83.死出の餞に薄紅を


 騒々しかった街が、死んだように静まり返っているのに気付く。市民への避難を促していた、不気味な女性アナウンスが止んでいる。


 割れた窓の向こうに目をやり街を見た。


 ふと、風に乗って入って来た淡紅色の何かに視界を覆われる。それはすぐにはらりと流れ、足元に落ちた。見下ろすとそれは凍えるような十一月だというのに、桃の花のような花弁。それに続くように遥か遠くで、寺のような清涼な匂いが微かに上った。


 じっと私の命令を待っていた痩せぎすのコヨーテが、警戒するように一吠えする。裁の手を払い、改めて外を見た。花弁はこの一枚で終わらず、あちこちの割れた窓から止めどなく流れ込んで来る。


 裁も動揺を滲ませながら、私が目を向けた窓から街を見た。


「何やあれ……!?」


 位置は街の中心部だろうか。遠く離れたここからでも、小さくはあるがはっきりと見えるぐらいに大きな緑の塊が、音も無く入道雲のように成長している。四方八方へ膨らんでいく輪郭を成しているのは、竹に似た無数の葉。葉に覆われてよく見えない枝の先端からは、淡紅色の花が次々と咲き乱れた。


 夾竹桃きょうちくとうだ。裁が作ったアスファルトの棺に閉ざされた空を、街そのものを、覆うように成長していく。花は咲いた端から散り、風が強い訳でも無いのに軽やかに舞うと、街中へ降り注いだ。あの夾竹桃きょうちくとうが、私達の所まで流れている花弁の出所だ。


 そして何よりも奇怪なのは、この寺のような匂い。夾竹桃の枝から血のようにどろどろと滴り、葉を濡らしている赤い液体から上っている。


「息を吸い過ぎるな」


 素早く告げると裁の腕を掴んで、窓から離れるべくセンターの奥へ踏み出した。背後へ横顔を向け口笛を吹く。落ち着き無くぐるぐると歩き回っていたコヨーテは顔を上げると、床に転がったままの裁の左腕をくわえて付いて来た。


 夾竹桃に気を取られていた裁は、引きられるように歩き出すと尋ねる。


「な、何やねんな? あの木ぃみたいなん何やねん」


「草壁の魔術だよ」


 窓が割れているのは一階だけだ。上階への階段に足をかける。


「御三家の最後の一人だ。あの人が出て来たって事は〝不吉なる芸術街〟の魔術師は、私諸共お前を殺すって判断をしたんだ」


 階段を駆け上がり、適当な部屋に入る。コヨーテが飛び込んで来るのを待ってからドアを閉め、碌に部屋の内部を視認しないまま裁へ向き直った。


「いいか。絶対に外に出るなよ。さっき一階に流れて来てた寺みたいな匂いの元は、あの夾竹桃から流れていた赤い毒液だ。あの毒は悪魔仕様の臓器を持ってる魔法使いを殺す為のもので、悪魔にも、悪魔に近い性質を持つ悪魔喰らいにも効く。夾竹桃を折って来るから、お前はここに隠れてろ」


 裁は途端に動揺を押し退けるように怒りを滲ませ、私を追い払うように腕を振るう。


「せやから何であんたが……! 大体そないな魔術使える奴がおるんやったら、何で最初っから出てえへんねん。雨の魔術使うまでも無いやんか」


天喰あまじき家と似たタイプだからだよ」


 これから襲いかかるだろう脅威の巨大さに、自暴自棄が混じった笑みが浮かんだ。


 朝から血だの『鎖の雨』だのでっくに濡れ鼠だが、それでもはっきりと分かる冷や汗が頬を伝って滴る。


「あの匂いは余り吸い込むと人も殺す程有害だし解毒剤も存在しない、ただ敵を殺す機能だけを持ち合わせた、市街地で扱っていいような攻撃性能じゃない危険な魔術なんだよ」


 今でこそ二番手。頂点の座は天喰家に譲って久しいも、かつて魔法使いとの戦いにおいて決定打を担っていた殺しの魔術の達人達。現在その血族を統べる当主、草壁是枝このえが扱うあの夾竹桃きょうちくとうの魔術には名前が無い。御三家でありながら魔術師の規律を軽んじているのでは無く、意味が無いからだ。


 魔術師が魔術に名を付けるのは、周囲に警戒を促し、眼前の魔法使いを必ず仕留めると誓いを立てる為。だがあの夾竹桃は危険過ぎるその性質から、扱うには周囲の人間を丸々遠ざけなければならず、戦いを共にする魔術師にさえ有害だ。草壁是枝このえを前線に出すという判断を下した瞬間に、魔術に名を付ける目的と同義を果たしているのである。もう敵味方共に、無駄口を利いている暇は無くなったのだから。



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