29

131.天喰塁


 空を覆うアスファルトの棺の縁で変わらず街を囲うように垂れ下がる、御三家の家紋が入った流れ旗を見上げる。


 そう言えば鉄村の奴、この流れ旗をした隠匿の魔術は『暴君の庭』の対象に入れていなかったな。


「不俱戴天の悪魔」


 風に靡く流れ旗の群れを、ぼんやり眺めながら切り出した。迫られている訳でも無いのに何だか珍しく、自分の話がしたくなって。


「名前の通り、どうしても共にこの世にいる事が耐えられない、到底生かしておけないと憎む相手を苦しめる為の魔法を持つ悪魔だったんだ。碌に記録の残っていない祖父が天喰あまじきという名だけは確かに持っていたのは、そんな奴を食い殺した恐ろしさから付けられた渾名あだなが起源だからなんだと。誰にも呼んで貰えなくなった本当の名前は、父すら知らなかった。まあだから、殺しにおいては一級の魔法が揃ってる。中でも一番火力が出るのがさっき劇場支配人の悪魔に使った魔法で、今までに私が受けたあらゆる傷と痛みを、指定した相手に丸々全部与えるんだ。転写みたいに。つまり、最初の一回目が最大火力で、以降はまた私が傷付かないと何も出ない。完全に痛め付けられた恨みが前提の、復讐の魔法だ。悪魔らい故にしぶとい私が受けた負傷は、今日だけで並の人間なら何度死んでたんだろうな。生きて来て受けた怪我全部と、家族にうんざりして繰り返した自殺分も込めてやったから、綺麗に一撃で死んでくれたよ。悪魔のはらわたも原形を失って、使い物にならないぐらい粉々に」


 後ろで何かが大きく崩れる音がした。


 肩越しに横顔を向けた頃にはもう止んでいて、私の周りには、サークル状にずらりと騎士が立っている。どれも鞘に手をやったまま、抜いた剣の先をこちらへ向けていた。一切の露出が無い厳めしい兜の奥へ目をやるが、眼球の動きが読めない。……いや、付与の魔法エンチャントで出来たゴーレムか。


 肩を落として嘆息した。


「……これで決着にしてもいい流れだったんじゃないか。お互いもうクタクタじゃないか」


「アホかと思えばさかしい女やな」


 背を向けた遥か向こうから、裁の刺々しい声が飛んで来る。


「あたしは悪魔のはらわたを手に入れる為にこの街に来た。この共闘も、あんたが自殺紛いの戦いを劇場支配人の悪魔に挑むからのしゃあなしで、ここをゴールとした覚えなんざ毛頭無い。まして折角せっかく拾お思てた劇場支配人の悪魔の悪魔のはらわたを、どさくさに紛れて潰しといてようそないな事言えたもんやな」


 背を向けたままつい苦笑した。


「諦めてくれると思ったんだがな」


「あんたやったらそうかもな。ほだされてばっかりで芯の無い」


 裁は顔を見なくても腹の底から唾棄していると分かる声で返すと、もう無駄話には付き合わないと言うように一拍置く。


「腹立つ瓶は無くなった。それでもあたしの付与の魔法エンチャントは動いてる。それはつまり、鉄村さんの『暴君の庭』が解けたっちゅう事や。御三家の一角は劇場支配人の悪魔に殺され、残り二人の内、草壁の魔術はあたしに効かへん。蟹のおっさんの魔術も仕組みが分かった以上、ほっときさえすれば二度と無効化されへん。それでも反抗するんやったら今度こそ、この街を潰す。それが嫌やったら、悪魔のはらわたを渡せ。剣も奥の手も失せた、クタクタの犬魔術師」


「何で鉄村の奴は付き合いの長い私を名前じゃなくて、あいつとかこいつとかお前とか、頑なに誰か分かり辛い呼び方をするんだと思う? 今日まで私経由ぐらいでしか接点の無かったお前のゴーレムは、裁だの裁ちゃんって、その名に触れる形で呼んでるのに。まるで本当は私の名前なんか、一文字だって知らないみたいに」


 余りに前触れの無い奇妙な問いに、裁は強めたばかりの警戒を揺さぶられ沈黙した。


 横たわったばかりのその静寂を、引き伸ばすように畳みかける。


「今日、私を名で呼んでいた奴と出会ったか? 鉄村の親父さんは裏切り者、上貂かみはざは狼娘、草壁は年に数回しか口を開かないし、阿部さんも無口だから言ってない。ここまで言えば思わないか? まるで避けてるみたいだって。それもどいつも魔術師ばかりが、軽々に触れてはいけない、明かしてはならないものみたいに、どうして私の名を扱うんだと思う」


 裁は息を呑んだ。


 かさず辺りの騎士達が、私の首を刎ねようと剣を振り上げる。


 だがその剣筋は精彩を欠いた。裁の動揺を露わにするように、僅かながらも確かに出遅れる。


 だからクタクタじゃないかって言ったじゃないか。


 肩を竦めたくなるのを堪えて苦笑し、告げる。


「『天をも喰らうとりで』」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る