくれ!」


 裁は目を見開くと、大きく跳び退いて距離を取った。


 跳び退って作った空間に蛆だった瓦礫の細片が疾駆し寄り集まると、瓶の蓋に届きそうな程大きな、縦に長い長方形の板状となる。


 私は横顔を向けた勢いに乗るように身をカンバスへ翻し、尾を薙ぎながら右腕を天へ振るった。尾が抉った傷と折れた『一つ頭のケルベロス』の一閃に乗せた膂力がカンバスに描くのは、荒々しい逆十字。


 静寂が瓶を呑む。


 オーボエのような音は止み、腐肉と劇場支配人の悪魔は、時間が止まったように停止した。


 カンバスの裏に立つ格好になっていた裁が異変を感じ、脇へ飛び出して辺りを見ると立ち尽くした。


 気付いたのだろう。劇場支配人の悪魔と、腐肉の内側で犇めく大量の目玉が、カンバスに釘付けになっている事に。そして漸く、思い出す筈だ。自身と劇場支配人の悪魔に共通する、決して通じなかった私への願いを。


 美術部への入部を断られた。文字化け作家と悪魔が絶賛する才能を持ちながら私とは、二度と絵を描こうとしなかった。


 裁の望みは私の悪魔のはらわたを手に入れ、魔法使いを引退する事。劇場支配人の悪魔の目的は、私の苦悩を眺めて楽しむ事。裁がやって来た事により何度かの変更はあったが、変わらず奴が求めるものは私の苦痛。お互い絵なんて、二の次にも上らない。


 それでも二人は熱中した。まるでそれも、それぞれが至上と掲げる願望にも匹敵する重要なものとでも言うように、私の絵を欲した。裁はゴーレムが私と顔を合わせる度に勧誘を命じたし、劇場支配人の悪魔に至っては服従の魔法があるにもかかわらず、私が純然たる自分の意志で絵を描く未来を求めた。民衆を賑わせる作家と、世をたぶらかす悪魔でありながら、高が一枚の絵に心を奪われた。それは夢中だった。平伏していた。私の顔を見る度に、叶える手段も掲げた望みも忘れ去る程の無能となって。


 裁を炎上させようとSNSに投稿した動画を撮った時のように、魅了を使った訳じゃない。だから裁の熱烈な勧誘を毎度苦笑しながら聞いていたし、もし使っていたのならそもそも勧誘するなと命じている。つまりこの現象の原因は私じゃなくて私の絵にあって、素人のくせに突然全国規模の賞で一等を取り、青砥あおと部長として継続していた劇場支配人の悪魔の連続受賞記録を破れた理由も私の絵だ。


 そもそも悪魔は芸術を好み秀でる。悪魔に魂を売ったと語られるミュージシャンがいたように。劇場支配人の悪魔が青砥部長として、油絵の天才と名を馳せていたのもその所為だ。それでも悪魔喰らいという悪魔の下位互換に過ぎない私が描いた絵に熱狂したのは、三代に渡りながら未だ私を人から乖離した存在に縛り付けているように、祖父が食い殺した悪魔とは、今生きている劇場支配人の悪魔より、強力な悪魔だったから。


 その聡明な頭脳を持つ裁にかかれば、もう分かっただろう。本当に踊らされていたのは誰で、そいつを踊らせていたのは誰なのか。


 カンバスの逆十字へ向かい合う私は肩越しに、劇場支配人の悪魔をめ付ける。


「誰も彼も最初から、私の手の上なんだよ」



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