128.覚悟はいいか?


 後ろから思いっ切り尾を掴まれた。


「っぎゃあああ!?」


 痛みと驚きで飛び上がって振り返る。視界がぐるんと回って輪郭を失った景色が形を取り戻すより速く、尾を離した手が私の左腕を掴んだ。尾を掴んだ時よりも遥かに強く走る痛みに、思わず呻く。


「あんた今、あたしを助ける為に悪魔の腸使おうとしたやろ」


 どうして分かったのだろう。引き返していた裁が、そう目の前で凄んでいた。


 あれだけ怒鳴っているのにまだ全身から滲む底の見えない激しさに圧倒され、石でも飲まされたように言葉が出ない。


 私達を串刺しにしようと、辺りの腐肉の絨毯から槍のような触手が飛び出した。気を取られる私に構わず、裁は話し出す。


「あたしとあんたは対極の人」


 腐肉の槍を、追うように跳んでいた蛆達が食い散らかした。散った液体と眼球が、恨めしげに辺りを舞う。


「なんちゅう支離滅裂で、何を選んでも幸せになられへんような性格してるんよ。どっちに転んでもおんなしなんやったら、せめて保身にぐらい走ったらどないなん。いや、それすらも許せんのか。憎いご両親と同じ血が通ってるその身を庇うなんざ、散々降りかかって来た理不尽を肯定するような事になってまうから。押し付けられた不幸を受け入れるなんて耐えられへんぐらい、あたしにかって分かる。あたしかってそれを撥ね除ける為に、ここまで一人で歩いて来た。その道には孤独と懊悩が付き纏うなんて言われても、知った事やない。自分にはこの生き方しか無いし、この生き方でしか、こんな散々な自分を許す事が出来でけへんから。諦めは捨てて来た。なあなあになんか絶対せん。最後まで、望んだ結末を掴む為に戦う。この選択とは間違いでは無かったと証明出来でけへん事こそが、死よりも恐ろしい事から。そう分かってる。分かってるけど、何であんたってそんなに悲しいの」


 激浪を齧り続ける蛆の群れを、再び絨毯状の腐肉から伸びた触手が貫いた。更に小さな蛆となって動き出すまでの数瞬で、その砕かれた身の異様さに目を奪われる。カクタスグリーンに潰されて色味は分からないが、どこか見覚えのある軟質の物体が、所々にこびり付いていた。


「虫共に街の守りに就いていた魔術師の死体を仕込んだな!?」


 先に気付いた劇場支配人の悪魔が嘲った。


「成る程流石は、付与の魔法エンチャント如きで〝魔の八丁荒らし〟に登り詰めた魔法使い! 命令内容を厳格に定めなければ機能しない付与の魔法エンチャントの低能さを突いたんだろう! ああ確かにどれ程上等になろうと付与の魔法エンチャントでは、物体と思い込んで生物に命令を下しても対象外とされ機能しない! それが原形を留めない、肉片となって混ぜ込まれたものであってもな!」


 劇場支配人の悪魔より下位の付与の魔法エンチャントを使う裁では、死体であろうと生物には命令を下せない。だからあの芋虫なのか蛆なのか気味悪いしもべ共を作る際、瓦礫の平原の一部と化していた魔術師の死体を、巻き込む格好で組み上げたのか。悪魔を超える怪物の知覚を以て。


 言葉も出ない精密さで具現化された執念と狂気の群れを、劇場支配人の悪魔は痛く気に入ったようで、イカれたように笑いが止まらない。


「カッハッハッハッハッハッハッハッハッハ! あーァ忘れてなんてない、お前も最高だよ裁! 如何なる時も己にのみ忠誠を誓い、責務の如く他を踏み躙りその上に立ち続ける! その〝魔の八丁荒らし〟に相応しき底無しの残虐性と執着心、死に際まで楽しませてくれよ!?」


 劇場支配人の悪魔は今度こそ粉砕してやろうと、蛆の群れへ付与の魔法エンチャントをかけらしい。蛆が一斉にひび割れる。だが完全には壊れない。どれも半壊に留まって、激浪を食い尽くそうとまだ進む。


 劇場支配人の悪魔が息を呑んだのを、コヨーテの耳が拾った。それを感じ取りながら、半壊された蛆達へ目を凝らす。蛆が砕かれる度に晒す内部にこびり付いている肉片に、薄い膜のような欠片が紛れていた。


 蝙蝠こうもりの羽か?


 街で何度も見た事がある、駆除業者のポスターが脳裏を過ぎる。


 そうだ、見慣れて気にも留めていなかったが、人間の家やビルに住み着き、人間のいない土地ではまず暮らさない奇妙さから駆除対象となっている蝙蝠こうもりがいた。油蝙蝠あぶらこうもりだ。


 裁はまさに蝙蝠こうもりを従える吸血鬼宜しく、日暮れを待ってビルに潜んでいた油蝙蝠の死骸まで引っ張り出して混ぜ込んでいる。そして付与の魔法エンチャントとは不確定な要素を排除しない限り、満足に機能しない。


 壊されながらも止まらない蛆の突進に、腐肉の絨毯は蛸足のような触手を無数に伸ばした。押し返そうと激浪を支えながら、蛆達を叩き潰していく。蛆に傾いたばかりのぶつかり合いは、呆気無く攻勢を手放した。途端に裁が怒りでも苛立ちでも無く、初めて悔しげに舌打ちするのを見て悟る。


 もうこの戦いは、決着する。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る