105.王は友の為に暴政を振るう。


 街を覆う濃霧の海が晴れ渡る。私達が立っている壁の内側からも取り払われ、かと思えば鉄村清冬の『苦海の檻』による沼も蟹も、ラブカさえ霧消し、私達の足場である壁には亀裂が走った。壁は私達が足場にしている位置と逆方向から、轟音を上げて崩れ出す。


「お前の付与の魔法エンチャントを無効化した俺の親父の魔術と似たようなもんだ」


 衝撃に足元を揺さぶられる中、腕を下ろした鉄村は裁へ切り出す。


「つってもいちいち解析時間は要らねえし指定した空間内では、俺が許可していない奴が持つ全ての魔法と魔術の使用を禁止するから、俺のが上位互換だけれど。街の霧が晴れたのも親父の魔術が消えたのも、今お前の付与の魔法エンチャントで作った壁が壊れかかってんのもその所為だ。本当は瓶ごと指定したかったんだが、流石に弾かれちまったよ」


 既に混乱を露わにしながら聞いていた裁は絶句した。壁が崩れていく振動に急かされるようにすぐに我に返るも、理解が追い付いていない表情で口を開く。


「……それでも霧は解けたっちゅう事は、ある程度やったら効くって事やんか。悪魔に通じる魔術なんか、ありかいな」


 どうやら裁ですら、鉄村程の魔術師と遭遇した経験は無いらしい。


 鉄村はそれを、全く鼻にかけず肩を竦めた。


「ま、これがこの街の魔術師の底力ってもんだよ。手短に行くが『暴君の庭』は永続じゃねえ。今回は指定した範囲が街全体と広い上元々魔力消費量がとんでもねえ魔術だからこの場合、もって十五分だ。その間は俺が街を守るから、お前らは協力してあの悪魔を倒せ。この十五分間だけ、あの悪魔の魔法が機能するのは瓶の中だけだし、お前らみたいな規格外が周りを気にせず全力で戦える」


 何を言い出すんだこいつ。


 言い返そうと口を開くが、鉄村の大きな手に覆われた。


「言っとくが今『暴君の庭』の範囲内で魔術の使用許可が下りてるのは俺だけだし、魔法に関しては全面禁止中だ」


 鉄村は依然裁へ話しながら、顎で私を指す。


「寿命のタイムリミットを抱えたまま吸血鬼の能力だけで俺とやり合うのも、こいつをあの悪魔と一人で戦わせてヒヤヒヤするのも御免だろ? もしこいつが勝ったらお前は悪魔のはらわたを、二体分も取り逃す事になるんだぜ?」


 〝不吉なる芸術街〟で最も優れた防衛魔術が『暴君の庭』では無く、『苦海の檻』である理由はここにある。解析した魔法を無効化する『苦海の檻』に対し、鉄村からの許可を得なければあらゆる魔法と魔術を禁じられる『暴君の庭』では、鉄村の態度次第で魔術師すら支配出来る点から危険なのだ。故に鉄村は信用を損なわない為に、普段はかなり性能を落とした状態で使っている。それがあのトラテープであり、あれには触れた者の魔法と魔術をある程度抑えるという形で、『暴君の庭』の力が乗っている。格上の相手である裁を拘束出来ていた瞬間が、何度もあったのもその為だ。


 裁は、怒りと焦りに顔を歪ませた。


「……今この非常時に他の魔術師の魔術まで禁じてんのは、あたしへの誠意のつもりかい。何であんたがここに来てあたしらを閉じ込めた途端、草壁の魔術を潰して仲間割れ始めたんかやっと分かった。あんたはあの蟹のおっさんに、止めを刺す役を任されて来たんやない。最初っからこの魔術で他の魔術師を裏切ってあたしらを守るっちゅう、自分の意志で来たんやろ」


 鉄村は不敵に笑った。


「下らねえ考えに時間を割いてると、魔法も魔術も関係無え狩人達が殺しに来るかもしれねえぜ? あの訳分かんねえ瓶の光の魅了が止めて助けてくれるか、試してみるか?」


 鉄村は笑みを引っ込めると、漸く私の口から手を離す。息苦しさからやっと解放された私は、渋滞していた不満をぶつけようと大口を開けた。


 言葉を発するより速く、鉄村は向き直って来ると言う。


「俺の夢はこの街を、お前が誰にも虐げられずに暮らせる場所にする事だ」


 黙らせる為に放たれた言葉では無い。


 その直向きな響きと視線で分かってしまって、つい声を引っ込めた。


「俺は親父の跡を継いでこの街を守る。でもそれはもう、親父への憧れだけが理由じゃねえ。お前の話を聞いて思い出したんだ。俺は、どれだけ辛い事があっても、誰かを守ろうと戦えるヒーローになりたかったんだって。ここで魔術師やってる内に現実を知って、そんな事出来っこないっていつの間にか諦めてた。でもお前は戦う。どんなにボロボロになっても諦めねえで、その馬鹿で仕方無え理想の為に、何を敵に回してでも戦い続ける。俺が掲げたかった本当の理想は、お前みたいな奴になる事だったんだ。……追うには余りにも痛々しい夢だから、さっきはお節介で色々言っちまったけれど、俺はお前を友達だと思ってる。死んで欲しくねえが俺にやれるのはここまでだから、後は裁で補え。魔術師と協力して悪魔退治したって実績が作れれば、きっと街の魔術師も考えを改める。だからもうそうやって、何でも一人で抱えるな。俺も二度とお前を否定も拒絶もしねえし、自分の理想から絶対逃げねえ。誰が何と言おうとお前は俺の憧れで、俺は友達の苦しみは、一緒に背負いたいって思うから」


 どうして、こんなにも悲しいんだろう。


 分からないまま気付いたら、口を開いていた。


「……私まだ、話せてない事が沢山ある」


「じゃあ、帰って来たら話してくれよ」


 鉄村は、今朝ぶよぶよマンを捕まえた直後の不機嫌な私に向けた時と同じように、にかっと笑った。


「それに、もしどんな結末になったって、俺は何の後悔も無いぜ。自分に結んだ約束は必ず果たせが、鉄村の男の死に様だからな」



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