85.ピンチはいつも突然に


「やだやだやだやだ気持ち悪い! 何でこっちに来るんだよ!」


 裁の両肩を掴み、盾にするように前へ押し出す。一歩でも蜘蛛から離れたいが窓際なのでこれ以上距離を取れない。


 裁は左腕を脇に抱えると呆れ顔で見下ろして来た。


「あたしが呼んだからや」


「はァ何やってんだてめえ!? 殺すぞ!」


 目をひん剥いて怒鳴る。


「煩い奴やな本物やなくて付与の魔法エンチャントや!」


「来てる来てる来てるほんとにやだ早くどっかやってくれ!」


 裁は聞こえていないように腰を下ろすと(絶対そんな訳無いだろ)、足元までやって来た蜘蛛を何と素手で拾って立ち上がり(叫びそう)、丸呑みにした。丸呑みにした。


 まるのみにした。


 裁は脇に抱えていた左腕を銜えると、右手で左の肩口から何かを剥がした。白いガムテープのようなそれは、魔術師が使う止血剤だ。腹に穴が開こうとあれを貼れば即死は免れるし、短時間なら戦いも続行出来る。


 それを剥がされた左肩からは狂ったように血が溢れ出し、裁はそこへ、左腕の断面を合わせた。断面は血液が瞬間接着剤にでもなったように肩にくっ付き、裁は噛み千切られる前と全く変わらない滑らかな挙動で左肩を回し出す。


「はあ。やっと元通りや。血が足りんから治せんかったんよ」


 蜘蛛を丸呑みにした。切断された腕は元に戻した。悪趣味な映画のワンシーンを切り貼りした映像を突然見せられたような現実味の無い光景に、真っ青になった私はぶるぶる震えて裁を指した。


「……いっ、いやいや、どど、どうなってんだ。おぉお前、魔の八丁荒らしとして隠してる、もっ、もう一つの魔法がそれか!?」


「あのなあこれは吸血鬼の力や」


 いよいよ鬱陶しそうに私を睨む裁。顔にかかった夾竹桃の毒液を、育ちのいい事にブレザーのポケットから出したハンカチで拭い出す。


「あんたみたいにいきなり元通りにこそならんけど、血いさえ足りとったら大抵の事では死なへんねん。その辺の土でさっきの蜘蛛作って〝館〟まで走らして、現場に残った職員の血い腹に溜めて運ばせて来たんや。それ飲んで失くした血い補ったから、こやって元通りっちゅう訳よ。それより」


 裁は私の肩越しに外を見た。


「草壁っちゅうんは、あれか?」


 振り返ると何かが窓を粉砕した。何かが撒いた衝撃は部屋すら砕き、センターの一階部分のみを残す一撃へ膨れ上がって襲いかかる。


 瓦礫や夾竹桃きょうちくとうと宙へ投げ出された私は、センターを破壊した何かの姿を捉えた。


 それは今や、街のあちこちで群生を始めていた夾竹桃の内の一本で、槍のように伸びたその身でセンターを貫いたらしい。その腹辺りにぽつりと立つ女性の影が、じっとこちらを見下ろしていた。


 裁よりもまだ背が高い痩身を黒紋付に包み、白い長髪を低い団子に結んだ顔は、黒いウエディングベールのような布に覆われ不明瞭。その立ち姿は品と妖しさを上らせるも感情は一切読ませず、人形が立ち尽くしているように生気が無い。それでも何故だかその目は、私を見据えていると確信出来た。


 歳は知らない。ベールを被っているのは昔魔法使いとの戦いで、顔の皮を剥がされたのを隠す為と知っている。帯刀を〝患者〟にした後一度だけ、父の死を惜しんでいたと突然声をかけられた。その声は凪いだ海のように静かで、とても見境無く人を殺すような魔術の使い手だと思えなかった。


 草壁是枝このえ。この人の接近はどうしてか、常に予兆が無い。



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