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87.如何物食いの魔法使い


 夾竹桃きょうちくとうの花弁が舞い土煙が立ち込める中、裁は悠然と背を向けると、肩にかかった黒のストレートロングを両手で払った。


「何で魔法使いのあたしがわざわざ噛んで貰う相手探し回ってまで、吸血鬼になったか分かる?」


 吸血鬼に噛まれたら、吸血鬼になる。


 裁の髪全体に不規則にかかるボルドーのメッシュが、鮮やかに広がった。


「人間より遥かに長命になって魔力量が増えるし、食事は血だけでもようなるし、何を摂ってもお腹壊さんようになるからよ。添加物やらお酒やら煙草やら、人間程多様な有害物質摂って生きてる生物もおらんからな。その血を主食として生きる吸血鬼の身体は生物濃縮で、この世の生物ん中で最も毒に侵される種となる。でも平気。たとえ襲うのに苦労するだけで、特別美味しい訳でも無い悪魔の血を飲んでも。せやから、もしあんたから引っこ抜いた悪魔のはらわたを誰かに盗られそうになったら食うてまえばええし、魔術の毒なんか効かんのよ。悪魔の血い飲んでも、何とも無いぐらいなんやから」


 まだ濃い土煙の奥から、黒く細い影が浮き上がる。狭い歩幅ながらいそいそと品のある歩みで接近して来ると、風を切る四肢で土煙を払った草壁が現れた。生物は付与の魔法エンチャントを受けない。裁の反撃は最初から草壁を無視したものだったのか、それとも草壁自身が往なしたのか。


 正面から向かって来る草壁に裁は笑う。


「……て、言うたってんのに懲りひんな」


 顔は見えないが、明らかに嘲りを含んだ低い声。


 草壁の背後に聳える裁が作ったばかりの壁の一部が、クッキーのように突き破られた。そこから噴き出す土煙に紛れた何かが、大木のような影の一振りで瓦礫と土煙を払い除ける。


 現れるその正体は、胴に対し短く太い足を持つ、石灰岩のような蟹。身の丈は美術館で巨大化したコガネムシの彫刻を優に超え、センターさえも上回る。壁を壊したのはこの蟹が掲げる鋏であり、こんなものの出所は一つしか無い。


 鋏が巻き込んだ空気が生む風に髪を遊ばれる裁は、怪訝そうに私へ横顔を向けた。


「あの犬、足が付かん魔術やなかった?」


 草壁が迫る中緊張感の無い問いに、立ち上がりながら返す。


「……魔術以外の方法でバレたんだよ!」


 裁の懐へ飛び込もうと地を蹴る草壁へ飛びかかり、左の袈裟斬りを放った。唸る刃に草壁のベールが躍らされた瞬間、宙で網目状に湧き出した夾竹桃の枝に阻まれる。すぐに葉と花を付け、赤い毒液が刃の衝撃を受け飛び散った。魔術で生み出された夾竹桃の枝は鋼のように強靭で、まるで薄い鎧のように草壁を守る。


 裁は私が割って入るのを分かっていたように、依然のんびりと零した。


「ほなあたしにも分からんわ」


 風穴を開けられた壁が付与の魔法を受け、ウニのように杭を放って蟹を貫く。蟹は体色と同じ色の液体を噴きながら地に縫い付けられ、それに気を取られた草壁が振り向いた。その隙に私は『一つ頭のケルベロス』を引き戻し、夾竹桃ごと叩き斬ろうと再度頭上から振り下ろす。


 だが毒に蝕まれた身が僅かに動きを鈍らせた。ほんの一瞬の間を置いて頭へ直走る切っ先に、草壁はベールを靡かせ振り返る。左足を引くと、私へ右半身を向けるように身を翻し夾竹桃を砕いて迫る刃を往なした。切っ先から墨のように迸る黒い魔術が、草壁の左半身があった空間を駆け蟹にぶち当たる。それを見届けるより先に草壁の足元から湧いた夾竹桃の束が、鞭のように撓って私と裁を宙へ薙いだ。あっと言う間に地面の感覚が無くなって視界が溶け、我が身が切る風が轟音となり耳を襲う。


 紙屑のように軽々と中空へ攫われた私の真下に、裁が作った壁から伸びた瓦礫と土の塊が、足場のように駆け上って差し込まれた。かさずしがみつくように着地し、斑に夾竹桃に呑まれていく街を見下ろす。戦いで吹き荒ぶ風に躍る花弁と毒液の匂いが、混沌に落ちて行く街を彩っていた。


 裁が毒を受け付けないのなら、もう後手に回る必要は無い。今の内に体内の毒を取り除かなければ。『一つ頭のケルベロス』を握る右腕を喉に巻き付けるように構え、首を斬り落とそうと刃を向けた。



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