104.まぐれでここにいる訳じゃない。


 胸を刺されたような痛みに襲われて、言い返そうとした言葉が萎んで喉に引っかかる。


 瓶を覆ったばかりのトラテープが、若木が枯れていくようにもう傷み出した。


 きっと鉄村は〝館〟で裁を捕まえた時みたいに、瓶を締め上げて破壊しようとしたんだろう。然し突っ立って魅了を撒くも積極的な攻撃には出ないという事はあの瓶、あくまで内部と外部を隔てる為の魔法か。先程壊した濃霧を撒く人型と言い、青砥部長の目的は制圧と分かる。悪魔という魔法使い以上に強力な魔法を持つ身でありながら破壊行動に出ないのは、私への脅しだろう。まして美術館の魔法使いとして扱われていた間は、その正体を完璧に隠匿している。もしその隠匿の原因である魔法を再度使われたら、彼を仕留めるチャンスは二度と得られないだろう。〝館〟で直接彼と顔を合わせていた時ですら、その存在に違和感を覚えられなかったのだから。


 そして、『鎖の雨』が魔法使いを見つけ出す際手掛かりにしているのは、打たれた者が悪魔の心臓を持っているか否か。悪魔そのものである青砥部長が引っ掛からない訳が無いのに、確かに今日まで発見されていない。可視か不可視か、虚か実かとか、そういう類の話じゃないのだろう。もっと高位の魔法で青砥部長は、周囲からの認識を歪めている。


 鉄村もそれを分かっているのだろう。じりじりとトラテープが剥がれ落ち始めた瓶へ、至極煩わしそうに顔を向けた。自分の魔術が拒絶されていくあの光景で時間が無いと誰より理解すると、押し込んだ苦悩が滲む顔のまま私に背を、向け瓶と向かい合うと切り出す。


「昔、ものを知らねえガキがいた」


 ……何の話だ?


 私が分からなくて呆けている間も、瓶を覆ったトラテープは傷んでいく。


「そいつの父親には立派な肩書が付いていて、それに憧れたガキは、自分がその跡を継ごうと決めた。中学は近所にある公立校じゃなくて、跡継ぎに相応しい学を身に付ける為に、遠くの全寮制の私立校に通った。卒業後は跡継ぎとしての指南を父親から受ける為に、高校は地元の公立校に通おうと故郷に戻った。何も変わってない街の姿が、父親の働きのお陰だと誇らしかった。暫く見ない間に、顔の右半分の皮膚と右目を失って眼帯を付けるようになっていた父親の姿も、名誉の負傷に思えた。でも本当は違った。本当に街を守っていたのはある一人の男だったと、父親はガキに話した。その男は既に死んでしまった事も、何故そんな運命を辿る事になったのかも、その原因には、男を守り切れなかった父親自身にもある事も。それでも父親への憧れが揺るがなかったガキは、父親が果たせなかった、男とその家族を守るという約束を、自分が男の一人娘を守る事で果たすと誓った。ガキはあくまで父親のようになりたいだけで、その一人娘の事なんて何も考えていなかった。同じ高校に通う事になったその一人娘とは散々だった。外の学校と、立派な父親からの教えを受けた自分の方が優れていると当然のように思い上がったガキは、その傲慢にすら気付かず一人娘へ、自分に守られていれば何の問題も無いと言った。当然一人娘はガキを軽蔑した。ガキは腹を立てて、あっと言う間に口論になり喧嘩になった。街は勿論県の要衝を担う駅前を中心に、三日間の交通麻痺を与えるという形で、ガキは負けた。魔術を一切用いず、悪魔喰らいの膂力だけでガキの魔術を往なした、一人娘に。……ったく、今朝お前が違法魔術使用者を捕まえようとしたのを見つけた時は、結構ショックだったぜ? 相変わらず上手いっつーか、そんなに馬鹿力なのが嘘に見えるぐらい、被害を抑え込んでてよ」


 鉄村は肩を竦めて苦笑して、瓶を覆っていたトラテープは一斉に剥がれた。瓶が放つ薄ぼんやりとしたカクタスグリーンの光が露わになり、濃霧に沈む街を再び照らし出す。


 剥がれたトラテープが枯葉のように舞う中、瓶の様子を窺っていた裁が苛立ちを滲ませ踏み出した。それを鉄村が腕を伸ばして遮る。


 裁は苛立ちに驚きが混ざった顔で、瓶を見据える鉄村を見上げた。


「魔法の紛いもんの魔術が悪魔に効くかいな! 不意打ちでもあんだけ出来れば十分……」


「何で確執ありまくりの悪魔喰らいの魔術師なんてイレギュラーな奴のお目付け役が、俺みたいなガキ一人に任されてると思う?」


 裁は虚を突かれたように黙り込む。


 そう。普通に考えれば心許無いなんて話じゃない。それこそ上貂かみはざが直々に貼り付いてもおかしくないような私の面倒を、どうしてこの街の魔術師は、鉄村という若い魔術師一人に任せているのか。そんな異質な采配が許される理由など決まっている。


 経験の浅さを不問とされる程に優秀で、その座を他に譲る必要が無いぐらいに適任だから。中学はその実力から、未来の魔術協会の運営を望まれる魔術師の子供だけが通える私立校を卒業し、つまりは既にその歳で、魔術師のあり方を背負う身でありながら、悪魔喰らいの魔術師などという邪道な相手との一度切りの敗北から、一層の鍛錬に励み続けて来た穎才だから。研ぎ澄まされたその力は今や悪魔喰らいの魅了すら無効化し、こうして王道の魔術師として唯一、戦い続けられる状態で私の前に立っている。


 当然だ。鉄村たけるとは国一番の魔術師が集う〝不吉なる芸術街〟の歴史上、最も優れた魔術師になる男なのだから。


「つってもあんまり期待するなよ。まだまだ修行中で、一日一回が限度だからな」


 鉄村は瓶を見据えたまま不敵に笑い、瓶を掴むように右腕を伸ばした。それを左手で支えて告げる。


「『暴君の庭』」



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