95.伊達男


 生肉を叩き付けられたような音が、檻の向こうから響く。傷んでいるのかやけに水っぽいその音は丁度私の真上辺りから鳴って、檻の輪郭をなぞりながらずるりと落ちた。


 後ろから強烈な視線を感じ振り返る。生肉に気を取られて檻の天井へ頭を擡げていた裁が、異星の化け物と鉢合わせたような濃い混乱と違和感を放っていた。こいつ程胆の据わった奴を、何がそうさせているのかと辺りを見渡す。


 ふと腹から上る鉄の臭いが、濃くなっている気がした。正確な出所を探そうと空気を嗅ぐ。いや、そもそもの違和感に漸く気が向いた。何ら疑わず生肉だと判断したそれは、本当にそうなのか?


 水っぽい塊であるのは音で分かって、それが既に生物でないのは、檻にぶつかってただ落下していく様で判断した。でもこんな場所にそんなものが飛んで来るなんておかしいだろ。


 目前で何かが閃く。夾竹桃の花弁とも違うそれは、足元へ落ちた。赤いシーリングスタンプが押された、黒い洋2封筒だ。


 宛名も切手も無くて、場違いに気取っていて、抗えない強烈な好奇心に誘われて封を切る。妙に滑らかで、どことなく橙色をした便箋に書かれているその内容を理解しようと、記された文字を目で追い切ったその時。


「街の中心部で待っている。美術館の魔法使い」


 追い切った文章と全く同じ内容を、全く同じ封筒を受け取っていた裁が読み上げた。


 それを聞いた鉄村が、即座に外の様子を確かめようとトラテープの檻を解く。私はつい、生肉と思っていたものが落ちているだろう辺りへ視線を投げた。血塗れになって死んでいる上貂かみはざの、見開かれたままの目と合う。


 壁の内側では『苦海の檻』が展開されたままで、鉄村清冬と草壁はセンターの一階から、私達よりまだ先にあるものを見上げていた。


 私達に見向きもせず立ち尽くしている草壁と、驚愕の表情を浮かべて同じ方向を凝視している鉄村清冬の視線を追って、ビルが立ち並ぶ街の中心部、今朝ぶよぶよマンを殴り飛ばした駅周辺を見る。ここからでは米粒のように小さい何かが何の頼りも無く、空の棺に見下ろされるようにぽっつりと宙に浮いていた。


 人から遠ざかった悪魔らいの視力がその正体を掴んだ途端、私はこの気取った手紙についての様々な疑問や、あれだけ引き寄せられた好奇心も忘れて見入ってしまう。全く尊敬出来ないと知っていて、全く好みでも無いと分かっているのに。


 それは確かに疑いようの無い天才で、同じくらい女癖の悪さも高名で、黙っていれば如何いかにも知的で洒落て見せるのに、口を開けばどんどん得体の知れなくなっていく、うに殺された筈の伊達男。


 褐色の肌をドレッシーな細いストライプが入った黒のスリーピーススーツに包み、宙に逆様になって青砥あおと部長が立っていた。グレーのピンパーマベリーショートを靡かせながらまるで私が見えているように、不穏かつ軽薄に笑う。


「よう。血塗れの麗人」



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